梟の独り言

色々考える、しかし直ぐ忘れてしまう、書き留めておくには重過ぎる、徒然に思い付きを書いて置こうとはじめる

梔子

2016-06-10 08:30:30 | 雑記
出勤途中、歩道の植え込みに梔子の蕾を見つけた、未だ開化には少し時間がかかりそうな瑞々しい緑の濡れた葉と同じ色の蕾だがもう6月初旬を終えようとしているので少々遅い、

今年は梅雨らしい天候になった、此処数年は陽性で晴れが続いたかと思ったら土砂降りと言う梅雨だったが今年は入梅したらしいと言うニュースの後はずっとぐずぐずしている、此の時分の花と言えば紫陽花だが梔子はもう少し早かった筈だが、
子供の頃未だTVが無く夜は茶箪笥の上にあった真空管ラジオが娯楽だった頃、両親が聞いていた中にラジオ寄席と言う番組が有った、誰の話しか覚えている訳も無いがご隠居の処に熊さんだったか八つあんだったかが俳句を教えて貰いに行ってこの梔子を出されて「梔子や鼻から下は直ぐに顎」と言うのを思い出す、
隣家の茶部屋脇に小さな梔子が有ったがこの落語の後お袋が「此れがそうだよ」と教えてくれたのはオレンジ色の袋状の実が付いた時期だったので「良い匂いだ」と言われてもその時は解らなかった、実際に梔子の花の匂いに気が付いたのは東京に来てかなり経った頃だった、
今の事務所近くの路上にある梔子は八重の大きな花を咲かせる、八重の花は結実しないのであの実は見られない、八重の花は雄蕊が花弁に変化したものなので実はつかないらしい、大田道灌の故事にでてくるのも八重山吹なので「七重八重花は咲けども」実を付けないと言う事を理屈はどうあれ古人も知っていた訳だ。
ラジオ番組に「土曜の夜の贈り物」と言う放送があり「二十の扉」と「とんち教室」が両親のお気に入りで夕方の五時頃放送されていた「皆の歌」(少し違うかもしれない)と言うのが有って此れが六歳上の姉が好きだった、「今月の歌」と言うコーナーで毎月新しい歌を一曲丁寧に流すと言う放送番組で多分中学生だった姉が此処で歌を覚えて居たので自分も幾つか覚えた、確か中曽根美紀の「川は流れる」も此処で覚えた、「山から町に来た娘」と言うのが有って歌詞の「山から町に来た娘、黙っていても直ぐ分る、空を見て居る横顔がほら陽の匂い」と言う歌詞だけだが覚えて居る、
此の少し後にラジオドラマが有って此処で前に書いた「緑のコタン」を聞いていたがそれ以外が思い出せない、
剥き出しの梁に二股ソケットを付けて40Wの裸電球を付けてコンセントソケットから茶箪笥の上のラジオにつなげ薄暗い畳の上で何をしていたのだろう、親父の背中は裸電球のシルエットで向かい側にお袋が座っていた筈だが流石に60年も経つと朧気になっている、
貧しかったが取り立てて不幸だと思って居なかった気がするが16の頃
「私は金持ちに成りたいのではありません、私は強くなりたいのではありません、只幸せになりたいのです」と日記に書いているので本当は不幸だと思っていたのかもしれない、