常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

6月の園芸家

2013年05月31日 | 農作業


チャペックの『園芸家の12カ月』の「6月の園芸家」の項に、作者が野菜をつくらない理由がユーモラスに書いている。

「生涯のある時期に、ニンジン、キャベツ、レタス、コールラビの花壇をいくつか作ったことがある。・・・ところが、間もなくわたしは、一日に百二十個の廿日ダイコンをひとりで平らげなければならないことがわかった。うちじゅうでもう、みんなが食べようとしなくなったからだ。その翌週にはキャベツをしょいこんだ。息をつくひまもなく、こんどはコールドラビ攻めにあった。それがまた、物凄い繊維質の、こちこちのやつだった。」

近所の知り合いがわづか土地にアスパラを植えた。丹精したかいがあって、太く立派なアスパラがたくさん取れた。そこの主人曰く「もうアスパラは飽きちゃったね。よかったら、採って食べてください」。随分飽きるのが早いと思ったが、野菜作り盲点であることも確かだ。

久しぶりの雨が降って、野菜がいちだんと大きくなった。シュンギクが大きくなったので、疎抜きして茹でた。シュンギクの春の香りが堪能できた。董を伸ばしはじめたアスパラ菜は採っても片手の手に乗るほどの量である。水菜はサラダで食べるのが最高だ。柔らかい繊維は、適度で口に入れたときから胃にやさしいのが分る。チャペックのように、120個もの廿日ダイコンや固いコールドラビを食べるのとは訳が違う。手折った手の感覚が、アスパラ菜にも、シュンギクにもミズナにも残っている。


このブログも始めて1年を経過したが、長く読まれている記事に「シシウド」がある。昨年は6月の23日にシシウドを採りに行っているが、今年もそろそろその時期だ。野菜や山菜を堪能できる5月から6月は、食べものを一番贅沢に味わえる時期である。
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かきつばた

2013年05月30日 | 万葉集


光禅寺の庭にかきつばたが咲いている。もう盛りは過ぎて、花はところどころ萎れている。紫の色があくまでも上品である。ただし、この花がかきつばたであるか、アヤメなのかは区別できないので、いまひとつ自信はない。あくまでもかきつばたとして、話を進める。

万葉集には、かきつばたを詠んだ歌が7首見える。この花の名は、昔この花を着物に摺りつけて着色したにで、「カキツケバナ」が縮まって「カキツバタ」になったと言われている。

住吉の浅沢小野のかきつばた衣に摺り着け着る日知らずも 巻7・1361

住吉の浅沢小野に咲くかきつばた、あのかきつばたの花を、私の衣に摺染めしてそれを身につける日はいったいいつのことやら。この歌では、かきつばたを結婚しようとする女性と重ねている。衣の摺染めするのを、結婚することに例えている。美しいかきつばたは美しい女性に例えた例である。

長井のあやめ公園のサイトを見たが、28日現在でまだ開花していない。恒例の「あやめ祭り」は、6月15日からである。このあたりに、長井を訪れて見れば、かきつばたとあやめの区別がつくようになるかも知れない。
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入梅

2013年05月29日 | 日記


昨日、関東地方が梅雨に入った。ナイター中継を見ていたら、甲子園球場は雨であった。それほど強い雨でなかったので、試合は中止にならずに行われた。楽天が9回に4点を入れ勝利した。梅雨は五月雨のような雨そのものを言うのではなく梅雨期を略して梅雨という。入梅はその時期に入ったことを、気象庁が発表する。東北はまだ梅雨に入らず、予測としては6月10日ごろとのことであるが、関東地方の入梅の影響で夜雨になり、朝方まで小雨が降った。そのためか、悠創の丘の緑は一段と深くなった。

部屋ごとにしづけさありて梅雨きざす 能村登四郎

梅雨は梅の熟するころの雨である。そういえば昨日歩いた果樹園で、青い梅の実が大きくなっているを見た。その横に無花果の花が終わり、かわいい実をつけていた。桜の実がピンク色につんと上を向いているのもかわいいものである。

辰巳浜子の『料理歳時記』の梅の項には、梅を使った梅酒や梅肉エキスの作り方が書かれている。
「初夏の懐石の湯吸物に青梅の一片をしのばせた後、きまって梅酒、梅肉エキスの青梅もぎが始まります。東京地方では入梅の雨に当てぬ以前のものがよいとされています。6月10日前後までに漬け込みましょう。」
この地方では、梅干の梅は、半夏生までにもげという言い伝えもある。

青梅の兄おとうとのをれる如 後藤 夜平

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ツメクサ

2013年05月28日 | 


クローバーである。トランプのクラブの図案になったが、ツメクサと呼ばれる。シロツメクサとアカツメクサがあり、ゲンゲ、レンゲソウとも呼ばれる。昔は田の畦や、道ばたに群れをなして咲いていたが、このごろあまり見かけない。散歩の途中で、雑草のなかにひっそりと咲いていた。

オランダからガラスの器具などが運ばれたとき、このクサを乾燥させたものを詰めて壊れないようにしたのでこの名になった。この乾燥した草になかに種が混ざっていたので、もの好きな人が植えたのが広く繁殖したと言われている。めったにない四葉のクローバーを見つけると、幸運に会えるといわれ、子どものころ探し歩いたものである。

クローバや蜂が羽音を縮め来て 深見けん二

北海道の生家は酪農家であった。牧草にこのクローバーを植えて、牛の飼料にした。日曜日で学校が休みの日には、兄に連れられて牧草を刈りに出かけた。鎌で刈り取って畑で乾燥させる。それを集めて、飼料にしたが、子どもにとってはかなりの重労働であった。長い柄の鎌を使うのも要領が必要で、兄は手馴れて根元から巧みに刈り取った。うまごやしというこの草のもう一つの名の由来である。

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ピストルの歴史

2013年05月27日 | 日記


アメリカの銃による惨劇のニュースが後を絶たない。昨年の12月には、自動小銃2丁を持った男がコネチカット州の小学校へ押し入り、教室で銃を乱射、小学生20名を含む26人を殺害し、その後、男は自ら命を絶った。この事件を重く見たオバマ大統領は、銃購入時の身元確認を拡大する法案を議会に提出したが、議会はこの法案を否決した。この採決を受けてオバマ大統領は、「アメリカ上院の恥ずべき日」と語った。

16世紀の初めまで、銃はかって種子島に渡来したのと同様な火縄銃で、片手で銃身を押さえもう一方の手で火縄に点火するという面倒な作業が必要であった。手間どっているうちに刀で切りこまれたり、雨に火縄が濡れることもあった。ところが、ホィール・ロックという点火システムが発明されたことで、銃の進化が始まる。ホィール・ロックというのは、いまのライターのヤスリのようなもので、引き金を引いてまわすと火花が散って発火する仕組みだ。

この発明により銃は片手で操作でき、銃身を短くでき、軽量化が進んだ。ホィール・ロックを用いて短銃を最初に作ったのは、カミーロ・ヴィテーリというイタリア人である。彼が住んでいた町、ピストイアにちなんでこの短銃はピストルと呼ばれた。その軽便さが好評をはくし、あっという間にヨーロッパ全土に普及した。ピストルは誰もが隠して携行できるので、暗殺者が重用するところになった。そのため1517年、神聖ローマ帝国のマクシミリアン皇帝は、ピストルの製造を非合法化した。イギリスでもピストルを盗賊が使用するケースが増えたため、1542年、ピストル取締り法が成立している。

しかし、ピストルの技術革新の動きは止まることなく、レボルバー、オートマチックと使い勝手のよいものが次々に登場した。腰からさっとピストルを抜いて、目にも止まらぬ早業で射撃するガンマンは、ヨーロッパからアメリカ西部劇の世界へと波及していった。ワイルド・ビル・ヒコックに代表されるガンマンは、アメリカ西部開拓時代の英雄として、西部劇に映画化され、語り継がれている。

ヨーロッパから移住して、先住民と戦いながら国づくりを進めたアメリカ人は、ピストルを護身用として手放すことをしない。長い歴史のなかで根付いた習慣はおいそれと捨て去ることはできないのであろう。だが、アメリカでは殺人事件で年間1万2千人の死者を出しているが、そのうち小火器つまり銃による死者は8千人を越えている。この事実を直視するならば、銃規制は避けて通れない道である。

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