常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

嵐の前

2018年09月30日 | 日記

台風24号が、強い勢力を保ったまま近畿地方

に上陸し、その後、列島を縦断する進路が予

報されている。つい半月前、大阪や関空に大

きな被害ををもたらし、その復興もままなら

い状況で、また同じような勢力の台風が、日

本列島に不気味に迫っている。この自然の巨

大な力の前に、人間の力、その存在の小ささ

を思い知るばかりだ。被害が小さくて過ぎ去

ることを祈るばかりである。

シェイクスピア劇には、二つの嵐の場面が登

場する。『リア王』と『テンペスト』である。

この劇のセリフを読むと、シェイクスピアが

生きた1600年代の、嵐も今に劣らぬ威力があ

ったものと想像できる。


リア王 吹け、風よ、お前の頬を吹き千切れ!

    あばれまわれ!吹け!

    汝、天よりの豪雨よ、地におこる竜

    巻よ、ありったけの水を押し流せ、

    高い塔も水浸しになり、風見車も溺

    れ沈むまで!

そして、『テンペスト』では、孤島で暮らす

少女ミランダが嵐で、航海する船が沈んで行

くシーンから劇が始まる。


ミランダ お父様。お父様の魔術で海があん

     なに荒れ狂っているのでしたら、

     鎮めてくださいませ。ああ、あの

     苦しむ人たちを見て、私も苦しく

     なりました。見事な船が、きっと

     どなたか立派なおかたをお乗せし

     ていたでしょうに。すっかりこな

     ごなになってしまった。

「われらが小さき生」これこそが、シェイク

スピアが遺したかったメッセージである。夢

と同じくはかない身、そしてわれらが小さき

生は眠りによって幕を閉じる。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年09月29日 | 日記

憂ひあらば此酒に酔へ菊の主 漱石

漱石には菊を詠んだ句がいくつかある。この

花が好きだったというより、愛読した陶淵明

の詩に菊と酒のテーマが漱石の心を捉えたの

であろう。菊の花びらをとり、忘憂のものに

浮かべて飲む。忘憂のものとは、酒である。

そして浮世の憂さを忘れ去る、それが陶淵明

の飲酒であった。句意は、まさに菊を浮かべ

て酒を飲み、憂さなど忘れてしまえ、という

ことだ。

菊白菊酒中の天地貧ならず 漱石 

壺中天とい漢語がある。どこかの造り酒屋で

自家の酒にこの名をつけているのを見たこと

がある。中国の古人が、仙人に大きな壺の中

を案内してもらった。壺の中は天も地も無限

に広がっていて、どんどん入って行くと、仙

人たちが集まって、のんびりと酒を飲んだり、

お茶を飲んだりしてくつろいでいる。そこは

まさに別天地、ユートピアであった。

漱石はこの句で、壺中の天地を酒中の天地に

置き換えて詠んでいる。そこは黄色は白の菊

が咲いて、酒もある。貧しい世界ではない、

おおいに酒を飲みたまえと勧めている。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仙人掌の花

2018年09月28日 | 

わが家に仙人掌の小鉢が五つほどある。仙

人掌を育てることを趣味にしているわけで

はない。随分と昔だだが、嫁いだ娘が何故

か仙人掌の蒐集にはまり、たくさん買って

ベランダに置いてあったものを貰ってきた

ものだ。大抵のベランダの鉢は、花を咲か

せて死に絶えていくが、この仙人掌だけは

丈夫で健在である。脇にでた子を植えてい

けば際限もなく増えていくだろう。水を与

えるでもなく、外に出しっぱなしだ。夏に

なると花芽を長く伸ばして花を咲かせる。

秋分の日を過ぎて朝夕が急に冷え込んでき

た。もう仙人掌の花も咲かないと思ってい

たが、三連休のあたりに花芽をつけた。さ

すがに、花は小さい。寒さで花が大きくな

れないのだ。ベランダに咲く花がなくなっ

た季節に、何か得をしてような気がする。

冬になれば日当たりのよい室内へ入れて、

保護していることへのお礼の花か。


仙人掌に跔まれば老ぐんぐんと 三橋鷹女

フォークソングに「サボテンの花」という

のがあって、いさかいで同居していた女性

が去って行った部屋に、残されていたサボ

テンが歌われている。

歳時記を開くと仙人掌の花とからめて老い

らくの恋などという句も見える。仙人掌を

育てるのは、やはり女性が似合う。棘を出

して世話を焼かれるのを拒否しているよう

な姿だが、どこかユーモラスな恰好が女性

に好まれるのかも知れない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

草野心平

2018年09月27日 | 日記

いわき市小川町上小川。背後にあまり高くな

い二ツ箭山が控え、南方には阿武隈山脈の山

なみが見えている。コンビニもない集落の戸

数も少ない典型的な山村。この村で詩人、草

野心平は、明治36年(1903)5月12日に生

まれている。草野新平が作詞した町歌「小川

の歌」を紹介しよう。

 阿武隈山脈 南方に

 みかげ二つ箭 そびえたつ

 ああ楕円の 起伏

 ヤマメや藤や ひよどりの

 美しきむらよ 小川

この自然のだけに恵まれている山村に、なぜ

高名な詩人が生まれたのか。それは、この家

庭のちょっと変わった家庭環境にあったかも

知れない。父は農業を営まず、政商のような

仕事をしていた。兄の民平、弟の天平も詩人

であった。心平は磐城中学を中退して、東京

の慶応義塾へ編入したが、ここも中退して中

国の大学へ留学という人がやりそうもないこ

とに挑戦。しかし排日運動の激化で、帰国を

余儀なくされた。詩作は中国時代に始めた。

中国から帰って、この小川町にひとまず落ち

着いたが、ここで心平が始めたのが、貸本屋

である。東京の知人から本をかき集め、それ

を背負って郷里へ帰り、本を並べて貸本屋を

始めた。心平は家に本を並べてじっと客を待

った。だが、人の少ないこの辺鄙な村でいっ

たい何人の人が来店したであろうか。後に東

京へ出て、収入のために居酒屋を始めるとい

う行動を起こしているが、この貸本屋はその

先駆けとなるものであった。


ぜんまいを干した。

日溜の筵の上のかげろうが。

そよかぜに。

なびいてはたち。

馬小屋からか。

梨からか。

棒のようにとんできて。

虻らしいのがにぶい音楽を筵に止める


草野新平は蛙の詩人と呼ばれている。生まれ

育った小川の地で、見慣れた自然や、蛙や人

々の暮らし。懐郷の心は、この詩人の身体に

しみ込んで離れることはなかった。先日、二

ツ箭山を訪れたとき、道には草野新平記念館

への案内の看板がいくつも目についた。



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

読書の秋

2018年09月26日 | 日記

 

秋はふみ吾に天下の志 漱石

図書館という題詞のある漱石の句である。天下

の志とは、明治のインテリアが等しく持ち続け

た矜持である。「天下国家に有益な人たれ」と

言うのが、インテリが目指した目標であった。

自由に書を選び、自由に読み、そして自由に書

くことが、漱石の目指したところだが、それは

世のため、人のためになることが必要であった。

今の時代、そんなことを考えて本を読む人は少

ない。「読書は楽しみ」というのが、一番の本

を読むきっかけとなる。特に老年になってゆっ

くりと好きな本を読む楽しみは、何ものにも代

え難い。秋の夜長、これから灯火のもとに、本

を開く時間が増える。ある読書人が、言ったこ

とが、今に自分にすとんと落ちる。

「人生の務めを終えて、ようやく自分ひとりに

なったとき、好きな本を好きなように読めたら、

どんなに愉しいことだろう。もう教科書を読ま

される必要はないのだ。仕事上の必要から本を

読まなければならないという苦労もないのだ。

学問のためとか、世の中に遅れないないためと

か、そんな必要から本を読むこともいらないだ。

本を読んで、読んでいるうちだけ愉しくて、そ

して読み終わったら、すっかり忘れてしまって、

それで少しも差しつかえないのだ。これこそ理

想的な読書ではないか。」

ただひとつ惜しいことがある。灯火のもとで本

のページを開くと、少し時間が経つとやってく

るのが睡魔だ。そんなときも少しも、慌てない。

睡魔にまかせて眠りに落ちる。幸いなことに老

人は朝の来る前に目が覚める。眠る前に閉じた

本を再び読んで朝を迎える。

この秋もそんな読書生活が続きそうだ。因みに

今読み続けている本は、井本農一『良寛』であ

る。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする