常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

あやめ

2018年05月30日 | 


ひともとのアヤメが咲いていると、思わずその美しさにはっとさせられる。花はもとより、その立姿の美しさに惹かれる。すっくと直立する茎、葉は槍の穂のように細く鋭い。その先に咲く紫の花は、茎や葉のイメージとは逆の艶めかしがある。日本画の題材に多く用いられてきた理由が分かるような気がする。

ほととぎす待てど来鳴かずあやめぐさ玉に貫く日をいまだ遠みか 大伴家持 万葉集巻8・1490

5月5日の節句には、健康長寿を願い、玉の袋に菖蒲や蓬など香りの強い草を挿して飾った。玉に貫く日とは、この節句を意味している。この時代から、あやめ・菖蒲の香りが邪気を払い、子どもたちの健康を守るものと信じられていた。現代でも、菖蒲湯などの風習は生き続けている。私の行っている日帰り温泉でも、この季節には菖蒲の葉を束ねて、湯に浮かべて、菖蒲湯の日としている。
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薔薇

2018年05月29日 | 日記


朝の散歩の楽しみは、近所のお宅に庭に咲く、四季折々の花を見ることだ。自分では何の努力もせず、丹精された花壇の花を、横目で見せていただ。時には、そっとカメラを出して、その美しい花をカメラ収める。今年は、春の高温と低温が交差して、花にいい影響を与えているらしく、咲く時期が10日ほど早く、しかも彩りが鮮やかだ。バラの花が庭や玄関、家のまわり中に植えらていて、家を包みこむように咲かせているお宅がある。今年も見事なバラの饗宴を楽しませてくれる。

井上靖の詩集を繰っていると、バラをテーマにした詩があった。バラの花を見ながら、井上の詩の世界に浸ってみる。

 旅から帰りて

一カ月の旅から帰って来ると、裏庭の花壇にバラの花が
咲き乱れていた。伸びきった茎の先に、赤と白の花が
花弁をひろげ、寝乱れた姿態を見せている。手入れは行
き届いていたが、まさしく廃園であった。私はいっさい
の旅の記憶を喪っていた。バラ園の中に立ちつくし、ど
こからともなく聞えて来る淡水湖の水の騒ぎの音のよう
なものに耳を傾けていた。

ベランダに置いてあるわずかの植物たちは、約一ヶ月世話をする主人を失う。かわりに私が世話をする。主人のいない植物たちは、どんな気持ちで帰りを待つのであろうか。
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家事

2018年05月28日 | 日記


私には妻に先立たれた友人が二人いる。一人は大宮にいて、妻を亡くしてから小説を書いた。某出版社の懸賞小説に応募したことを饒舌に話してくれた。内容は、妻にかわって自らが主夫になる話であった。今まで妻に任せていた家事一切を、自分が受け持ちこなしていくという話だ。自分がやった家事を、厳しい妻の目で確かめてもらい合格点を貰うまで決して不平を漏らさず、何度でもやり直す。そんな主夫の努力をテーマにしたものだ。話を聞いて、小説にしても、入選しそうな内容でないと思ったが、執筆の動機はいざ一人で暮らすと妻の存在が大きいことに気づいたことにあるように思う。その話を聞いてから長い時間が経ってしまったが、入選したいう知らせがないところを見ると失敗したのだろうと思っている。

もう一人は札幌にいて、動けなくなった妻を自宅で看病しながら、家事をした。料理をする夫の姿を見ながら、奥さんからダメ出しが来る。「いやあ、散々だったよ。あんまり何んにもできないもんでね。でも、今になってはもっと聞いておけばよかった。」と述懐している。昨年、彼の家に泊めてもらったとき、こうして習得した料理の技術で、おいしい野菜サラダと味噌汁を作ってくれた。独り暮らしにも慣れたのか、なかなか手さばきであった。

この月末から、ちょっと事情があって妻がひと月ほど家を空ける。普段何もしない私なので、妻は心配らしく、いろいろ注意してくれる。早い話、圧力なべの扱い、米のとぎ方、洗濯機のボタンや干し方どれひとつとして聞いておかないと困ってしまう。だが、これは天が与えた好機なのかも知れない。いずれはどちらかが欠ければ、一人の生活を余儀なくされる。その時、身の回りのことをひとりでこなす技を習得するチャンスである。思い起こせば、退職して自由の身になったとき、「男の料理教室」に通った。このような時に役立てばという思いであったが、実践しなければ、そんなものも役には立たない。「メンドリとうさん」とは、フランスで料理もできる男を言うらしい。この一ヶ月それを目指して、毎日を生きる。
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黒伏山

2018年05月27日 | 登山


黒伏山は標高1227m、けして高山とはいえないが、東北最大級の岩壁のあるアルピニストに親しまれてきた山だ。黒伏高原登山口から、黒伏山本体まで、山すそを巻くような山道は長く、体力を消耗する。山のベテランといえども侮ることのできない山である。天候は快晴、昨日まで強かった風も収まり、最高の登山日和と言える。本日の参加者7名、内男性3名。山すその登山道で、沢の残雪で、一時道を見失ったものの、30分ほどのロスで黒伏山への分岐に到着。

南壁の頭への急斜面にとりつく。それまではさほどの高度も稼いでいなかったので、メンバーにはまだまだゆとりが見えた。所々木の隙間から、丸い形をした黒伏山の初夏の緑が輝いている。急峻な坂を3分2ほど登ったところでアクシデントが起きた。仲間の一人が急坂で、安全のため、木の枝に掴んだところ、身体を捻り、腕に痛みを訴え動けなくなった。

安全を確保しながら、ここで相談して出した結論は、ただちに登頂を断念。すぐに全員で力を合わせてこの人を無事に下山させることであった。幸い腕以外は丈夫であったので、男性3名で安全を確保ながら急坂を脱出。傾斜の緩んだ地点かからゆっくりと自力で下山が可能になった。担当のMさんの発案で、下山距離の短い遅沢口に下山、車を置いてある黒伏高原へ下山したOさんと合流。午後2時、ここで遅い昼食となった。

撤退からの教訓。アクシデントにパニックにならず、全員が意志をひとつにしたこと。チームの絆はこのできごとでさらに深まったように感じる。反省すべきこともたくさんある。事前の登山道の状況の周知、チームとして歩行スピードをコントロールするなど。安全な登山には、もちろん個人としての準備とともにチームとしても考える必要がある。どの山登りにも発せられている「ゆっくり登れ」という言葉を、この機会にさらにかみしめていきたい。



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田植

2018年05月25日 | 日記


道路を田植え機を積んだ自動車を見かけるようになったと感じていたが、畑へ行く途中の田が田植えを終えていた。代掻きが済み、田に水が張られたと思う間もなく、田植えの完了である。大瀬の人が田に出て、お祭りのように田植したのは、遠い昔の話になってしまった。苗を積んだ田植え機が、一回だけ田を中を動くと、8列のほどの苗が植え付けられる。田んぼ一枚を3往復もすれば終了、何町歩を持った農家でも、2、3日にで田植えは終了する。

忽ちに一枚の田を植ゑにけり 高浜 虚子

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