梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

脱脂粉乳と昭和初期の給食と食物アレルギー

2016-06-30 08:45:51 | 雑記
神奈川県で給食による集団アレルギーが起きた、脱脂粉乳を使ったコロッケによる乳製品アレルギーだそうだ、何校に渡ってか解らなかったが17人が発症したが軽度だったらしいが何人かは入院騒ぎになったらしい、
ニュースを見ながら「私達の頃こんなにアレルギーってあったかしら」と言う話になった
確かに皮膚アレルギー的な子供は結構いたが一絡げで「おでき」と言っていたが今の子供達のアレルギー症状とは違っていた、膿をもって瘡蓋になり、たいした治療もしないが何時か治っていると言う症状で裕福な家庭の子供にはあまり見られず生活が苦しい家庭の子供に多かったので栄養不良のせいか、免疫不良だったのか不衛生の結果だったのだろう、
現在のアレルギー皮膚炎は赤くなって痒く、体全体に発症するが膿は出ない様だ、しかしこう言う症状は我々の頃はあまり見掛けなかった気がする、神経質すぎるからと言う意見もあるが自分は山中の村で確かに野草をおやつに育った子供だが女房は渋谷の大橋生まれ育ちだがやはり「そんな話は記憶が無い」と言って居たので特に野性児だったせいではないだろう、
恐らく私達世代が給食開始の子供になるだろう、昭和29年に小学校に入学した時は未だ給食はなく3年生だから32年か、完全給食では無く主食は各自持って来ておかずとこの「脱脂粉乳」が出された、しかし農村だから殆どの子供は搾りたての生乳を飲んでいたのでこの脱脂粉乳には本当に往生した、とても飲める代物では無いのも当然で後で聞いたらバターや生クリームを摂る為に乳脂肪を取った後の粕なのだ、豆腐を作った後の「おから」である、敗戦後の食糧難で子供の成長に必要だとアメリカから供給を受けて居たらしいが栄養価で言えば殆ど粕で有る、そして何より不味い、捨てる事は先生が見ているので出来ない、鼻をつまんで一気飲みをしていた、
しかしそれでもそれでアレルギーが起きたと言う話は聞いた事も無い、先日TV番組で神経質とがさつと言う番組を見たが中には電車のつり革やドアに触れられないので常に手袋をしている、一回毎にうらがえして捨てる、家族とでも同じ風呂に入れないから家族人数のバスを置いた、と言う様な話をしていたが此れが本当なら心理的アレルギー反応だと言えるのだろうな、人間は精神的なストレスが外患として表れる事は知られている、そう言う考え方で行けばアレルギーは親に過剰反応が有ると精神的ストレスとして子供に発症する可能性は有るが今回の様に認識していないのに発症しているのはやはり「アレルギー症状」と言うのかもしれないが僅か半世紀程度で人間の耐容と言う物がそんなに変わってしまうのだろうか、だとしたら人間は此れからもっと自然に対してひ弱になって仕舞うのだろうか、若しかしたら日本だけの話かもしれないが先進国にもあるなら文明病なのかもしれない、日本でも貧困家庭では食物アレルギーなんて言ってる場合では無いんだろうからな