常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

糸瓜忌

2020年09月18日 | 日記

明治35年9月19日、闘病中の正岡子規が亡くなった。享年36歳であった。患っていたのはカリエス、当時にあっては不治の病であった。死の前日、子規は
「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」という句を詠んでいる。糸瓜の水は、痰切りの薬として、子規は死の間際まで使っていた。糸瓜の蔓を切り、根の方を瓶に入れて吊るしておくと水が貯まる。その水を、咳が出るときや痰が詰まったとき飲むと効果があった。子規の忌日が、糸瓜忌と呼ばれる由縁である。

子規の闘病のすざましさは、『病床六尺』に見ることができる。苦しみの様子を連載にして新聞に載せた。その精神の強さには、頭を下げるほかないが、なかに病床で見た夢が記されている。

「昨夜の夢に動物ばかリが沢山遊んでいる処に来た。其動物の中にもう死期が近づいたがころげまわって煩悶して居る奴がある。すると一匹の親切な兎があって其煩悶している動物の辺へ往て自分の手を出した。彼動物は直に兎の手を自分の両手で持って自分の口に当て嬉しそうに其を吸うかと思うと今までの煩悶はやんで甚だ愉快げに眠るやうに死んでしまふた。余は眼がさめて後いつ迄も此兎のことが忘られない。」

病床からは真っ赤な鶏頭が咲いているのが見えていた。あまりの苦しみを少しでも減らそうと、新聞の編集者が連載の休載を申し出た。新聞に連載がないのを見て、子規は手紙で「僕の生命は「病床六尺」にあるのです。今、新聞に病床六尺」が無いので泣き出しました。どうにもたまりません。」と書き、せめて半分の分量で書かせてくれると命が助かると懇願している。
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