常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2020年11月02日 | 百人一首
霜月を迎えた。秋晴れと雨が周期的に交互にやってきて、冬を迎える。この秋は、山行きが多く、秋の色が堪能できた。秋は古来淋しい季節として和歌にも詠まれてきたが、松や杉など冬もなお緑を保つものに目が向けられてきた。『百人一首』に入集している寂蓮法師に

村雨の露もまだひぬ真木の葉に
    霧立ちのぼる秋の夕暮れ

がある。真木は、杉や檜などの常緑樹を指した美称である。真木を一字にして槙となった。槙は別の常緑樹でイヌマキの木の名称でもある。この歌は京都の西山あたりの山中に見られる杉木立を詠んだものであろう。広葉樹のように紅葉した後に落葉しない、いつまでも緑を保つことを愛でたものである。ムラ雨は時雨とみてよい。時雨が通りぬけて行った秋の夕暮れ、杉の木の葉の露がまだ乾かぬうちに、今度は白い霧が木立のある山あいを登っていく光景である。

寂蓮法師は藤原定長といい、藤原定家の従兄にあたる。定家の父俊成に育てられていたが、この家に後継ぎの定家が生まれたために出家したと言われている。新古今集には、「秋の夕暮れ」を詠んだ「三夕の歌」が有名である。定家、西行、寂蓮が詠んだものでいずれも紅葉の華やかさなどはない。

さびしさはその色としもなかりけり
  槙立つ山の秋の夕暮れ  寂蓮

心なき身にもあわれは知られれけり
  鴫たつ沢の秋の夕暮れ  西行

見わたせば花も紅葉もなかりけり
  浦の苫屋の秋の夕暮れ  定家
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ふりゆくもの

2020年04月21日 | 百人一首
今年の桜は、咲いてから寒気が入ったこともあって、長く見られたような気がする。
しかし、一度咲いてしまえば、散り去っていくことは定められたことだ。そんな花を見るたびに、あと何回、この爛漫の花が見ることができるか、不安が頭をよぎる。

花さそふあらしの庭の雪ならで
 ふり行くものは我身なりけり 藤原金公経

百人一首では、目の前の落下を、自分の身に置き換えて詠嘆している歌がある。公経は頼朝の縁戚の娘を夫人にしていたので、朝廷では権勢ならぶものなく、衣笠山の麓に別業を造営して贅をこらした。金閣寺の前身となる寺院である。

権勢をほしいままにしていた公経もまた、一年ごとに年を重ねる身と、春の嵐に散っていく桜に不安を感じたのであろう。

花のいろはうつりにけりないたずらに
 我身よにふるながめせしまに 小野小町

公経と同じ不安を女の立場で詠んだ歌だ。世に経るという、古びるという詞に雨が降るという意味を重ね、ながめも眺めと長雨を掛けた技巧をこらしている。麗しい容姿と才能豊かな女性であった小町は、さまざまな伝説をうんでいる。阿武隈、小野川温泉、秋田と小町の伝説が云い伝えれている。
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若菜摘み

2020年03月05日 | 百人一首
天候が日替わりで、好天と荒天が入れ替わる。昨日の穏やかな春風に替わって、今日は風と雪。それにしても、今年の春の訪れは早い。散歩の途中で通りがかったお宅の庭にフクジュソウが咲いていた。失礼して道路から写真を撮らせてもらう。山手の坂道でビニール袋を提げて、藪のなかで何かを探している人がいた。見れば袋には鮮やかな新緑のフキノトウがためられていた。

百人一首の14番光孝天皇の歌に

君がため春の野にいでて若菜つむ
わが衣手に雪はふりつつ

光孝天皇といえば、元慶8年(830)、54歳で天皇の位についた。陽成天皇の突然の退位によるもので、もとより天皇の位につく考えはなかった。親王として穏やかな人生を送っていた人で、若いころ恋人かお気に入りの女性に贈った歌である。もちろん、歌には野で摘んだ新鮮な若菜が添えられている。若菜は邪気を払い、流行り病を遠ざけるものと信じられていた。自分の愛しい人が、流行り病、今日でいえばコロナウィルスになどかからぬようにとの願いが込められている。

平安の頃には流行り病への人々の恐怖は想像にあまりある。一たび疫病が猖獗をきわめると、あらゆる階層で猛威をふるった。政権にある人々とて容赦されることはない。次々と要人が突然の病で命をなくした。そんななかで、春に芽生える若菜が病を遠ざけるという考えは十分に理解できる。新鮮な若菜にはビタミンも豊富に含んでいたであろう。こうした行為は、今日の社会にあっても忘れてはならないものである。若菜を受け取った女性は、想像をこえる安堵を得たであろう。気に入らないと言って非難したり、マスクを奪い合って喧嘩をするのではなく、むかしながらのこんなやさしい思いやりの心が欲しいと思う。
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花さそふ

2018年01月31日 | 百人一首


大寒も終わりに近づいているが、気温が低く、日がさしたり、雪が舞うという気候が続いている。クンシランの花芽は、みるみるうちに伸びて、先端が色づきはじめた。正月のカルタ遊びを思い出し、取り札の歌を見るのも懐かしい。

96番 入道前太政大臣

花さそふあらしの庭の雪ならで
 ふり行くものは我が身なりけり

散る桜の花ふぶきを雪に見立て、その落果におのが老いの姿をたとえた歌である。入道前太政大臣とは藤原公経で、頼朝の妹婿一条能保の娘を妻としたので、権勢ならびなく太政大臣に押された。衣笠山の麓に別邸を建て西園寺とした。後の金閣寺の前身となる寺である。この庭に咲く桜の花に風が吹きつけ、あたかも吹雪の雪と見違うほどであった。

衣笠山の麓のことであるため、田畑が多く田舎びた地であったが、造営をくりかえして艶なる庭園とした。山のたたずまい木深く、池にはゆたかな水を湛え、峰より落ちる瀧のひびきが、来る人の心を打つ造りになっていた。

公経の姉は、定家の妻で、一家は西園寺家の深い庇護のもとにあった。この百人一首のほかに、『新勅撰集』には、定家は公経の歌を30首も選んでいる。日ごろの恩義を感じたいたことはもちろんだが、歌詠みとしても定家は公経を高く評価していた。
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秋の田

2017年09月21日 | 百人一首


この秋は残暑というものがない。散歩の道で、キリギリスやコウロギの鳴き声が聞こえ、田の稲穂は実が入って次第に垂れ始めている。あれほど目を楽しませてくれた、青々ととした田も黄金色へと変わりつつある。稲の上には、雀除けのテープがはためいている。スズメは利口で、稲が次第に熟して、一番おいしい時期を待っている。

秋の田の仮庵の庵の苫を荒みわが衣手は露にぬれつつ 天智天皇

百人一首の冒頭におかれた天智天皇の作とされる歌である。天皇が稲刈りをするのか、という単純な疑問がわいてくる。万葉の時代にも、稲をねらう鳥やイノシシなどがいたらしく、稲刈りの時期には臨時の番小屋を立てて、見張りをしていた。苫はスゲやカヤで編んだムシロ、もしくは菰。その編みが目が荒い苫であったので、番をしている主人の袖に露が降りてくる。仮は刈るをかけ、露は農作業の厳しさを悲しむ涙を連想させている。

秋田刈る仮庵作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きける 万葉集巻10・2174

万葉集に収められている歌である。この歌の前後には、秋田のほか萩、白露を詠んだ歌が並んでいる。万葉研究家の伊藤博博士によれば、農作業を終えて、主人の家に集った宴席での歌であると指摘されている。百人一首の歌は、この歌が唄い継がれていくうちに変形、洗練されついに天皇の作とまで言われるようになった。当然、天皇の作とは考えられていない。この歌は、平成30年度日本詩吟学院の優秀吟コンクールの課題吟になった。
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