梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

飲み始めて50年にもなった

2020-04-09 11:16:45 | お酒
ウィスキーが無くなったのでYAMAYAに寄って来る、
酒蔵替わりのホワイトボードに何種類か無いと寂しくなる、
ワイン・ブランディー・焼酎・ウィスキーとジンかラムがある
飲み方はその日によって変わるが今は大抵湯割りである、
YAMAYAが特売していたスコッチが無くなったので今度は地ウィスキーを探す
値段も安いので毎回新しい奴を買う、今回は山梨のものだった
37度なので昔の基準なら二級と言う所か、
下の棚に髭のブラックニッカがある、価格は千円だが今回はパス
考えてみたらこのウィスキーは恐らく50年以上飲んでいない、
昭和38年日立製作所の臨時工員として上京し江戸川区上一色町と言う所の借り上げアパートの寮に住んだ、
6畳と小さなお勝手の付いた部屋が中廊下を挟んで両側に10部屋、
突き抜けた所がトイレと流しになっている
アパートを入った所に娯楽室と言うなまえで12畳の部屋あがあった、
未だモノクロのテレビが置いてある以外は只の和室だがテレビのある部屋などある訳もない時代で仕事を終えると隣の銭湯から帰ると三々五々と集まってテレビを見る、
給料日の後はみんなで金を出し合って摘みとウィスキーを買ってきてワイワイとやった、
酒は一番安い「サントリーレッド」か「ホワイトニッカ」で摘みはピーナッツとスルメだが火が無いのでそのままである、
水割りと言う飲み方がなくハイボールかストレートだった、
この2つは500円、更に安い「トリス」があって350円だったが内容量が違うので結局こっちの方が安かった、
(因みにケネディー大統領の暗殺事件はこの娯楽室で見ていた、)
そのうえがサントリーホワイト、次は角だったがその内オールドとカスタムサントリーが出た、
22~23歳ころ仕事を変えて大田区に住みだしたころ外にのみに行くようになると若い財布で行くところは「コンパ」と言う形式のところだった
本来はカクテルバーの普及版の様なところで女の子を誘ってゆくのに適していた
その前は飲み屋か料亭か焼き鳥屋位しかなく女の子と行くとしたらお好み焼屋でビールが定番だった、
コンパではしゃれたカクテルがあって女の子は甘いロングカクテルや見た目の良いショートカクテルで自分たちはロックで「ダブルで」とか気取っていたのがその内キープボトルが出てきてこれに移ると女の子たちも水割りで飲むようになった、
その時のボトルはオールドや角もあったのだがホワイトが財布にあっていた、
あれから既に50年近く経つ、ボトルはオールドになり、家のみは面白半分に色んなものを買う、
輸入ウィスキーの税制がかわり高値の花だったジョニ赤もジョニ黒もずいぶん下がって中にはオールドより安くなってきた
シーバースリーガルもピンチも飲んでみた、スコッチの有名どころは一通り飲んでみて
バーボンに行って、ブランディからリキュールを渡り歩いて結局(アルコールであればなんでも良い)と言う所にたどり着いて今は地ウイスキーをあさっている
コンセプトは兎に角「安い」と言う基準でかつ聞いた事の無い奴である
「此奴はいけるぞ」と思っても次々と買うので再度買う事はあまりない、
そろそろ強い度数のものがきつく成ってきた、が元々低い度数の酒は面白くない
かみさんに「本当に面倒は人ね」と言われながら楽しんでいる

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