常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

二月尽く

2015年02月27日 | 日記


昨年収穫時にとっておいたヤーコンの芽が伸びてきた。冬の乾燥時に芽を枯らして、止むを得ずに市販の苗を買って植えたが、今年は収穫時の芽をつかうことができそうだ。12月に大根を収穫してから畑の様子を見に行っていないが、2月も末になるとそろそろ畑仕事が頭をよぎる。

二月尽くかがやかざりし一日もて 綾部 仁喜

畑の雪はすっかりとけたようだ。そこかしこにフキノトウも顔を出したかもしれない。天候が回復すれば外へ出かけよう。とりあえず明日は、瀧山へ登る。雪嶺も少しづつその形を変えていく。
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唱歌 三才女(2)

2015年02月26日 | 介護


三才女の3番に登場するのは、伊勢大輔である。大輔は代々歌詠みの家に生まれ、見込まれて藤原道長の娘で、一条天皇の中宮彰子に仕えることになった。大輔がどのような歌を詠むのかと、道長をはじめ、人々の注目を集めていた。

 きさいの宮の仰言 御声のもとに 古の
 奈良の都の八重桜
 今日九重ににほひぬと
 つかうまつりし 言の葉は
 花は千歳も 散らざらん

大輔が宮に仕えて間もないころ、ある人が中宮の御前に八重桜の枝を献上した。そこには、たまたま道長公も居合わせていた。道長公は硯と紙を差し出し、「この花を見て歌詠め」仰せられた。

いにしへの 奈良の都の八重桜 けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔

大輔は、あわてる様子もなく、硯に墨をすり、さらさらとこの歌をよどむことなく書いて差し出した。八重に続けて九重としたのは、宮中をめでるみごとな歌になった。「宮中鼓動す」とものの本に、居合わせた人々の感動の様子を伝えている。


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唱歌 三才女

2015年02月25日 | 日記


明治43年に発表された文部省唱歌にはいまなお歌われているものも少なくない。「春が来た」や「虫の声」、そして、頭を雲の上に出しで始まる「富士の山」は、何かのおりに口をついて出てくるメロディだ。「三才女」はもうそれほどでないが、この唱歌が『百人一首』の女流歌人のエピソードを詠みこんでいるので懐かしい。作詞は国文学者で名高い芳賀矢一によるものである。

二番の歌詞は小式部内侍、かの和泉式部の娘の歌が取り上げられている。

みすのうちより宮人の
 袖引止めて 大江山
   いく野の道の遠ければ
   ふみ見ずといいし 言の葉は
 天の橋立末かけて
   後の世永く くちざらん

歌のもとになる小式部内侍の和歌は

大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立

である。この和歌は母が夫の任国である丹後に下っているとき、都で歌合せの催しが開かれ、小式部内侍も歌よみに加わる栄誉を賜った。小式部の局の前を通りかかた藤原定頼が、内侍をからかって、「歌の用意はできたかね。丹後へやった使いはまだ帰って来ないかね」と。出詠する歌を母の和泉式部に代作を頼んだのだろうと、失礼な言葉を吐いたのだ。

御簾のうちから、定頼の袖を引きとめて、和歌で応えたのが「大江山」の一首である。ふみには
踏むと文がかけてある。表面の意味では、遠くてまだ行ったことはないといいながら、文であなたがおっしゃる丹後からの手紙はまだ見ていないと言っている。即興でこれだけの和歌が詠める小式部であるなら、母の手を借りる必要もない。定頼はその場をこそこそと逃げ出すほかはなかった。


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蔵王山と茂吉

2015年02月24日 | 斉藤茂吉


昭和25年に、毎日新聞社が主催して、新日本観光地百選がはがきによる人気投票で実施された。この試みは、日本の人気観光地を選定して、外国人観光客の呼び込みを目標としたものであったが、戦後の復興期に、日本人に観光へ目を向かせる効果をもたらした。各観光地の自治体や関係者が競って応募したため、投票総数は7,750万通に及んだ。山岳や温泉など10部門の10位まで、計100を投票数の多い順に選んだ。その山岳の部で、山岳の部で蔵王山が一位になった。

毎日、この蔵王山に見守られて育った斉藤茂吉は、この選定をことのほか喜んだ。すぐに、「蔵王山」と題する2首を新聞紙上に発表した。

萬国の人来り見よ雲晴るる蔵王の山のその全けきを

とどろける火はをさまりてみちのくの蔵王の山はさやに聳ゆる

この年茂吉は69歳であった。兄の守谷富太郎が北海道北見で亡くなり、自身も箱根の別荘で、心臓喘息の兆しが現れている。すでに死を間近にしていた時期であったが、蔵王山が観光百選で一位になったことを喜び、童顔をほころばせ、自分のことのように喜こんで、この歌を詠んだ。病は次第に茂吉の身体を蝕んでいたが、なお作家への意欲を失わずにいたのである。


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春一番

2015年02月23日 | 日記


昨日、北陸、四国、中国地方で春一番が吹いたと報道された。日本海にある低気圧へ、南からの暖かい風が吹き込み、富山市では18.5℃の4月下旬なみの気温になり、風が強まって17mを観測し
気象庁が春一番が吹いたと発表した。北国で春を待つ身には、春一番は待ち遠しいような感じを抱くが、海で生きる漁師たちには恐れられている風だ。春一番が脊梁山脈を越えると、フェーン現象を起こして山火事の原因になったり、雪崩の原因にもなるので登山家にとっても注意が必要だ。

春先の海難事故は、ほとんどがこの春一番が原因であるらしい。瀬戸内海や壱岐の島の漁民にとっては、日常語として使われてきた。彼らがこの言葉を使うとき、この風には命をも奪いかねない怖さの意味がこめられている。俳句の季語に「春一番」があることから、俳人がこの言葉を広めたと言ってもいいのかもしれない。

磯の鵜や春一番の波しぶき 車谷  弘

春一番には、固まっていた冬型の気候の形状を、吹き飛ばしてしまう力強さがある。この激しく災害さえももたらす風が吹きぬけなくては春は来ない。


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