アパートの非常階段で、今年初めて蝉をみた。最初、仰向けで腹を見せていたが近づくと、力強く起き直り、またそこでじっと止まった。階段の鉄板があたたまっていたので、そこで脱皮したあとの体力を養っていたのであろうか。数分後に、羽をふるわせて飛び立った。土の中から出て、殻を脱ぎ捨てて、活動を始めるまで、蝉には太陽の光が必要だ。今日のように雨の日は、動き出すまでやや時間を必要とするらしい。まだ、あの鳴き声を発するまでの力はないようだ。夏至をすぎて、24節季の夏至の次候は「蝉始鳴」。その次は「半夏生」と移っていく。太陽暦では、蝉が鳴くのは7月初めであるから、この季節に土から出てきた蝉を見かけるのは、時季を得たと言えよう。
閑さや岩にしみ入る蝉の聲 芭蕉
「おくのほそ道」の旅で、芭蕉が山寺を訪れたのは、元禄2年、今の暦で7月13日である。蝉が鳴きはじめる時期は、芭蕉の時代も、今と変わらなかったようだ。奇岩が山中にある山寺で、蝉は岩に止まって鳴いていた。岩もまた、太陽の熱に温められて、蝉が脱皮するには、都合のよい場所であったであろう。「蝉噪ギテ林愈々静かなり」漢詩の手本に上げられる王籍の句だ。芭蕉の句には、こんな中国の詩が時おり顔を出す。芭蕉の素養が、日本の和歌に止まらず漢籍にあったことが分かる。
やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉
地上に出てからの蝉の寿命は短い。元気よく鳴いて、雌を呼びよせているが、十日ほどで命が尽きる。ぎらつく太陽のなかで、蝉の亡骸を見ることは珍しいことではない。ベランダの鉢植えに、たまに蝉がやってくることがある。至近距離で聞く、蝉の鳴き声の大きさに驚かされる。今年もまた蝉しぐれの季節が迫ってきた。