常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

月の兎

2021年03月31日 | 日記
誰もが満月が美しいと思う。しかし、日が沈むのを追うように傾く二日月の、繊細な眉のような月も、見るたびに美しいと思う。春が近づくと、蕪村が詠んだ「菜の花や月は東に日は西に」の、夕方青空に姿を見せる春の月も見逃せない。月のなかに見える陰の凹凸は、兎の餅つきと言い伝えられてきた。月の兎には、『今昔物語』に「三の獣菩薩の道を行じ、兎身を焼く語」に天竺に伝わる物語が見える。

三の獣とは、兎、猿、狐のことである。獣に生れながら、誠の発心をし、菩薩の道を行った。そのあり様は、我より老いたるを親のように敬い、少し長じたものを兄のように、年若いものを弟のようにいたわり、自分を捨て、他のものの事を先ず考えた。天帝釈が、この三獣の行いを見て、感心はしたが所詮は獣、その本当の心試すために、自分を翁の老い疲れた姿に変えて、その三獣の前に行った。

翁が「わしはもう年老いて、食べ物も手にいれることができない。そなたたち、わしを養ってくれぬか」といいうのを聞いて、三獣は「分かりました。私たちの本心から養います」というと、猿は木に登って、色々な木の実を採って翁に与え、狐は墓に供えた鮑やカツオなどの魚を持ってきて翁に与えたので、大いに満腹した。兎のみ、耳を立てて、食べ物を探しまわったが、自分を狙う天敵に食われことを恐れて、翁に言った。

「私はよりおいしいものを供します。薪を拾い、火を燃やしてお待ちください」と言って、物陰から翁が火を燃やすのを見守った。火が盛んになると、兎は「私には食べものを持ってくる力がありません。ただ、私の身を焼いて食べてください」と言うと、火に飛び込んでたたちまち焼け死んだ。これを見た天帝釈は、兎を元の姿に戻し、月のなかに移した。そして言うよう。「月に兎あるは、この菩薩の姿だ。よろずの人、月を見るたび、この兎の行を思い起こして欲しい」

あたら身を翁がにへとなしけりな
 今のうつつに聞くがともしさ 良寛

良寛はこの兎の話を長歌に詠み、その反歌としてこのように読んでいる。意味は「惜しむべき身を翁に供える贄とした。この話を聞くだけで身に沁みることであるよ」それは兎の自己犠牲の姿を美しいものとして、心に受け止めたことであろう。月を見ながら、そのなかにこんな道心が伝わっていること世に知らしめた。
 
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若草

2021年03月29日 | 日記
3月が一気にかけ抜けていく。今日の気温は22℃、春を通り越して初夏の陽気だ。春の花が一気に増えていく。昨夜の雨が、ほどよい湿りとなり、桜の蕾もふくらんできた。四月の声を聞けば、桜が見られるのではないか。手術後のリハビリをかねて、妻と悠創の丘へ、春の菜を摘みに行った。人工関節で痛みはとれたものの、なれるまで疲れるようだ。足が自由に曲げられないのは、致し方がない。それでも、少しづつ、医術の進化で得られた足を、馴らしながら自分のものにしていくしかない。不自由のなかでも、山菜摘みは、やはり大きな楽しみだ。丘で若い女性から声を掛けられた。「何が採れますか」袋を見せると、「ああ、春の山菜ですね」。もう若い人たちは、すっかり春の装いである。目の前の木に栗鼠が、みごとな技を見せて枝を伝わって走りぬける。その速さは、3月が終わるのを見せるようでもある。

春草は足の短き犬に萌ゆ 中村草田男
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緋寒桜

2021年03月28日 | 
散歩をしながら気づいたことがある。神社や公園にある大きな木の枝が払われたり、伐採することが多いことだ。五月の薫風とともに、大きなケヤキやクヌギが葉を広げ、空をかくすようにして日陰をつくる。その下を歩くのは気持ちがいいし、楽しみでもある。そんな木がチェンソーで枝が惜しげもなく落とされてしまう。強風などで、木が折れて落下する危険はあるだろうが、鎮守の森がなくなってしまうのは残念な気がする。

大学病院の駐車場はたくさんのプラタナスの木に囲まれていた。秋になると葉をつけた枝が掃われ、ごつごとした奇怪な樹形のシルエットが目を楽しませてくれていた。枝を掃う作業に費用がかかるためか、すべて伐採され、その跡に小さな緋寒桜の幼木が植えられた。淋しくなった街路に、緋寒桜の幼木が花をつけた。ソメイヨシノの花芽が紅く色づきはじめ、咲きだしそうななかで、幼木がせい一杯咲くのを見るとうれしい気がする。

「花のさかりは、冬至より百五十日とも、時正の後七日ともいへど、立春より七十五日おほよう違がわず」とは、徒然草で、桜の満開を示す目安だ。時正とは昼夜の時間が同じ、つまり春分の日で、立春より七十五日は今日の暦で4月20日ころになる。徒然草が書かれたのは1330年ころであるから、当時から見れば開花は次第に早まっているように思える。

先日、bsテレビで桜の番組を見た。花の下の宴会や、大勢が集まって花見をするのは、コロナ禍では無理なので、映像で楽しむのも一つの方法だ。そのなかで知ったことだが、桜は生きた枝を、台木に接いで増やす。これをクローン技術と言っていた。これほど、日本中にソメイヨシノが広がっているのは、この技術のなせるせいか。桜の花も、どこに行っても同じ花でなく、地域によって特色のある花であってほしいものだ。

初花を見せては雲の閉ざすなり 水原秋桜子
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2021年03月27日 | 日記
ベランダの鉢に、芽の出始めたカサブランカの球根を植えた。畑仕事を卒業してしまったので、せめてベランダで発芽から花の咲くのを楽しもうという考えだ。買ってきた球根の説明書きは、植えつけの適期は5月とある。これは霜にあたるのを注意せよ、という注意であろう。寒くとも、暖かくとも、人はこんな言葉をきっと吐く。「記憶ではこんな春はなかった」。5月の別れ霜まで、農家の人たちは、ひどい霜害にやられた記憶がいつまでも頭に残る。「もう60年も前のことだけど、3月の25日に橇に乗ったことがあったなあ」

カサブランカの隣のプランターに、「20日ネギ」の球根を埋めた。これは成長が早く、芽がぐんぐん伸びて、20日経つと、30㌢ほどになり収穫して食べると説明書きにある。鉢もプランターも水やりを忘れて、用土を乾燥させてはならない。数年前、ブルーベリーの苗木を鉢植えにしてある。毎年、たくさんん花をつけるが、実がならない。雄花との交配がうまくいかないせいだと思っていたが、剪定が必要なことが分かった。たくさん伸びた小枝を落し、鉢から伸びる幹を2本にして、花を咲かさないで1年育てることにした。剪定した短くなった枝についた芽がふくらんでいる。

「時がみちて法則にかなえば、蕾はひらき、芽は伸びる。そのとき、君は謙虚な気持ちになって、人間の無力をさとり「忍耐がすべての知恵の母」だ、ということがわかるだろう。」(チャベック「3月の園芸家」)そうして、庭には様々な芽の大行進が始まる。

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蒲公英

2021年03月26日 | 日記

蒲公英の花が咲くと、ああ、春だなあ、という気がする。ニガナという名もあって、この若芽は食用になったこともあったらしいが、この花を見て食べることを連想することはない。あちこちで咲いているのを摘むのは、子どもたちの遊びのためであった。丸くつなげて首にかけたり、髪飾りにして遊んでいた子どもたちを思い出す。食用になる山野草は、採る行為に夢中になりすぎて、感慨にふけっている暇もない。単純に春が来たことを喜べるのは、こんなどこにでも咲く花を見たときだ。

たんぽぽや日はいつまでも大空に 中村汀女

鼓草というのもタンポポの名である。茎と花の間の形が鼓に似ているからだ。鼓の音を連想してタンポポと名付けられたのは、子どもたちが遊びのなかで付けたという説もある。万葉集に春を代表する花、タンポポを詠んだ歌が一首もないことを不思議がった人がいた。スミレがあってタンポポがない。古い名を探すとフジナ、タナなどが出てくる。菜の字がついて花を観賞するのではなく、もっぱら食用にしたらしい。万葉人はこの花をもっぱら食用の摘み草の対象としてみていたらしいのだ。現代人からみれば、考えられないことではあるが、食用にするばかりで、歌にする対象ではなかったらしい。
コメント (2)
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