常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

生きる

2020年09月06日 | 日記
昨日、台風が来る前の沖縄の海がテレビに映されていた。穏やかな海である。人々の生をやさしく包みこむような穏やかさ。この十数時間後には、今までに経験したことのないような強風が吹き、目を開けていられないような雨が降る。誰もが安心できるような人の生を保証するものはもはやない。危険を避けて、安全を図る以外に方法はない。今年は、新型コロナな世界的な感染拡大、大雨による洪水などで、人々の生は、はかないものであることを思い知らされた。我々の生きるよすがは、シェイクスピアのこんな言葉だ。

このわれわれの生活は、人々の訪れることもなく、
木々に言葉を、流れる小川に書物を見出し、
石に説教を聞き、あらゆるものに善を見出す。
(シェイクスピア『お気に召すまま』2幕1場)

弟に位を奪われて、アーデンの森に追放された大公は、その森のなかで生きる意味を見出す。木々の言葉。大公の耳には、木の葉のひとつひとつが、それぞれの物語を語りかけてくるのが聞こえる。小川の流れは、書物が頁から頁へと流れながら語り継がれるように流れて行く。置かれた石は、修道院の石のように大きく口を開いて、説教を垂れるように叫んでいる。そうすることではじめて、人間のなかの善を、全能の神が認めるところとなる。

昼を過ぎて、青空の下だが、風が強くなってきた。ここでも、これくらいの風が吹くのだから、沖縄や九州では、もっと不気味な風が吹き始めているに違いない。朝のうちに畑に出かけて、モロヘイヤとナスに水をやった。一仕事するうちに全身に汗が吹き出す。「体力を消耗しますね。」畑の隣人が、支柱を杖がわりにして語りかけてきた。もうこんな暑さでは、畑に来るのもままなりません。そんな、弱気な会話が似合う年ごろになった。畑を始めて10年。教えてくれた地主のじいちゃんも一昨年、この世を去った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする