常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

黒部五郎岳から北ノ俣岳

2015年08月31日 | 登山


登山の楽しみは三つある。ひとつは登山前の準備とシュミレーション。ふたつは実際の苦しみをの後に見られる山岳景観。そしてみっつめは登山家から帰ってからの回想である。きょう家に帰って初めて千歳山に登ってみたが、5日も経つのに脚の疲労はまだ完全にはとれていないことがわかる。さて、山行5日目である。目前の黒部五郎岳の岩峰に圧倒されながら、カールルートで頂上を目指す。いよいよ最後の大きな山だが、蓄積された脚の疲労もピークに達している。標高2839m
、氷河が削り取ったカール地形と奇岩の対比が面白い。



標高2700mの上は浅い海や湖沼に堆積した礫岩や砂岩でできいる。ものの本によれば、2億年も前の造山運動で、かつての海がこの日本アルプスの頂上部に持ち上げられたいわれる。昼近く、頂上に着く。大勢の人が登頂を喜び合っていた。なかでも若い10人ほどのパーティが、歌のような掛け合いで登頂を喜び、昼食の合図も歌になっていた。聞くと中央大学のパーティということであった。西南の雲の間に、一筋の残雪を湛えた山が見えた。「あれは白山ですか」という声がする。

下山途中の岩場で、石に足をひっかけて転倒する。手をついたとき、擦り傷で出血。カットバンで血を止める。この山行で転倒3回。木道と平坦な道で石を踏んだ時。やはり足の疲労が転倒を招くのか。いずれも大事至らず。



黒部五郎岳から北ノ俣岳に至るルートが見える。広々とした開放的な尾根歩きだ。もうここまでくれば、ほぼ予定のルートは終わったように感じた。ところが、赤木山から北ノ俣岳へのルートは容易に見えてそうはいかない。這い松のなかの道も、上から見たのとは大違いで、石ころがたくさん転がる歩き難い道である。足に蓄積した疲労が余計にそんな感じにさせるのかも知れない。しかし、山間の草原は、いかにもヨーロッパのアルプスを彷彿させる。ハイジと子犬が戯れていそうな雰囲気だ。この一番長いルートが終われば、最初に泊まった太郎平小屋に泊まる。最後に皆でビールで乾杯して、最後の折立へのコースをとる。
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鷲羽岳から三俣蓮華岳

2015年08月30日 | 登山


山行4日目。夜明け前に星空を見る。標高2500mから見る星空は、星明りで眩いようである。北斗七星が、くっきりと見える。空にかかる北斗七星を見たのは、何年ぶりであろうか。思い出せないほど遠い日であったような気がする。きのうまでの雨が止み、青空のもとで登山を楽しめることが約束された。5時、三俣山荘から目睫にある鷲羽岳(2924m)を登る。小屋で相部屋になった東京からグループとも親しくなってお互いの健闘を祈り合う。

正面の尾根にジグザク状の登山道がついている。マップタイム1時間30分。一歩登るごとに、周りの山々の山容が変わっていく。昨日通った黒部川の源流のあたりの地形も面白い。三俣山荘が、わが家のような暖かさを感じさせる。麓の霧のなかに、突然虹が現れた。小さな円形をなしている。いつも見かける半円形ではない。小さい円形は、まわりの地形がなせるわざであろうか。



急な傾斜を登りきると、頂上に着いた。360℃山並みが広がる絶景だ。中でも槍ヶ岳の切り立った雄姿が感動的だ。この山域からからは、薬師岳と槍ヶ岳の姿は、きることなく見えている。明治43年、登山家のレジェンド小島烏水が、この山域を通ったとき見た風景をまさに共有することができた。小島烏水は、雲の平の印象を次のように書いた。

「遠くから見ると牛が野放しに飼ってあるのかろも間違えられる、五郎岳、赤城山、薬師岳、黒岳、赤岳などの高山で取り囲まれて、それらの山の頭で冷却された水蒸気が、この森林に屯しては、雲や霧となって、ふわふわと立ち昇るので、何のことはない、雲の遊び場といったようなところだ」



ほぼマップタイム通りに鷲羽山を往復して、次に向かったのは三俣蓮華岳。山荘近くにあるテント場を過ぎると、一人の若い女性の登山者が下山してきた。双六岳から下山してきたという。「元気ですね」というと、向いの鷲羽山を指して、「これからあそこの登ると思うと気後れがします」と答えた。この山域の登山者は若者が多い。テントを背負ってテントばで泊まる人は殆どが学生たちようである。

三俣蓮華岳の頂上を越えて、今夜泊まる黒部五郎山荘へ向かう。道脇には、リンドウなどの秋の花が咲いていた。そういえば、黒部源流の沢筋に、トリカブトが林のように群生して紫の花を咲かせていた。ここまで山深くくると、紫の色合いも違って見える。深く気高い、そして濃い紫である。
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雲の平は雨の中

2015年08月29日 | 登山


山行2日目。太郎小屋から薬師沢小屋まで下る。懸念された霧雨が、ゴアテックスの雨具を通して衣類を濡らす。小屋の上がり口を借りて朝食をとる。そして、薬師沢から雲の平の登りに取りつく。雲の平へ来たどの人に聞いても、一番の悪路、最も登りづらい、という言葉が口をついて出る一番の難所だ。天気予報が無常にも、今日明日の雨を告げている。週末の晴を信じて、わがチームの士気は衰えない。

写真で黙々と登るのは、6日間、トップを歩き続けたSさん。登りはしっかりと時間をかけ、下りは軽快に、そのペース配分がチーム全体の疲労を軽減してくれた。春のうちは、山歩きの自信をなくしかけた彼女が、ここでこのような自信に満ちた歩きを見せるの驚きである。雨にもかかわらず、山中で会う登山者が多い。さすがに、日本アルプスは人気の高い山だ。雨に濡れた木道に至って足を滑らせることも多くなった。小屋で聞いた話だが、登山中の怪我に繋がった事故の8~9割が、木道上での転倒ということであった。

残念ながら、雲の平のアラスカ庭園も日本庭園も雨の中に煙っている。背景に水晶岳や薬師岳の借景があって成り立つ庭園であるという話を聞いたが、なるほどそうだと思った。せっかく楽しみにしてきた庭園の景観が雨によって減殺されたことが残念である。



深田久弥は『日本百名山』のなかで、雲の平を「匐松に覆われた広い台地」と形容しているが、雲の平小屋から、一面に広がる匐松の様子が見てとれる。小屋には強烈な乾燥場があって、濡れた雨具、衣類を乾燥させた。ここで活躍したのはAさんとGさん。乾燥場濡れたものを下げてくるのでなく、熱源近くへ持っていって直に乾燥させた。やり過ぎて、帽子を焦がしてしまう失敗もした。しかし、明日の快適な登山のためには、大切な作業だ。

山行3日目。雨は早朝から降り続いている。リーダーのTさんは、予定していた水晶岳を断念。雨の中を、祖父岳から黒部源流を通って三俣山荘へのコースをとる。山荘で着替え、夕刻になって雨が上がる。小屋から鷲羽山が指呼のうちにその秀麗な姿を見せる。南には槍ヶ岳の雄姿が間近に見える。
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雲の平 折立~太郎平小屋

2015年08月28日 | 登山

 
折立登山口に行くには、有料の有峰林道を通る。往復1900円の料金がかかる。有峰ダムでできた有峰湖を右手に見ながら進む。立山連峰薬師岳の麓をV字の渓谷をなして流れる急流和田川をせき止めて、水力発電所が設けられている。いくつもトンネルを抜けて折立に着くと、ここはすでに標高1400mの地点。登山口の標識を見て、登山道に入るとすぐに13輪を持つ慰霊塔が祀られている。昭和39年1月、愛知大学のパーティ13名がこのコースを通り登頂した薬師岳から太郎小屋へ下る道を誤り、遭難死した。若い命を悼むことと合わせて、この山域での遭難を繰り返さない警鐘もこめられているであろう。

折立~太郎平小屋までの距離5.5キロ、標高差900mは急坂が続く厳しい道だ。登りの道は初めての経験ということもあって夢中で登って行く。帰路になってその勾配のきつさ、道にある石や段差が障害物してあることをあらためて知らされる。ヒバなどの大木の樹林帯が続くが、三角点に到達して初めて薬師岳の遠望が得られる。途中中年の夫婦の登山者に行き会ったが、三角点まで行って下山したと言う。三角点から得られる展望は、前方の薬師岳、振り向けば巨大な有峰湖が見える。少しきつい山歩きのコースとして選ばれる十分な資格があると思えた。

折立を朝の8時30分に発って6時間、2時半には太郎平小屋に着く。右手に薬師岳、左手に北ノ俣岳。北アルプスの広大な景観が眼前に広がる。天気予報は、明日雨マーク。5時に夕飯をとると明日に備えて休息する。8月20日、曇り時々晴れ。この山行の参加者7名、内女性2名。


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北アルプスの山小屋

2015年08月26日 | 登山


今回の山行で泊まった小屋は、太郎平小屋、雲の平山荘、三俣山荘、黒部五郎小屋の4つである。そのうち、太郎平小屋は初日と最終日の2泊となった。このコースには、テント場が設けられており、大きなテントを背負った若者の姿が多く見かけられた。40キロもあるという背負うザックの重さに耐えられない我々には、山小屋は無くてはならない存在である。2日目と3日目の2日間、雨に降られたので、山小屋の存在は安心感を与えてくれる。

何よりも驚いたのは食事がおいしいことだ。太郎平小屋のハンバーグ、雲の平山荘のシチュウ、三俣山荘の石狩鍋、そして揚げたての天ぷらを供してくれた黒部五郎小屋。どこもご飯とみそ汁はおかわり自由。厳しい勾配の山道を8~12キロ歩いて体力を消耗した登山者にとって、山小屋の夕飯のおいしさは本当にありがたい。山小屋にあるもうひとつの安心は乾燥室の存在だ。雨に降られると、雨具を通して衣類は濡れる。ザックカバーもほとんど効果がなく、ザックの中身も濡れる。乾燥室でザックや衣類、そして靴を乾燥できるのは、翌日の山歩きにとって大きな味方だ。

夕食後の時間を利用して、雲の平山荘では山小屋の歴史を語るDVDの上映、三俣山荘では診療所のスタッフが「低体温症」についての講演をしてくれた。三俣山荘を始めた伊藤正一の紹介もされた。この山荘の広場から、鷲羽山がまじかに見え、南にはあの槍ヶ岳の尖った山容が見て取れる。この小屋を始めた伊藤正一が開発した伊藤新道をテーマにした小説『虚無の道標』を書いたのは森村誠一である。小屋の掲示板に森村の色紙が貼ってあった。伊藤正一自身が書いた『黒部の山賊』は、インターネットの電子書籍で販売されている。戦後の混乱期に、この場所へ山小屋を作った当時の様子が興味深く語られている。





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