常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

芋煮

2014年09月30日 | グルメ


山形で秋のご馳走といえば芋煮が定番である。畑で育てた芋の収穫を待って、鍋で煮る芋煮は格別だ。里芋の消費があまりに多いので、他県産の洗い芋がスーパーで売っている。親しい仲間が集まって野外で鍋を楽しむのが昔からの風習である。馬見ヶ崎川原で巨大な大鍋を設え、クレーン車を使って、3万食の芋煮を振舞うイベントが定着して、県外の人にも知られるようになった。

里芋に牛肉、コンニャク、マイタケ、ネギなどを鍋に入れて煮る簡単な料理で、とてもお客さまに出すようなものではないが、最近は有名な温泉旅館でも秋には山形の名物として出されることが多い。そのルーツをたどれば、1600年代の舟運まで遡る。日本海の船は、京都、大阪などの上方からの積荷を酒田で川船に積み替え、はるばる山形城近くの中山町の辺りで終点となる。ここから、積荷を取りに来る人足を待つことになるが、多くの船の船頭たちはこの川に碇泊して待つことになる。

当時の輸送を考えると、二日や三日は常時待たされた。そこで退屈しのぎと腹ごしらえに、老松の枝に鍋を吊るし、小塩などの集落で入手した里芋を船にある棒鱈で煮て食べたのが、芋煮会のルーツとされている。紅花商人などの金持ちが、芋に牛肉を入れたのが、この地方の特徴として伝えられたらしい。洗い芋を用いた芋煮はそれほど食べたいとは思わなかったが、山形産の皮付き芋を用いた鍋はやはり食べてみる価値はある。


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秋景色

2014年09月30日 | 日記


刈り取った稲を天日乾燥している。最近はコンバインで刈り取った稲はその場で脱穀され、丸めた稲藁が田んぼに残る式の稲刈りになっているので、稲杭にかけられたものはあまり見かけなくなった。それだけに、昔から見慣れた田んぼの風景は風情がある。田植えしてから4ヶ月、棚田で杭にかけられた仁王立ちする稲の姿は、秋を一番強く感じさせる。

稲架たちてわが近道の絶えにける 児玉 小秋



農村の機械化で、昔飼っていた馬の姿はなく、代わってトラクターが農作業の力強い味方になっている。農道の片隅に置かれたトラクターの存在感がひときわ高まっている。この機械の持ち主は、きれいに汚れを落とし愛車のようにトラクターを扱っている風に見える。カメラを提げてこの道を行くと、その人から深々とお辞儀をされた。

しづけさに稲刈る音の揃ひけり 市村究一郎



ついこの間まで青かった柿の実が、朝夕の冷え込みで急に色づきはじめた。実のまわりの葉も、みごとな紅葉である。柿紅葉だ。誰が言い始めた言葉であるか、知るよしもないが、秋を象徴する言葉だ。

柿紅葉地に敷き天に柿赤し 松本たかし



りんごはさらに懐かしい。子どものころ、空腹に耐えかねて隣の家の畑で赤くなったりんごをもいで食べた。それを父が見ていて、いきなりびんたを張られた。それだけでは許して貰えず、両手を縛られて、木に結わいつけられた。見かねた隣の小父さんが、「そのりんご幹ちゃんにあげるから、許してやって」と父に言った。泣きながら、もう絶対にこんなことはしないからと謝って、やっとのことで許しが出た。

林檎の実赤し遠嶺に雪を待たず 大串  章



柘榴の赤が際立っている。秋の深まりとともに、柘榴の色もしだいに深まりを見せる。秋の日があたると、裂けて種が顔を出す。口裂け女のような怖い顔になるが、なぜか懐かしさがわいてくる。それもそのはず、種を取って砂糖を加えて焼酎を入れて熟成させた柘榴酒が味わい深いからだ。焼酎の水割りに少量加えると、ほのかに柘榴の香りがする。毎晩、これを飲むのが楽しみである。

ひやびやと日のさしてゐる柘榴かな 安住  敦

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なせばなる

2014年09月27日 | 詩吟


為せば成る なさねばならぬ何事も
  成らぬは人の 為さぬなりけり 上杉 鷹山

この歌は米沢藩の名君、上杉鷹山が家臣に示した処世訓である。この名君に因んだイベントが、この週末に二つ催される。ひとつは、米沢市で開催される「なせばなる秋まつり」だ。この祭りには、鷹山公の時代に始まった棒杭市も開かれる。道端に棒と杭で作った簡単なブースを作って、そこに野菜などを置き、脇に料金を入れるビクなどを吊るしておくいわゆる無人販売所である。無人の料金を入れるビクから金を盗むものはもちろんなく、売れた商品の代金が一銭の間違いもなくいつもぴたりと合ったという。今でも、山形の山村には、リンゴやキノコの無人販売所が所々にあるが、こんな商いが成り立つのもこの時代からの伝統であろう。

アメリカのケネディ駐日大使が、きょうこの祭りを見に米沢市を訪れる。故ケネディ大統領は、藩政改革の名君上杉鷹山をリスペクトし、演説でしばしば鷹山に言及している。自助、互助、扶助の三助で藩政の危機を救った鷹山の思想に共感したケネディ大統領は、有名な就任演説で

国家があなた方に何をしてくれるかを求めるのではなく
あなた方が国家に対して何ができるかを自問して欲しい

という有名な言葉を述べた。ケネディ大使は、「なせばなる秋まつり」で父の尊敬した鷹山の行跡に触れ、どんなことを感じるのだろうか。

もう一つの催しは、明日山形市で開かれる「山形岳風会60周年記念誌吟まつり」である。詩吟まつりのメインは構成吟「最上川流域の歌人・賢人」だが、その冒頭で上杉鷹山が取り上げられる。処世訓とも言うべき、鷹山の歌が吟じられる。吟者は安食翔岳氏である。最上川の流域に生きて、己の意思を貫き、米沢藩に生きる人々の範を示した鷹山は、現代に生きる世界中人々の範であるとも言える。明日の詩吟まつりの成功を祈りながら、鷹山の行跡の思いを馳せる。


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どすぶんど(ノブドウ)

2014年09月26日 | 日記


道端の薮に気になる実がなっている。ノブドウのことだが、こちらの方言で「どすぶんど」という。ぶんどはぶどうのことだから、食べられないぶどうという意味かもしれない。近づいてよく見ると、その複雑な色に驚く。柿の葉の紅葉、ザクロの実もだが、気温が下がって種ができるころ、自然がつくりだす色の神秘に思わず足をとめる。カメラに収めると、光があたった部分に光沢がある。

野葡萄のむらさきあはきおもひかな 鳥谷 征良

ノブドウは食べられないが、焼酎漬けにして抽出されるエキスは肝臓病や糖尿病の民間薬として利用されてきた。道端に雑草にように生えるブドウ科の植物であるが、人はそれを利用する方法を伝承してきた。サルノコシカケが癌によいという民間薬も、医学の上でその成分が有効であることが証明されたりもしている。


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紫式部

2014年09月25日 | 万葉集


紫の色は奥ゆかしい。秋のキノコには紫シメジなどおいしいものがあるが、木の実で紫の実をつけるのは珍しい。この実に平安朝の紫式部の名をつけたのは、いかにも日本古来の伝統に根付いたものであると言えよう。紫草というものがある。古代ではこの草を栽培し、根を乾燥させて薬用にしたり、染料に用いた。紫の衣服を着用することは貴人であることの証でもあった。

あかねさす 紫野行き 標目行き 野守は見ずや 君が袖振る 額田王

紫野には、この大切な紫草が栽培されていた。そのために関係のない他人が入らないように標紐を張った。それが標目である。他人や動物の侵入を見張る番人である野守が目を光らせている。

この歌は標目がキーワードになっている。人妻である私に袖を振ったりして、野守も咎めて見ているわよ、と注意している。標目は、私が人妻であるので、気を寄せてはいけないという禁止と紫草の畑で入ってはいけないとの二つの意味がかけられている。

額田王の歌に返したのは、夫の天武天皇であった。

紫野の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆゑに 我れ恋ひめやも 天武天皇

こんなユーモラスで恋の掛け合いを歌ったのは、初期万葉の特徴である。その歌のなかで、紫の色が持つ意味は、大きなものがあった。


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