常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

三月終わる

2024年03月31日 | 日記
沼に田にひと居る四月来りけり 岡部弾丸

寒かった三月が終わる。強めの春風が吹いて、戸外のひとときが楽しい。八重の水仙が美しく咲いて、オドリコソウが空き地いっぱいに咲く様子はかわいい感じがする。フキノトウの花がこんなにきれいだったとは、この年になって初めて感じたことだ。坂道を歩いて家に帰ると、ベランダのスミレが葉を出し、山椒の木に葉芽がたくさんついていた。鉢に水やりをしながら、本のなかで春を待つ園芸家を思い出す。チャペック『園芸家の12カ月』、3月の項。

「朝のうちはまだ固い襁褓につつまれていた芽が、やわらかい葉さきを押し出して、レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星が光り、梨のふっくらした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、その先にみどりをおびた金いろの蕾がかがやいていた。ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔をだし、太った芽がひらきかかって、小さな葉脈と小さなたたみ目の、やさしいすかし細工が押しあって出ようとしていた。」

園芸家が花木をみつめる目はどこまでも愛情に満ちて。繊細だ。家にじっとしている暇はなく、時々刻々と変化し成長する草木に、水や肥料を施し、やり忘れたことはないか気配りを絶やさない。今年はベランダでもっとたくさんのハーブと花を育てよう。一年の通して書かれている園芸家の仕事を見習いながら、忙しい日々を過ごすことになる。
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黄沙

2024年03月30日 | 登山
三月も残すところ二日。東京で10日遅れの開花宣言があり、大陸から招かざる客、黄砂がやってきた。黄砂が俳句の季語になっていないと思いつつ引いてみた。驚くことに、立派に季語になっており、難しい感じの「つちふる」と同じ意味の季語である。

霾や太古のごとき人ゆきき 杜門

ほかに黄塵、」蒙古風、つちかぜ、胡沙などの語も同じ意味でつかわれる。大陸の黄土地帯で吹き上げられた砂塵が、空一面をおおい、太陽は輝きを失い、空の色は黄褐色、屋根や地に砂塵が積もる。大陸から朝鮮半島で猛威を振るうが、前線に乗って日本列島にもやってきて、靄のような黄砂がやってくる。俳句の季語になったのは、大正時代で新規題と解説されている。

ウィンドウズ10のサポートが終わる。11を搭載したパソコンに買い替えることになるが、新しい機能を覗いている。使いやすくなったスタートメニュー。いつも使うアプリのアイコンをピン止めでき、作成したファイルのアイコンも表示される。最新ニュースや天気、カレンダーを素早くチェックできるウィジェット機能。スマートホンで使っているアプリが使えるなど、便利な機能が満載。使うのが待ち遠しい。
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春のエネルギー

2024年03月29日 | 
季節は本格的な春に向かって一直線。昨日からエアコンにスイッチも切った。大陸から黄砂が来るらしい。南風が風と雨を降らせているが、外に出ても寒くはない。沈丁花の花が香りを送り、昨夜の風が咲きだしたばかりの水仙を乱している。クリスマスローズの花はいよいよ大きく開き出した。春のエネルギーは太陽の力と言い換えてもいい。地上のごく小の草花に、命の息吹を促している。それは人間にも等しく力をくれる。先日、かかりつけのお医者さんに、疲れやすいことを訴えた。以前はまったく感じられなかった距離の歩きでひどく疲労を感じる。先生の答えは、「冬動かないでいたからですよ。少しずつ馴らして」。

先週から雪の日でもできる階段歩きを始めた。マンションの10階までの階段を5往復。やはり足が棒のように疲れる。1日1往復ずつ増やして6~7往復、一週間でやっと8往復。その時感じた辛さは、翌日の足の軽さに変えられる。悠創の丘までピストンも少しずつ交える。千歳山の春は、その先にある。外に出て感じることがある。数学者の岡潔の言葉に、「春の野のすみれは、ただすみれのように咲けばよい。」というのがある。自分の生命と、すみれの花が融けあって、そこにある。今日歩く一歩は、太陽に向かって花を咲かせる植物の命と変わりがないのだ。

沈丁の一夜雪降りかつにほふ 篠田悌二郎
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更待月

2024年03月28日 | 日記
今月の満月が過ぎて三日目。朝の6時ころ、西の空に少し欠けた始めた月を見た。スマホやデジカメで月を撮影するのは難しい。まわりの暗さと比べ、月の光が強すぎてしっかりと映像がおさまらないのだ。先日、スマホに月を写せるカメラアプリを入れた。これを試すと、月のイメージが表現できる画像ができた。本来、月は秋の夜に相応しいが、冬も、早春も月は同じような軌道で登り、山の端に沈んでいく。満月の日の月の出は17時56分、入りは5時32分。昨夜の月の出は19時54分、入りは6時37分。満月から出は2時間遅く、入りは1時間遅くなっている。

日本人は古来、月の出を待って月見を楽しんだ。満月の日から2時間も遅くなると、立待月、更待月、と呼び方を変え、待つ時間をつぶしながら待っていた。十六夜というのも、名月の月の月を待つ人の心を表した粋な呼び名である。因みにアメリカの農事暦では、三月の月をワームムーンと呼ぶ。これは冬の休眠から目覚めた月を意味する。いよいよ、春に備えて農作業が始まる。日本の啓蟄に当たる呼び名とも言えそうだ。
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春の味

2024年03月27日 | グルメ
春の雪の日のあとは、気持ちのいい青空。車のタイヤ交換をする。冬タイヤから、夏のタイヤに替えると、運転も軽やかになる。青空に誘われて、近くの空き地にフキノトウを探した。日かげでは、まだ出始めたばかりのフキノトウを10個ほど、フキ味噌にして春の香りを味わう。やはり摘みたてのものは、春の懐かしい香だ。この季節に出会える春の味覚だ。渡辺隆次に『山のごちそう』という本がある。この人は画家で、1ページ分を18個ほどの成長途上のフキノトウが描きわけてある。フキ味噌の作り方も丁寧に紹介されているが、珍しいフキノトウの漬物が紹介されている。

「味噌と酒粕の同量を、少々の酒でよく合わせ、漬け床を用意する。そこへさっと茹でたフキノトウを冷まして水気を切り。床へ漬けこむ。数時間後が食べごろだが、取り出すのを忘れあめ色に馴染んだものもそれなりにイケる。土の香りを失わないために、砂糖や味醂は使わない。」とある。これはおそらく酒の肴にうってつけだろう。この春は、こんなフキノトウの食べ方も試してみたい。

知人から朝どりのニラをいただいた。路地ものが出るはずもないが、ハウスのなかで育てたものということであった。卵とじにして食したが、この食感はやはり春の一番採りでなければ得られない。野菜作りとしていた時分、一番に伸びてきたニラを思い出す。
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