常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

三国志 蜀滅ぶ

2016年11月30日 | 日記


263年12月、蜀主劉禅は魏に降伏して、蜀は滅んだ。いわゆる三国時代の終焉である。だが歴史年表のこの記述の約30年前に、蜀の滅亡を予告する事件が起きていた。234年の春2月、諸葛孔明は長安の約100キロの地ににある五丈原という台地に陣を敷いた。敵陣を指揮するのは名将司馬仲達である。味方を鼓舞し、敵を威嚇しなら陣を敷くこと100日、この戦場で孔明は病を得て死んで行く。死に際して、孔明は遺言を諸将に伝えた。吉川英治の『三国志』には、この遺言の内容が書かれている。

「自分が死んでも、必ず喪を発してはいけない。必然司馬仲達は好機逸すべからずと、総力を挙げてくるであろうから。(中略)孔明なおありと味方の将士にも思わせておくがいい。-然る後、時を計って、魏勢の先鋒を追い、退路を開いてから後、わが喪を発すれば、恐らく大過なく全軍帰国することを得よう。」

蜀軍ははこの遺言を守り、やがて「死せる孔明・生ける仲達を走らす」というかたちで、戦地を退却することができた。しかし蜀の勢力は次第に衰え、降伏を選ぶほかはなかった。この戦いは土井晩翠の「星落秋風五丈原」の詩に歌いあげられている。

祁山 悲愁の 風更けて
陣運暗し五丈原、
零露の文は繁くして
草枯れ 馬は肥ゆれども
蜀軍の旗 光無く

丞相病あつかりき。

晩翠のこの詩のリズムやイメージの流れが、「三国志」という英雄譚を語るにふさわしいものである。旧制高校の寮歌の響きにも似て、青年に流れる血潮をかきててるものである。 
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エンドウ豆

2016年11月29日 | 農作業


雪の前に畑に行くのは、寒くて億劫だが、人の知らない楽しみもある。朽ちた菊花の枝を伐って畑のきれいにすると、残っているのはこれからも収穫できるダイコンやキャベツと、雪が消えてから成長する野菜たちばかりである。五月菜に玉ねぎ、それと10月の末に種を撒いたエンドウ豆が、これだけ寒くなってから芽を順調に伸ばしている。昨年蒔いたエンドウ豆は、蒔いた種の半数ぐらいしか成長しなかったが、今年は全量が芽を出したようだ。植物の生命力を目の当たりにできるのが、晩秋の畑の楽しみである。

アシタバの新芽はまだ株の真ん中から伸びている。さすがに採って食べることはしない。針金で囲いを作り、散り落ちた柿の葉をあつめて、株の上に盛った。温かい土地で育つ野菜なので、冬が越せるのか心配であるが、野菜の持つ力をを信じたいと思う。畑中に柿の落葉が散っている。雨が降り雪のしたで、落ち葉は朽ちてしだいに土と化していく。

様見えて土になりゐる落葉かな 松根東洋城

前回の収穫から10日ほどしか経っていないのに、大根がすっかり大きくなった。大根もまた寒さに強い植物である。スーパーで買う野菜が高騰しているなかで、新鮮な大根の葉はうれしい。煮物にしても、ぬか味噌漬けにしてもおいしく食べられる。そしてコマツナは成長してぐんと甘味をました。寒さに向かってけな気に成長する野菜の力に助けられて冬ごもりに向かう。

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カルガモ

2016年11月28日 | 日記


大学病院の西を流れ、やがて須川へと流れる支流は成沢川である。両岸に葦が生えて川のなかに侵入しているが、ところどころにわずかな川面を見せている。そこに留鳥のカルガモの一団が羽をやすめている。この一団に少し離れて、親鳥の後を追うこの夏に生れたかわいい子の集団も見られた。川のなかをよく見るとハヤらしい魚の群れも泳いでいる。カルガモはこの魚を餌にしているのではなく、水中の植物を食べるほか、岸にあがって草の実などを食べている。陽だまりを泳ぐカルガモの姿は、ずっと見ていても見飽きることがない。

霞城公園のお濠では、このカルガモに加えてオシドリが番で姿を見せる。番のなかで羽が美しい方がオス鳥である。クジャクなど美しい羽を広げて、メス鳥を惹きつけるために、羽が美しいのだが、オシドリの場合それだけではなさそうだ。越冬期になると、オスの羽は際立った美しさを見せる。この時期、森ではメス鳥が孵ったひな鳥を育てるのに忙しい。鷹が絶えずオシドリを探して飛来してくる。この家族を守るために決死を覚悟して飛ぶオス鳥。その姿は枯れた森の中でひと際目立つ姿だ。つまり自らを標的とし、犠牲になって家族を守る。なにか身につまされるオシドリの習性である。

こがらしや日に日に鴛鴦のうつくしき 井上 士朗
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月山がきれい見える日

2016年11月27日 | 日記


山頂に雪が積もり、青空に雲もない晴天の日、月山がくっきりとまじかに見える日がある。晴れていても、霞がかかっていたり、黄砂などがあっては駄目である。ほんとうに月山がきれいに見える日は、数えることができるほどしかないような気がする。昨日はそんな日であった。年の暮が近づいてくると、羽黒山で修行を積んでいる山伏が、法螺貝を吹きながら街中を歩いていた。最近はあまり見かけなくなったが、もう山伏が松の勧進に廻ることがなくなったのであろうか。

羽黒山では、大晦日から元旦にかけて松例祭が行われる。蜂子皇子が、火を放ってツツガムシを退治したという故事に基づいたお祭りである。ツツガムシの形をした松明に引き回して、これに火を放って、害虫の災いを除き、新しい年の五穀豊穣を祈る祭りである。年末に市中を法螺貝を吹きながら廻る山伏は、松例祭のお札、大黒天神の札を配る。市中の人々は、お賽銭を上げてお札を貰い、家の神棚や大黒柱に張るのが習わしであった。

月山の美しい雪景色と、山伏のお札を配る姿は、やがて雪の閉ざされていく、麓の村の人たちには無事その年が越せ、また来年も豊穣を祈るためのシンボルであった。古くからこの土地に根付いた山岳信仰は、これからも長く人々の心にとどまるであろう。

さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎて 斉藤茂吉

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2016年11月26日 | 日記


今年は柿が豊作だ。詩吟の先生や知人からたくさん頂き、干し柿にしたり、焼酎で渋を抜いて生食したり、食べきれずに娘や孫に送ってやることもできた。田舎の人たちに聞いた話だが、農家では昔は柿の木を植えて、どこの家でも貴重な食品であったようだ。飽食の時代になって、だんだん柿を食べなくなり、木に生らしたまま冬を過ごす家も珍しくない。そんな柿の木を見て、「もったいない」と口にするのは、みな同年代の人ばかりだ。

柿を大事していた時代の随筆がある。唐木順三の「柿に思う」だ。

とってきて 机の上において
しげしげと ながめる

手にとり たなごろにうづめ
なでふきまたながめる

この充実した色おもみ
ゆるぎのないかたち

自若として そこに坐り
黙って語る無限の道(ことば)

四季をこの一瞬にあつめて
冷たく光っているこの色

生命はここに充ちて
そのしみまでかぐはしい

この柿を語りうるならば
私の言葉はそこで終っていい

何という柿への思い入れだろうか。唐木はこの文に続けて、「まことに一顆明珠、ああこれが柿だ。柿の実だ。日本の秋だ。生命の充実だ。」と書いている。柿を愛で、そして一顆、一顆惜しむようにして食べた光景が文のなかに広がっている。食生活が豊かになって、ひとつの果物への思い入れが失われたような気がする。私は柿の皮も剥かず、皮ごと齧るのが好きだ。皮の食感が口のなかに残り、そして甘味が広がっていくのが心地よい。

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