常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

雪の月山

2021年03月10日 | 斉藤茂吉
晴天が続いて月山がきれいに見える。こんなにきれいな月山がみえるのは、この季節だけではないか。空気が澄み、雪もしっかりと残っている季節ゆえにこんな月山をみることができる。どなたかが、月山に春を感じるのは、3月になってから、というのを聞いたことがある。次第に太陽の位置が高くなり、積もった雪をまんべんなく照らすようになる。積もった雪が丸みを帯びてくるというのだ。それほど、詳しく観察したことはないが、数日前から見えている月山はどことなく穏やかな感じがする。

日本海から海上を渡ってくる風はたっぷりと水分を含み、厳冬期にはこの山に雪をもたらす。10mを越す積雪があり、大雪城のあたりでは、真夏になっても雪が消えない。麓でこの秀麗な姿を、人々はどんな気持ちで見ているのだろうか。山に対する思いは、当然、時代によっても異なる。

明治29年は、斎藤茂吉が15歳になった年である。初詣と称して、湯殿山に登るのが、15歳の一人前の証であった。上山から本道寺まで、歩き通して1泊。2日目は志津で先達を頼み、谿を越えて湯殿山へ。そこで風と雨の洗礼を受けて、湯殿山神社に詣でる。危険なことを身に受けて、そこを越えて成人していく。それがこの時代のイニシエーションであった。後年、茂吉は弟と甥と連れ立って、初詣の道を経て月山に登っている。

さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎ手 茂吉

茂吉は長男を連れて、湯殿山へも詣でている。人に生きることを教える信仰の山、それが月山であった。
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吊し柿

2019年11月12日 | 斉藤茂吉
上山温泉、古窯に下げられた吊し柿。今年も、この宿に詩吟の仲間が集い、楽しい一夜を過ごした。玄関前には、毎年この紅柿が下げられる。紅柿で作る干し柿は、上山の特産で、冬の名物になっている。この地に生れた斎藤茂吉は、この光景を思い出しながら、東京で医者の生業を過ごしていた。弟が、幼子を連れて、上京したこともあった。上山の干し柿は、季節になると、家に置き、幼子に呉れるのであった。

干柿を弟の子に呉れ居れば淡々と思ひいづることあり 茂吉

茂吉は柿を手にして、故郷のどのような光景を思い出していたのであろうか。「ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏の光り」という歌もある。今も、茂吉の生家を訪ねれば、幼い日、茂吉が過ごした金瓶と白い壁の蔵屋敷が当時の様子を偲ばせてくれる。

おそらく生家では、この季節になると、蔵の屋根から柿が吊るされていたであろう。その集落近くの広場では、子どもたちが元気で遊ぶ声が聞こえてくるような気がする。自分で描いた絵を貼った凧を上げて遊ぶ。独楽、雪滑り、竹馬のほか正月行事のカセ鳥も茂吉の頭にあったふるさとの姿であった。
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晩夏

2019年08月21日 | 斉藤茂吉

ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり 茂吉

ふるさとの蔵とは、生家の東に立っている蔵屋敷ことである。今も塗装したのか、目にしみるような白壁がある。俳句の歳時記を引くと、晩夏は夏過ぎる、夏終わるを縮めて晩夏にした、書いてある。秋風を感じる一歩手前の微妙な季感、とも書いてある。一匹の蝉がその壁にとまって鳴いている景色に、晩夏の光りに重ねたのは茂吉ならではの感性である。

小泉八雲もその季節を好んだらしい。『日本の庭』という小品のなかで、この季節について書いている。

「蝉だけが庭の音楽家ではない。中に目立つのが二種類あって、蝉のオーケストラに伴奏をする。その一つは鮮やかな緑色をした美しいきりぎりすで、日本人には「仏の馬」という珍しい名前で知られている。なるほど、この虫の頭の辺りが馬の頭部にいくらか似ていてーそれ故こんな幻想が生まれたのであろう。奇妙に人なつっこい虫で、手で捕まえてももがきもせず、大体がよく家の中へ入って来て、いかにもくつろいだ様子である。もう一つの虫も緑色のきりぎりすで、こちらは少し大きく、ずっと人になれない。歌い方の故に「ぎす」と呼ばれる。」

あと一週間もせずに、季節は処暑を迎える。昨日、気温は最高25℃で、一ヶ月以上続いた真夏日が、一たん途切れた。今日は30℃を超えるようだが、30℃を切る日が次第に増えていく。誰かも言っていたような気がするが、齢をとると、夏が去っていくことに、ふと哀感がかすめる。ひどい暑さであったが、もうこの夏はあと一年を待たないとやっては来ないのだ。

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冬晴れ

2018年12月19日 | 斉藤茂吉

冬の空は時々刻々と変わっていく。青空に

朝日を受けた受けた雪山は、神々しい輝き

を見せる。それから一時間も経たないうち

に雲が出て、空も山の頂を隠していく。人

はこんな光景を見ながら何を思うのであろ

うか。それはその人が置かれている環境、

時代、年齢などの条件によって千差万別で

ある。

山々は白くなりつつまなかひに

生けるが如く冬ふかみけり 茂吉

昭和20年4月、斎藤茂吉は、空襲に明け暮

れる東京を逃れて、郷里の上山市金瓶に疎

開した。その8月には敗戦を迎え、その冬、

生家から見える山々の景色に深い感慨を覚

えている。山々は、敗戦によって傷ついた

茂吉へ、あたかも生きている人間の如くに

語りかけたであろう。白くなりつつ、とい

う言葉には、雪景色の美しさに加えて、白

髪となっていく、自らの老いの姿がある。

故郷の山の姿は、時とともに装いを変え、

厳としてそびえることで、人に色々なこと

を教えてくれる。

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茂吉生家

2018年06月22日 | 斉藤茂吉


妻の手術もようやく回復に向かい、退院の予定を話し合った。病院に通う道すがら、斎藤茂吉の生家のある金瓶を通るが、少し心にゆとりが生まれて立ち寄ってみた。蔵の白壁は近年塗りなおたものであろう。青空にその白さがひと際さえる。

ふるさとの蔵の白かべに鳴きそめし蝉も身に沁む晩夏のひかり 茂吉

この歌で詠まれた「晩夏のひかり」が新鮮である。茂吉の歌が好きなのは、こうした新しい感覚の言葉が随所に見られるからだ。茂吉自身、この歌を『作歌四十年』のなかで回顧している。

『白壁に鳴きそめし』の写生はなかなか好かった。蝉がいなずまのように飛んで来て、白い壁に止まったかとおもうと、直ぐに鳴きはじめる。盛夏をやや過ぎて、日光も落ちつきを示すころで、その趣きが何ともいえないのである。

茂吉がこの歌を詠んだのは、大正5年のことである。すでにこの歌が生まれてから100年以上を経ているが、その感覚の新鮮さは少しも衰えることはない。
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