常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋の目玉

2022年09月30日 | 日記

秋晴れが続く。朝方の気温が低いせいか、ムラサキシキブの実も一段と深い紫になった。親水公園の水のせせらぎが心地よい。木の枝にとまった小鳥の鳴き声も仲間にやさしい声で語りかけている。ヒガンバナが、次々に花茎を伸ばし群落が大きく広がってきた。9月も今日で終わり、季節は晩秋へと向かう。高い山では、いつ雪が降っても不思議ではない。

みかんやや色づいているみさきかな 草夫

福田清人は児童文学者であり、大学で教鞭をとった。福田の『秋の目玉』は、自らの少年時代に重ねながら、南国の中学生の教室での出来事、友だちや先生の印象を書いた児童文学である。「小さな詩」は授業で習った俳句が題材になっている。友だちは「赤鬼があせながしながら車ひく」という句を作った。先生が、この桃太郎みたいな句は、鬼が島のことか、と質問した。友だちは、「いいえ、うちの下男が赤鬼のように、汗をかいて車を見たままを句にしました。先生に見たもの、心に感じたものをすなおに作れと教わりました」

この時代、正岡子規や斎藤茂吉の写生が、中学の教室にも伝わっていたことが知れる。主人公の草夫授業で提出した句は、

城あとの秋風のなかをさまよえり 草夫

であったが、今日一番いいと先生からほめられた。ひとり散歩していると秋風が吹いてきた、というわけだがすなおでいい、と感想も言われた。草夫は見たものを写生するように手帳に並べていた。ちかくにみかん畑があり、みかんが色づきはじめていた。秋の色が、中学生にも詩の心を教えてくれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草紅葉

2022年09月29日 | 登山
庄内側、月山8合目から東補陀落に行って来た。弥陀ヶ原の草紅葉が月山の麓にいっぱいに広がり目を楽しませてくれた。山友会で最初に草紅葉に出会ったのは20年も前、栗駒山の天狗平からの眺めであった。それから折にふれて様々の山の草紅葉を見てきたが、弥陀ヶ原のものがナンバーワンである。目を少し上に向ければ、月山の中腹から上は、もう紅葉の彩りである。そして目を西に向ければ日本海、庄内平野の田は黄金色の輝きを見せている。朝方雲は多かったが次第に青空が広がり秋晴れの心地よい山行である。早いもので、昨年このコースを計画した時は、雪になり、中止やむなきに至った。

高空に草紅葉せり火口壁 水原秋桜子

湿地のある山道を過ぎ、剣ヶ峰から、行く先の東補陀落が見えている。三角錐の藁田禿山の麓に奇岩・奇石の東補陀落とその先に御浜池。かつて、この山道への入り口をが分からぬまま、藪漕ぎの果て山行を断念した山岳ライター吉村迪の手記がある。東補陀落は月山最大の秘所だからここにお参りしようという考えであった。

「足が地につかないくらいのチシマザサの密生地が続いている。日本海側山岳の藪がどんなに手強いか、これは承知していた積もりである。しかし東補陀落に行こうとする気持ちが強すぎたのかもしれない。荒っぽい前進になったしまった。チシマザサの密叢の中にナナカマドやミヤマナラの枝が隠れている。これに何度か足をうちつけた。」

こうして難行苦行して行きついた地は、御浜池と禿山の見える地点であった。剣ヶ峰の崖に辿り着いたのだ。しかしその先は、歩行困難と見て断念、8合目へ引き返している。わがチームは、この剣ヶ峰の梯子を過ぎ、ロープに伝わって進んだ。山道は仮払いがなく、少し道を外すと、チシマザサの密林のなかである。やっとの思いで岩場に着き、岩を登ること10分。座る場所を得て、昼食となった。

ここは修験道の山駆けの修行場である。男根の形をした巨岩、龍が住むという池。ここを食わず、眠らずの苦行。その積み重ねが修行者を「自然エネルギーの体現者」いわばシャーマンへと作り鍛えていく。この山行で、我々は、修行者たちの苦行の一端に触れることができた。そこには死と再生の不思議がある。8合目からここまで4時間、体力の限界を感じながらの山行であった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

朝の光

2022年09月25日 | 日記
台風が太平洋沖に去って、清々しい朝を迎えた。空の青さはどこまでも深く、中天にうっすらと綿あめのような雲が浮かんでいる。秋らしい朝は今年はじめてと言ってよい。公園のカエデは色づきはじめ、神社の曼珠沙華は満開である。陽ざしがやわらかく、冷えた空気を少しずつあたためているようだ。陽だまりにいると、ぽかぽかと身体が温まる。朝、気持ちよいひとときを過ごすと、一日、幸せな気持ちで一日が過ごせる。そのことをブログに書くと、幸せが身体に刻印される。

昨日、山の仲間が、収穫した枝豆とカボチャを届けてくれた。さっそく、茹でて食べると、甘味といい香りといい、秋を感じさせてくれた。畑づくりから引退した身には、ありがたい限りだ。こう書いていると、玄関のチャイムがなり宅配便である。千葉に住む娘から、生ピーナツおおまさりが送られてきた。塩ゆでして食べるピーナツだ。なにか、今年はたくさんの知り合いから、食べるものをいただいている。知り合いの方たちから、生かされている、という感謝を実感している。

秋のいい日に河上肇の詩をかみしめてみる。題して「老後無事」。老いてからの清澄な心のありよう。

たとひ力は乏しくも
出し切ったと思ふこころの安けさよ。
捨て果てし身の
なほもいのちのあるままに、
飢え来ればすなはち食ひ、
渇き来ればすなはち飲み、
疲れ去ればすなはち眠る。
古人いふ無事是れ貴人。
羨む人は世に無くも、
われはひとりわれを羨む
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キッチンエコー

2022年09月24日 | 日記
家の近くに、キッチンエコーという洋食店がオープンした。昭和40年代に、旅篭町にカウンターだけの小さな洋食屋さんがあったが、聞けばそのオーナーのお孫さんが始めた店だ。昭和40年代、洋食などあまり行く人がない時代、ヒレカツ定食を安く食べられる店で、よく利用した。オーナーは都会で修業したらしく、どこかあか抜けして、山形弁など使わない都会風の人であった。その時代が懐かしく、妻をつれて昼飯を食べに行ってきた。店内はテーブルが5、6台にカウンターとさほど広くなかったが、至る所にガンダムのポスターが貼られ、モニターにはアニメが映し出されていた。若者が集まるという店構えであった。

訪れた日が水曜日。なぜかこの日はキューバサンドの日で、洋食のメニューはお休み。ご飯ものがないと分かると、来客した人たちが何組も帰っていった。キューバサンドは、カリカリのパンに肉やチーズをはさんであり、結構なボリュームの上、味もよい。今度、水曜以外の日に、カツカレーなど試してみたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お彼岸

2022年09月23日 | 日記
今日、彼岸の中日。3連休になっているが、このところ週末が台風の影響で、全部雨に祟られている。戸外では、紫苑が背を伸ばし、花をいっぱいさかせていた。草木のあいだから、コウロギなどの虫の音が聞こえてくる。小雨がパラパラと降ってきて、早々に散歩から引き返した。つい先週まで、蒸し暑い日が続いたのに、暑さ寒さも彼岸までの言葉通り、すっかり涼しくなった。テレビで、クイズに「ぼた餅とおはぎの違いは?」というのが出ていた。萩の咲く秋が「おはぎ」、春の「ぼた餅」は牡丹に由来しているということであった。

さらさらと秋の彼岸の椿かな 木導

昨日、お寺が混まないうちに墓参りをすませた。お彼岸を先祖を偲ぶ日として行事をするのは日本特有のことらしい。静岡県の熱海峠には日金山という山がある。ここは仏道の道と言われ、彼岸に登ると亡くなって会いたい人の後姿をみることができるという。子どもを亡くした家では、海岸の小石を持って登るらしい。先祖の住む国は、日が沈む西方にあると信じられていた。お彼岸の中日には、日は真西に沈む。中日をはさむ前後3日間を、さまざまな行事を行った先祖を供養しようと考えられてきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする