常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

田部重治

2017年07月31日 | 登山


田部重治は英文学者で法政大学で教鞭をとるかたわら、山を愛した大正時代を代表する登山家でもある。その著『わが山旅五十年』は、不朽の名著として多くの登山家によって愛読された。田部は山に登ることで、美しいと思う自分の内面を見続けた。競って高い山を極めるのではなく、あくまでも山の渓谷や森林の美しさにロマンを求め続けた。大正6年7月、田部は朝日岳を越えて白馬岳に登っている。その時の喜びを、この本の中で書いている。

「(朝日岳の)頂上についてあたりを見廻すと、この山は思いがけない美しい高原をあちこちにもち、眺望もすばらしい。北に黒々とした、面積の大きい山が見えるのは地図に現れた長栂山であろう。越後方面を見やると姫川の支流大所川が竜のように深くもぐりもぐって麓にたっしている。(中略)ここから見る白馬岳はひどく立派で、暮れて行く空に残雪の多い峰を聳やかしている姿は、何にたとえようもない。」

田部が白馬をみてからちょうど100年が経っている。今日では、白馬岳は北アルプスでも人気の高い山で、多くの登山客でにぎわう。明日、私も6名のチームで、田部が見た山をめざす。田部はこの朝日岳のハイマツやシラカバの林のなかで、子連れの熊に遭遇している。案内の岩次郎が「熊だ、子どもを連れていると」と叫ぶ。一行は危ないので身じろぎもせずに、しゃがんでいたが、熊の方で人間がいたのに驚いて樹林の中へ逃げ込んだ、と書き記している。すばらしい景観とそして安全な山行をひたすらに祈念する。

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ノウゼンカヅラ

2017年07月30日 | 


漢名は凌霄花。空を凌ぐ花の意である。吸根を使って、他の樹によじ登り、高さは10mにもなる。盛夏から秋にかけて咲くので、目立つ花である。木槿もそうだが、この花が咲くと、秋が来たような気になる。正岡子規の句に

家毎に凌霄咲ける温泉かな 子規

がある。日を好み、日かげになると、蕾のまま落ちてしまう。漢名があることでも分かるが、中国が原産である。日本へは、平安時代に渡来したと思われる。
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サルスベリ

2017年07月29日 | 


毎年、サルスベリの花が咲く頃、蝉が鳴きはじめる。しかし、今年は、猛暑日になってもなかなか鳴かず、今日の鳴き声はどこか元気がない。夏の日差しがいつもの年に比べて、弱いということか。全国的に梅雨明けが発表されたが、前線が消えず、梅雨末期の雨が降り続いている。おかげで、計画した山行も2週続けての中止である。来週の前半に白馬岳を控えて、気がもめる。

百日紅ごくごく水を飲むばかり 石田 波郷

近年になってAIの進化は眼を見張るのもがある。囲碁や将棋の世界では最強の名人が、AIのソフトに破れるという状況が始まっている。今朝の新聞に、角川春樹氏がAIで俳句が作れると書いていた。有季定型と時間と場所を入力すれば、CPは百や二百の俳句はたちどころに作るらしい。スマホで「俳句アプリ」をインストールして見た。

ありがとう屋根見下ろして涼しかろ

夏のなか句を選んで、再生ボタンを押すと、すぐにこんな句が出来上がる。詩歌は「いのち」と「魂」を盛る器、角川春樹は言っている。やはり、AIが作る俳句には、その「いのち」と「魂」がないということか。
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ひかりごけ

2017年07月28日 | 日記


ブログを更新していて、今日の話題は何にしようかと、思い悩むときがある。そんなときつい手が伸びるのが、本棚の奥の古い文庫本である。パラパラとページを繰りながら、つい引き込まれて読んでしまうものがある。武田泰淳の『ひかりごけ』も、そんな本の一冊である。思い起こせば、この小説を武田泰淳を代表作であると、推奨したのは、今はなき井上光晴である。「山形文学教習所」での、講義の席でのことであった。

この小説の舞台は、北海道知床半島にある羅臼、マッカウス洞窟。この洞窟には、大変に珍しい「ひかりごけ」が生育している。洞窟のような暗いところで、エメラルド色に光る植物である。自分で光るのではなく、この苔の体内にあるレンズ細胞がわずかな光に反応する。普通の苔のように見える植物が、人の立つ場所で緑色の光を放つ。次の瞬間、何事もなったように、もとの苔に戻っている。その珍しさを求めて、作家はこの最果ての地に、「ひかりごけ」を見る旅に出る。そこで聞かされるのが、この羅臼で起きた「人体損壊事件」である。

更科源蔵は『北海道の旅』で、この知床の事件を次のように紹介している。
「終戦の年の春、まだ残雪の多い知床から、全身フジ色に腫れあがった男が人家にたどりついた。この沖で撃沈された輸送船の船長で、一時、無人の知床の冬と闘った勇士として報道されたが、間もなくその越冬地を調べたところ、他の船員の白骨が発見され、知床の勇士は人喰いの汚名に変り、当局の取り調べを受ける身となった。船長が人を喰ったという場所は、ペキンノ鼻という絶壁のかげで、夏になっても船にたよらなければ近寄ることも、脱出することもできそうもない場所である。」

小説は、この事件を舞台劇の脚本にして描いている。船員の一人が言う。「人の肉さ喰ったもんには、首のうしろに光の輪が出るだよ。緑色のな。うっすい、うっすい光の輪が出るだよ。何でもその光はな、ひかりごけというもんの光に似てるだと。」

この小説を読みながら、この9月に行く北海道の旅への思いを新たにした。北海道には、人間の想像を越える自然の厳しさがある。北海道開拓からまだ数百年の歳月である。この過酷な自然の営みに、つい意識が離れがちになっている昨今である。
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桔梗

2017年07月26日 | 


雨上がりの山道に、桔梗が静かに咲いていた。毎年、この季節に同じ場所に花を咲かせるから、宿根草なのであろう。「月見草は富士山に似合う」と言ったのは太宰治であるが、「桔梗は和服の女が夕涼みしている風情」と言った人がいたように思うが、誰であったか失念してしまった。

女三十桔梗の花に似たるあり 松瀬 青々

山道での、こんな出会いも楽しいが、道しるべのように丸太の皮を剥いて、〇合目と書き、そのわきに落首のような言葉が書いてある。「人間よ山も不況と熊がいい、ありのままスッピン見せたら…君の名は?」世の中の人の常識を逆手にとって、人の営みの愚かしさ突いている。思わず笑ってしまうブラックジョーク。
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