常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

虫の音

2013年08月30日 | 日記


朝、畑に車で出かけたが、途中で雨になった。ボンネットに枯れ枝のようなものが付いていた。よく見ると若いカマキリである。青い部分と褐色の部分がとてもきれいで可愛い。4本の足を固定させてボンネットにしっかりと付いて、車がスピードを上げても離れようとしない。ときおり前足を上げたと思ったら、後足を使ってくるりと方向を180°変換した。次にまた前足をあげるので何をするつもりなのかと見ていると、その足を口の辺りにしりに持っていく。顔を洗っているような恰好である。あるいは顔に当たった雨を飲んでいるのかも知れない。

日中はまだ30℃を越える暑さだが、朝夕はめっきりと涼しくなった。日中になると蝉の声が時おり聞えてくるが、朝の草叢にはコウロギの鳴き声がしきりである。夏から秋への変わり目は、この虫の音で知らされる。蝉の声がしなくなるのは、気温と関係があるようだ。山の麓で蝉の声を聞いても、だんだん上に行くに従い蝉の声が途絶える。微妙な気温の変化を蝉が知っているのだろう。それほどに、昆虫の生命は自然の変化に敏感である。

室生犀星の『全王朝物語』に「虫の章」の一編がある。大納言貞家の娘に一人娘の姫がいた。この姫は無類の虫好きで、秋には飼っている虫の世話と、すだく虫の音に夢中で、姫を目当てに通ってくる貴公子たちにも眼中になかった。男の魂胆には無頓着だが、こと虫となると話は違う。普通の女が見向きもしないコウロギに特別の関心を示す。人にはなかなか馴れないコウロギを、籠に入れて餌を与える。餌は日中に水から草叢に分け入って、採ってきたはこべの葉である。

歌詠みの惟時が姫のもとを訪れる。姫は贈られた歌への返歌も面倒なので無視を続けた。通って7番目の夜である、返歌を待っている惟時に直接に会って断ることにした。姫は、断りをいぶかる惟時に向かった言った。

「わらはは誰方にも、自然のうつくしさを身につけてほしいやうな気がいたします。織物や名声などよりも、もっとたやすく、自然のものならとらへることが出来るのでございますもの。何を苦しんで姫が名声や衣装に身をこがすわけがございませう。そんな方に一夜でもしみじみと虫の鳴く声を聞いていただきたいと思ひます。」

歌詠みの惟時は姫の自然を感じ取る感性に驚きを感じた。それに引き換え自分の自然への解釈の浅薄さに慄然としてしまう。姫にすすめられるままに、姫のもとの虫かごで心ゆくまで虫の音を聞いた。物語はその後、二人の恋路はどうなっていくのか語っていない。


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秋茄子

2013年08月29日 | 日記


「秋茄子は嫁に食わすな」という諺があるほど、秋の茄子はうまいものとされている。だが、確かにうまいのだが、惜しんで嫁に食わせないほどのものとは思えなかった。ただ、昨晩作ったマーボー茄子の味は、ちょっと生意気な嫁には食べさせたくないような味になった。油を吸って、程よい歯ごたえの食感は、朝昼の寒暖差のある気候でないとできないかも知れない。

これやこれ江戸紫の若茄子 宗因

美しい紫紺の色合い、滑らかなツヤのあるハダ、茄子の持つ風味は長く日本人に愛されてきた。茄子の種類も産地によってさまざまである。ご当地の茄子がその土地、土地で賞味されている。

この夏は長雨だったせいもあるが、始めの内は成長が遅く収穫もままならなかったが、ここへきて気温が上がると、茄子の生りが急によくなった。二人だけの生活では食べきれないほどに取れてくれる。

そういえば、鰻が高騰して食べられなくなった代りに、茄子の蒲焼がいいという。まだ試みてはいないが、これも茄子の食べ方には向いているような気がする。

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彩雲

2013年08月28日 | 日記


朝に辞す白帝彩雲の間 千里の江陵一日にして還る

唐の詩人李白は、57歳で玄宗の子永王に招かれて、その幕下に行く。しかし兄の粛王から反乱軍とされ捕らえられ、僻地夜郎への流刑を受ける。船に乗せられ寂しく岷江を上っていった。だが、白帝城まできて恩赦に会い、そこから船を翻して江陵へと向かった。空には、彩雲が棚引いていた。船は矢のようなスピードで、猿の鳴き声を聞きながら、はるか下流の江陵へ、一日のうちに下ってしまう。

彩雲は上りはじめる朝日に彩られて、夕焼けをとは違った色合いで美しい。だが、彩雲が見られる時間は短い。この雲を見て文章を残しているのは、李白にとどまらない。わが国の清少納言には、『枕草子』に美しい朝の記述がある。

「しのびたる所にありては、夏こそをかしけれ。いみじくみじかき夜の明けぬるに、つゆ寝ずなりぬ。やがてよろずの所あけながらあれば、すずしく見えわたされる。なほいますこしいふべきことのあれば、かたみにいらへなどする程にただゐたる上より、烏のたかく鳴きていくこそ、顕証なる心地してをかしけれ。」

明け方にしのび会う二人の情景である。彩雲で薄暗いと思っているうちに、みるみる周りが見えはじめる。一羽の烏が、二人のしのびあいを言いふらすように鳴いて飛んでいくのを、少納言は面白く感じている。

枕辺や星別れんとする晨 漱石

漱石は妻が病に臥せっている枕辺を去ろうとしている。妻の病は旅先の心細さからくる神経症であった。二人の別れを七夕の二星の別れに例えたところが手柄。妻がこのまま遠くに去ってしまうことへ一抹の不安がよぎっている。この日も、朝の空には彩雲が棚引いていたであろうか。

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わた雲

2013年08月27日 | 雲の名


もの干し場で洗濯物を干していると窓の外から風の音が聞えてきた。午後1時ころだ。ふと外を見ると大粒の雨が風に吹かれて室内に入っている。大粒の雨で、ちょっと雹に間違えるほど雨粒が白く見えた。空を見ると、南の空に雨雲があり、北の空は青空だ。南西にかけて雨が降っている。あわてて窓を閉める。雨が風を伴っているのがわかる。

30分ほどで雨は止み、夕方にかけて青空にわた雲が浮かんだ。南の空に積雲がやや発達して積乱雲になりかかっている。

万葉集にはたくさん雲の名がでてくるが、豊旗雲というのがある。万葉人がどんな雲を豊旗雲と詠んだのかはっきりしない。瑞雲、海にたなびくようにかかる雲と思われる。

海神の豊旗雲に入り日さし 今宵の月夜 さやけくありこそ 中大兄

この瑞雲は夕日に赤く染められて、海の上の空を彩ったのであろう。「わた雲は晴の兆し」という俚諺がある。ここのところの異常気象で、こんな諺もあてにならないが、わた雲が出るのは天気は安定しているときに多いという。
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手前味噌

2013年08月27日 | 日記


味噌にはこだわりがある。生家が北海道の農家であったので、味噌は自家製のものしか食べなかった。そのためかこの味噌の味が忘れられず、実家を離れてからどこで食べる味噌も不満であった。実家の味噌づくりは祖母が指揮をとって子供たちが手伝いに駆り出された。自分が担当するのは、煮上がった豆をつぶす機械を回すことだった。丸い口に10個ほどの穴があいていて、そこからウドン状になってすりつぶされた豆が出てくる。これを桶に入れて塩を混ぜ、もの置で2年ほど寝かせる。そこにはきっと麹なども入れたのであろう。

子供の目であるから、味噌作りの詳細は分らない。それでも自分が手伝って作った味噌は、一番うまいものと思い込んでいる。戦後の貧しい食生活でおいしいものを食べた記憶はあまりないが、自家製の味噌でつくる味噌汁だけはいつまでも忘れられない。

ある朝のかなしみゆめのさめぎわに 鼻に入り来し味噌を煮る香よ 啄木

手前味噌とは少々塩辛くとも自家のものが、一番だと自慢する自画自賛の意味である。学校の先生から、「味覚の幅を広げなさい」ということを教わったことがある。経験した食べものだけでなく、広い世間の新しい味に親しめということだが、これは食べものに限らない。人との付き合いにも通じるであろう。そこから閉じていた味や人との関係が広がっていく。

味噌にこだわって色々と試した長い歴史が自分のなかにある。偶然知り合った尾花沢の麹屋さんがつくる味噌がいま食べている味噌だ。この味が故郷の味噌と似ているか、それはもう確かめようもないにだが、記憶のなかにある味噌の雰囲気を持っているのかも知れない。自分で豆を植えて、味噌屋さんに行って作る自家製味噌づくりも広がっている。
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