常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

五月尽

2021年05月31日 | 日記
咲く花が移ろっていく様子をみている、時間に押されているように感じる。それほど時の流れが早い。早すぎる。郊外の木々の緑があっという間に、辺りを埋めつくして、景観は様変わりしていく。コロナの感染が収まらないという不安感が、時の流れを早くしているのか。

水口をはしる小蟹や五月尽

梅雨前線は西上して、九州や四国でまたまた大水の被害が出ている。前線が上がってくれば、東日本に続いて東北も梅雨の季節に入る。うっとうしい季節だが、この季節の青葉若葉の美しさは人を元気にしてくれる。
「この十日ばかりの間に、急に庭木は隣家の洋館の屋根が見えなくなるくらいに、ふかぶかと繁っていた。その若葉の繁みが、時折り、風にざわざわと揺れた。気のせいか、そこに目を当てていると、頬を打って来る風までが匂やかに感じられる」(井上靖『緑の仲間』)
こんな小説の一場面が、季節のせいで、懐かしい気にさせてくれる。
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卯の花

2021年05月30日 | 日記
恥ずかしい話だが初夏の卯の花はどれをさすのか、この年になってもいまだ分からない。今日見た花がそうではないかと、グーグルレンズで確かめてみた。結果はこの花はバイカウツギ。ウツギの花の仲間が、卯の花と言われることは知っていたがこの花は卯の花ではない。同じように白いはなだが、もっと尖った花が卯の花らしい。ウツギの仲間はたくさんあって、この時期に様々なウの花に出会う。この地方で言われるガザ花は、タニウツギ。野山でたくさん咲いている。エゴノキを見て卯の花と勘違いしたこともあった。   

卯の花の匂う垣根に
ホトトギス早も来鳴きて
忍び音もらす
夏は来ぬ

佐々木信綱の作詞による、唱歌がなつかしい。朝の散歩で白い花を見るたびに立ち止まって確認しるのは卯の花だ。今年は、どこかで卯の花にめぐり会えるか楽しみである。
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ベランダのハーブ

2021年05月29日 | 日記
昨日接種したワクチンの副作用だが、一夜明けて、注射部位に多少の痛みがあるものの、発熱もなく、体調に不良もない。このまま経緯してくれることを願っている。近所にある掛かりつけのクリニックでは、16日から接種が始まり、毎日午後12人に接種しているという話だ。一回目の接種が終り、その場で2回目の予約が告げられ、3週間をおいて6月18日に決まった。一緒に接種を受けた人の様子も不安はないようだ。実際、針を刺すチクリとした後、ワクチンが注入されるまで1秒足らず、ほとんど痛みも感じないまま終了。15分ほどの経過観察があるが、何事もなく終了した。夕食のとき、アルコールを摂ろうとしたが、少し心拍が上がるような気がしたので1杯だけにとどめた。

農作業を止めてあいた時間、ベランダでハーブを育てることにした。種を蒔いたバジルがかわいい芽を出したので、3日おきに肥料を施している。バジルは香りがよく、トマトとの相性がいいので、トマトソースに利用する。育て方の本をみると、枝が伸びてきたら、摘芯することで枝の数を増やす。さらに摘芯した穂は、挿し木して新たな株にすることができる。今回、ほかにローズマリー、ミントの苗も購入した。どれも挿し木ができるので、ベランダのハーブづくりが楽しめそうだ。


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名言

2021年05月28日 | 日記
いよいよコロナのワクチン接種の日が来た。高齢者のなかには、ワクチンの接種の順位が最初の方に来ていることに違和感をもらす人もいる。しかし、異をとなえても、自分の力でこの順位を動かすことは現実的には難しい。それよりも先行して接種を受ける高齢者自身の生き方が問われていると思う。先人は、高齢になってどう生きようとしたのか、名言をひも解くのも無駄ではない。田中菊雄先生という英語学者は、大学で授業を聞いた最初の先生であった。先生の著書『現代読書法』に次のような一文がある。
 
「青年には未来がある。希望がある。未発の力がある。それが青年の強みだ。しかし若返った老年にはとても及ばない。若返った老年!これこそ人生の華なのだ。読みたい。真剣に読みたい。私は今そういう気持ちでいっぱいだ。やる瀬ない飢渇が私を趁う。もっと学びたい、究めたい、読み直したい。それからでなければ死にきれない。」

山形大学を退官した後、先生は神奈川大学に奉職し、藤沢に住んだ。その神奈川大学も退任して、自宅の書斎で生活する晩年の先生の様子が新聞で紹介されたことがあった。書斎に入ったままいつまでも戻らない先生の様子を見に、家人が行くと、書斎で本を手にしたまま仮眠する先生の姿があったという。田中先生にも、生きるよすがとして反芻し続けた名言がある。

太陽が沈んでしまっても、
それでもなお夕映えは
美しく輝いている。
だから、人生の晩年に当たって、
君子たるものは、
さらに精神を百倍にも奮い立たせて、
りっぱに生きるようにすべきである (菜根譚)

もし、ワクチンの接種でもう少し健やかに生きる時間が与えられるならば、先生の心境に一歩でも近づきたい。家族や近しい人たちと、豊かで楽しい時間が持てるような生き方をしたい。それがこの措置への恩返しになることと信じたい。
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歳時記

2021年05月27日 | 日記
烏の子育ての季節が始まろうとしている。森の中で、巣に近づくと、大きな声で泣きながら威嚇の飛行を始める。巣を守ろうとする本能なのか、頭を掠めるように飛ぶので、恐怖感を覚える。3月には巣作りを始め、6月には抱卵20日で雛になる。そこから烏の子育てが始まるが、親は巣を留守にして餌を採りに出かけ、巣で待つ子烏に口移しで餌を与える。巣離れは雛になって一か月後、その後も親と一緒に過ごし8月ころようやく親と別れる。

「反哺の孝」という諺が中国にある。雛から成長した子烏が、雛の頃に親から口移しで餌をもらい育てられた恩返しに、しばらくの間、親のために餌を運んで親に与えるという意味だ。野鳥の研究家の間では、こんな習慣はないと結論づけられているが、親孝行の見本として日本での語り継がれてきた。

歳時記の「別れ烏」とう季語がある。秋の季語だが、この項を読むと、ふだん憎らしい存在の烏だが、その恩愛の情が伝わって来る。「烏は親子の情愛が深く、抱卵の時は雌烏に雄烏が餌をよく運び、人が巣を見上げたりしていると、威嚇して鳴く。」秋の気配がしてくると、子別れの季節がやってくる。「別れ烏」という季語は、一種言い難い哀切季語、と記されている。

田の縁や追ひ崩さるる秋烏 樗堂

歳時記は俳句を作る人には必携の書だが、季節感に浸りながら読む楽しみがある。亀が鳴く、蚯蚓鳴くなどありそうもないことが季語になっている。そこには、自然のさまざまな事象を、句に詠み込んできた人々の知恵がいっぱい詰まっている。
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