常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

空梅雨

2017年06月30日 | 日記


入梅はしたものの一向に梅雨らしい雨がない。畑は乾燥しきって、埃がたっている。それでも、季節の野菜が収穫期を迎えている。今日、残して置いたレタスが、破裂してなかの方が腐敗してしまっているのを見て収穫してきた。妻は7個もあるレタスの食べられる部分を取り分けるのに、台所に立ちつくした。それでも、ベーコンと一緒にして炒めた、レタスは美味。腹いっぱい食べても飽きない味だ。野菜づくりをしていなかければ、食べられない季節の味だ。

ズッキーニが一気に実をつけた。まだ、背丈は小さいものの、初どりはいかにもおいしそうだ。これからは、毎日のようにズッキーニが収穫できる。加えて、キュウリ、ナスも採れはじめている。今少し、雨に恵まれれば、野菜の収穫は絶好調になる。

斗酒ありや日暮れて胡瓜刻む音 尾崎 紅葉
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栗の花

2017年06月29日 | 日記


芸工大の裏の畑で、栗の花が咲いていた。花というには、華やかさを欠く。一見毛虫のように見えるが、遠目で木を覆いつくすように咲いている様子を、美しいと思った。雨の日など、花の匂いがたちこめると、息苦しささへ、感じることがある。花の形状と、秋になる実とのあいだには、こうも落差があると思うと面白い。

咲きそびえ雲と渦巻く栗の花 水原秋桜子



同じ路傍にマンサクの実を見つけた。まるで孵化したばかりのひよこがひとところに集まっているみたいだ。この実がマンサクである、と知るには観察が必要だ。この実から、春先のあの小さな黄色の花を想像することはできない。春の花のさきがけとして咲いているのをカメラに収めているから、この実がマンサクであることが分かる。植物はみな、春から夏へ花を咲かせ、結実していく。実にはっきりとした周期を描いて、自らの子孫を増やすことに余念がない。
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希望

2017年06月28日 | 日記


千歳山の松枯れは一向に止まらない。80年も100年も経たような大木が、枯れていくのは、梢からたちまちのうちに枯れていく。麓から眺めただけで、あそこにも、ここにもと痛々しい枯れ枝を目にする。一方で、山の松を甦らそうする地域の人々の努力も見逃せない。登山道の脇には、苗から育ち始めた、松の幼木が元気な姿を見せている。木の生長は、10年単位という長いスパンで見ないと、その全容をみることはできない。もう、私などの寿命が尽きている30年後、50年後になって、これらの幼木が大木になる。そこに微かな希望を感じる。

木には、寿命というものがないという話を聞いたことがある。環境さえ樹に適していれば、1000年でも生き続ける。松枯れの原因は、マツノザイセンチュウという害虫であるらしい。しかし、全部の松がこの害虫にやられてしまうわけではない。幼木のたくましい成長力は、このような害虫を寄せつけない。成長の止まった老木から害虫被害に会うような気がする。下草を刈り、枯れ枝を集めて、燃料とした時代には、松林の環境を人間が守ってきた。人が山に入らなくなったことと、松枯れには関係があるであろう。千歳山に松茸狩に行ったという話は、もう遠い過去のことになった。
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勇気をくれる言葉

2017年06月27日 | 日記


炎天下の除草作業はつらい。それでも、この作業をしなければ、野菜の収穫はおぼつかない。高濱虚子の句に

汗をもてするよりほかはなかりけり

というのがある。汗と言えば、先日の蒜場山では、タオルが重くなるほどの汗と格闘した。家に帰って、手塚富雄のゲーテの箴言集を題材にしたエセーを手にした。ゲーテほど老年に厳しい言葉を発した人を知らない。

君の頭と心のなかが
きりきり舞いをしているなら
それは何よりめでたい話、
恋にも迷いにも縁の切れた人間は
墓に埋められてしまうがよい。

老年に安逸で、心配のない時間を与えるのをよしとする、今日の日本の風潮とは全く違う考え方をしていた。老年になってなお、苦しみ悩み、我慢をしながら、為すべきことに挑む人間であるべき。それが、ゲーテの考えであった。「箴言と省察」にある言葉こそ、私に勇気を与えてくれる。

我慢づよさを実証しなければならぬ者は誰か。大きい行為をしようとする者、山を登る者、魚を釣る者。
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北海道の旅

2017年06月26日 | 旅行


生き残った兄弟3人が、北海道の温泉を訪ねる旅をすることになった。温泉は札幌郊外の定山渓。姉が90歳、兄が85歳ということだから、この旅が最後となるかも知れない。北海道に生れていながら、この温泉に行くのは初めてのことである。最初が登別、次が層雲峡、そして定山渓ときて、甥、姪の世話で、3人の温泉の旅は完結することになる。

この温泉は、明治新政府と仏教徒の因縁が、この温泉の由来に関係している。神道に重きを置いた明治政府は、仏教徒に冷たくあたった。東本願寺の現如上人が北陸や東北の信徒に、渡道を呼びかける歌を作った。

トーサン カーサン
ユカシャンセ
ウマイ肴モ胆斗アル
オイシイ酒モ旦トアル
エゾ エゾ エゾ エゾ
エイジャナイカ

北海道の開拓に協力した東本願寺だけは、布教が許され、定山渓から札幌への道は長く本願寺街道と呼ばれた。我が家の家系も、明治政府が募った屯田兵として渡道している。厳しい気象条件下で、原始林を切り開くのに、渡道を奨励するには、北の大地を別天地のようなイメージを作りだす必要があった。平成の長高齢者3人旅は、この温泉郷に別天地を見ることができるか。
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