常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

南天の実

2015年11月30日 | 日記


主のいなくなった家の庭に今年も南天が紅い実をつけた。庭の手入れをする人もいないのでどこか寂しげな雰囲気である。本来ならつけているべきところが歯がぬけたようになっている。だがその赤い実はあくまでも南天であることをけなげに貫こうとしている。もっとたわわにつけた実に雪が積もってようすを、廊下の窓から眺めていた主の姿が見えなくなって、2回目の冬がやってくる。主はもうこの南天の存在などは忘れてしまっているが、南天の実はその主の姿を忘れてはいない。

実南天曙楼は古びけり 川端 茅舎

この家の主はなぜ庭に南天の木を植えたのだろうか。赤い実の南天の傍らには白南天も植えられている。紅白を取り合わせることで我が家の繁栄を祈ったのであろうか。主の意図を知ってか知らずか、秋が深まると実をつける。その実はさびしげな様子を見せながらも、赤い輝きを放ち続ける。
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青菜

2015年11月29日 | 農作業


畑で育った青菜を収穫してベランダに干す。これから塩漬けにして、小さいものはオミヅケ、大きいのは青菜漬けにする。根を切って水洗いをすると、手がきれるように冷たい。大根を洗うのもそうだが、冬の野菜洗いはなかなか大変である。農家の人でもなければ、野菜洗いなどしないが、かっては冬の風物詩であった。

青菜は山形特産の油菜科の野菜で、高菜と同じ仲間だが、セイサイと呼ぶ。この塩漬けは山形の人に好まれていて、海苔のかわりにお握りにして食べる。塩がなじんで少し黄色がかった方がおいしい。そのまま直火で炙って焼きお握りにすればなお最高である。

オミヅケは青菜を細かく刻んで、大根の小口切りやニンジンと一緒に醤油とザラメで漬け込む。この漬物も、郷土の味で、故郷を離れた人たちはこの味が忘れられず、取り寄せて食べる。お盆過ぎに種を蒔くと、ちょうど気温が下がって、漬物がおいしくなる季節に間に合う。
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ヒヨドリ

2015年11月28日 | 日記


この赤い実は何か、特定できない。ヒヨドリが一羽、キッキと鳴いて飛び去った。取り残した柿の実を群れをなしてヒヨドリが啄みにきている。雪が積もると、ヒヨドリは餌を取るところが無くなるのか、ベランダにリンゴを置くと喜んで食べにくる。もともとヒヨドリは低い山の雑木林に生息していた。ところが、近年市街地を住処にするようになったらしい。ヒヨドリは雑食で、昆虫の成虫はもちろん幼虫、カエルなど両生類、ミミズ、ナメクジそれに木の芽、野菜、果物、花蜜、カステラ、ご飯などなんでもござれのグルメだ。森にいるより市街地にいる方がはるかに餌にありつきやすいのだ。

梅もどき日に日に鵯が実をこぼす 須美礼

万両の実もヒヨドリが好んで食べる。そのせいで、京都の町中に万両の種がばらまかれどこもかしこも万両だらけになっているという記事を見たことがある。由緒ある庭園にも万両が生えてきて困っているらしい。秋が深まると、ヒヨドリは群れをなして行動する。しかし警戒心が非常に強く、遠くからでも人の姿を見ると一斉に逃げる。ベランダにリンゴでもおかないと近くでヒヨドリの生態を見ることはできない。
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初雪

2015年11月27日 | 介護


昨日、山形で初雪。龍山の頂上付近に冠雪が見られた。みはらしの丘に行く。ホームの窓から雨に交じって雪が見られた。今日、義母がショートステイから特養に移る手続きを終えた。市役所へ転居届、保険証の住居変更届、介護保険も同様。医院へ健康診断書依頼など一日がかりで手続きを終えた。本人は住み慣れた部屋を移るのいやというが、移転はホームの人に任せて手続きを進める。もう独り暮らしに戻れないので、残念だが本人の希望にそうことはできない。

雪降ると宵寝の母に声をかけ 古賀まり子

みはらしの丘を出ると山形市街にかけて大きな虹がかかった。暦の小雪を過ぎると、虹はかからないと言い伝えられているが、それに反して大きな虹がかかる。虹の架け橋というのは、こんなのを指すのかと思えるような虹であった。

未だ残る昏みのなかに虹立てり 能村登四郎


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加賀の千代

2015年11月26日 | 


蜻蛉つりけふはどこまで行ったやら 千代女

この句に初めて出会ったのは、中学生ぐらいの少年のころであったように思う。千代女も知らず、句の意味も、遊び盛りのやんちゃ坊主が飛び出して行った先からいつまでも帰ってこない、困ったものだぐらいに解釈していた。ところが、この句に千代女の悲しい人生の悲哀が込められていた。

加賀の千代は、加賀国松任の人である。金沢市の隣に位置する海沿いの町である。ここで表具師の娘に生まれるが、利発で幼いころから俳句に親しんだ。15歳のころこの地を行脚していた俳諧師支考にその才能を認められて一躍名を馳せることになった。18歳の時、金沢の人と結婚したが、わずか2年ほどで死に別れをする。一粒だねの男の子を育てていたが、この子も小さいうちに亡くしてしまう。そして30歳にして剃髪して尼となった。

冒頭の句は、遊び盛りだった男の子が亡くなってもう帰らないのを知りながらこんな風に詠んだものだ。その亡くなった子への、母のやさしい追慕の気持ちがこの句に込められている。

起きて見つ寝て見つ蚊帳の広さかな 千代女

この句は、嫁いだ夫が亡くなったときに詠んだものと言われている。夫と子と3人川の字になって寝ていた蚊帳であったが、夫が亡くなって改めてその広さに気がつく。蚊帳の広さは、千代女の心の隙間でもあり、埋めることのできないものである。

尼になったときには、次のような句を詠んでいる。

髪を結ふ手の隙あいて炬燵かな 千代女

おのが人生の宿命を、さりげなく句に詠み込んでいった千代女。こうすることで、とかくすると暗くなってしまう心に明るさを取り戻した。尼になっても句作を続け、74歳の人生を全うした。「容貌美にして言語少なく、常に閑寂を好む」と伝にある。詩吟では俳句も吟じられるが、千代女の次の句を吟じる人が多い。

朝顔に鶴瓶とられて貰ひ水 千代女
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