常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

二月尽

2024年02月28日 | 日記
政治の混迷が深まっていくなか、二月が終わろうとしている。山茶花の木の下には、溶け残った雪のなかに紅い花びら散っている。メジャーの大谷翔平、山本由伸や藤井聡太ら若い日本のホープの活躍がせめてもの救いだ。1年7ヶ月になるひ孫の動画くるののも楽しみだ。キャンバのスマホ動画で編集すると、画面いっぱいに画質のいい動画になる。もっと勉強して、成長の軌跡を描く動画に編集したいと考えている。キャンバは実に心づよい編集アプリだ。

ユーチューブで成田祐輔と古舘伊知郎の対談を聞いた。言葉は膨大な外界の情報を単純な言葉で兵家出来る。人類が長年蓄積してモード、それが言葉。新聞や書籍が衰退しても、なお言葉の力は失われていない。一種の魔術。番組を聞いている人は、寝るために聞いている人たちが多い。講演をすると、成田の声を聞いて、寝落ちするひとが多いとのことだ。

古舘は報道をやるとき、初めての分野、社会の勉強になると思って始めた。NHKは災害の報道として残るが、民放の報道のは報道の姿勢を止めてしまった。バラエティー化している。NHKも信頼性を手放してしまった。こんなことが、二人が語る。そういえば、テレビを見る習慣がだんだんなくなっている。経済原理を手に入れ得る代わりに、報道や信頼のあるブランド性を手放した。今日2時から、政倫審に岸田首相をはじめ、5人の裏金議員が説明責任を果たすために登場して、野党の議員から質問に応じる。自民との衰退の歴史に立ち会うため、偽証罪のないこの場でどんな話をするのか聞いてみたい。
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忘れる読書

2024年02月26日 | 読書
朝方、深い霧であった。10時ころになって霧が晴れ、千歳山の雪景色が見えた。夏日のような気候のあとに、厳しい寒気が入ってくる。寒暖差ギックリ腰というものがあるらしい。重いものを持たなくても、15℃以上もの寒暖差だとギックリ腰の症状が出るらしい。経験したことのないような異常気象が何をもたらすか、なかなか想像するのも難しい。昨日、本屋に行って落合陽一『忘れる読書』を買ってきた。高齢者にとって、読むかたはしから何を読んだのかを忘れてしまうのは切実な問題だ。もう10年以上も前になるが、同級会で友だちの述懐を聞いたことがある。「いやあ、夕べ読んだ本の内容を次の日には全部忘れているんだよ。」

落合の『忘れる読書』はこのような杞憂を払拭してくれる。落合は読後に残った知識や考えをざっくり頭の片隅にしまいこんで置くだけでいいと書いたあとこんな風に記している。
「私自身は昔から、本は気楽に読んで、一度は忘れるということを繰り返してきました。今ではむしろ、「忘れっぽい」ことが強みだと思うようにしています。本全体の10%ぐらいが頭に残るのちょうどいい、というのが私の感覚です。」

こうした読書をくり返しているうちに、潜在意識に残ってふとした折にその断片が記憶に浮かんでくる。そこに新たなひらめきが降りてくる。これが忘れる読書の利点だと書いている。
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山茶花

2024年02月21日 | 日記
昨日、24節季の雨水。寒があけ、雨が降る季節である。皮肉なことに、一夜明けると寒の戻り、雪になった。春から、真冬への逆もどり。盛んに咲いた山茶花も戸惑っていることだろう。山茶花は童謡にも歌われているように、落葉の季節の花である。冬から春へのこの季節にも、盛んに花を咲かせる。木いっぱいに咲く花は、辺りを明るくする。

童謡『焚火』の作詞者は巽聖歌である。巽は児童文学者、岩手県紫波町の出身である。クリスチャンで教会で牧師の仕事をしながら、童話や童謡の作詞をした。後に、北原白秋の弟子となり、あの「さざんか、さざんかさいたみち、たきびだ、たきだおちばたき」の童謡は今もなお詠われている。この歌は、昭和16年NHKのラジオの依頼で作詞されたものだ。この年は私の生まれた年で、今から82年も前のことだ。その後戦争が始まると、焚火は敵が爆撃の目標になりやすいことを理由に禁止された。戦後もこの歌は歌い継がれ、昭和48年に巽はこの世を去った。

山茶花の咲ける小道の落葉焚き童謡とせし人今なく 美智子皇后

巽の死を悼んで、昭和48年、巽の死を悼んで美智子皇后は、歌に詠んだ。山茶花の花は、椿と違って、一枚一枚ばらばらに散る。山茶花の木のもとには、北風に吹かれて落ちた花片が、散らばっている。
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春の空

2024年02月18日 | 日記
ここへ来て、三日間隔で空の景色が変わる。異常気象といえども、すっきりとした青空は心を和ませてくれる。中天に向かって少しずつ、お青味を増していくグラデーションがなんとも心地いい。空が曇ると心も暗い。近所の人にあったも、無言で頭を下げていることが多い。やはり青空の日の方が、声もだしやすくなる。「春眠暁を覚えず」という句があるが、10時過ぎに寝て、朝の6時近くまで眠ることが多くなった。春の陽気は、睡眠にもよい環境を与えてくれるようだ。昔話に『鬼が笑う』というのがある。曇りが笑わぬ娘とすれば、鬼が笑うのは晴れた空を意味する。鬼に嫁いだ娘が、鬼のもとを逃れ舟で下るが、鬼は川の水を一飲み。水が引いて、娘を乗せた舟は鬼のところへどんどん吸い寄せられていく。そこで娘が取った策は鬼を笑わすこと。堪えきれず吹き出した鬼は、川の水も吐出してしまう。こうして娘は窮地を脱する。空はこの日のように晴れ渡っていた。

寝ながら聞いた昔話は『浦島太郎』。貧しい浦島は、年老いた母を養うために、海に舟で釣りをする。ところがかかってきたのは亀。これでは、母に食べさすこともできないので、海に逃がす。再度、挑戦して今度は鯛がかかったと思うがまたしても亀。こうして三度亀を釣り上げ、三度逃がす。そうして現れたのが、龍宮からの迎えの舟。「龍宮城を見物しませんか」と船頭が誘う。水先案内は、逃がしてやった亀である。浦島にとって龍宮こそは、極楽浄土であった。やさしい乙姫、多くの美しい魚たち。春夏秋冬、季節の美を見せる城の庭。母のことが気になりながらも、3年の月日があっという間に過ぎる。飢えた母を思い出して、乙姫に別れを告げ、土産に玉手箱を貰う。舟で懐かしいわが家に帰れば、あった筈の木は枯れ、家は無くなっておもかげもない。

乙姫と浦島は結婚しおたのだろうか。河合隼雄は『昔話と日本人の心』のなかで美しいが結婚の対象とできない女性像を、乙姫とともに「かぐや姫」をあげている。竹から生まれた「かぐや姫」この世にいないような美人で、多くの貴族から求婚されるが、ことごとくそれらを拒絶し、やがて月世界に迎えられる。羽衣伝説もまた、飛べなくなった白鳥の悲しい話と伝わる。毎晩、こんな話を聞きながら眠りのつくのは、古い日本人の心の世界を旅して歩くことでもある。
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春一番

2024年02月16日 | 日記
昨日、北陸で春一番が吹いたと報道された。昨年より13日早く吹いたとのことだ。立春から春分の間に、北日本で発達した低気圧に向かって吹きこむ南風を春一番という。昨日の空を見上げると、青空も見えたが、飛行機雲がくっきりと出た。空に水蒸気がたくさんある状態である。朝、朝焼けがきれいで、空気が澄んで山が近く見えたあとの気象現象である。強い風で、船で海上を行く漁師たちが、警戒したのもこの春一番である。

それにしても山形の昨日の気温は、2月の半ばであるのに、18℃を記録した。5月ころの気温だ。テレビのニュースでは、かき氷の店に行列ができ、Tシャツ姿の人も見かけられた。青空はきれいだが、乾燥した空気と、各地に頻発する火事。焼け跡から焼死体が見つかる惨事が続いている。青空を見ると、きれいな風景の向こうに、地球の異常事態の恐ろしさが見えてくる。残された日が少なくなった高齢者には、この夏に起こる高温や台風、大雨という過去に経験しない現象をつい心配してしまう。

昨日、空き地にオオイヌノフグリが花を咲かせていた。山形で、ウメの花が咲いたニュースが流れ、静岡の河津桜が満開のようだ。季節がどんどん早まり、白菜は巨大化している。季節の移りが変わって、花や野菜の旬もどんどん変わる。雪のない叢には、フキノトウも出ていて不思議ではない。陶淵明の『桃花源記』が思い起こされる。
「忽ち桃花の林に逢う。岸を挟みて数百歩、中に雑樹なく、芳しき草は鮮やかに美しく落つる英はひん紛たり。」
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