梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

椿の実とお袋の話

2020-07-30 14:02:47 | 雑記
今年の梅雨は長い、太陽をどの位見ていないだろうか
今年はあまり紫陽花を見なかった気がするが気のせいかもしれない
玄関前に焼き物の50~60cm位の高さの壷があってその中に小さな椿が植えてある
花の時期には気が付かなかったふと気が付いたら過多そうな実を幾つかつけていた

艶のある硬い葉の中にしっかりと育っていた



子供の頃此の実を剥いて中の黒い種を出して石にこすりつけて中の白い部分をくりぬいてからにしたもので笛を作って遊んだことがある
家には椿油と言うのかあってこれはお袋が長い髪に擦り込んでいた
洗い髪に風を入れて乾かすと櫛に塗って扱くように梳いていた髪は腰の下まであって46歳で亡くなったので最後まで艶のある黒だった
疎開先の親父の田舎で貧乏暮らしを裁縫で支えていたので一番覚えているのは裸電球の下で針仕事をしている背中のシルエットだった
生まれ育ちは上州の伊勢崎で結構裕福な家だったらしく女学校に行っていたらしい、クリスチャンだったのでミッション系なんだろう、
同級生の「トミエ」ちゃんとの話を小学校にもいかない私に針仕事の手を止めずに話してくれていたが今考えれば自分に話しかけていたのだろう
遠く静岡の山奥で軍需工場の職工だった親父は田畑を持たない三男坊で借りた僅かな畑で自家製の野菜と麦を育て炭焼きをし、樵をして僅かな収入を得ていた
お袋は嫁入り修行に身に着けた和裁の腕が良く村の娘達の浴衣や訪問着を仕立てて家計を支えていたらしい、
しかし幼い私に毎日のように昔の話をしていた、その頃の生活は今覚えている内容からすると現生活と葉雲泥の差があったのだろうが愚痴を聞いた事はなかった気がする
そんな故郷へ下の姉が中卒で就職した紡績で職業病の様な肺結核を患って僅か2年で家に戻った頃初めて伊勢崎に里帰りをした事がある
多分昭和33年位だっただろう、敗戦前から伊勢崎には戻っていなかったはずだから恐らく15~16年位だったと思うが初めて帰った故郷でどんな話をして来たかほとんど語らないまま
その翌年には肺に転移した癌で死んでしまった、
「利根川の河原にはね、月見草がいっぱい咲いて、夕方見ていると捻じれた蕾がズッズッとほどけてきてね、ポンッて音がして開くんだよ」と針仕事の手を止めず話していた事を思い出す
「春名の麓には白い土蔵があってね、夕日が当たると赤く光って見えるんだよ」と言う景色はまるで自分が見た様な思い出になっていたが結局私はお袋の故郷には行くことも無く他界してしまったのでお袋の故郷はどこにあったのかすら知らない
私は生まれた村を離れて57年、既に故郷は他国になったがお袋にとっての故郷はどうだったのだろうか、

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