常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

平成最後の日

2019年04月30日 | 日記

平成最後の日は、全国的な雨になった。風もなく、気温が下がるわけでもなく、静かな雨だ。世間は10連休ということで、高速道路には、渋滞の車列が見られる。大晦日であれば、明日から新年という気が働くが、年号がかわるというのは、明日からすぐに違う時代が始まるわけでもない。平成の30年間とは、自分にとってどういう月日であったか。ゆっくりと考えてみる機会なのかも知れない。

平成はやがて来る老いへの準備の時間であった。令和は今日の雨のように、静かに死を迎える時間なのであろう。いままで自分を生かしてくれたすべてのものに感謝を捧げ、心ゆたかに時間を過ごす、そんな日々であってほしい。夕方になって雨が上がった。明日、令和最初の山登りを予定している。心配された雨は、遠のき晴天ではないが、曇りの山登りとなる。蔵王山の北の続き、山形神室を目指す。ゆっくり、令和の時代が幕を開ける。

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木瓜の花

2019年04月29日 | 農作業

雨が上がり、湿った畑に、気温が上がっきたところを見計らって、野菜の種を蒔いた。昨年、山仲間から貰ったインゲン豆、バジル、小松菜。土は耕してあるが、畝を作って種を蒔く土は、篩で細かな土を集めた。土も野菜も、一切の声は発しない。日当たり、土の湿り具合、肥料そして、鳥に種を奪われない工夫をする。農作業は、そこが、植物の生育の適しているか、想像力と腕の力を必要とする、黙然とした作業が続く。

木瓜の花が盛りである。漱石がこの花を愛していたことは有名な話だ。木瓜の木の姿に、この木の愚直な生き方を見ている。『草枕』で、木瓜の木を評した文章がある。

「木瓜は面白い花である。枝は頑固で、かって曲がった事がない。そんなら真直かと云うと、決して真直でもない。ただ真直な短い枝に、短い真直な枝が、ある角度で衝突して、斜に構えつつ全体が出来上がっている。そこへ、紅だか白だか要領を得ぬ花が安閑と咲く。柔らかい葉さえちらちら着ける。評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がいる。この人が来世に生れ変わると屹度木瓜になる。余も木瓜になりたい。」

何故、漱石が木瓜をそう評価するのか、私の理解の外である。例えば、木一ぱいの紅の花は、どうしてどうして華やかな感じを与えさえする。どうやら漱石は、鉢に植えた木瓜を見たときの感想であったのかもしれない。

其の愚には及ぶべからず木瓜の花 漱石

守拙の鉄則

①他人の昇進栄達について語らぬこと

②訴訟問題や時事問題について話さないこと

③昇進試験について論じないこと

④賭博をしなきこと

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2019年04月28日 | 万葉集

先日、義母の納骨にお寺を訪れたところ、墓所に敷きつめられた玉砂利の間から無数の菫が花を咲かせていた。おそらく寺で種を蒔いたののだろうが、小さな花の生命力の強さに驚かされた。外来種が優勢に種を増やしているなかで、菫は万葉時代から、日本の風土に生きて続けてきた、伝統の花である。芭蕉も、「野ざらし紀行」の旅で、「山路来て何やらゆかしすみれ草」と詠み、眼前に咲く菫を見て、自ずから口をついて出た句だ。万葉集の山部赤人の歌に、菫を詠んだ歌がある。

春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける

奈良朝の宮廷人たちは、春の野にでて若菜やすみれなどを摘み、その夕べには酒を酌み、歌を作って宴を楽しんだ。春というすばらしい季節への賛歌となっている。

周囲の山々は、木々が芽を吹き、新緑が目にやさしい季節となった。アケビ、ナンマイバ、サンショウ、コシアブラなど、春の山菜が萌えるころである。花を愛でる春から、若芽の味覚を賞味する春へ、と移っている。

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タンポポ

2019年04月27日 | 日記

タンポポは懐かしい花だ。この花を見ると誰しもが、幼少のころを思い出す。この花に、日本種古来の日本タンポポと外来種の西洋タンポポがあることは知っているが、今では優勢な西洋タンポポしか見かけなくなっているが、懐旧の思いは外来種とて同じようにかき立ててくれる。蕪村の「春風馬堤曲」という俳風の詩があるが、堤に咲くタンポポを詠んでいる。

春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ

たんぽぽ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝ黄に

三ゝは白し記得す去年此路よりす

憐みとる蒲公茎短して乳をあませり


やぶ入りの風景である。難波の街に奉公していた少女が、田舎に帰り、その情景を思い出している詩だ。乳とはタンポポが出す白い液であるが、そこから慈母を思い出させる。


 

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病床の子規

2019年04月26日 | 

明治34年、正岡子規は病床にあった。もう病が進み、死が迫っていることを予感していた。病床にあって子規は、新聞に『墨汁一滴』を書き、歌を作った。カリエスの痛みが、次々と襲って子規を苦しめる。そんな子規を慰めたのは、花瓶に挿した藤の花でああり、窓の外に見える花々であった。梅雨入りを前にして、山吹の花がこぼれるように咲いていた。子規はその山吹の花連作十首を作った。その詞書きに、

 病室のガラス障子より見ゆる処に裏口の木戸あり。木戸の傍、竹垣の内に一むらの山吹あり。此山吹もとは隣なる女の童の四五年前に一寸ばかりなる苗を持ち来て戯れに植え置きしなるものなるが今ははや縄もてつがぬるほどになりぬ。今年も咲き咲きて既になかば散りたるけしきをながめて

と書き

ガラス戸のくもり拭えばあきらかに寝ながら見ゆる山吹の花

と詠んでいる。子規は花を愛した歌人である。その歌集『竹乃里歌』を開ければ、次々と花を詠んだ歌にめぐり会える。藤、いちはつ、牡丹、夕顔、薔薇などなど。そして、山吹の花に託して、自らの命数を予感している。

世の中は常なきものと我愛ずる山吹の花散りにけるかも 子規

 

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