常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

弥生から卯月へ

2018年03月31日 | 日記


今年になってもう3ヶ月が過ぎようとしている。今年の春は駆け足だ。明日から4月とはいえ、もう紅辛夷が咲いた。例年であれば4月中旬、桜が散るころに咲く花だ。古名で云えば、三月が弥生、4月は卯月である。弥生は草木が茂り、卯月は卯の花が咲くところからこう呼ばれた。陰暦の上のことで、季節はひと月ほど先である。晩春から初夏にかけての月である。

満月に目をみひらいて花こぶし 飯田 龍太

悠創の丘まで、雪が消えてから初めて行ってた。まだ萌えない芝生にシートを敷き、お茶やお八つで憩う家族連れが3組、春の訪れを満喫していた。高台から市街が見え、その向こうに白く雪をいただいた月山が美しく見える。左の裾野に姥ケ山が見え、ほど近くにあるのが湯殿山だ。あと2週間後に春先の雪を踏んでこの山に登る。

山の雪融けも気になるところだ。今日、みはらしの丘から見た蔵王山、刈田岳の尾根が黒く見え始めた。日が長くなると同時に、陽ざしは日に日に力強さを増し、山の雪を消して行く。山では季節は麓から這い上がる。里では咲く辛夷も、山では固い芽鱗の中でじっと気温が上がるのを待っている。木々は根の上の雪を融かし、活動を始める。日当たりの良いところでは、木の枝先が赤く色づきはじめ、芽吹きの準備が進んでいる。

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満月

2018年03月30日 | 日記


陽が残っているうちに満月が出た。青空に浮かぶ満月、またとないシャッターチャンスである。日が落ちて中空に浮いた月も、滅多にみられないきれいな満月である。古人が月を愛でたのが納得できる今日の月である。遠くにいる友に知らせたくなるような月でもある。

三井寺の門叩かばやけふの月 芭蕉

推敲の故事に、「僧は推す月下の門」か「僧は敲く月下の門」のどちらにしようかと悩んだ詩人の話を題材に詠んでいる。すでに賈島の時代に敲くに軍配が上がっている。当然のことに芭蕉もこの故事にならって叩くとした。
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白梅

2018年03月30日 | 日記


スマホに登山アプリのヤマップを入れてみた。朝の散歩で、このアプリを起動しながら歩く。電池を多く消費するので、モードを機内に設定する。地図上に現在位置が表示され、軌跡が刻々と記録される。桜の開花状況は、昨日とあまり変っていない。川の向いの畑にある白梅が、青空のもとにきれいに咲いていた。スマホ写真も使ってみるときれいに写る。水仙はすっかり頭を上げて、大きなラッパを日に向けている。軌跡の上に写真を撮った場所も記録される。今、持っているガーミンは写真機能がついていないので、こちらの方が使い勝手がいい。問題は、電池の消費だ。今持っているモバイルバッテリーを増やすことも必要になる。

しら梅に明くる夜ばかりとなりにけり 蕪村

春が来て、香りとともに朝が来る。蕪村はよほど白梅が好きだったようだ。死の床について、弟子の書きとらせた辞世の句である。ある評者が蕪村の梅の句を数えると50句に及ぶという。代表作を上げてみる。

白梅や墨芳しき鴻臚館

しら梅や北野ゝ茶店にすまひ取

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞

うめ散るや螺鈿こぼるる卓の上

梅に取り合わせている色彩に注目してほしい。墨痕鮮やかに揮毫する使節の書と白梅。北野天神の緋毛氈どっかりと腰を下ろす力士を囲む白梅の林。卓上に散った梅の花が螺鈿を散りばめた調度になる。画家にして俳人の蕪村ならでは句境である。朝日を受けて青空に開く今朝の白梅は、まさに蕪村の句境そのままの鮮やかな色彩であった。



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桜花

2018年03月29日 | 


坂巻川の土手で桜が一輪咲いた。毎年、市内の名所に先駆けて咲く。土手の下の方がコンクリートで固めてあり、陽ざしがそこに当たって、部分的に空気が温められるからだ。ただ、日当たりのよい枝は、芽鱗を割って花の赤い部分が顔を出しているので、あと3日もすると開花ということになるかも知れない。それほど、この一週間は気温が高く、初夏のような陽気になっている。今年は、桜をどのような気持ちで見るのであろうか。蘇東坡の詩の一句が、心をかすめる。「花ニ逢フコト、アト幾回ゾ」

霞立つ永き春日は色くはし桜の花の空に散りつつ 良寛

雪国で生涯を送った僧良寛は、どれほど春が来るのを待ち焦がれたであろうか。厳しい極寒の季節を永らえた者のみが、春に咲く桃、梨、すもも、桜、りんこ、辛夷、木蓮、レンギョウなどなどの花々が一斉に咲いて、生命力に充ち満ちた季節に会うことができる。今朝の散歩では、もう辛夷の花がほころび、木瓜の花も蕾をふくらませていた。

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夕やけ

2018年03月28日 | 日記


夕やけを心地よく眺めたのは、何日ぶりだろうか。夕方の風が、風呂上りに気持ちいい季節。やはり春から初夏ということになる。夜の冷え込みを心配することもなく、穏やかに夕やけをみることができる。ねぐらに帰るカラスも、心なしゆっくりと飛んでいる。春の霞で、夕やけのいろも少しにじんでいるが、風が吹き止む夕暮れは一日の疲れをやさしく癒してくれる。

夕焼に向って歩み入る如し 中村 汀女

夕暮れを詠んだ感性豊かな詩人がいた。私の生れる2年前、24歳の若さで急逝した立原道造である。東大工学部を卒業し銀座の建築事務所に勤めながら詩作に励んだ。

溢れひたす闇に   立原 道造

美しいものになら ほほゑむがよい
涙よ いつまでも かはかずにあれ 
陽は 大きな景色のあちらに沈みゆき
あのものがなしい 月が燃え立った

つめたい!光にかがやかされて
さまよひ歩くかよわい生き者たちよ
己は どこに住むのだろうーー答へておくれ
夜に それとも昼に またうすらあかりに?

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