梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

テロと愛国心

2015-11-20 10:08:48 | 雑記
外のメディアで自爆テロを「kamikaze」と言うと言う記事を見た、大戦末期に日本が行った神風特攻の事からそう呼ばれると言う、フランス読みは「カミカズ」だそうだ、
特攻から生還した人達のコメントが載っていたが「テロと同じ行為と言われるのは納得できない」と言う、「あくまで戦闘行為でお国の為になるなら」と思っていたと言うが、「命令する連中は死なない、死ぬのは下っ端だ、自爆テロも考えた連中が自爆するわけではない」、と言うコメントもついて居た。
しかし宗教的には自爆テロは崇高な行為だと言うので若干違うかもしれないがそれを考えている連中はおそらくその宗教的考え方を織り込み済みなんだろうと思う、
シリア難民の事も含めてSISのテロは国家と言う単位ではなさそうなので「愛国心」と言うのとは少々違うかもしれないが国を宗教単位で考えれば同じ様な心情なんではないだろうか、
しかし、「愛国心」と言う言葉の額面通りに解釈すれば「自国及び自国民を愛する」と言う事であり、「他国及び他国民を憎む」と言う事では無い
「愛国心」と言うものはある程度人が生きてゆく為の自己確立性の上で大事な事ではないだろうか、自分が何人でその文化はどう言う歴史的な経緯があって現在があると言う事を理解し、それに立脚して生きて行くのは国際的にも単純に人間文化的にも重要なファクタだと思う、自尊心と言うものは生きて行くときの自信と同時に冒せないプライドと言うものを植え付けるはずだ、日本的に言えば「日本人としての恥」だろう、まあ現在ではほぼ「死語」で恥は「人が持っている物を持っていない」と言った世俗的な事だけになってしまっている様だ、
卑怯な行いが恥であると言う言葉を理解する前に「卑怯」と言う言葉の意味すら理解していない、「個人がみんなの為に、みんなが個人の為に」とか多くを持つ者は持たない者に喜捨すると言う様な事が出来ない世の中になってしまったのはいつ頃からか、
元に戻す、他の国を憎み、卑下し侮辱し、挙句の果ては暴力をふるうと言う事は自国を愛し自国民とその文化を愛すると言う事とは全く違う、これを「帰属国家のアイデンティティだ」としたら国の数だけ戦争が起きる事は自明の理だろう、
日本が明治維新以来「攘夷」と称していた排外的な思想は実際は政治的な手段として使われていた事は「攘夷派」が主立っていたはずの明治政府は即日開国した(江戸幕府が開国した事は解っています)
他国民を貶めて国をまとめるのは今に始まった事では無いがそれは「劣等感の裏返し」だと言う事、為政者にとっては政策の不満から目をそらすのに都合がよかったと言う事に他ならない、
国を個人に置き換えて見れば自分が一番すぐれていると総ての人達が言いつのっていたらまとまる訳もない、互いの違いは姿形だけでなく育った場所も気候も違う、
育ち方も文化事象も違う男女が家庭を築いてゆくには互いが「自分の方が偉い」と言い合っていたら早晩離婚になるだろう、大概は内心そう思っていても態度には出さないものだ、そうして長年暮らしていけばそんな事はどうでもよくなる、


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