常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

二月尽

2018年02月28日 | 日記


二月尽とは、俳句の季語で2月が終わること。新年から、この日まで瞬く間に過ぎるが、時おり真冬のような寒気がぶり返す。そのためこの言葉には、本格的な春が近づいているという言外の期待もこめられている。この季語が、春隣りと似たような意味合いで定着したのは、太陽暦が定着して以後のことである。陰暦の三月(弥生)は、すでに仲春であり、花の季節を迎えている。いま、使われているような意味合いはそもそも含まれなかった。

二月尽雨なまなまと幹くだる 石原 舟月

静岡に姪のフエイスブックに河津桜の花がほころんでいる写真が掲載された。列島にある低気圧に向かって、南から暖かい風が吹き込んで春らしい陽気になっている。しかし、この低気圧は発達して、風と雨を連れてくるらしい。久しぶりの雨が木々の幹を濡らし、周りに出た土には蕗の薹が顔をだすのだろうか。例年に比べて、雪融けは遅い。

3月に入ると、3日に宮城県大和町の七つ森へ登山。4日には、県の吟道大会で連吟コンクール出吟する。練習の日々と、登山の情報収集と忙しい日が続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

余白の時間

2018年02月27日 | 日記


年に一、二度、大学時代の旧友と同期会を行っている。十数名が集まって、夜遅くまで盃を傾ける。仙台や東京から駆けつける常連もいる。いくつになっても、話は学生時代の思い出になる。しかし、寄る年波で、今年集まったのは6名。酒好きで、元気な者ばかりで、酒の上とはいえ、言いたいことがいい合える、なかなか得難い会合である。酔うと「あのバカが」というのが口癖の、一番元気な男が、今年は連絡もなく欠席した。誰も口にはしないが、身体を壊していないかという心配がふとよぎる。いつ重い病になっても不思議のない年代ののだ。

後期高齢を過ぎて、誰もが余白の人生を過ごしている。定年を過ぎてから、大学に入りなおし、彫刻を始めた人。新聞に個展を開いた記事が載る。篆刻を始めた人からは、展示会の案内が届いたりする。歴史を専攻していた友人は、古文書の研究会に入り、余白の時間のほとんどをその解読に当てていると話す。解読できないことが楽しい、と真顔で話す。経済学を専攻した人からビットコインは何ぞやと問いかけられたり、「源氏物語」を古文で読でるいるという話す人があるかと思えば、山形市の街の歴史の生き字引のような人がいる。そうかと思えば、妻の思いがけぬ病に介護の苦労を赤裸々に語る人。数時間の会合にしては、話は尽きることはない。

人生を生き抜いてきた老いた顔ばかりだが、年輪を重ねていい顔になっている。余白の時間の過ごし方はそれぞれだが、誰にも責めたりすることはできない。残された時間を、自分の裁量で過ごすのは、この年代に許された数少ない自由である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春待つ大手門

2018年02月26日 | 日記


春は浅く、山形城址のお濠には雪が積もり、水はほとんどなくなっている。越冬したカルガモの姿を見たくて東大手門へ行ったが、鳥たちの姿はない。濠にかけらた橋には、雪がとけ残っている。青空に、大手門の白壁が映えて美しい。かつての城址は、もっと鄙びて、散策にも雑草を踏み分けて歩かねばならなかった。石川啄木の初恋の歌が懐かしい。

城址の
石に腰掛け
禁制の木の実をひとり味ひしこと


砂山の砂に腹這ひ
初恋の
いたみを遠くおもひ出づる日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西黒森山

2018年02月24日 | 登山
20180224 01


西黒森山は白鷹丘陵にある里山である。麓には、大沼などの池があり、周囲は県民の森として整備がすすめられてきた。麓の集落に、灌漑用水、木材や山の幸などを供給してきた里山であるが、市民のいこいの場でもあった。白鷹線の湖畔のバス停があり、大沼では貸しボートに釣り、若いカっプルで賑わった。途中、除雪した駐車場の数十台の車が置いたある。こんなにも雪山に来る人がいるのかと驚いたが、曲沼でワカサギを釣りに来た釣り人の車であった。

この山に登山道はない。夏、ブッシュをわけて、登る人もいないであろう。この雪の季節に、カンジキを履いて、雪踏みを楽しめる貴重な山である。かつては、この山から旧六十里越街道の鞍部を通って白鷹山に登ったことがある。事前の予報では、朝方晴れから曇りで、朝日さす自宅を出てきた。予報は外れて登山口付近ではしんしんと降る雪になった。本日の参加者7名、内女性3名。雪は降っているが、身体は予想外に元気だ。風もなく、気温も比較的高く感じる。急な勾配のラッセルも楽しい。春めいた季節が、体内の活動細胞のスィッチを入れてくれたのか。

抱きたく若き幹立つ牡丹雪 加藤 楸邨

車を降りて、杉木立を歩くこと約1時間30分。尾根道はの急坂にかかる。牡丹雪が降りつのるも、ラッセルにひと汗かく。ここで、カンジキが不具合になったYさんが登頂を断念して撤退。Tさんが付き添って車へ戻る。尾根に出ると、強い風が吹きつける。バタバタと風が、雨具の帽子を叩く。頂上まであと少し、リーダーの声に励まされて、風に揺れる木々の間を歩く。風が強いが、意外に気温は下がっていない。頂上付近で、前方の空に青空が見え、陽ざし出る。すぐに隠れる日差しだが、雪や木々の姿を一変させる。一瞬、白く雪が輝く。

西黒森山


12時5分、頂上に着く。標識もなく、小さな盛りあがりだけの頂上。ふと、向こうに付近の山の姿が垣間見える。相変わらず風が強い。頂上の風景を動画に収める。風の音が入る頂上は木々が揺れ、雪が舞い飛ぶ。静止画では見えぬ情報が、ほんの20秒に詰まっていた。頂上かた、下のYさんに電話を入れる。下山して車中で身体を休めているとのこと。早々に来た道を取って返して下山。1時間足らずで車に着く。下山を先導したSさんも健脚。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トリセツ

2018年02月23日 | 日記


二日続きの晴天。朝の光りに、身体が少しづつ反応している。何かじっとして本を読んでいるだけではもの足りない。少しづつ身体を動かしたい。ラインやグーグルの使わないで機能を試してみたい。昨日、本屋まで足を運んで、ラインとグーグルのトリセツなるものを買ってきた。少し前までは取扱説明書であったが、略してトリセツと呼ばれている。同じ本でも、これを読むには本と同時に起動したパソコンとスマホを開いておかねばならない。

引出しの中に、ぶ厚いトリセツがたくさん保存してある。電話機、スマホ、デジカメ、プリンター等々。どれも読むのに苦労する。不具合を生じたときに開くのがいつものこと。結構な時間をかけて、プリンターの紙詰まりを外したり、録音したデータを消去する。何度もやるので覚えそうなものだが、機器が動かなくなる都度、トリセツの世話になる。しかし、何度読んでもトリセツの文章をすっと理解できるのは稀だ。機器の触りながら、読んで初めて言わんとしていることがわかる。

ラインとグーグルサービスのトリセツは、電気製品のものと少し違う意味合いがある。若い人ならスマホやパソコンに触れるだけで、その機能にすばやく習熟するらしいが、私には機能の存在を知ることが第一歩だ。トリセツを開きながら、ユーチューブのアカウントを設定したり、グーグルアシストを確かめたり気の遠くなるような歩みである。それだけに、毎日書いているブログに気に入った動画を貼着けることのできた喜びは一入である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする