常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

多崎つくる

2013年04月30日 | 読書


村上春樹の新しい小説、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』には、名前のなかに色を持つ4人の男女が登場する。赤松慶、青海悦夫、白根柚木、黒埜恵理である。多崎つくるは、高校時代この4人と、ボランティア活動を通して欠け替えのない親友となる。この4人は高校を卒業しても、名古屋の大学に進み、ひとりつくるだけが東京の大学に進む。つくるは鉄道に興味を覚え、駅の設計をな学ぶため、専門の工科大学へ行った。そして事件が起きる。欠けがえのない親友から絶交を言い渡される。

主人公の「つくる」という名に、作者の意図があるように思える。「つくる」という名に色はないが、随所に「駅を作るつくる君」というフレーズが幾度となく出てくる。物づくり、にも通底する名だ。事件を通り抜けて、つくるは鉄道会社の駅舎を設計管理する部署に就職する。行き場所が見えなくなった時、つくるは東京駅の山手線のホームのベンチに腰をかけ、電車の流れに人が吸いこまれていく様子をじっと眺める。

色を持つ4人たちははどのような性格で、その後どのような人生を歩むことになるのであろうか。一人ひとりについて見てみると、

アカこと赤松慶は負けず嫌い、授業では優秀な成績をおさめた。大学は名古屋大学経済学部、ここを優秀な成績で卒業し、大手銀行へ就職。だが、3年で退職、サラ金に転職。ここも2年半で退職、自ら企業戦士を養成するする企業研修センターを設立。現在マスコミを賑わせるほどの存在感があり、成功したかに見える。

アオこと青海悦夫。ラクビーのフォーワード、キャプテンも務めた。がっしりした体格、大食で明るい性格。人の話をよく聞き、場をまとめるのが上手で人から好感を持たれた。名古屋の私立大を出て、トヨタのディラーに就職、トップセールスマンとして活躍。抜擢されてレクサスブランドの立ち上げに参加、ここでもトップセールスとして期待されている。

クロこと黒埜恵理。愛嬌があって生き生きとした表情を持っている。自立心が強く、タフな性格、早口で頭も回転も早い。熱心な読書家、ユーモアのセンスのある皮肉を口にした。名古屋の私大で英文科に入った。シロとの関係で疲れきったときふと見た陶芸に興味を持ち、芸術大学に入り直し、陶器の勉強をする。そこで知り合ったフィンランド人のエドヴァルトと恋に落ち、夫の故国で陶器をつくり、それを売って暮らしを立てている。

シロこと白根柚木。日本人形のような端正な顔立ちの美人。ピアノを上手に弾き、アフタースクールで子どもたちにピアノを教えた。普段は無口で大人しいが、生きものが好きで、獣医になるのが夢だと語った。父は産婦人科の医師。大学は周囲の説得で獣医学校を諦め、音楽大学に進んだ。だが大学時代に事件が起きる。レイプされて妊娠、子を産む決心だが死産という結末を迎える。シロはレイプしたのは、つくるだと主張し、その現場の様子を赤裸々に語った。しばらく自宅でピアノ教師をしたが、浜松に出た一人暮しを始め、そのアパートで何ものかによって絞殺された。(続く)

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土筆

2013年04月29日 | 登山


昨日、晴れ間に時間を作って、山菜を採りに行った。まだワラビに早く、つるが伸びはじめたアケビの芽を摘んだ。妻は熱心に土筆を摘んでいる。杉菜の胞子茎で、一種の花である。つくしんぼ、筆の花とも呼ばれている。斉藤茂吉は翁草に、少年時代を回想したが、土筆をみて故郷への懐旧の念を起こす人も多いのではないか。

くれなゐの梅散るなべに故郷につくしつみにし春し思ほゆ 子規

生駒に住むご夫妻と、一家揃って最上川の船下りをしたことがある。前の夜は湯船沢温泉で山菜料理を食べた。関西の人たちには、コシアブラなどの山菜はよほど珍しかったのであろう。山のどのような木の新芽かと、しきりに知りたがった。山でコシアブラの木を教えると、しきりに写真に収めていた。こんな方法で山菜を識別できるのか少し不安であった。

船を降りて船着場に着くと、道の両脇に土筆が、それこそ群生していた。生駒のご夫妻は、ビニール袋を取り出して、この土筆を採り出した。「生駒には土筆はないんですか。ここから持っていくのは大変でしょう」と聞いてみた。「皆、土筆が大好きで、あっという間に採られて無くなりますのや」と言う。それではと、こちらの家族も土筆摘みを手伝った。そのとき聞いた土筆の調理法を、妻はいまも覚えていて、年に一度くらい土筆の佃煮を作る。

  土 筆   室生 犀星

旅人なればこそ

小柴がくれに茜さす

いとしき嫁菜つくつくし

摘まんとしつつ

吐息つく

まだ春浅くして

あまた哀しきつくつくし

指はいためど 一心に土を掘る

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翁草

2013年04月28日 | 日記


寺の境内に翁草が、いぶし銀のような花を咲かせた。この花が終わると、高山植物のチングルマのような、髭をつけた種ができる。その姿が、翁の姿に似ているので翁草と呼ばれる。日当りのよい山野の草地に自生するが、近年その生存環境が悪化したのか、見かけることが少なくなった。この野草は絶滅が危惧されているのだ。寺の境内の桜を見に行ったとき、この花が咲いていたのでうれしくなった。

歌人の斉藤茂吉は、この花に郷土を思いこよなく愛した。茂吉の生まれた金瓶の集落の西向かいに向山と呼ばれる小さな山がある。集落の裏を流れる酢川を越えて、向山の尾根筋を行くと狼石という大きな石がある。7m×12m、高さ6mもある大きな石だが、大石の下は洞になっていて、そこに狼が住んでいた。月の出る夜は狼はその石に上がり、長く引く声で吼えた。今は絶滅してしまった狼だが、その吼える声は金瓶の茂吉の家に届いた。茂吉の母はその声が恐ろしかったと述懐している。

この石の周りには翁草が群生し、少年時代の茂吉たち格好の遊び場であった。翁草は、少年時代を過ごした金瓶のシンボルような存在である。

おきなぐさに唇ふれて帰りしがあはれあはれ今思ひ出でつも 茂吉(赤光)

翁草は白頭翁とも書く。キンポウゲ科のこの花は独特の風情を持っている。茂吉はヨーロッパへの留学の折り、大石田に疎開した折りなど人生の節目に、翁草の花の咲く季節に合わせて向山の狼石を訪れ、この花をわざわざ見に来ている。それほど、この花への思い入れは強いものであった。

かなしきいろの紅や春ふけて白頭翁さける野べを来にけり 

われ世をも去らむ頃にし白頭翁いづらの野べに移りにほはむ

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永き日

2013年04月27日 | 日記


朝方小雨、町内会の清掃の日。6時から一時間、道路脇の草を取る。昨日、ジャガイモの種を埋め、コリアンダー、ロケット、バジル、そば、アスパラ菜の種を蒔いたので恵みの雨というべきか。「好雨時節を知り 春に当たってすなわち発生す」と春の雨を喜んだのは、唐の詩人杜甫である。アスパラの株から一本の新芽が頭をもたげた。

「永き日」は実際には夏至が一番長いのだが、俳句では春の季語になっている。寒く、短い日中の陰気な冬から、待ち遠しい春をこの言葉にこめているような気がする。春の日ざしは畳の目ほどづつ日脚が伸び、日の暮れがびっくりするように遅くなっていく。

永き日やあくびうつして分かれ行く 夏目 漱石(明治29年)

いかにも漱石らしい、のんびりとしてユーモラスな春の日の光景が目に浮かぶ。この句は明治29年、熊本の第五高等学校の教師として赴任する送別句会で詠まれたものだ。「あくびをうつすと三日の親戚」という諺があるようだが、句会の仲間がそのように近い関係にあったことを窺わせる。句会は松風会といって、漱石に俳句の手ほどきをした正岡子規が主宰した。もう一句、こんな句もある。

恋猫や主人は心地例ならず     夏目 漱石(明治28年)

この季節、猫は積極的の路地に出て、相手を求めて鳴く。外はいつのまにか、温かいむずむずするような艶かしい春の夜である。これを聞く家の主人が独身であれば、とても平常心ではいられない。

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村上春樹の新刊

2013年04月26日 | 読書


村上春樹の最新小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』がこのほど発売になったので書店で購入した。最初に購入しようとして書店に行ったときは、「品切れ、ご購入の方はご予約ください」との看板が出ていた。そのわずか2日後、書店の入り口正面の特設の棚に、堂々と2列に積みあげられてあった。4月15日が第1刷で、4月25日はすでに第5冊である。

新聞によると第1刷が50万部で、すでに75万部を印刷中とのことだが、殆どの小説が3万部も刷れば売れた小説の部類になるが、村上作品が発売前から、これほどの話題になり、70万もの買い手が存在するのは稀有のことである。この傾向は『ノルウェーの森』にすでに始まり、『1Q84』では発売前から定着を見せていた。

小説は主人公、多崎つくるが大学2年生の7月からその年明ける2月まで死ぬことだけを考えて過ごしていたことから書き始められている。その原因として、高校時代の4人の友人から絶交を言い渡されることがあげられている。4人は名前に色が入っていた。4人はアカ、アオ、シロ、クロと色のニックネームで呼び合い、色が入っていない多崎だけがツクルと呼ばれた。

村上春樹は色にこだわりを持つ作家である。最大のベストセラーとなった『ノルウェーの森』では、赤と緑を小説のテーマのシンボルとしている。即ち、血のような赤は生を現し、森の緑は女性の自殺した場所で、死のシンボルである。だが、そのシンボルは緑という名の女性が生命力にあふれる女性として描かれ、赤いホンダの車のなかで青年が自殺する場面が描かれ、時としてその役割が反転している。

『ノルウェーの森』上下巻の装丁は、上巻が赤に緑の文字で「ノルウェーの森」とはめ込まれている。下巻は緑に赤の文字となって、上下はみごとに反転している。このことは、死と生は、すぐ近くにあるいものであり、生の一部として存在し、時には死の一部へと反転することをシンボリックに表現している。

新しい小説では、すでにその題名に色彩が登場している。この小説で、村上は色彩にどのような意味を持たせようしているのか。全編を読み通して改めて感想を述べて見たい。
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