常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

名人

2022年01月31日 | 日記
将棋の王将戦で若き挑戦者・藤井聡太竜王が渡辺王将に3連勝し王将奪取に王手をかけた。順位戦でもあと1勝でA級進出を果たし、来年度の渡辺名人への挑戦への視界も開けてきた。19歳、まさに聞きしに勝る天才である。本人は記録には関心がないようだが、来年名人位を獲得すれば史上最年少の名人の誕生となる。現在の記録保持者は、21歳2か月で名人になった谷川浩司九段だ。来年の名人戦で挑戦権をとり、渡辺名人との7番勝負で名人となれば20歳の名人誕生となる。

その谷川9段が名人になったときの逸話がある。A級に15年、三つのタイトルを保持する42歳の米長邦雄と女優の太地喜和子を交えた対談が行われた。20も年長でタイトルを持つ米長の前で太地が谷川に聞いた。「あなたは一番偉いの?」谷川は臆することなく「はい」と答え、聞いていた米長も平然としていた。太地が驚いたのは、名人の地位の大きさであり、それを全身でしっかりと受け止めている二人の態度に対してであった。

米長は谷川の名人獲得にかなりショックを受けたらしい。自分が目指していた名人位。チャンスを目前にしながら幾度となく逃してきた名人挑戦権。それに弱冠谷川があっという間に手にしたことに。自分の実力がないのであれば甘んじて受け入れよう、と決意してとった米長の行動は、谷川の棋譜300局と自分の棋譜300局を並べて比較することであった。2週間という長い時間の比較検討であった。結論は「自分の方が手厚い」。その違いはどこにあるのか。米長はどうしても谷川の家庭環境を知りたくなった。いやがる谷川を無理押して対談の場所を谷川の自宅にしてもらった。

谷川の父は神戸市の古いお寺高松寺の住職であった。よくしゃべり、よく笑う父であった。名人の出番がないほどであった。米長が聞いた。「失礼ですが、今まで怒ったことはないのですか?」「一度もありません」そばにいた奥さんに「本当ですか?」「ええ、そうなんです。本当です。結婚して以来、怒るのを見たことは一度もありません。」この父が気が強く喧嘩ばかりする男兄弟に与えたのは、おもちゃのような将棋盤と駒であった。将棋のさしかたも知らない父が、喧嘩をしないですむように考えて将棋盤と駒が谷川浩司の生涯を決定した。家中が明るくて丸い、そんな印象を米長は持った。藤井聡太がプロデビューして全国の注目を浴びたのは29連勝という史上最長の記録である。谷川はこの記録を見て、20代の若手の棋士たちに放った言葉。「君たち、恥ずかしくないのか」

あと1勝で5冠となる藤井の家庭はもまたのびやかだ。やりたいことをやらせる、才能を伸ばすことことを重点に置いた環境と言えそうだ。東京での対局数も多いなか、藤井竜王は愛知県瀬戸市の自宅から新幹線に乗って戦いの場にのぞむ。親離れして自立。そこから成長するとも言われるが、藤井竜王の場合は、家庭にあっても早くから自立への道を歩き続けているように見える。
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良寛の雪

2022年01月29日 | 日記
如月、旧暦の2月の異称である。極寒のこの季節をすぎると、雪深い山中の庵にも時として春を感じさせる光がさす。前書きに「きさらぎの末つ方雪の降りければ」とある長歌がある。

風まぜに 雪は降りきぬ 雪まぜに 風は吹ききぬ 埋み火に 脚さし伸べて
つれづれと 草の庵に 閉じこもり うちかぞふれば 如月も 夢のごとくに
過ぎにけらしも

良寛の最晩年である。時おり訪れて身の回りの世話をしていた貞心尼も、この深い雪のなかを訪れることはできなかった。指折り数えたのは、2月の日数bかりではない。雪がとけ、道ができて訪れる貞心尼に会える日はあと幾日か、そんな日数も数えたに違いない。

あづさゆみ春になりなば草の庵を
 とく訪ひてませあひたきものを 良寛
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知人の句

2022年01月28日 | 日記
ずぼと落ちまたずっぽりと雪菜掘る 義彦

七日町の飲み屋街に「炊き」という居酒屋がある。勤め帰りのサラリーマンが帰りのバスを待つひととき立ち寄る店である。ビールと日本酒、店主が手作りしてくれるおつまみで飲んで千円にお釣りが来た。ここの常連で通常「よっちゃん」。元市長の息子さんで、地元放送局の重役でもあった。気さくな人で、カウンターの席が隣になると、色んな蘊蓄を傾けてくれた。「方言には、昔の言葉があるねえ。とぜん、と言うのは置賜の方言だけど、あの徒然。ひまだなあという意味だよ」。そのよっちゃんがある日、サインを入れて、小さな句集を贈ってくれた。この居酒屋の小上がりで開く句会がある。名付けて「えんじ句会」。詠み込むうちに円熟するだろうとつけた句会の名だ。

句集を開くと懐かしい名が並んでいる。井上弘、笹沢信、為本茜、松坂俊夫。居酒屋で開く句会にしては錚々たるメンバーである。その面々の顔を思い出しながら句集を読むと、あの人がこんな句を、という思いに驚き、妙に句に愛着を覚える。

小林秀雄の対談集を読んでいると、知人の句集の序文を頼まれた話が出てくる。その知人は骨董商で、小林が欲しかった徳利をなかなか売ってくれない。この店に行くようになって28年、店で酒を酌み交わすなかになった。知人が俳句を詠んでいるなどとは、小林はつゆ知らず。突然の死で、その息子が句を書いたノートを手に句集にして欲しいと依頼してきた。実は生前その店で知人と飲んでいて、小林は酔った勢いで欲しかった徳利をポケットに入れて、お前が危篤になったとき返すと言ってなかば強奪したかたちになった。ノートには小林秀雄にと詞書を入れ、「毒舌をさかわらず聞く老いの春」という句がある。その徳利を強奪したときのことが句になっていた。小林とても面白いと感じた。詠む人や、詠んだ状況を知ることで、俳句は俄然面白い読み物になる。

芭蕉にも名句というものがあるが、そばで生身の芭蕉に接した俳人たちには、芭蕉の句はたまらなく面白かったに違いない。生身でやりとりのない句は名句といわれてもおのずと受け取り方は違う。そんなことを、この対談で小林が語っている。居酒屋の片隅で詠んだ句に愛着を感じるのは、小林の言うような事情があってのことであろう。

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ルーティン

2022年01月26日 | 日記
朝霧なのか霞か、晴れているのに近くの山も見えにくい。1月26日、新年からはや26日。あっという間に寒も開けようとしている。寒いと予報されていたが、積雪が多いほかはさほどの寒さも感じない。コロナのオミクロン株が感染を広めている。パンデミックは3年目を迎えて様変わりしている。ウィルスがおおきく変異を遂げているのに、医療や社会の対応は変わらない。手指消毒、マスク、手洗い。しかし、基本に据えたいののは、十分な睡眠だ。同じ空間に居ながら感染する人、しない人の差は睡眠にあった。

高田明和『『快眠」セラピー』は2002年に発刊されたカッパブックスの本だが、睡眠の知識を凝縮した貴重な本だ。「眠らせる物質ガンマアミノ酪酸は同時に精神の安定をもたらし不安をなくす脳内物質」であると指摘し、ウィルスに感染すると「インターロイキンを産出して、脳に作用して発熱や深い眠りに誘導する。同時に免疫力を強化して、寝ている間にウィルスや細菌を退治して、しかも気分が悪くならない仕組みになっている」と言っている。コロナの場合でも睡眠が大切なことは精神医の樺沢先生も指摘しているところだ。

今年に入って、生活をルーティン化して過ごすことが多くなった。高齢になって大切にすべきものが三つある。一つは歯。毎食後の歯磨きは5分以上の時間を取る。特に裏側のなかなかブラシの当たらない部分を丁寧に。通っている歯科の孫と同世代の衛生士さんから、褒めてもらうことを目標に頑張る。二つ目は体幹。転倒をしないような筋トレの方法がユーチューブにある。それを見ながら15分を筋トレとストレッチを行う。これは山登りの仲間の前で転んだり怪我をしない身体づくりが目標である。三つ目は歩くこと。毎日1万歩が目標だ。今年の入って雪の日も目標を達成できたことを褒めてやりたい。スマホのAIえもこちゃんが声掛けしてくれる。「一緒に歩いてしあわせ。今井さんにばかり雪掃きさせてごめんね」
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月読命

2022年01月25日 | 日記
今朝、放射冷却で冷えこむなか、西の空に月が弱い光りを放っているのが見えた。満月から七日目の月で、もう半分以下になっている。今年もらったカレンダーに月が小さく表示されている。満月を過ぎると右のほうから欠けていく。下弦の月というのだろうか。新月からは右の方から少しづつ満ちてくる。カレンダーを見ながら、月の満ち欠けが確認できる。お寺からもらう暦にも、新月は●で朔とあり、満月は〇で望で表示される。その中間が、半〇の記号で左が白は下弦、右が白いのは上弦と書かれている。

神話に月読命という神が出てくる。イザナギの生んだ神で、天照大神、須佐之男命に次ぐ三番目の神で、月を司り、夜を統べる神としてその役割を大神から任じられた。月の満ち欠けに関わるので、月の暦を数える神とされることもある。

月よみの光にぬれて坐れるは遠き代よりの人のごときか 斎藤茂吉

昭和11年、月と題して茂吉が詠んだ8首の内の一首である。月よみは、月の光の枕詞となっている。山中で月を見ている己を、神の世から続く月を仰ぐ人間の姿として捉えたのであろう。神話から始まる人と月との関わり。長い人類の歴史を照らす光でもあった。
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