常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2015年07月31日 | 日記


暑さのなかで柿の実が大きくなっている。民話の「猿蟹合戦」にも登場するまだ青い実だ。そもそも柿は実のなかの種が成長するまで、果肉にタンニンと呼ばれる渋味を持っている。種が成長する前に、虫や鳥に食べられないようにするためである。タンニンは水溶性で、果肉や果汁に溶け込んでいるので食べられない。

ところが、種が成長してしまうと、逆に鳥に食べてもらって、種を運んで糞と一緒に排出してもらわないと子孫を増やすことができず困ってしまう。そこで柿は、実のなかで種の成長に合わせてアセトアルデヒトという物質を作り出す。この物質がタンニンに作用してその性質を不溶性に変える。甘柿のなかに黒いゴマのようなぶつぶつしたものを見ることができるが、これが不溶性に変わったタンニンである。

渋抜きに焼酎をヘタにつけて密封した袋にいれるが、これは人為的に柿の実の呼吸を止めて、アセトアルデヒトを作り出させる作業である。大きくなった柿の実が色づいて種を成長させるまでにあと30日から40日を必要とする。
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白楽天の晩年

2015年07月30日 | 漢詩


60歳を過ぎてから、白楽天は官界を去り、洛陽に隠棲する身となった。時の権力者が覇権を争って、闘いを繰り返す現実を避けたのであった。楽天の設けた子どもたちは、皆幼くして世を去り、その落胆が隠棲を後押ししたのかも知れない。

初めて香山院に入って月に対す 白楽天

老いて香山に住せんとして初めて到る夜

秋 白月の正に円なる時に逢う

今より便ち是家山の月

試みに問う 清光知るや知らずや

白楽天は64歳のとき、香山院を修築して住み、仏教に傾倒した。香山居士と号し、僧侶ちと交わった。出る月を仰いで、今日からはわが家の月とつぶやき、安息の境地に到ったのである。自家製の酒と万巻の書を香月院に移し、詩作に意欲を燃やしていた。64歳で今まで詠んだ詩文を整理して『白氏文集』60巻を編んだ。しかし、病が身体を蝕み、68歳で中風患い、75歳でこの世を去った。
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岩手山山頂

2015年07月29日 | 登山


7月27日4時半、山小屋の外に出てご来光を見る。向こうの山並みから太陽が顔を出すはずだが、山際の雲に隠れている。上の雲に反映して朝焼けになっている。風は収まり、青空が見えているので、今日の山頂は期待が持てそうである。

朝食はパン、赤飯。仲間から漬け物、コーヒーと軽め。下山して食堂の美味しいものを期待する。就寝が早かったので全員元気そうだ。



不動小屋の後ろの山のガスが晴れていく。山の景色は、このように薄皮をはぐように見えてくるのが一番感動的である。この光景を目にして、仲間たちから「ワーッ」という声が飛び出した。そういえば、八合目にから入る登山道の入り口にに「登って感動」の看板が見えていた。

秋田駒ケ岳の方か吹き寄せる風に乗って、アーチ型の雲が次々と山並みの上に吹き上げられる。どの光景も、この場所に立って初めて見ることのできるものばかりである。

四五歩して夏山の景変わりけり 高浜 虚子



砂礫の道を歩を狭めながら登っていく。左方には岩稜の山が次第に、その全貌を見せていく。一歩登るたびに、眼下の光景は変わり、正面に岩手山の頂上が姿を見せ始める。八合目の小屋から頂上まで、ゆっくり歩いて1時間。砂礫のあちこちにイワブクロとコマクサの花が見え始める。遠目には、コマクサのピンクは華やかだが、近くで見るともう花は終りを向かえつつある。



噴火口の向こうに岩手山山頂が、大きな姿を見せた。青い空に白い雲、砂礫と岩の山頂の色のコントラストがみごとである。カルデラの雄大な景観、砂礫の日の当る斜面には一面のコマクサの花畑である。6時前に登り始めたので、山頂からお鉢めぐりの山歩きがゆっくりと楽しめる。これほど風もゆるやかで、頂上の気温も20℃なかばという好条件で山頂に立てるのは、めったにあるものではない。



お鉢めぐりは、この登山のおまけのような時間だ。砂礫の道に10mほどだろうか、等間隔に石仏が置かれている。どの石仏も同じ方角にし視線を向けている。この世で亡くなった人が、成仏して天国へ行く方向へ視線を向け、手を合わせている姿である。大抵の山には神社が祀られているが、ここでは数え切れないほどの石仏が置かれている。頂上で、夕べお世話になった小屋当番の手伝いに来たという、山岳会の人に会った。我々が鉢まわりをしている間に、この人はカルデラの中に降り、そこについている道を通って、下山の道へ向かって行った。



岩陰にイワキキョウのきれいな花を見つけた。記録を見ると、この花を見たのは平成6年の7月月山の登山道の岩陰である。コバルトブルーの花冠が上品な色合いだ。木が生えることのない2000mの高みで、岩陰にひっそりと咲く姿は、いとおしく思える。どの山に行っても、痩せ尾根の狭い登山道では、高さゆえの恐怖感がつきものだが、不思議とこの山にはそうした感じを抱かせない。鉢を一回りして、下山にかかる。昨夜泊まった、八号目の避難小屋と不動避難小屋が眼下に見えている。



不動平の避難小屋だ。この小屋から、八合目の避難小屋まで30分ほどの距離だが、別ルートから来た人には、やはり重宝する小屋だ。備え付けのノートを見ると、金曜日山中に雨に降られた人が、この小屋を利用したことが書き付けてある。ノートはその時の雨を吸ってまだ濡れていた。今日のような天気では、想像のつかない悪条件がいつでも起きるという生々しい記録である。小屋の中は、まだ製剤したばかりの檜だろうか、木の香のかぐわしい清潔な小屋であった。

下山に新道を使った。今日は陽射しが強いせいか、この道の木陰をたよりに登ってくる人が多い。夏休みの登山シーズンである。愛好家が全国からこの山を目指して来ている。駐車場の車を見ても、釧路、神戸、京都、千葉、埼玉、そして岩手。人気の高い山である。
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岩手山

2015年07月27日 | 登山


岩手山は背後に姫神山、早池峰の山々を従え、正面に秋田の秋田駒ケ岳と対峙する。標高2038m、鳥海山と肩を並べる名峰だ。長年数多く山行をこなしているが、大抵の場合リーダーが率いるチームの一員で参加してきた。今回は、コースの選定からスケジュールの決定、宿泊の山小屋選び、そして車の運転と全部自分の責任で行った。同行者5名、内女性3名。

山行には様々な決断が強いられる。最初は天候の見極めが重要である。雨の予報が出ていた土曜の出発を延期して、日曜とした。結果的にこの決断が幸いして、山頂の景観が晴天のもとで見られることになった。



登山道を馬返しのキャンプ場から登ることに決めた。このコースには2合目を過ぎると旧道と新道のふたつのコースがある。旧道の5合目付近から上は、写真のガレた道だが、見晴らしがきく。反対に新道は樹林のなかを通るコースだ。尾根が一つ違うだけだが、登山の気分はまるで違う。この日はガスがかかって陽射しを遮っていたので、登りに旧道を使った。下りはでは、ガレ場で足をとられることも警戒して、下りに新道を使うことに決めた。京都から来たチームに聞いた、「うつらも、下りは新道やわ」と歯切れのいい京都弁が返ってきた。



6号目にきて、ガスが晴れてくる。振り返ると岩の向こうに滝沢の平地が見えてきた。岩手山は南部富士と呼ばれるほど、裾野を長く引く三角錐の山である。岩手県に入ってくると、何処からでも見える存在感のある山だ。先頭を行くsさんのペースで快適な山行が楽しめる。ひたすらガレた道を登る。「ずいぶん岩が多いね」「それは岩手だからね」こんな親父ギャグが飛びかう。



この季節、花はあまり多くない。ときおり、車ユリやアキノキリンソウが季節を感じさせてくれる。ミヤマオダマキが二輪かわいい姿を見せていた。ハンショウヅル、ハハコグサ、ウスユキソウも散見された。秋田駒ケ岳に登ったとき、「この花は何?」と聞かれて返事に窮したオキナグサに似た花は、ハンショウヅルであった。



登山口を9時半に出発して4時間、今夜泊まる八合目の避難小屋が見えてきた。小屋はウスユキソウとオオハナウドの群落に囲まれるようにしてあった。玄関前に御成清水の水場がある。この水場の水を使ったが、泊まった27日の朝、水が断水してしまった。小屋には当番で、管理する人が詰めている。岩手山岳会の人たちである。岩手登山普及会という腕章を着用している。
荷揚げ、小屋掃除、ストーブで湯沸し、毛布の貸し出し、宿泊料の徴収など登山者の身に行き届いた心配りをしてくれる。

当番の手伝いに来た人もいて、山中で山の情報も詳しく教えてくれた。他県からくる登山者はこのような地元の山岳会の人たちの献身的な活動なくしては快適な登山はありえない。感謝、感謝である。3時に小屋に入り、早めの夕食。楽しい語らいの後、就寝。外は風が強いが、次第に収まっていく感じ。明日の山頂が夜のうちから楽しみである。


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2015年07月25日 | 日記


玄関の窓でアブラゼミの大きな鳴き声が室内に響いてきた。みると、窓の敷居に止まって、羽を震わせながらしきりに鳴いている。蝉が鳴くのは、異性を求めるためだが、こんな緑もない殺風景な場所で求愛しても、寄ってくる異性はいないのでないか。写真に収めてからポトスを植えた鉢に止めると、籠の間に挟まってすざましい勢いで羽を震わせ高音で鳴く。暴れてみても狭い隙間から脱出することができない。そっと鉢を持ち上げて、蝉を自由にさせ手で押さえて、窓から外に放す。セミは勢いよく飛び去った。

ひたぶるに喚きの蝉を耳にあて 中村草田男

アブラゼミのジイ・・・と油の煮えるような声は、夏の暑さをいや増しにする。運動をせずに汗ばんでいた身体からさらに汗が滲んでくる。
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