常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

慈雨

2018年06月30日 | 日記


最近の気候は極端に荒々しい。列島を等しく潤すような雨でなく、集中豪雨、極端な乾燥と少雨、異常に高い気温。北海道が日本中で一番高い気温を記録するのも珍しいことではなくなった。昨日はこの山形で37.6℃、日本で一番の気温を記録した。何もしなくても汗が流れ落ちる。もっとも、日本の最高気温の記録は40.3℃山形が長く保持していたが、近年になって熊谷や多治見にその座を譲った。

昨日、夕方になって雷と強い雨が一時間ほど降った。突風もなかったので、雨は慈雨の部類といえる。朝のアジサイが心なし雨を喜んでいるような風情だ。まだ畑の様子を見に行っていないが、多分野菜たちも一安心というところだろう。デスクトップのパソコンが、ハードデスクがいっぱいのせいか、重くなった。パソコン屋さんに頼んで、ノートパソコンの中古を買った。どの作業も驚くほど速くて快適。もっと早くに替えるべきであったのかも知れない。

仕事を離れてパソコンはブログを書くのと、ネットショッピングぐらいしか使っていないが、これだけ快適だともっと利用してもよさそうだ。昨夜、アベマTVを見たら、偶然、藤井7段の竜王戦決勝トーナメントが放送されていた。増田6段の厳しい攻めに屈し、2回戦敗退となった。高校生になってから初めての敗戦である。今日、山友会の登山講習会。新しいパソコンの活躍の場がある。

杜甫の『春夜喜雨』。雨は降りすぎて、災害をおこすが、春から夏、なかんづく植物には必要である。

暁に紅の湿える処を見れば
花は錦官城に重からん

錦官城は成都の街。そこには重たいほど水分を蓄えて、しっとりと濡れて咲いている。今日見たアジサイは、重たいと形容できるほどではない。
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朝の時間

2018年06月29日 | 日記


天気予報では、今日気温が34℃まで上がるとのことだ。昨日は湿度が高く、虎が雨とはならなかった。しかし、蒸し暑く気力が減退して体がだるく思ったことができないでいた。早く寝たせいもあるが、4時に目を覚まし、朝の気温がそこまで高くならないうちに、今日すること終えることを考えた。まず、体を動かすこと。久しぶりに千歳山に登った。早朝でも、この山に登るのを日課にしている人が多いらしく、10人を超える人と山中で出会った。朝の挨拶に続いて出る言葉が、「暑いですね」。下山するまでの小一時間、何度この声を聞いたか、数えきれない。朝の6時前という時間帯で、もう気温が上がっているようだ。

次に畑に行って収穫と水やり。今日はズッキーニ5本、キュウリ3本、玉ねぎビニール袋2個、トマト5個、シュンギクビニール袋1個。雨が少なく、収穫は思ったより少ない。初もののトマトは入院している妻へ、ズッキーニ、玉ねぎ、バジルは子供たちへ宅急便。ギッシング『ヘンリ・ライクロフトの私記』を拾い読み。ふと、地中海の日の出の記憶が書かれているのに目が止まった。

 旅行中はしばしば日の出を私は見た。いつも、自然のほかの景色から受ける感激とは全くちがった感激を味わったものだった。地中海上の夜明けを私は覚えている。島影が、刻々と変わる淡い光の色彩を帯びて次第に輝きをまし、やがて燦爛たる海上にぽっかり浮き上がるのだった。そして山脈には、あの高く秀でた山頂は、一瞬冷たい青白色に輝いたと思うとつぎの瞬間には、バラ色の指もてる暁の女神にふれられて柔らかい光を発して輝きわたった。

こんなページが限りなく愛おしい。気温が上がれば上がるほど、朝の時間は貴重だ。このひと月、ほとんど5時前に起床している。炊事も掃除も、散歩に畑仕事、早朝でなければできないことが多い。
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虎が雨

2018年06月28日 | 日記


昨日、空梅雨に涙雨のような雨になったが、今日は風が少し強いものの多い雨は期待できそうにない。「虎が雨」というこの頃では、知っている人は誰もいないような俳句の季語がある。何でも、かって大磯にいた虎御前という遊女の涙雨を言うらしい。この遊女なぜ涙雨を流したか。虎御前は曽我兄弟の兄の方、十郎祐成の愛人であった。

建久4年5月28日(太陽暦では6月28日頃)、曽我兄弟は富士の巻狩りに出かけ、父の仇である工藤祐経を討った。仇討ちで有名な話だ。討ったのは弟の五郎時致で、兄十郎は護衛の新田忠常に返り討ちにあって死ぬ。また弟の五郎も、その場で捕らえられ殺された。この出来事を聞いた虎御前が涙を流して泣いた。その涙が、この日の雨になったという。以来、この日は雨が必ず降る日と言われた。

虎が雨あめつち狂ふごとく降る 草村 素子

こんな歌舞伎の演題になったテーマだが、それも忘れられて、阪神ファンがみすみす負けて、トラキチたちが流す涙を虎が雨だという俗説もある。果たして今日の28日、雨の足りないこの地方は虎が雨となるだろうか。
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紫陽花

2018年06月27日 | 日記


何日ぶりの雨だろう。あまりの乾燥に、この時期に咲く紫陽花に異変が起こっている、というニュースまで流れた。小雨の降る中、紫陽花を探しに出かけてみた。なるほど、紫陽花の樹そのものが小さい。そのために、花も小さく縮こまっている。公園の日陰に、少しまとまった花を見かけた。雨を受けて、幾分元気を取り戻しているように見える。

あぢさゐの八重咲くやつよにいませ我が兄子みつつしぬばむ 万葉集巻20

万葉集に見える紫陽花を詠んだ歌である。紫陽花が集まって咲く様子は、その家の繁栄と重ね合わせて愛でられた。こんな古い時代からこの花は日本人に愛されてきた。山野に自生するガクアジサイが、変化して毬のような形に咲く。今年は出塩の紫陽花もまだ見に行っていないが、花は寂しいらしい。
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黄昏

2018年06月26日 | 日記


日が長いのは確かだが、この時間になるのが、滅法早く感じるのは何故だろうが。日が落ちて、ようやく熱気が去っていく時分、もう少し外の空気を吸っていたい気持ちよくわかる。黄昏と書いて「たそがれ」と読むが、もともと「誰ぞ彼は」のことで、うす暗くなって人の顔が見分けにくいころを、「たそがれ」と言うようになった。源氏物語にも「夕風のどかに、あはれなるたそがれなるに」という表記もある。もうその頃からこの言葉使われていたのだろう。

上田敏の訳詩集にロオデンバッハの「黄昏」がある。

夕暮れがたのしめやかさ。
かはたれ刻はしめやかに、物静かなる死の如く。
朧おばろの物影のやをら浸み入り広ごるに、
まづ天井の薄明かり、光は消えて日も暮れぬ

暑さに馴れない体が、どこかけだるく、一日の終りをやるせなく感じさせる。
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