常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

ストケシア

2020年06月30日 | 
雨の合間の散歩。知らない花を知ることも散歩の楽しみのひとつだ。ネットで調べると和名ルリギク、エドムラサキとある。北米のサウスカロライナ、ジョージア州に繁茂するらしい。園芸種で日本でも広く栽培されているらしいが、初めて見る花だ。何か親しみを感じる花の姿だ。

静岡の方で大雨の注意報が出ている。空梅雨のような天気が続いたが、ここへきて梅雨末期のような大雨の予報である。すでに九州の方で大雨の被害が出ているが、これ以上の被害がでないように祈る。

長い距離の山歩きから少しずつ体力が回復している。今日から短い距離の速歩を始める。最大酸素摂取量が39㎖/kg/分を示している。長い山歩きが、体力の向上に資していることを示している。無理をしないで少しずつ、毎日の積み重ねが大事だ。頑張り過ぎて負傷する人も多いらしい。
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ゆったり時間

2020年06月29日 | 登山
山から帰って、ゆったりとした時間を過ごしている。畑は昨日からの雨で水やりもせず、丁度おいしくなったキュウリやシシトウ、トマト、シュンギクなどの収穫のみ。ウォッチはスマートウォッチから、休息の指令が出ている。加えて若き天才棋士・藤井壮太の棋聖挑戦の第2局が行われた。アベマテレビの実況を見ながら、ブログに雄国沼の記事を小分けにしてアップ。夜の睡眠が深い。2日続けて深い睡眠がとれた。やっと睡眠に問題がありません、とスマートウォッチが教えてくれる。

近くの親水公園をゆったりと散策。せせらぎの音を聞きながら、速歩もしない。あちこちで見かける季節の花をカメラに収める。アジサイがきれいに色づき始めた。今日は神社で夏越の祓が行われる。大きく伸びた茅を採って固く結わえながら大きな輪を作る。これを輪にして境内に置く。人々は、「水無月の夏越の祓をするひとは、千歳の命延ぶというなり」と唱えながら8の字にまわりながら3度くぐる。これからの暑い夏を息災に生きるための信心である。

アジサイの学名はotaksaである。長崎に滞在したシーボルトの命名したものだが
長崎で知り合った愛人の名「お滝さん」の名に因んだものと言われている。

詩嚢涸れ紫陽花の藍侵々と 山口青邨


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雄国沼、ニッコウキスゲ

2020年06月27日 | 登山
今一度見ておきたかった雄国沼のニッコウキスゲ。今日、その念願を果たした。6月になってから再開したグループ登山だ。山を楽しむ大勢の人たちが、この光景を見に来ていた。自然のなかにたっぷりと身を置き、咲き群れる花々を愛でる。こんなささやかな楽しみをやっと取り戻すことができたような気がする。

雄国沼は会津の雄国猫魔火山のカルデラ湖である。先週訪れた肘折温泉に続いてこちらも火山活動によってできた外輪山の中央部分が陥没して雄国沼になった。その沢筋から流れ込む水を蓄えたカルデラ湖である。猫魔ヶ岳、厩岳山、二子山、雄国山などの外輪山がぐるりとこの沼を囲んでいる。
計画では金沢峠から雄国沼を目指す予定であったが、人気の高いこのルートは、この度のコロナ感染防止のために通行止めである。我々が採ったコースは、北塩原のラビスパ裏磐梯の駐車場に車を置いて、雄国山(1260m)へ登り、そこから雄国沼を目指すコースであった。天候は曇り、峠道では霧がかかり、小雨模様であった。

7時西回りのコースで雄国山へ登り始める。標高800m、気温が16℃ほどで肌寒い気がする。木の下闇というのか、陽ざしが十分には届いていないが、緑は滴るようである。登り勾配も急なとこではなく、順調に高度を上げていく。スマートウォッチの運動強度は身体感覚を離れて、未知の領域に達しつつある。登り始めて3時間、雄国山の頂上につく。やはりこの時期の山で感じるのは、圧倒的な緑。突然山中に響き渡るホトトギスの鳴き声。今年の初めて聞くホトトギスであった。

時鳥なくや若葉のはしり雨 北枝

頂上に立つと、視界が開け、眼下に雄国沼が見えてくる。目を凝らすと、水の向こうの湿原に黄色い花の色が霞んで見える。ニッコウキスゲが咲いているのであろう。
頂上から雄国沼休憩舎まで、階段あり、ジグザクの道ありで、どんどんと高度を下げる。思いがけずに、長い歩き。この沼に方々から入っている人も多い。一歩づつ沼に近づくと、花が盛んに咲いている様子が次第に見えてくる。前回、ここを訪れてから何年になるだろうか。当時の記憶が次第に戻ってくる。湿原にかかるかかる木道には、人波が途切れることなく列をなして歩いている。座り込んでカメラで接写する人、少しゆとりのある部分に座って弁当を食べている人、じっと花を眺めている人、その楽しみ方はさまざまだ。

雄国沼の圧巻はやはりニッコウキスゲであった。近くで見ると花は疎らに咲いているのだが、目を少し遠ざけると、湿原一帯が花に埋め尽くされているように見える。山の斜面を一面に彩るニッコウキスゲも見事だが、水面を背景にした湿原の花もまた風情のある眺めである。花の間をよく見ると、ところどころにヒオウギアヤメの小さな紫の花が咲いているのに気づく。ひそかに目立たないが、その美しさに目を奪われる。

11時半、ほぼ木道を歩き終わって昼食となる。いつまでもこの花々を見ていたい。6月最後の山歩きは、この沼のニッコウキスゲと再会して終わった。多分、ここのみごとな景色も見納めとなる。帰路は辿った道をラビスパ裏磐梯へとって返す。歩いた距離17㌔、歩数33、000歩。長い道のりに、鍛えていたはずの足も悲鳴をあげている。コロナ対策を十分にとった温泉で、疲れた足を癒し、汗を流す。本日の参加者10名。内男性5名。
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野菜生活

2020年06月25日 | 日記
昨日、野菜に水をかけに畑に行くと、寡黙に野菜作りをしている奥さんから突然聞かれた。「あのう、いつから雨になるのでしょうね」予報を聞いていたので、「夕方からのようですよ」と答えた。ふと安心した表情をうかべ、道具を片付けて帰って行った。みんなが待っていた雨になった。予報通り、夕方からぱらついて、夜は細く静かにふる雨になった。植え足した苗も、実のなり始めたナス、キュウリ、トマトにもいい雨だ。

朝の食卓に、シュンギクのお浸しとキュウリのぬか漬。しみじみとうまいと思う。取り立ての野菜が何よりのご馳走だ。シシトウは網焼きにしてシンプルに醤油で食べる。ナスとトマトの色合いは、見ただけで食欲をかきたてる。この季節の味噌汁はナスに限る。さくんぼが収穫の最盛期で、店先に色鮮やかに並んでいる。親戚へ季節の便りとして毎年贈っている。北海道から電話がきて、一番上の姉の近況を伝えてきた。娘がいる近くの養護施設で暮らしている。北海道独自のコロナの緊急事態宣言が出るなど対策が隅々に渡っている。姉の施設でも、面会禁止。肉親に会える楽しみもないなら、コロナで死んでも本望と言っているという。元気なうちにもう一度行ってみたいと思う。

今年挑戦したいトマト料理、セミドライトマト。ミニトマトは皮をむかずにおオーブンに並べて低温で30分、じっくりと焼く。スライスしたニンニクを間に置き、あら塩とオリーブオイルを振りかけて。香ばしく焼いたパンに焼きあがったトマトをぬりつけて盛り合わせ。摘みたてのバジルを散らす。野菜はこれに限らず焼いて食するのも美味しい。久しぶりの慈雨は野菜生活を豊かにしてくれる。
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サボテンの花

2020年06月24日 | 登山
わが家のサボテンは決まった時期に咲くのではない。冬も日当たりのよいガラス戸の内側で暖かい場所に保管してあるので、3月には花芽を持って咲き始める。花芽を伸ばすために、内側に力を蓄え、気温の上昇に合せて咲いてくる。鉢が6個ほどあるが、実に気ままに咲きたいときに咲く。うっかり見るのを忘れていると、花が咲き終わっていることもしばしばだ。ただ、サボテンの花は本体からは想像もつかない可憐な花をつける。そのアンバランスのところがこの花の魅力である。

君が育てたサボテンは小さな花をつくった
春はもうすぐそこまで恋は終わった

財津一郎が歌うフォークソングにこんな歌詞があった。青春の日の、若い魂の失恋の歌である。サボテンを可愛がって育てる、というのも何かしら意味がある。環境を整えてただじっと成長を待つ。他の植物のように著しい成長が見られない。それでも、脇の方に小さな子をつけて、鉢の土に植えると小さな成長を始める。どこか母性に訴えるようなところがサボテンにはある。
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