『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[雑誌『諸君!』休刊だそうだ]

2009-04-30 23:28:16 | 保守の一考
☆保守派の雑誌『諸君!』が、明日発売の6月号で休刊だそうだ。

 寂しい限りだ・・・。

 私も、かつて、「保守的思想」に、時代(次代)の流れを見ていたものだ。

 でも、私は、もはや、保守運動なんてものは、<新しい歴史教科書をつくる会>の「最終内紛」で終了したと思っている。

 あの「事件」で、多くの人間の「やる気」が消滅したと思う。

 その後の「残滓」が虚勢を張って、どんなに頑張ったとても、私一人の力にも、けして勝てないと断言できる。

 最終的には、ちゃんとした言葉であり、文章なのである。

 それに尽きる。

   ◇

 ・・・左翼の嘘を糾弾していたはずの保守にも、それに倍する「大嘘つき」がいた。

 つまり、戦後民主主義と言うものは、保守を名乗る大御所の精神構造にも、どうしようもなく巣食っていたのである。

 そんなクズに、反省も贖罪も禊もさせず、頭数を揃えるために召集するような「保守派」コミューンは、遅かれ早かれ、終了する運命にあったのだろう。

 まあ、最終号は買わせて頂きますよ・・・。

 これからは、私みたいな人間に任せたまえ。

 私一人でも、ピラミッドは徐々に積み上がる。

 烏合の衆はいらない、

 無能な人間もいらない、

 経験のない人間だけはいらない、

 自立した人間のみの言動が、世界を穿てる。

                          (2009/04/30)
コメント

[映画『スラムドッグ$ミリオネア』を観た]

2009-04-29 11:36:38 | 物語の感想
☆・・・あああ、これは素晴らしい作品であった^^;

 私は、アカデミー賞なんてのは、『オーストラリア』(←これはこれで楽しい^^)みたいな「お祭り作品」に与えられるものとばかり考えていたのだが、この作品は、主人公がTV番組『ミリオネア』と言う番組に出演し、何億円と言う賞金を得る勝負の構造にインド国民が熱狂するというスケールの大きな「お祭り」がありつつも、翻ってミクロな視点においてもきっちりと撮られている超傑作であった。

 ・・・と、こうして、一文で、この作品を語ってしまうのはきつい。

 この作品は、そんなもんじゃない。

 私は、あらゆる表現を考えるとき、常に「全体作品」と言う、この世のあらゆる事象を包括したものを至高と考える。

 この作品は、インドの全体を包括し得、また、その普遍的なテーマ<真摯な思い>において、全世界を表現できていると思うのだ。

 物語は、インドのスラムで育った、学のない主人公・ジャマールが、ミリオネアで難問を着実にクリアーしていき、生放送ゆえに、最終問題の前に翌日に持ち越しになる。

「そんなはずはない」と、詐欺行為を疑った主催者によって警察に引き渡され、過酷な尋問の様子から始まる。

 警部や尋問官には、圧倒的な先入観がある。

 この無学な育ちの悪い野郎が、数々の難しい問題を解けるはずがない!

   ◇

 彼には、奇跡的なめぐり合わせの数々があり、それらの問題の答えを偶然にも知っていた。

 捜査官から、殴られ、吊るされ、電気ショックを与えられ、朦朧とした意識の中、ジャマールは、過去を思い出していくのだ。

 この辺りの、その作り手のモンタージュ手法に、観ている者は、最初、すんなりとついて行きにくいのだが、それが、この作品の過去現在を行き交う迷宮的なマジック(by キューブリック)効果を生んでいる。

 『ミリオネア』の各難題があり、ジャマールは、それまでの半生を省みる。

 更に、それは、付随して、多くのキーワードで、あたかも現在のインドの持つ、表に表れない細やかな歴史を語ってくれる。

 ・・・優しい母さん、兄貴サリーム、国民的スター、肥溜め、小銭、厳しい教師、三銃士、衣服の色鮮やかな洗濯場、民族紛争、逃走、クリシュナ神、暴力、豪雨、孤児、少女ラティカ、スラム、逃走、ゴミ拾い、コカ・コーラ、偽善者ママン、お代わり、集団おもらい、赤ちゃん、唐辛子、悪魔ママン、目潰し、スプーン、逃走、列車、売り子、無賃乗車、タージ・マハル、靴泥棒、ポラロイド、ガイド、暴力、100㌦紙幣、ボンベイ、ムンバイ、盲目の少年、ベンジャミン・フランクリン、踊り子ラティカ、処女、銃、銃殺、廃ホテル、再会、ギャング集団、別離、ラティカの視線、お茶汲み、電話局、ミリオネア、通話、建設中のビル、兄との再会、兄の行状、組長の家、女ラティカ、サンドイッチ、クリケット、駅、ラティカの自由への微笑、頬に傷、不在の家、絶望、…そして、ミリオネアへのささやかな希望。

 ジャマールは、『ミリオネア』出演によって、「俺はここにいるよ」とラティカに伝えたいだけなのだ。

 ダニー・ボイルと言うのは、凄まじい監督だ。

 これらを圧倒的な絵と、スタイリッシュかつスピーディーな演出で見せてくれる、魅せてくれる。

 勝負としての『ミリオネア』も忘れておらず、3つのライフラインの使い方も、その、一癖も二癖もある司会者との駆け引きとともに、実に面白い。

 再会のたびに、ラティカは、「好きだ」「愛してる」と言うジャマールに聞く。

「で、その後は?」

 「その後」とは、こうして仲良くお喋りして、で、その後にすべきことは? でもあり、でもなくて、あなたの「愛してる」の言葉の後には甲斐性はあるの? という意味である。

 しかし、最終的に、ラティカは、『ミリオネア』でのジャマールの奮戦を見て、その結果などはどうでも良く、彼の元に走る。

   ◇

 エンドロールのバックに流れるカーテンコールのダンスが能天気で素晴らしい。

 幼少時の、ジャマールとラティカが、指導されてなくて、自由気ままに奔放に体を動かしているのもいい。

   ◇

 私は、インドこそ行ったことはないが、やや似てる雰囲気を持つカンボジアには詳しく、スラムや物乞い集団の実情にも、多少は免疫がある。

 ・・・この作品の唯一の欠点は、ママンに目を潰された少年は、歌う物乞いになり、後にジャマールと再会するのだが、

 目が見えないので、ジャマールの顔をまさぐり、「ジャマールだね? 出世したね」と言うシーンだ。

 目の見えない人物が、手探りで、対象を言い当てるのは感動的なシーンだが、

 この少年が目を潰されるのは、ジャマールらが、ママンのもとから脱走する直前だから、手探りでジャマールを言い当てる時間経過的な下地はないのである。

 ・・・おっと、それから、一度目にジャマールがラティカと再会したとき、ラティカはまだ「処女」だったのだが、私は、「ママン、良心を守ってやがるぜ^^」と思いました。

 でも、だからこそ、その後の、廃ホテルからジャマールが追い出されるくだりが、非常に悔しい。

   ◇

 少女時代のラティカを演じた娘が可愛い。

     

 私は、あんな小汚い服をまといつつも、どうしようもない美しさを無自覚に持っている「少女」と言う存在に、ただひたすらにコンプレックスを持たずにはいられない。

 うん、映画『バロン』のサラ・ポリーもそうだった・・・。

 少女は、人類の宝^^

                              (2009/04/29)
コメント (4)   トラックバック (106)

[映画『グラン・トリノ』を観た]

2009-04-26 15:09:20 | 物語の感想
☆小粒の作品ではあるが、完成度は高く、故に、私が語ることは少ないぞ。

 初っ端のタイトルクレジットから、ブルージーっちゅうか、ジャズった曲が流れ、一気に世界に引き込まれる。

 かつて朝鮮戦争を経験した元軍人のウォルト(クリント・イーストウッド)は、退役後の自動車工も退職し、妻にも先立たれ、生来の頑固さで子供や近所の住人とも疎遠に暮らしていた。

 町は、片田舎と言えども、多民族国家アメリカに相応しく、黒人やらメキシカン、東南アジア系の人々らが定住し、それらの各集団のワルどもも幅を利かせている。

 そんな中で、ウォルトは、町の秩序の乱れや治安に、性格の気難しさ故にやや自己中な不満を感じつつも、自分のテリトリー(家屋・庭)だけは保守していた。

 庭先には、常にアメリカ国旗がはためいていて、うん、彼は共和党支持のコテコテの保守愛国者なのだな^^

 そんな彼が、死んだ妻の依頼で何かと連絡してくる神父や、息子家族たちに無愛想な対応をする様は、その「マイナス的に気の利いたセリフ」ともども、コメディ風で何度もクスクスと笑わせられた^^

 顔を真っ赤にして、眉間にしわを寄せる「怒鳴る一歩手前の赤鬼みたいな顔」なんて、もう最高だ^^

 そのため息と言うか、社会への不満のようなうめき声も、実にいい!^^;

   ◇

 隣りに、モン族の一家が引っ越してきた。

 ウォルトは、差別主義者なので、顔をしかめる。

 しかし、その家の息子・タオが、同じくモン族のワルどもに絡まれている時や、

 池脇千鶴似の可愛い娘・スーが、黒人にちょっかい出されている時など、

 差別主義者以前の正義感で助けてしまう。

 タオは、チンピラどもに急かされ、ウォルトの愛車である<グラン・トリノ>を盗もうとさえしていたのだが、謝罪をするのだった。

 そして、モン族の家族との交流が始まる。

 はじめは、その押しつけに嫌々ながらも、スーの聡明さや、タオの可能性、そしてモン族への民族的な興味に、ウォルトは、その一人身の寂しさに素直になってみたときの帰結としても、タオの家族と親しくなっていくのだった。

 果たして、その在米少数民族モン族の文化描写が正確なのかは分からないが、その民族的な個性は、観ている私や、ウォルト(もだろう・・・)にも、敬意を表さざるを得ないものとなっていく。

 後に、ウォルトは、神父に「息子二人との不仲に悔いがある」と懺悔するのだが、

 それをやり直すかのように、ウォルトは、多くをタオに教えていく。

 多くの若者が定職を持たず、町をうろついていたが、ウォルトは「工具」の実用コレクションなどを通し、タオに事を為す・・・、働くことの重要性を教える。

 また、人とうまく交われないタオに「大人の普通の会話」なんてものも、非常に具体的に直接的に教授する。

 「イタ公」との床屋とのエピソードなど素晴らしい^^

 内気な青年であったタオも、次第にいっぱしの口を聞くようになる。

 タオは、モン族のいい女をデートに誘ったりもする。

 そして、そのデートには、ウォルトも、<グラン・トリノ>を貸そうじゃないかと言うのだった^^

   ◇

 ウォルトは差別主義者だが、やや、そこには哲学もある。

 白人とつきあっていたスーに、「同じモン族とつきあえばいいじゃないか」と諭すのだ。

 これは、[お前らイエローが白人とつきあうな]と言うニュアンスではなく、[同じ民族のほうが気心(文化・民族性)が知れてるじゃないか]と言う、ウォルトの「思想」なのだと思う。

   ◇

 しかし、つくづく、アメリカは銃社会だと思い知らされた。

 アクション映画でなくとも、おそらく、例えば、『マーリー』『イエスマン』なんかも、何かあったら戸棚から銃が転がり出ていたんだろうなあ、と思わせられるほど、この作品のアメリカには銃が生活と一体に頻発している。

 これが、アメリカの現実でもあるんだろうなあ。

   ◇

 ウォルトは、最後の最後まで、朝鮮戦争での自分の行いを悔いたりはしない。

 神父への懺悔も、あくまでも妻への不義や、息子との不仲についてだ。

 しかし、タオの家族と、モン族ギャングとの関わりの今後を真摯に考えたとき、

 そこに、先々においての自分の存在しないタオの家族の未来を思い、

 それこそ、このケースにおいての、片のつかない「憎しみの連鎖」に思い至り、

 あの、終幕に至ったのだろう。

 ・・・これは、いかにも、リベラルな決着の付け方のようでいて、そうではない。

 圧倒的に攻撃的な、・・・そう「特攻」である。

 戦いの前に、身を清めるウォルトの姿でそれは分かろう。

 『硫黄島からの手紙』を撮ったとき、イーストウッドはその着想を得たのだ。

 バカな奴が、保守派クリント・イーストウッドの変節を歌いそうなので、それだけは釘を刺しておく。

   ◇

 しかし、イーストウッドには、『ダーティー・ハリー』の完結編はお願いしたいのだが・・・。

 それから、モン族ギャングの一人がしている入れ墨の「家庭」の文字が逆説的で泣かせる^^;

                             (2009/04/26)
コメント (6)   トラックバック (91)

[私の1991年のメモ日記・4]

2009-04-24 23:50:41 | 1991年の日記
☆・・・仕事から帰宅した。

 酒を飲もうか、飲むまいか、今、悩んでいる。

 たまには、休肝日を作らないと身体に悪かろう・・・。

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・4 <湾岸戦争>] (2007/07/24 10:00)

▼依然として、多くの閲覧者を呼び込むこのシリーズ

 どうぞ、楽しんでお読みください!

     
       「お読みくだちゃい」


▼『湾岸戦争』篇です。

 ・・・と言っても、別にそれについて詳しく語っている訳ではない。

 でも、毎日の日記と言う生活感あふれる内容の中で、サラリと自然に戦争が語られている雰囲気に、興味を覚えて欲しい・・・。

 「つくる会」の副理事(現会長)・藤岡信勝先生(今は呼び捨て)は、この湾岸戦争を考えるにおいて、左翼思想からの完全なる決別を果たした・・・云々との文章をどこかで読んだ。

 それから、前回の「3」で、

  《・・・5:30からのCNNを見る。
   ゴルバチョフのいまいち冴えない姿が悲しい。
   あのノーネクタイのフォーマルな姿は、どっかのオヤジみたいだった・・・。》

 と記しているが、「ノーネクタイのフォーマルな姿」と言うのはおかしい表現だ^^;

 ここは「ノーネクタイのラフな姿」と書くべきだっただろう。

 こういった言葉の使い方のミスは、いまだに続いているなあ^^;

 ☆1月10日(木)

 以前、大沼から誕生日プレゼントに貰ったエヴァン・ウイリアムス8年ものを引っ掛けながら、書いている。水割りなので飲みやすい。バイトを休んで、今日はマンガばかり読み、そして寝て、テレビばかり見た。ニュースステーションを見る。ペルシャ湾岸危機は、かなり緊迫しているようだ。ジュネーブ外相会議の結果として、フセイン(イラク軍)は(クウェートから)撤退に向かうのだろうと思いきや、だ。目が離せんのう。

 ☆1月16日(水)

 イラク軍のクウェート撤退期限時間午後二時が過ぎた。我が大学に顔を出すと、『米帝によるイラク干渉許さぬ』などとプラカードや立て看板を掲げているが、フセインの独裁も許していないようだ。必死で科学史のテストを終える。50分のテスト時間の短く感じたことと言ったら・・・。金を借りに秋川に帰る。実家で「ニュース23」を見る。特に戦争は起きていない様だ。僕には、どちらが正しいのか、分からない。アメリカの言い分に納得し、フセインの言い分にも一理感じる。非公式に、アメリカが日本政府に聞いてきたそうだ。「日本の石油はどれ位持つ?」 ・・・不忠の部下を心配してくれる親分アメリカ。いいヤツだけど「メサイア(お節介な神様)」・・・。

 ☆1月17日(木)

 いやはや、父が、寝ている僕に「ついに戦争だぞ」と声を掛けてきた。米が空爆に出たのだ。TVの全チャンネルを変えつつ、見る。フジテレビの情報の早さが目立つなあ。CNN放送のバーナード・ショーのイラクからの電話報告はスゴイ! F15の爆音、対空砲火の音、そのリアルさ。何となく、長びきそうだなあ。夜遅くまで見てしまう。途中に飽きて、うたた寝したけど。7時に中野に戻る。西武線の車中で、サラリーマン風三人組が子どもの私立校受験について話していた。「親の職業がこうだと、先生に嫌われるからなあ」 何の仕事をしているのだろうと、僕は注意して聞いていたのだが分からない。自衛隊の隊員かなあ、塾の教師か? 分からない。明日の政治学のテスト勉強をする。湾岸戦争とオーバーラップするなあ。

 ☆1月18日(金)

 学校へ。テストに向け、テキスト「政治学への接近」を猛スピードで読む。なかなか面白い。もっとゆっくり読みたいものだ。本の中で語られていたホッブス、ロック、ルソーくらいは、新学期までに読んでみるかな。政治学のテスト、Bくらいの評価は得られるだろうが、自分の作文能力に不満。「ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」のサントラCDを、新宿のレコード屋で探したのだが、ない。どういうことだ! 米の空爆を受けたイラクは、イスラエルにミサイルを放ったそうだ。化学兵器ではなかったのだが、ガス兵器だと思ったイスラエル国民はガスマスクを着用。つけ方を間違えた幼児や老人が死んでしまったそうだ。

 ☆1月21日(月)

 金がない。持ち金約1800円。借金、母に一万五千円、丸山さんに一万円。電話は止められている。しかし、あれはNTTが悪い。こっちに請求書を送ってこないんだから・・・。お昼は、250円で、赤飯のおにぎり四個を買って食った。もち米なので腹はふくれる。夜は丸山くんに「ともえ」でお好み焼きをおごってもらった。やっぱうまいんだけど、少し飽きてきた。(注・バイト先には、二人の「丸山」がいた。年上が丸山さん、年下が丸山くん^^ しかし、おごってもらっておいて、「飽きた」とは、相変わらずの傲岸不遜^^;) 八百屋では、以前は、やさぐれた爺さんが来ると、どうも心の中ではぞんざいな扱いをしていたものだが、今は、優しく接する。何しろ戦争とか、僕の経験しようのない体験をしてきてるんだからなあ。「うどんみっちゅ(ウドン三個くれ)」と言ってきても、「はい、分かりました」と、いい売り子を演じている。イラクの米兵捕虜の顔の生々しい傷。

 ☆1月27日(日)

 11時に目覚める。東京新聞日曜版の湾岸地域大地図はグッドな企画だった。壁に貼ってニュースと交互に見るのがよろしい。父・母・姉と八王子のFAMに買い物に行く。外には真理が落ちている。ある寺の前に「愚者は教えたがり、賢者は知りたがる」と記されていた。自分と照らし合わせ、考えさせられる。午後、「ポピュラス(スーパーファミコン)」をやる。面白いのだが、敵に洪水を起こされ、ヤケになり、リセットボタンを押した。夜、テレビ「知ってるつもり」はベートーベンがテーマだった。努力する天才の姿を、襟を正して見ました。

                              (2005/04/19の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 よしっ! 明日を休肝日にしよう^^

 かくして、缶ビールのリングを引っ張ってしまうのだった・・・^^;

                              (2009/04/24)
コメント   トラックバック (3)

[映画『鴨川ホルモー』を観た]

2009-04-21 21:18:07 | 物語の感想
☆人生初だと思う。

 五日連続で映画館に行きました^^

 これも不況のお陰です^^

 経費削減で残業が削られたので、毎日、時間的余裕が出来たのです!

 てな訳で、『鴨川ホルモー』を観に行きました。

 でも、不況で小遣いが減るので、そろそろ映画鑑賞数が少なくなるぞ。

 コスト・パフォーマンスの高いゲームをやるのです^^

 明後日発売の『モンスター・ハンターG(Wii版)』をやろうと思ってます。

   ◇

 さて、非常に面白い映画だった。

 大学に合格した主人公が、サークルに入り、謎の競技<ホルモー>にうち込みつつ、仲間や女の子との青春を送る話だ。

 面白い作品で、その青春模様が実に良いのだが、正直、その青春の表現を語る語彙に、私は枯渇しつつある。

 最近では、『おっぱいバレー』がそうだし、『フィッシュ・ストーリー』もだし、洋画では『トワイライト』『ハイスクール・ミュージカル』、去年は、『ガチ☆ボーイ』『うた魂』、etc...etc...、・・・毎回同じことを書かなくちゃならねえ!!

 青春を描いた作品には、誰でも経験するような普遍なテーマがあるが、誰でも経験するような経験なので、こちとら、それを評する言葉に限界があるんだよ!(←なぜか、逆ギレ^^;)

 ・・・ただ、『鴨川ホルモー』で描かれる青春は、私の生まれ育った東京ではなく、京都が舞台で、しかも、私の卒業した二流の大学ではなく、京都大学だったので、微妙にテンポが異なり、それが魅力であった。

 結構、主人公が情けなくて、憧れの女の子に振られるのだが、その子が主人公のライバルとつきあっている事を自分だけが知らなくてのぼせ上がると言う、あるまじき痛い展開であるのは斬新だった。

 この憧れの女(芦名星)が、私にはやや「トウが立っている(天海祐希 に似ている。美人だが女子大生風ではない)」ようにしか見えないのだが、「ズルイ女」なんだわ^^;

 また、親友が、そんな主人公が触れられたくない状況をネチネチと指摘し、でも、お互いに思っていることをいい悪い関係なく言い合う故に親友であり続ける姿も良かった。

 その親友は、『フィッシュ・ストーリー』にも出ていた濱田岳だが、これまた思い切りの悪い性格だ。

 ある意味「神事」である<ホルモー>で負けると、ペナルティを負うのだが、

 この親友、チョンマゲになってしまうのである^^;

 もう、このチョンマゲ姿に、私は、映画館で5分くらいクスクス笑いを続けた。

 その後も、こいつが出て来るたびに笑った。

 映画館内の左斜め後ろに座っているおじさんも笑い続けていた。

 『おっぱいバレー』を見た時も、笑い続ける左斜め後ろのおじさんがいたが、同一人物!?

 で、主人公を演じた山田孝之だが、先ほど記した情けなさのほかに、妙なノリを持っている。

 初<ホルモー>に緊張する親友に、「リラックース・・・^^」と言った時も、そのあまりにもの薄っぺらなもの言いに大笑いした^^

   ◇

 何とも秘密を持っているサークル<青龍会>だが、その、昭和の匂いの残る雰囲気は、同じく伝統だけはある、かつての我が母校の、私が所属していた研究会に近いものを感じた。

 この一言では表現できないが、「バンカラ」が残っている・・・。

 作品中の部室や寮のカオス状態は、これはどう考えても、今の雰囲気とは思えない^^;

 でも、それが良かった。

 そこが、現在の話でありながら、<ホルモー>と言う神懸かった競技を通すことの迷宮性を作品に加えていたように思う。

 「レナウン娘」で踊り狂う様も、いかにも、かつての大学の雰囲気なんだよなあ^^

 三条通り(だっけ?)での、<ホルモー>競技4大学の挨拶の儀は、いかにもな伝統の形式にのっとっていて良かった。

 私の母校も、今じゃ、靖国神社の景観を破壊するような高層ビルの校舎だが、昔は「学館」と言うほぼ完全自治の九龍城みたいなものがあったんだよなあ。

   ◇

 肝心の<ホルモー>だが、面倒くさいので、詳しくは書かないぞ。

 これは、うん、<ピクミン>ですな。

 多くのピクミンたちに、多種のピクミン語で指示を出して、敵方のピクミンと戦うのだが、その時、押せ押せの時に「ゲロンチョギー(潰せ!)」と振りつきで連呼するのだが、その様が、最終的には、この競技が「ボタン連打の力押し」であるのだなと分かるのだ^^;

   ◇

 ブスを演じた栗山千明だが、物語全編をちゃんとブスに演じていて素晴らしかったが、その華奢で可愛らしい体の曲線は隠せませんでしたな^^;

 私は、彼女演じるブス娘が、なんか特殊な能力を持っているのだと思ってみていたのだが、普通に純粋な女の子だったのが意外だった。

 その戦いも、ルールの盲点をついた、頭脳作戦を駆使したものだ。

 私には、彼女が、主人公を振った「ズルイ女」を<フルボッコ>にするのを何で途中で止めたのかが、ちょいと分からなかった。

 そこには、女の微妙な機微があったのだろう・・・。

                            (2009/04/21)
コメント (3)   トラックバック (32)

[映画『名探偵コナン 漆黒の追跡者(チェイサー)』を観た]

2009-04-21 15:38:48 | 物語の感想
☆私は、『名探偵コナン』に詳しくないのだが、夢中で見た。

 その満足度たるや、今年見た映画でナンバー1を争うかも知れない。

 幾つかの、アニメと言えども看過できない破綻があるのだが、それ以上に、その展開に夢中になってしまった。

 ・・・先ず、関東を舞台にした広域連続殺人事件がある。

 事件は各都県にまたがっているために、各管轄の捜査官たちが集められる。

 おそらく、「コナン」のこれまでのシリーズの中で、各地でコナンが協力しただろう刑事たちが集められ、映画ならではの豪華さが醸される。

 ただ、顔だけ集めましたではなく、それぞれがなかなかの個性を発揮して、こちらの興味を引く。

 後に、この捜査官たちの間にスパイが紛れ込んでいることが判明するのだが、捜査官たちの休憩時間のコーヒー談義に、観客をミスリードする「レッド・ヘリング」を配すところなど、非常に見事だ。

 事件の進展に伴い、コナンの捜査は関西にも及ぶのだが、そこでも服部平次などが謎解明の重要な役どころで出演する。

 コナンと電話しながら、横では平次の彼女が茶目っ気たっぷりにちょっかい出してきていて、そういった彼女を画面に出しつつ、カメオ出演じゃなくちゃんと個性を発揮させて、推理のヒント以外にも、一つの画面に多重の情報をこめる巧みさは、おそらく、これまでのシリーズの中で培われてきたものなのだろう。

 後に、京都の刑事も出てくるのだが、これもファンには嬉しい出演なのだろう。

 そういったファンにはたまらない夢の競演を行いつつ、物語を有機的に紡いでいる様に、私は感心したのだ。

   ◇

 ・・・で、話を戻すが、この広域連続殺人事件の捜査は、それ単体でも、なかなか面白い。

 最初は、各殺人事件現場に置かれた「マージャン牌」に違和感を感じたのだが、その牌は、多くのミステリでも、トランプやチェスなどで使われるような「役」を意味するのではなく、あくまでも「記号」として使われていて、見ているこちらに種明かしがスムーズに入ってきた。

 また、そういった、犯罪捜査の証拠となるアイテムの配置は、犯人にとってマイナスにしかならないのだが、それもまた、犯人の意図した大きな「レッドへリング(ミス・ディレクション)」だったので、ありであった^^

 コナンは、各現場をちゃんと回っていく。

 これは、ある意味、徒労なんだけど、地道な探偵としての活動を描いている。

 刑事たちの捜査と、コナンの捜査、多重に物語が進行する。

 私は、コナンが、誰もが知る名探偵・工藤新一であることを隠しつつ、また、小学一年生の容姿で探偵活動を続けるにあたって、いちいち、その説明を必要とすることや、故に、最後の謎解きを、他人に任せなくちゃならない・・・、
そんな物語上の「縛り」がかったるくて見たことなかったのだが、それはそれ、やはり長いシリーズ故に、その辺の処理はうまくされていた。

 ただ、ここでの物語の破綻として、警察の捜査に招聘された毛利探偵の愚かさがある。

 ミスリーディングに乗せられる以前の稚拙な推理を披露するのだ。

 「金田一耕介」シリーズの等々力警部の推理のように、その場の思いつきで発し、すぐに否定されるのならいいのだが、毛利探偵の場合は、捜査班を動かしてしまうからなあ^^;

 こういった見ていての解せなさ感は、物語を見ていく中で、非常に集中力を削ぐ・・・。

 ただ、毛利警部が、連続殺人現場の結ぶ「図形」の解釈で、最後にスマッシュヒットを打つのは良かった^^

   ◇

 コナンの捜査は続き、次第に、遠く離れた地で起こった事件の真相が判明する。

 冒頭の被害者のダイイング・メッセージが、ここで素直に語られていたことも分かる。

 おって、そこでの、被害者(たち)や「犯人」の人となりや、人間模様が語られる。

 ここでも、おざなりではない、こちらの心を揺さぶるような情感が描かれる。

 そして、「東京タワー」での謎解き・・・。

 ここで、それまでの捜査を踏まえた、更なる真相がコナンの口から語られる。

 私は、ミステリーでは久し振りに「おおっ!」と感嘆させられた。

 もしかして、私は、子供向けだからと、安易なところで手を打つ作り手側の「真相」を予想していたのかもしれない・・・。

   ◇

 そして、この物語で凄いのは、この広域連続殺人事件と同時進行で、コナンの宿敵<黒の組織>との暗闘が描かれるのだ。

 この戦いにも、大きな「縛り」がある。

 先ず、今の段階では、組織の存在を警察に言っても信じてもらえず、コナンの近親者が返り討ちにあってしまう。

 また、敵のリーダー格の男に、コナン=工藤新一であることが知れても、仲間に危険が及ぶことになる。

 ・・・コナンは凄まじく色んな規制の中で、名探偵を続けている。

 本来、そんな「縛り」で物語はがんじがらめになっておかしくないのに、スムーズに機能していることが、どうあっても作り手の非凡だ。

   ◇

 この「組織との暗闘」シークエンスにおいても、推理物としての面白さを作り手は忘れていない。

 捜査班に紛れ込ませたスパイは誰か? と言う「フーダニット」は、こちらの興味を最後まで引きつける。

 コナンの正体バレはあるのか? と言う、これはお決まりなのだろうが、サスペンス展開もある。

 そして、東京タワーでは、『ダイ・ハード』的な立体的なアクションを見せてくれる。

 こんなに東京タワーを舞台としてうまく使った作品を、私は、マンガ『私は真悟(楳図かずお)』か『鬼畜(野村芳太郎監督)』ぐらいしか知らない^^;

 また、コナンは、3Dで攻撃してくる武装ヘリに、『ダイ・ハード』以上の「突き抜けた」攻撃でリベンジする。

 私は、非常に爽快感をもって、映画館を後にした。 

   ◇

 ヒロインの蘭も、「拳銃弾避け」と言う荒業を披露してくれて、お飾りではない。

 鈴木園子も、いかにも「らしい」シチュエーションで、物語を進行させる。

 この辺り、適材適所で無駄がない。

   ◇

 私は、ちょうど昨日、仕事で同僚の不手際があって、その処理で東京都下から葛飾区まで、「中央」から「首都」へと高速を往復した。

 だから、今回の物語の東京編でも、高速をバンバン捜査官が飛ばしていたので、生活とシンクロしていて、実に面白かった。

   ◇

 物語の許しがたい大きな「破綻」として、コナンの小学生の友人たちの「少年探偵団」が活躍する「米華の森」のパートがある。

 「少年探偵団」が作品中で活躍するのは実に面白く、その活躍の結果が、今回の事件の真相に絡んでくるのも素晴らしい。

 しかし、警察の捜査の大詰めと思われる東京タワーへ行く途中で、佐藤と高木が「少年探偵団」からの依頼で、捜査班から離脱して、そちらに向かってしまうのは圧倒的におかしい。

 この時点では、「少年探偵団」のほうの事件が、広域連続殺人事件と関係しているとも分からず、また、捜査の優先順位を考えると、東京タワーに行くことのほうが危急のはずだ。

 毛利探偵の捜査会議での発言といい、捜査官の捜査の優先順位の認識といい、そういった「大人視点の謎解き」の観点で、おかしい点が散見される。

 あと、阿笠博士のくだらない謎々も辟易するのだが、子供は大好きなんだろうなあ^^;

 ・・・でも、そんな疑問を吹きとばすかのようなパワーが、この作品にはあり、私は非常に楽しんだ。

                             (2009/04/21)
コメント   トラックバック (11)

[続・カンボジア「アンコール遺跡」講義]

2009-04-20 23:23:10 | 新・海の向こうでの冒険

☆てな訳で、かつて書いた文章の再々掲である。

        「読んでね!^^」
     
        初めてカンボジアを訪れた私と僧侶の交流

   ◇   ◇   ◇

 昨日再掲した「碑文篇」に続き、「廃仏篇」を再掲する。

 驚きました。

 この連作は、ホームページでエントリーした時、全くお客さん(閲覧者)が来なかったのです。

 でも、ブログでの昨日のアクセスは、歴代ベスト10に入るほどの盛況振りでした。

 有難う御座います^^

 どうぞ、後篇をお楽しみください^^v

     #     #     #

  [アンコール遺跡研究の権威・石澤良昭教授の講義を受けたよ・廃仏篇(2004/09/06の講演)](2007/02/15)

▼さて、間髪入れずに、後篇に行こう^^

 前回、アンコール遺跡の主要なものが集中している範囲は、東京二十三区と同程度の規模である、と記したが、この広さは、パリ市街とも同じほどの広さである。

 私は、人間が都市を形成するにあたって、ある一定のスケールにおいて限界があるのではないかと、ちょっと考えている。

 今のところ、世界の他の都市を検討してみると言う作業を施していないのでなんとも言えないが、都市と言うものは、つまり、ある一定の規模を超えると、分割してしまうのかも知れない、などと勝手なことを思っている。

 (更に余談)皆さん、カンボジアのアンコール朝など、田舎の小さな国などと思っているかも知れませんが、

『10世紀の段階でアンコール都城の人口が世界で第4位約20万人、第1位はコルドバ(45万人)。12世紀初めアンコール周辺を含め、約40~50万人。(石澤教授の資料より)』だったっちゅうのだから驚きである。

 つまり、ベトナム・タイ・ラオスを包括すると言う大帝国だったのである。

 NASAの衛星写真などが公開されると、カンボジア周辺には、明らかに10万都市の痕跡がポコポコ存在しているそうだ。

▼さて、そんな大帝国であるが、何故に衰退したのか?

 それには諸説ある。

 例えば、『治水の管理がうまくいかなくなり、国の根幹を為す稲作農業がうまくいかなくなった』とか、

 また、『治水がうまくいってた時は、年に四毛作が出来たとか言う話もあり、それにより、稲作地の土壌が酸性化してしまった』もある。

 『周辺諸国との政治的軋轢(軍事衝突)』と言う説もある(カンボジアは立地が悪い^^ 四方八方、敵国に囲まれている)。

 残念ながら、その衰退期における史料(碑文)があまりなく、フランス極東学院の研究家たちは、概ね以下のような結論を出していた。

 (要約)『建寺王朝であったアンコール朝は、あまりにも数多い大石造寺院を造り過ぎて、国民を疲弊させてしまった』

『特に、全盛期の王・ジャヤヴァルマンⅦ世の事業は、国民に大きな負担をかけ、国民に、自国への隣国からの攻撃に抗する力を削いでいった』と言うのだ。

 これらを主張するのは、フランスの古代東南アジア研究の大家・セデスと、やはりフランスのアンコール水利都市論を発表したグロリエであった。

 後者に至っては、『建寺王・ジャヤヴァルマンⅦ世と、彼が造ったヴァイヨン寺院の後には、アンコール朝において注目される王や寺院はもはや存在しない』と言い切っている。

 つまり、全盛期のジャヤヴァルマンⅦの後は、その全盛期における多数の寺院建造の結果として、国民がグダグダになり、衰退していったと言うのだ。

     
       三島由紀夫の戯曲で有名な「ライ王のテラス」遺跡
       ライ王とは、ジャバルマン7世のことで、
       ここには、そのレプリカ像が置かれている。
       像の両側の裸体の男は、私の友人^^;

 石澤教授に拠ると、『・・・その主張の根拠は碑文史料が欠落し、その時代を示す考古出土品もなく諦めに近い結論であった。それと同時に、この二人の第一人者に導かれた完璧な結論は一つの呪縛ともなり、多くの学者がこれまで是認してきた・・・』とのこと。

▼さて、石澤教授を中心とする上智大学のアンコール遺跡調査団は、国交のない二十数年前から、カンボジア政府と協力し、アンコール遺跡の保存・修復・調査活動を行ってきた。

 その一環として、<カンボジア人中堅幹部養成プロジェクト>を行い、現地に上智大学アンコール研修所を作った。

 研修実地場所として、平面展開の大伽藍<バンティアイ・クディ>が選ばれ、その広い境内の中で、「発掘」と「修復」の研修が行われることとなった。

 1992年のことだ・・・。

 そして、そう言った研修作業が順調に進み、カンボジア人のスキルも上がりつつあった十年目の2001年3月、特にさしたる理由もなく、バンティアイ・クディの境内内ではなく、参道の脇を掘ることにした・・・。

 普通、考古発掘においては、だいたいの当たりをつけて掘り出すのであるが、この場合は偶然であった。

 103体の廃仏が発見されたのである・・・。

 おって、2001年8月、171体の仏像も発掘される、計274体・・・。

 発掘中、夜間の盗掘の危険もあったため、警察にガードさせ、でも、その警察さえ信じられないのがカンボジアなので(日本もだったり^^;)、『アプサラ(アンコール地方遺跡保存整備機構の略称)』の有志が、その警察の監視に寝ずの番をしたりしたそうだ。

 (注・アンコール遺跡の盗掘の現状については、その内、報告します。日本の裏世界にも、多数、アンコール遺跡が流通してるのです)

 仏像の大きさは大きいもので1.8メートル、小さなもので20センチのものまで大中小様々で、石仏だけでなく、青銅製の小仏も見つかっている(←その鋳造技術の先進性!)。

 これらの仏像は、その様式により、作られた年代等が推測できる。主に、13世紀のヴァイヨン様式であり、三重のナーガ(蛇神)の胴体上に鎮座した典型的な仏像の姿がある。

 ナーガは七つ頭を大きく広げて、背後から仏陀を守っている・・・。

 また、座仏が四面に計1008描かれている千体仏石柱も見つかっている。これはカンボジアでは初めてのものだ。

 つまり、それは『曼荼羅』であり、同時に、当時の仏教が密教の影響を受けていたことを窺える。

 石澤教授 『・・・これまでにアンコール遺跡群の調査・研究・保存修復活動は、1860年のアンリ・ムオのアンコール遺跡紹介から始まり、旧フランス領インドシナであったのでフランス極東学院独占的に行ってきた。しかしながら、ここアンリ・ムオから140年あまり経過するが、今回のように千体仏の石柱および274体もの大量の廃仏が発見された例がない。その意味で大発見といえるだろう。しかし13世紀の後半に廃仏の事件の教唆を示唆した論文が、1999年にフランス人アンコール研究家クロード・ジャック教授から提起されていた。これは大量の廃仏発掘を予見した論文ではないが、その示唆は興味深い。
こうした大量の廃仏発見から言えることは、他の同時代の仏教系遺跡であるプリヤ・カーン、タ・プロームなどにも、廃仏が地中に埋められている可能性が高い。今回の発掘はアンコール王朝末期の歴史を塗りかえるほどの大発見と言えよう。そして、この廃仏をめぐって歴史・考古・美術・図像の諸学から新しい議論が提起されてくるだろう。廃仏発掘を手がかりに往時のアンコール時代末期の社会と文化を解明していきたい・・・』

▽石澤チームらの知的興奮は、察してあまりある。

 余談だが、石澤氏らは、「では、この辺はどうだろうか?」と掘った場所があったそうで、そこからは、小さな水晶が発見されたそうだ。

 しかし、それは、うかつに公言できないのである。

 何故か? ・・・地域のカンボジア住民が、夜陰にまぎれて、そこら中を「ゴールドラッシュ」のように掘り返し始める危険があるからだ^^;;;

 また、前段の石澤教授の引用の中で出たクロード・ジャック氏の主張とは、1990年の著作の中で『よく分からぬ最後の王たち』として全盛期の王・ジャヤヴァルマンⅦ世以後の王について語っている・・・。

 建寺王・ジャヤヴァルマンⅦ世は国教として仏教を採用している。

 だが、そこから急速に衰退していったと思われる後の王が、ヒンドゥー教シヴァ派へ回帰していると指摘してるのだ。

 ・・・これは不思議なのである。

 王権が弱体する中で、国教を改宗しようとするのである。

 その困難さ!

 クロード・ジャックは、前述したフランス人東洋学者の大家セデスの弟子であり、フランス極東学院最後の世代の研究者である。

▽アンコールの国教を、凄まじく簡単に言うと、こういう流れだ。

 ほとんどずーっと<ヒンドゥー教> ⇒ だが、全盛期の建寺王・ジャヤヴァルマンⅦ世の治世は<仏教> ⇒ そして、クロード・ジャックの指摘によると、この後、<ヒンドゥー教>に回帰する。

 だが、セデス、グロリエ、クロード・ジャックら、フランス極東学院の学者たちの研究結論としては、ジャヤヴァルマンⅦ以降のアンコール朝はヘナヘナと衰退の一途を辿っていた筈なのである。

 (ちなみに、巨大な四面仏顔で有名なアンコール・トムのヴァイヨン寺院も、ジャヤヴァルマンⅦ(7)の治世に建造されている)。

▼そこに、274体の廃仏の<大発見>があった。

 これが示す、アンコール末期の状況とは!?

 そう・・・、国王のヒンドゥー教・シヴァ派への回帰に伴い、国をあげた「反仏教キャンペーン」が、国民の隅々まで行き届いた結果を示しているのだ!

 確かに、仏教徒にとっては迷惑な話であるが、ヒンドゥー回帰の王・ジャヤヴァルマンⅧ(8)世やインドラヴァルマンⅡ世の統治は、うまく行っていたことを如実に表わしているのだ。

 フランス極東学院の見解によると、ジャヤヴァルマンⅦ(7)以降の王は、疲弊のままに衰退していた筈なのである。

 また、更に、その後の王になったシュリンドラヴァルマンは、上座部仏教を公認している・・・^^

 つまり、ヒンドゥー(諸王) ⇒ 仏教(ジャヤヴァルマン7) ⇒ ヒンドゥー(ジャヤヴァルマン8) ⇒ 仏教(シュリンドラヴァルマン) ・・・。

▼思えば、と石澤教授は苦笑いしながら語ってくれた。

「・・・1296年(シュリンドラヴァルマン治世)にカンボジア(真臘)を訪れた周達観も、その地の繁栄を『真臘風土記』に書き残していた。【舶商(異国の行商人)】の語が見られる^^ 元の時代の周達観の後に書かれた『明(朝)史』の『真臘伝』にも、【富貴真臘(富栄えているカンボジア)】と記されている^^ ああ、既に、答えは出ていたのだなあ・・・」と・・・。

 ジャヤヴァルマンⅦ(7)世以後のアンコール朝も、ちゃんと機能していたのである。

 廃仏の発見は、【フランス極東学院の呪縛からの離脱】でもあった。

   【既に、古典に答えは記されていたのである!】

▽私は心の中で狂喜乱舞した。

 だって、数日前に、偶然思い立って、現在のカンボジア研究には意味がないと思いつつ買った『真臘風土記』である。

 でも、その難しいところをひも解く意味でインターネットを調べていたら、偶然、その翌日に催される石澤教授の公開講義を知ったのである。

 最新の研究である故に、『真臘風土記』とは、何ら接点がないと思いきや、その最新の結論の果てに、古典の記述の正しさが示されたのである。

   この興奮、たまらんぜよ^^;

▼廃仏は、とても丁重な葬られ方をしていたそうである。

 丁寧に土をかけ、突き固められたことが分かっている。

 王の命令だとはいえ、当時の作業に従事した者の心には、仏様への複雑な思いがあっただろう・・・。

 仏教を信奉した王・ジャヤヴァルマンⅦ世の建てた石造寺院の仏教彫刻や、仏教レリーフは、かようにして、後のヒンドゥー信仰の王によって葬られた。

 仏教においては悲しいことだが、これは逆説的に、アンコール帝国が、その末期においても、国家として機能していたことを示している。

 だが、アンコールトムの中心寺院、巨大な仏顔の塔が何十と立てられているヴァイヨン寺院は、何故に破壊されなかったのか? (その仏顔は、観世音菩薩と言われている・・・)。

     

 それは、ヒンドゥー信仰の王たちは、全部で200面近くある巨大な四面仏顔塔を、ヒンドゥー教の最高神・ブラフマーと見立てることにしたのである。

 ブラフマー神は、シヴァ神・ビシュヌ神とともに、ヒンドゥー三大神の一神に数えられるが、観念的なのであまり人気がない。

 が、四つの頭部、四本の手を持つと言うブラフマーを、四面仏顔塔に解釈してみたのであろう。

▼ある意味、フランス極東学院の研究を覆してしまう研究結果を見い出してしまった石澤チームであったが、そう言った点でのフランスの懐は深く、石澤教授がフランスの学術雑誌『Arts Asiatiques』に発表した今回の発表論文は、おおむね好評に迎えられたそうである^^

                          (2004/09/08の再掲)

     #     #     #

 私は、カンボジア・ネタであったなら、かなりの文章ストックがあるので、折を見て更新したいと思います。

                          (2007/02/15)

   ◇   ◇   ◇

 ・・・したいと思います^^

                          (2009/04/20)

コメント

[映画『おっぱいバレー』を観た(ブルマ太もも女子バレー^^;)]

2009-04-19 22:35:10 | 物語の感想
☆『おっぱいバレー』は、私の映画鑑賞の歴史で出会った(意識した)初めての「映画女優」と呼べる女優・綾瀬はるかの主演作である。

 私は、ほとんどテレビを見ないので、一番注目して見ている女優の一人と言える。

 何度も書いているが、私は、つくづく、綾瀬嬢の顔を見ると、「変わった顔だなあ^^;」と思うのだ。

 でも、その演ずる物語が展開すると、メチャ魅力的なのである^^v

          ・・・『僕の彼女はサイボーグ
          ・・・『ザ・マジックアワー
          ・・・『ICHI
          ・・・『ハッピーフライト
             (クリック推奨!!)

 で、こんな風に、綾瀬嬢を親しく見てくると、アダルトビデオ全盛で美人のおっぱいなど簡単に見られる世であっても、

 今回の物語のテーマとなる「綾瀬嬢のおっぱい」は、弱小エロ男子バレー部でなくとも、「女房を質に入れてでも見たくなる」ような存在なのだった・・・。

   ◇

 全編を見終えて思ったのが、両極端の思いであった。

     「意外にサッパリしているな」

     「意外に深いな」

 新任の国語教師・寺島(綾瀬)は、男子バレー部の顧問を任される。

 しかし、そのバレー部は、限りなく帰宅部と同義であり、メンバーは、思春期らしく、エロいことしか考えていない。

 何とか彼らにやる気を起こさせたい寺島は、売り言葉に買い言葉・押し売り言葉に押し売られ言葉で、「勝利したらおっぱい見せる」と約束してしまい、物語が動き出す。

 私は、もっともっとドラマチックに盛り上げて、この後が展開されると思ったのだが、割と現実的な進行で、あらゆる要素(試合、おっぱい、教師の責任)が収斂してしまうのが意外だった。

 でも、その「さっぱり」具合…、力の抜き具合が、私にはとても好感だった。

 昭和五十年代前半の北九州は臨海工業地帯を舞台とし、その映像こそが風情とばかりに、それ以上のデコレイトはしないでケレンなく映し出していく。

 私の昭和五十年代前半時の年齢よりも、メンバーたちは、やや年上設定なのだが、そこに配される「少年ジャンプ」や「明星」、「11PM(私も、よりによっての「釣り特集」には泣いた^^;)」や「月刊PLAYBOY」などのギミックはよく分かる。

 私は生徒サイドがメインで、その友情がコテコテに描かれると思っていたので、作り手が、その少年たちに過剰な演技をさせない「さっぱり具合」にも心地いい軽快さを感じた。

 一番笑ったギャグが、大会一回戦を不戦勝し、それでもおっぱいが見れると意気盛んなメンバーに、メンバーの一人がいった言葉「不戦勝でおっぱい見てもスッキリしないだろ」に対しての、唯一無二の純粋おっぱい戦士である<デブ>の一言「見れば、スッキリするよ^^v」!!!^^;

   ◇

 意外に深いと感じたのは、綾瀬先生の過去が丹念に描かれている点だ。

 生徒に嘘をつかないと言う、綾瀬先生のこれまでや、

 綾瀬先生が、教師を志すに至ったエピソード、

 そして、そのかつての恋も、ちょいとアダルトな雰囲気を醸しつつ語られたのには、私たちが綾瀬先生に夢中になるには良い展開であった^^;

 また、ただの少年たちの「憧れのおっぱい先生」と言う記号的な存在でしかないと思われた綾瀬先生が、「ツンデレ」口調の似合う、かなり個性的な性格であることにも驚いたし、

 それを綾瀬はるかが見事に演じている点も、その女優としての魅力の再確認をさせるに至るのだった。

 思えば、新任の挨拶で寺島先生が、朝礼台の上で、「高村光太郎…」といった時点で、その先が読めてしまい、それから最後まで、「パンツの穴」的なネタで、私は笑わされ続けました。

   ◇

 最終的に、おっぱいは見ることは叶わない。

 私は、初勝利した後に、おっぱいを見ようとするメンバーに、不良の先輩が「お前ら、野暮なことすんじゃねえ!」と一喝されて約束がポシャるか、

 初勝利の結果、女の子にモテモテで、先生のおっぱいどころでなくなる、

 あるいは、合宿の時に、先生のシャワーシーンを偶然に見てしまい、罪悪感で約束を断る・・・、

 てな展開を考えていたのだが、一番現実的な、でも一番つまらないオチになってしまった。

 でも、この作品の魅力を損なわなかったけどね。

   ◇

 しかし、メンバーの同級生の女の子・大後寿々花は、可愛さに磨きがかかっている!!

   

 綾瀬嬢のおっぱいは拝めなかったが、寿々花さんのブルマ姿の太ももが眩しかった。

 おじさんはね、あのような華奢で細い、バネのような、両の内側に「えくぼ」のある太ももが大・大・大好きなんですよぉ~^^;

                          (2009/04/19)

   ◇   ◇   ◇

 (お詫び:2009/04/20)

   すいません、間違えました!!!

   大後寿々花は、中学時代の寺島先生を演じていたそうです。

   これは、美少女ハンターとして、とてつもない不覚です。

                          (2009/04/19)
コメント (1)   トラックバック (41)

[映画『マックス・ペイン』を観た]

2009-04-19 20:28:05 | 物語の感想
☆ほとんど予備知識なく、派手なアクションを見れそうだったので、楽しみにして映画館に赴いた。

 ハードボイルドな雰囲気漂うニューヨークを舞台にした、過去に傷を負うはみ出し者の刑事の物語だ。

 一匹狼故に、ややマッチョながらも、探偵的な活動で捜査を続けている。

 町には、ギャングやマフィアが跋扈し、

 常に天候が崩れていて、映像的にスタイリッシュな暗色に統一されている。

 それが、主人公マックスの心象を表わしているのは歴然。

 演じるはマーク・ウォールバーグで、渋く演じている。

 こうして、書いていくと、要素はやや月並みだが、面白そうだ。

 ・・・確かに、作品の構成は、面白そうな要素で満ちている。

 しかし、それが何故か、作品自体の面白さと繋がらない。

 何故か?

 私は考えた。

 この作品、どうやら、ゲーム作品の映画化らしく、その雰囲気をなまじっか踏襲しているので、

 映画単体として観る者には物語への感情移入がしにくいのだと思われた。

 何ちゅうかな・・・。

 ゲームは、自分が能動的に参加するので、ある程度シチュエーションさえこしらえれば、後の感情は、プレイしている個々人の心で補完されるのである。

 しかし、映画作品ならば、誰が見ても、映画文法的には納得できる答えを展開に内包していなくてはならない。

 それは、物語全般を通した主人公の「悲しみ」といった一言で語れるものでなく、主人公の一挙手一投足に無限に内包されてなくてはならないものなのである。

 この作品には、それが「微妙に」欠如している。

 あくまでも、「微妙」なのである。

 匙加減をうまく調節すれば、傑作にもなり得た作風なのであるが・・・。

   ◇

 また、この物語では、ある精神高揚剤が麻薬的扱いでワルの間に浸透している。

 その幻覚作用、…悪魔が飛び交う世界が、映像として表現されている。

 観ている私は、当初、その悪魔が幻覚映像とは知らないので、最終的には、この悪魔がマックスと対決するのかと思って期待したのだが、物語の終盤で、その種明かしがされた時、非常に落胆した。

 せっかくの豪勢な悪魔映像なのに、それがただのヤク中の頭に去来しているヴィジョンに過ぎないと分かったときは、シラけた・・・。

 また、「ダイハード」並みの火薬量をアクションに用いながらも、その炎の量に見合う必然性あるアクションがないのも、私には解せなかった。

 元が、ガンシューティングゲームらしく、そのガンアクションには力を入れているように思いつつ、その動きがスローモーションで強調されると、余計に分からないという倒錯・・・。

   ◇

 お目当ての、オルガ・キュリレンコは、相変らず、美しい。

 世界で一番ワンピースが似合う女だと思う。

                           (2009/04/19)
コメント (6)   トラックバック (18)

[映画『クレヨンしんちゃん オタケべ! カスカベ野生王国』を観た]

2009-04-18 23:54:15 | 物語の感想
☆たくさんの映画が公開される土曜日であったが、私は、仕事であった。

 しかも、遅番であり、レイトショーを観るのも難しいと思われた。

 ならば、と、仕事の前に一本観ようと、MOVIX昭島に。

 時間が丁度良いのは『マックス・ペイン』で、それを観ようと思ったのだが、ヒロインが、私の姪っ子にそっくりのオルガ・キュリレンコだったので、これは日を改めて、姪っ子と一緒に観に行キュレリンコ! と思うのだった(←バカ)。

 で、次に時間が具合いいのが、『クレヨンしんちゃん オタケべ! カスカベ野生王国』だった。

 私は、前作の『クレヨンしんちゃん:ちょー嵐を呼ぶ 金矛(きんぽこ)の勇者』(クリック!)に非常に感動してしまった口で、

 今回の『クレしん』も観に行くつもりだったが、まさか、仕事前に、仕事のユニフォームを着て、その公開日に、四十路男一人で観に行くことになるとは夢にも思わなかった^^;

 MOVIX昭島では、ポイントが4回分ほど溜まっていて、私は、いつものネット予約ではなく、カウンターに並んでポイントを鑑賞チケットに交換したのだが、そこに凄まじい美少女(12歳くらいか)がいたので、私はときめいた☆

 この子、前にも見たような気がする。

 前世の記憶かも知れない。

 もし、話す機会があったら、私が最近考えたギャグを披露したいと思った。

     「モンドセレクション受賞のうまい棒ッ!!!」

 ・・・・・。

   ◇

 『クレヨンしんちゃん』最新作は素晴らしかった。

 その完成度で言ったら、感動したはずの前作の3倍は見事な出来だった。

 前作は、部分的に突出した魅力があったが、CGの使い方が無様であったり、しんちゃん一人の冒険であり、野原家や春日部市のメンバーが脇に追いやられていた、…敵の世界観が狭かった、などの理由で、どうも完成度は低かった。

 今回は、そんな欠点がなくなり、物語全般が高いレベルを保っており、その中で、物語の進行を通して、見ているこちらの情動を更に高みに連れて行ってくれた。

   ◇

 春日部でのしんちゃんの日常があった。

 この日常がちゃんと描かれていてこそのしんちゃんの個性の際立ちがある。

 キビキビしたお母さんも、マイペースのお父さんも、いかにも「らしく」、妹のひまわりは、こおろぎさとみの声も含めて可愛く、シロはペタンコである。

 朝食の目玉焼きに代表できるような描き込みも、青ジャケット時代の『ルパン三世』のリアルがあり、マンガでありながら、その物理法則は現実と同じだよと教えてくれている。

 そんな中で、町内で、やや過剰なゴミの分別が始まる。

 新しい町長が、過激エコロジストだったのだ。

 新興宗教にも似たパワーで、そのエコロジーは、春日部を席巻していく。

 そして、時を同じくして、しんちゃんの両親が動物化していくのだった。

 ・・・しんちゃんが拾ってきたジュースをそれと知らずに飲んでしまった両親、それは、「人間こそが地球を汚す」と考えた新町長の、「人間動物化薬」であった。

 動物になってしまい、外に出れなくなってしまった両親、とりあえず、母親ミサエは、ご飯を作ろうと、コンロの火をつける。

 しかし、急に恐怖を感じてしまうミサエ。

「どうした?」と、ニワトリになった父親ヒロシが「コ、コ、コ、コケ…」とやってくるが、やはり、彼も急に怯えてしまうのだ。

 答えは簡単、動物になってしまったので、火を恐れる体質になってしまったのだ。

 これは、物語上、あまり意味はないのであるが、そういった些細な描写が、物語にリアリティを呼ぶ。

 アクション仮面シャンプーの伏線なんかも、小さなアイテムだが、世界観構築としては大きな意味のあるものである。

 また、ミサエは、豹になってしまうのだが、ここのエピソードでの、火から飛びのく動きの演出など、実に見事であった。

 「女豹」になったミサエだが、もうちょい写実的な絵柄だったら、なかなかエロかったと思う^^;

   ◇

 両親は、エコロジー軍団に襲われるのだが、その逃走カーチェイスのシーンが面白かった。

 色んなアクションをするのだが、その動きにいちいち必然性があり、意味もあるし、ギャグも含まれていた。

 助けてくれる謎の女・ビッキーが、各種兵器を必ず紙袋の中から取り出すのも面白いし、

 エコロジーのために人力車に改造された乗用車を、ヒロシとミサエが交互に運転する展開も面白い。

 追っ手のエコロジー軍団が、陸上ヨットで、橙色の夕焼けの中、通りを滑走してくる絵面もシュールだ。

   ◇

 今回は、しんちゃんの友達の活躍も顕著だ。

 メンバーは『ちびまるこちゃん』の仲間のように個性を突出させていないが、ここでもリアルな園児像が描かれ、それぞれの現実的な個性がある。

 友達4人は、両親と同じく動物になってしまう。

 他の仲間は、変身した動物の特性で、エコロジー軍団と戦う。

 しかし、いつもは利発な風間君が、ペンギンと言う特殊能力のない動物に変身し、しんちゃんらに嫌味を言われるのは面白かった。

 まあ、最後には活躍するのだが、私が作り手ならば、風間君には、今回、最後まで活躍させないな、そのほうが面白い^^;

 前作ほどではないにしても、5歳のしんちゃんたちは、何やら得体の知れない集団と戦う。

 5歳なんてのは、私の甥っ子もそうだが、大人の前にあっては全くの無力である。

 私は、その2頭身の子供たちの活躍を見ていると、私が子供の頃に読んでいた、今はうろ覚えのジョージ秋山のマンガ『花のよたろう』を思い出すのだった・・・。


   ◇

 今回の物語の肝は、動物化して、人間だった頃の記憶を失いつつあるミサエとしんちゃんの母子の絆である。

 割とオーソドックスな展開で感動させるのだが、その前の段階は強烈だ。

 人間であった頃の記憶を喪失した豹ミサエは、再会したがっていたしんちゃんに襲いかかるのだ。

 ここで、しんちゃんは、猛獣であるミサエにコテンパンにされる。

 文字通り、コテンパンにされるのだ。

 しかも、そのシーンは長い。

 流血こそ、ご法度のようであるが、しんちゃんはズタボロに傷ついていく。

 このシーンは、ショッキングであった。

 幾らなんでも、やりすぎじゃないか・・・、と思った。

 私は、このシーンの是非を、いまだつけられないでいる・・・。

   ◇

 そして、町長との最終対決。

 遂に、しんちゃんも変身する!

 しかし、ちゃんとギャグ属性にあった動物化である。

 ここは、安易にドラゴン化させて、その上乗せの面白さを放棄した映画『ケロロ軍曹4』のスタッフには勉強して欲しいところだ。

 ひまわりも意外な動物に変身して、さて、野原ファミリーで「未来への最終決戦」だ!!!

 それぞれが、キメラに変身した町長に戦いを挑む。

 相変らず、ニワトリのヒロシは口だけなのだが、シロの攻撃が、「おしっこマーキング」だったのは笑ったし、細かいところまで鋭いギャグを忘れていない作り手に感心した。

 これは間違いなく、『ケロロ』よりも、『ドラえもん』よりも、『コナン』『アンパンマン』よりも楽しめる作品だと思うぞ^^v

                        (2009/04/18)
コメント (4)   トラックバック (7)

[カンボジア「アンコール遺跡」講義]

2009-04-17 23:24:39 | 新・海の向こうでの冒険

★以下の更新は、「天才バカ板」シリーズでも、かなりの高アクセス数を誇っているエントリーの再々掲である。

 おそらく、累計で5,6万の閲覧者が、このエントリーを読んでくれたと思う。

  

 どうぞ、また、楽しんで欲しい^^

   ◇   ◇   ◇

  [NHKで放送中 『知るを楽しむ この人この世界(石澤良昭・アンコール遺跡)』] (2007/02/14)

▼私は、今回番組にされた内容の講義を、以前(2004/09/06)拝聴していて、それをホームページにエントリーしていたので、それを再掲しておく。

     #     #     #

 [アンコール遺跡研究の権威・石澤良昭教授の講義を受けたよ(2004/09/06)]

▼ここらで、カンボジアについて、真剣に研究しようと、周達観の『真臘風土記』を三日前に購入したことは書いた。

 古典であり、その内容は、現在の研究においてはあまり意味がないかも知れないが、とりあえず、基礎から学ぼうとして買った。

 そして、その内容から広がる仮説に対し、答えを得るべく、インターネットでカンボジア情報を得ていると、とあるサイトで、カンボジア・アンコール遺跡研究の重鎮である上智大学・石澤教授の公開講義の情報が載っていた。

 アンコール遺跡調査団のサイトであり、朝日新聞系の旅行会社の主催だそうで、翌日(9/6)開講だった。

 石澤先生と言ったら、テレビ番組『世界不思議発見!』では、<エジプトの吉村作治>と並び称される<アンコールの石澤良昭>として有名だ。

 それに、主催の「朝日新聞」系の旅行会社なんて、満更、私と関係ない訳でもない。

 てゆ~か、私と朝日新聞は、ケンカするほど仲のいい「マブ(マブダチ=親友)」であるからして、講義当日の午前中にテルして、受講の予約を取り付け、夕方に、会場である有楽町に向かうのだった。

▼講義の内容は、私には、ヨダレが出るほど楽しい内容が盛りだくさんだったのだが、それを簡潔に報告したい・・・。

 (予備知識)石澤教授らアンコール遺跡調査団の<カンボジア人中堅幹部養成プロジェクト>チームは、2001年に、バンティアイ・クデイと言う遺跡の土中から、274体の仏像を<大発見>している。

▼(大前提)アンコール朝において、アンコールワットの大伽藍は有名だが、今に残るアンコール遺跡はそれだけでは到底語れるものではない。

 アンコール文明は、東京二十三区内ほどの広さに無数の石造大遺跡を集中展開させて残している。それは、大小合わせて数百にのぼる。(ちなみに、タイ・ラオス・ベトナムにも、クメール(アンコール)遺跡は点在している)。

 また、それらは、一気に造られた訳ではなく、アンコール時代である9世紀から15世紀の26代に渡る歴代の王によって、徐々に数を増やしていったのだ。

▼アンコール建造物は、その王朝の滅亡とともに、ジャングルに埋もれて消える。もちろん、現地人は、その存在を知っていたが、建造物自体はその後の王朝の支配下にはなかった。そんな中、19世紀の中期、インドシナの植民地化に突き進むフランスの活動により、アンコール遺跡は<再発見>され、ヨーロッパの文明国に、その存在を知らしめることになった・・・。

 しかし・・・、そのアンコール文明の来歴がさっぱり分からない。アンコール朝時、記録メディアとしては<貝葉>と言うものが存在していたが、それは長期保存に適したものではなく、フランスの<再発見時>には見つかっていない。

▽(注・1) 貝葉とは? ・・・インドや東南アジアで文字を書き記すために古くから用いられてきたのが、ヤシの葉で、日本では古くから貝多羅葉(ばいたらよう)略して貝葉(ばいよう)と呼ばれてきた。「ばいたら」はサンスクリット語のpattra(葉・頁)の音写です。ヤシは世界中で二千種以上あると言われており、土地に応じて様々な種類のヤシが筆記用に用いられている。例えば、タイでは「ラーン」という種類のヤシを筆記に用いるので、貝葉を「バイラーン(ラーンの葉)」という。また、インドネシアでは、「ロンタル(学名Borassus flabellifer)」というヤシを用いるので、「ロンタル」という。(とあるサイトから拾ってきた説明です^^;)

▼<では、何が、今に、アンコール朝の歴史を伝えているのか?>

 それは、<碑文>と言うものの存在が大きい。

 石造りの寺院群の多数の箇所で、数千もの石に刻んだ碑文が見つかっている。

 その解読にも、多くのエピソードがある。例えば、インドシナにおいて、調査環境としては圧倒的優位に立っていたフランスを差し置いて、オランダ人ケルンが、その碑文の解読に成功してしまうのである^^; (・・・ケルンは、現地に行った訳ではない)。

 その碑文には、梵語と土着の古クメール語が並列されており、梵語は特に宗教の為の用語であり、数人の王の名が記されていることが分かった。(碑文の文字は、その他の文字が確認されているものもあるが、主に、上記の併記碑文か、上記の片方だけのものである)。

 フランスも巻き返しを図るべく、地の利を生かし、碑文を多数収集、本国の梵語学者(ベルゲーニュやバルト)に解読・訳出を依頼し、アンコール遺跡の概要と、アンコール王朝史の年代的大枠組をほぼ明らかにし、さらヒンドゥー教と仏教の存在を確認した・・・。

▼フランスは1900年に、インドシナ仏印3国及び東アジアの民族・歴史・文学などを総合的に調査・研究する機関として「フランス極東学院」をベトナムに設置し、しばらくして、カンボジア・アンコール遺跡の清掃から手をつけ、管理・調査・保存・修復などの仕事に着手する。

 (注・2 もっとも、極東学院は、満鉄調査部のように、当地の経済効果を考えるシンクタンク的意味合いの存在でもあった)

 その活動の中で、フランス極東学院は、多くの碑文を発見し、それにより、飛躍的に、アンコール朝(真臘)史の空白を埋めていった。それまでの俗説や言い伝えからの憶説をどんどん塗り替えていった・・・。

▼<では、碑文には、どんなことが書かれているのか?>

 碑刻史料は、遺跡の中の厚い石板や石柱、あるいは建物入口の側壁や門柱に刻まれていることが多い。大きさは、高さ1~3メートル、横幅は、1~0.5メートルほどである。

 碑文は、左上から横書きで書き始まり、その言語は先に記したもの(梵語・古クメール語)に代表される。碑文の大部分はアンコール時代全盛の9~12世紀に刻印されたものだ。

 さて、その内容だが、残念ながら、当時の庶民の生活が垣間見られるような類の内容ではない。

 では、石澤教授の『カンボジア史の構築に見られる碑刻文史料 ・・・揺れ動く研究成果を再確認する碑文史料・・・(上智大学史学家50周年記念論文集)』からの引用・・・。

『・・・これらカンボジア碑文は、言語系統からいうモーン・クメール語族に属し、それらは言語学分野の最も古い格好の研究材料となっている。これら碑文を刻ませたのは、王、王族、高官、バラモン、有力者、地方の長などである。碑刻石板・石柱の設置場所は、ほとんどの場合寺院の塔門や入口の処であり、何といっても諸神、仏への帰依・事跡・寄進奉納等の内容が多く書かれ、祖先への景仰文や王への讃辞が長々と綴られている。梵語碑文では主として神々、仏への祈求文、王(族)および高貴な家族の系譜やその徳行のことが多く書かれ、呪詛文で結ばれており、どちらかというと宗教的色彩が強い。
古クメール語碑文では、王の命令、寄進財貨の目録、khnum(奉仕者)と呼ばれる人たちのリスト、土地の境界、田地の交換、共有的・専有的権利の明示がなどが載り、主として日常生活の諸事が刻みこまれている。しかし、その記載内容は、多くの場合前後のつながりがなく、個別的であり断片的である。・・・(ちょい略)・・・ それに加えて、石面剥離や破損により判読できない箇所が多くあり、碑文の数量の割には当時の社会について貧弱な内容しか知ることができない。そして、ほとんどの碑文が宗教・喜捨および王権に関する言及であるために、王を頂点とする一握りの人たちの活動しか判明しない。それ故に、古代カンボジア史の中では、どうしても、王(族)および王の政務に直接関与する人たちの歴史が描かれてしまう結果となっている。
カンボジア碑文の解読が開始されて140年あまり、この間に、歴史・言語・考古・美術・建築等の各分野の専門家により様々な考察がなされ、仮説がつくられ、より正しい歴史像把握のために諸研究成果が積みあげられてきた。
それらの研究成果は、碑文の性向からどうしても王朝史、美術、宗教等の分野に片寄りが見られるのであった・・・』

 なかなか、碑文からは、民族・民俗学的考察は得られにくいと言うことですね。

▽ちなみに、アンコール・トム(王都)の中心寺院<ヴァイヨン>の、第一回廊壁面には高さ8メートルの壁面全体に、当時のジャヤヴァルマン7世(建寺王)がチャンパ軍を象軍団で蹴散らした戦闘図や、クメール軍の行進、水軍の戦闘場面、当時の貴人や庶民の日常生活の情景があますところなく描かれている。闘鶏や漁撈の図、闘鶏などは、お金を賭けている者の姿が見える。魚は、その形、ウロコまでも精巧に彫られ、その魚の種別まで特定できるほどの緻密さ! 天秤で金か何かを量っているような図も見られ、アンコール期の庶民の生活様式が窺えられる最高のロケーションとなっている・・・。

▼さて、とは言え、碑文からも、なかなか人間臭い動きが読み取れる。

 <サーダシーバの碑文物語>

 サーダシーバは、十一世紀初頭の人物である。彼は、永い間(約250年前から)、王室の神王祭儀に専従した世襲の聖職者家系(マスター・オブ・セレモニー)の、当時の長であった。王の即位式も、国家鎮護の祭祀も、この一族が取り仕切ってきた。

 そんな折り、王ジャヤヴァルマンⅤ世が逝去した。・・・カンボジアでは、その王統は現在のシハヌークまでの61代まで連綿と続いてはいるが、かつてのそれは親類縁者の武力闘争の形を取ることが多かった。親と子、甥と叔父の戦争なんてパターンが多かった。勝利者は、後から、王権の正当性を証明するのだ。そこに活躍したのが、宗務世襲家系だったのかも知れない・・・。

 で、ジャヤヴァルマンⅤが亡くなった後、三人の候補者が、国土を三分し、覇権を競ったと言う・・・。その三人の名前は似ていて混乱するだけなので「A」「B」「C」にしておく。「A」は早々と脱落し、さて「B」と「C」のタイマン勝負になった。

 そんな中で、サーダシーバは、正当な王位継承者として「B」を推した。しかし、武力闘争に打ち勝ち、実質的に王権をものにしたのは「C」・スーリャヴァルマンⅠ世だった。

 サーダシーバは、立つ瀬がなかった^^;

 スーリャヴァルマンⅠの方も、そんなサーダシーバに、自分の王権の祭式を執り行う権利を与えたくなかった・・・。故に、サーダシーバとは別に、その宗務家系の分家より、新たなる聖職者を登用するのだった・・・。

 だからと言って、聖職に仕えていた身であるサーダシーバを殺害しようとするようなことはなく、閑職につけ、「飼い殺し」状態にするのだった。

 サーダシーバの復権(?)は、それから五十年近い、十一世紀に為される。サーダシーバを冷遇したスーリャヴァルマンⅠは、ことのほか長く在位し、半世紀後(1052年)にやっと、他の王の台頭を迎える。

 ここにおいて、サーダシーバは立ち上がるのだ。自分が、802年から始まる250年に渡る由緒正しい宗務家系の長であることを! 歴代の王に仕えてきた崇高な世襲家系であることを!

 そして、不退転の決意をもって、新王ウダヤディティヴァルマンⅡ世に直訴の形で善処を乞い、その上奏文を碑文に刻み込むのだった。

 そこには、それまでのサーダシーバの一族が仕えてきた王統の歴史が詳しく書かれていた。

 それはイコール、サーダシーバの宗務家系としての正統を示すものである。

 つまり、サーダシーバはウダヤディティヴァルマンⅡに直訴するとともに、やんわりと<脅し>もかけているのである。『俺らに認められなきゃ、あんたは正統なカンボジアの神王にはなれないんだぜ!』・・・とても、人間臭いサーダシーバである^^

 そして、そのアンコール朝の初期から中期にかけての王統を記した書は、今までの貝葉に書かれたものではなく、サーダシーバの絶対に譲れない決意を、永遠に伝えられるメディア<石板(正確には四角石柱)>に刻み込んだ訳であり、こうして、現在の我々も目に出来るのである。

 この、サーダシーバの刻んだ「スドック・カック・トム碑文」の解読によって、カンボジア史は、また幾つものページを増やしたのである。

 石澤教授は、こう文章を締めている。

『・・・現存する碑刻史料は、少数の人たちが奉納した特殊な文書ではあるが、そこに記載されている内容は、彼らの考え方や価値判断を最も端的に表わした当時の社会の重要な記録である。その意味において、碑文内容が断片的であっても、また特定の事柄に偏向した記事を掲げていても、その当時の社会を知る重要な史料であり、手がかりと言わねばならない。従って、碑文拓本に綴られている文節を一字一句注意深く解読していかなければならない。それにより碑文を創出した人たちのその時代の風を部分的ながら捉えることができる・・・』

▼一回で終らせたかったのだけど、続きます。今回は『碑文篇』でした。次回は、『廃仏篇』です。石澤教授たちが、世紀の発見の末に見い出したフランス極東学院の<過ち>、そして、周達観『真臘風土記』の<真実>とは!? 待て、次号ッ!!

                           (2004/09/07の更新の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 私は、カンボジアには、丁度10回行きました。

 それで一つの区切りとして、しばらく間を置いています。

 カンボジアには、私の青春がありました^^

  

 プラタナとか、ワンニーとか、その笑顔を見るだけで、一年は幸せでいられるような娘っ子たちがいたんです・・・。

  

                           (2009/04/17)

コメント

[映画『フィッシュストーリー』を観た]

2009-04-17 15:02:42 | 物語の感想
★MOVIX昭島での、最終上映に駆け込んできましたよ^^

 明日から、ロードショーがいっぱいだから、上映終了の映画も多いですな。

   ◇

 簡単に言うと、これは「小エピソード連鎖」の物語である。

 とあるパンク(と言うジャンル名さえない頃の)バンドの売れない一曲から発した「無意識のメッセージ性」が、多くの人物の人生を介在し、最終的に地球を滅亡から救う。

 普通、このような物語は、実写映画にすると、荒唐無稽になってしまうと思われるのだが、

 「場(演劇で言うところの)」を限定し、でも、その「場」のリアリティをきちっとさせることで、コンパクトに美しくまとめた話になっている。

 私は、本来、映画『20世紀少年』もこのような作りにしていたら、映画の出来としても高められたのではないかと思う。

   ◇

 パンク以前のパンクバンド<逆鱗>のリーダーだが、チビノリダーであり、電車男である伊藤淳史が意外にもメチャはまりで演じていて、格好いい!

 また、メンバーの4人ともが魅力的だが、特にボーカルの高良健吾の若さが魅力的で、歌もうまくて良かった。

 うん、何よりも、この物語のシンボルたる楽曲「フィッシュストーリー」がいい歌で、この物語の根底の説得力を任されている。

 肝心の歌が、『少年メリケンサック』レベルならば、この映画作品は総崩れになる可能性が大であった。

 このバンドのシーンが、レコーディング風景の臨場感を代表としてタバコの煙り臭いリアリティに溢れていて、その前後で語られる、時系列的には後の「突飛な展開」をそうとは思わせない効果を生んでいる。

   ◇

 ヒロインの多部未華子だが、とても可愛いのだが、声を大にして公言できないような微妙な風貌である。

 『宇宙戦艦ヤマト』の真田さんみたいな目つきの少女である。

   

 まあ、それをさておいても、その小造りな輪郭と言い、いかにも幼顔で手を出したらやばそうな気分にさせられる。

 私は、この映画を観ながら、考えたのだが、

 多部未華子の目は、何とも困ったような目なのである(物語上でも、ハイジャックにあったり、宇宙船に乗せられたり、困っている^^;)。

 ・・・うん、女性上位でセックスしている時に、女の子が見せる表情と同じなのである^^;

 恥ずかしいんだけど、その恥ずかしい行為を自らの動きで行っているので、困っている、始末に悪い、・・・そんな目なのである。

・・・男は、多部未華子を前にしたとき、その「男の優しさ」と「本能」を試される・・・。

                          (2009/04/17)
コメント (2)   トラックバック (36)

[よりぬきフィジーさん 《Fiji冒険記①》]

2009-04-16 01:30:06 | 海の向こうでの冒険
☆以下は、1992年の夏の話である。

 この文章をネット上に公開した頃、フィジーでは政治クーデターが起こっていました。

 文中に、「カバ」と言う飲み物を飲んだ話が記されているが、この飲み物、ちょいと麻薬的な効果がある。

 最近、こんなニュースがありましたよね。

   <朝日放送>コカインの原料かむ場面を放送(2009年4月11日(土)18:00)

 《朝日放送(大阪市福島区)が今年1月に放送したバラエティー番組内で、南米・ボリビアを訪ねた男性タレントがコカインの原料のコカの葉をかじる場面を放送し、近畿厚生局麻薬取締部が「違法薬物の使用をあおる恐れがある」として口頭注意していたことがわかった。
 番組は1月2日に全国放送された「世界の村で発見!こんなところに日本人」。男性タレントが露店で売られていたコカの葉を手に取り、かむ場面が放送された。コカの葉は麻薬に指定され、使用した場合などには罰せられるが、番組内で特に説明をしていなかったという。【平野光芳】》

 ・・・別にいいじゃん、とも思うのだが、ちょっと簡単には答えが出せないな。

   ◇   ◇   ◇

 [フィジーのクーデター便乗企画《Fiji冒険記①》] (2006/12/08 09:53)


☆現在夜勤でして、風邪も引いてしまい体力がない。

 かつて書いた文の再掲をさせて頂きます^^

  (プロローグ)

 フィジーには、数え切れぬほどの島々が点在しているが、その中に、オバラウ島と言う直径4~5キロほどの元首都の小さな島がある。

 私は、午後の便で、この島を去るので、朝一で、この島の東にある町から、西にある空港へ、最短距離で向かった。

 つまり、本来は島の周回の道を歩くべきなのに、島の中心部の山道に分け入ったのだ。

 そして、・・・遭難しかけた・・・。

 その時のことは近日記すとして、そのプチ遭難の果てに、私は、とある村に辿りついた。

 そして、その村の、とある一軒家で休ませてもらい、しばし疲れを癒した。

 その家のお母さんに食事を頂き、村の子ども達や老人と歓談の時を過ごした。

 アフロが印象的なフィジー人は、とても温和で優しいのだ。

 その温和さは、余談ではあるが、「刑務所に囲いがないこと」から知れよう^^

 更に、余談だが、ずーっと昔は<人食い人種>でした^^;

 さて、空港の方角を聞き、私はおいとますることになり、最後に、持ってきていた折り紙、日本の和紙を、それぞれ子ども達、お母さんにプレゼントした。

 その時、私は失敗した。

 鞄に入れていた旅費の札束をボトッと床に落としてしまったのだ。

 一瞬、気まずい雰囲気が流れた。

 いや、村の方々が、それを盗るなんてことはないですよ。

 ただ、やっぱり貧しい村の方たちなのである。

 私の来訪をこころよく祝福してくれた方々に、何とも、私が所詮は<金持ちの道楽>で旅してるイメージを与えてしまったような気がした。

 実際、その時から、お母さんや老人達の様子がよそよそしくなった。

『有り難う御座いました』

 私は、深々と頭を下げ、その家を辞した。

 村はずれまで、多くの子ども達が見送ってくれたのが、ささやかな救いであった・・・。

▼以下の文章は、十数年前に書いた文章で、私は、それを紙に清書し、コピーし、ホッチキスで製本し、ニュージーランドの街角で売っていたのである。

 我ながら、凄い男である^^;

   (蘭注)以外は、誤字脱字の訂正以外は、十数年前そのままに書き写す・・・。

       #       #       #

 第二章『遠くへ、更に遠くへ』
   (6/16 TUE 快晴 NADI⇒NAUSORI⇒LEVUKA)

 朝・・・。

 8時にKENちゃんが空港まで車で送ってくれることになっていた。

 僕はしばし、ベッドの上でボーッとする。

 ポプリちゃんは、まだ寝ていた(蘭注・ニュージーランド時代の大親友)。

 女の子なので、小さい体はベッドに沈んでしまう。

 夜に彼女の方を見た時、消えてしまったかと思って、ガバッと起きて、ちゃんといることを確認してしまうこともあった。

 外に出ると快晴^^

 雨が振った次の日は快晴だ、と「姉御(蘭注・フィジーで滞在していたホテルの女主人)」が言っていたそうだ。

 KENちゃんの運転で、ナンディ空港へ。

 彼のヨットでの航海(ニュージーランドからフィジーへ)の話を聞く。

 嵐に巻き込まれ、ヨットが逆さまになった時もあったそうだ。

 僕は思わず、<タカ号の遭難>の話を思い出した。

 空港でKENちゃんと再会を約束し別れ、フィジー航空のオフィスに向かう。

 180F$のフィジー主要五島、一ヶ月乗り放題チケットを買う。

 VISAカードで買う。

 お父さん、お母さん、すいませんが日本の銀行口座を頼みます^^;

 すぐに、首都SUVA近郊ナウソリ空港へのフライトを予約し、カフェで、コーヒーとチーズバーガーを食す。

 バーガーのビーフがごってりしてて美味!

 さあ、9時半、Take Off!!

 さあ、君の持っている『フィジー冒険マップ』のナンディからナウソリにものさしで線を引こう(蘭注・この文章には、フィジー地図を付していたのだ)。

     
           これはネットで拾った地図です^^

 しかし、フィジー航空は超アバウト。

 僕が待合ホールに座っていると、「深夜さん出るよ」と気軽に言ってくる。

 慌てて、必死で走って係員の横をすり抜ける。

 僕の荷物のX線検査もしない。

 飛行機はと言うと、これが何と十人乗り(パイロット含む)位のおんぼろセスナ機!

 ヒエエーッ、である。

 僕の横には、CANDACEそっくりのお姉さん(蘭注・キャンディスはニュージーランドでの同僚)。

 後ろには日本人のダンナと、豆のような赤ちゃんを抱いたインド人女性(蘭注・フィジーの民族は、フィジー人とインド人に二分されているので、ここにインド人女性がいることに不思議はない)。

 僕はダンナに話しかける。

 僕 『凄く小さな飛行機ですよねえ・・・?』

 ダンナ 『ええ・・・。実は、私は違う便だったのですが乗り遅れてしまって・・・。でも、良い経験だ・・・』

 僕 『そうですね・・・。あの・・・、シートベルトは、やっぱり、した方がいいですかね?』

 ダンナ 『そうでしょうね』

 僕 『・・・、・・・でも、僕のシートベルト、切れているんですよね』

 ダンナ 『・・・・・・』

 プロペラが回りだした。

 いよいよ飛ぶ。

 隣りの席の<キャンディスもどき>が僕にニヤリと笑いかけてきた。

 英国人のこの自信に満ちた笑顔は良い。

 フワリと飛び立ち、地面は遥か下に・・・。

 先ずは海上、深い青さを湛えている。

 旋回して、フィジー本島ビチレブ島を突っ切る。

 高度はどれ位なのだろう?

 たまにエアーポケットに入って、「ガクン!」とくるのが恐ろしい。

 豆赤ちゃんが静かなのが気になる。

 下に、トラベラーズ・ビーチ・リゾートが見えた。

 糞ポプリはどうしているだろうか?

 飛行機は山脈を越える。

 山の頂きの連なりが本当に血管のようで、脈打ってるみたいだ。

 ガクン! とエアーポケット! ブザーが一回鳴る。

 ヒヤッとする僕、慌てる<もどき>。

 更に飛び、原生林の上空、濃緑の中を一直線。

 続いて、雲の中へ突入。

 首都スバは天気が悪く、スコールが頻繁、その上空は多くの雲を湛えている。

 雲の中、視界ゼロ!

 しかし、先が見えないほうが帰って安心^^

 雲の切れ間、フィジーの大地。更に雲、多重構造の雲・・・。

 ナウソリ空港へ着陸! 一時間弱のフライトだった。

 ・・・さて首都スバ観光と行きますか? いやいやスバは後回し~、OVALAU島に行くぞ~っ!

 そこには旧首都LEVUKAがある。

 さあ、世界どこにでもあるコカ・コーラを飲んで、さあ飛ぼう!

 しかし、フィジーエアー、またも超アバウト。

 12時出発とか言っておいて、11時45分に客が揃うと、飛ぶことになった・・・。

 今回のフライトは15分。

 すっごくプチ可愛い白人の女の子が僕の前に乗っていて、時おり「ダディ!」とか言って僕の隣りのお父さんに話しかける。

 茶色の髪を、後ろでエビに結っていて、隣りのパイロットを不思議そうに見上げるしぐさが愛らしい。

 先ほどの<もどき>と墜落死するのは解せないが、この女の子(推定名前「チェルシー」)とだったら良しとしよう、などと思いつつ、Take Off!

 低空飛行の今回は、眺めが最高でした^^ さんご礁も見えましたですよ(ふうっ! 風景描写は疲れるのでやめた)。

 オバラウ島のNAIVITEITEI空港(ここの滑走路は土!)からバスに乗り込む。

 乗り心地、すこぶる悪し。

 おそらく、タイヤをパンクさせたまま走ってるのでは、と思えるほどだ。

 さすがに、ここまで来ると、日本人は、僕たった一人の感がある・・・。

 ヤシの木は、浜辺のように人工的に間隔を置いて生えていることはなく、他の植物と絡み合い密集していて、さながらジャングルだ。

 ときおり村がある。

 住民は僕と目が合うと、ジーッと視線を逸らさない。

 視界から消えるまで逸らさない。

 異常に多人数の洗濯物を干している家もある。

 小学校もあって、チビどもが遊んでいる。

 もうちょいで車に酔いそうになりながら、レブカに着く。

        

 大きなマグロの缶詰工場があり、ツナ臭い。

 ここは、日本の企業が技術協力しているそうだ。

 さて、町は、片側は海岸なのだが、もう片方は、雑然と店が立ち並び、アメリカの西部劇の町のようだ。

 そこへふらりと現われたJapanese Boy^^

 昼間にもかかわらず、海岸側の公園風のベンチでは、親父やら子どもやら、おばさんやらがくっちゃべってる。

 僕は海岸通りを歩いて行く。

 みんなの視線が僕に集中! 悪くない、たまには注目を浴びるのも良いものだ^^

 時におっさんと目が合い、おっさん「ニヤリ」と頭を下げる。

 この町には、「意味ありげ野郎」がたくさんいる。

 侵入者(僕)に対して好奇心はあるが、自分の生活の方が大事、って感じだ。

 こっちに来て、普通のフィジーの住人たちを見て感じたのは、モジャモジャカーリーは妙だが、美人の女の人が多いと言うことだ。

 特に(この島には少ないが)インド人の女の人は美人や^^

「あたし・・・、感じちゃったんです・・・」で有名なエロ作家・宇能鴻一郎もインド人女性をリスペクトしていたっけ・・・。

 後藤久美子や中山美穂を更にエキゾチックにした感じだ。

 何やら、学校が二つあるらしく、灰色の制服と真っ青な制服を着た学生がいる。

 どちらも趣味がよい。

 普通の人が着ている服もけして古臭さはない。

 ニュージーランド人より遥かに優雅な生活だ。こんな島の街中でも、携帯電話を持ってる人がいるしね(蘭注・この頃は、日本にも携帯は普及してなかった)。

 さて、<オールド・キャピタル・イン>ホテルに入る。

 今までのアコモデーションより、ぐっとレベルが落ちて、昼食付きで9$90¢、シャワーも水しか出ない(<トラベラーズ・ビーチ・リゾート>はツインで35$)。

 めんこい赤ちゃんが、ホールにポツリと立っていた。

 僕のバッグに付いているアクセサリーのディズニーの小人とミッキーマウスに興味を示している。

 すると、トットコトットコとおぼつかない足取りで寄って来て、片方の手で小人を擦り、また、トットコトットコと離れていく。

 フィジアンの赤ちゃんだ。瞳がクリクリしていて、とても可愛い。

 すると、またも寄って来て、ミッキーマウスを擦る。

 もう一方の手は、口にくわえている。

 指と口の間はぬめぬめしていたが、ホッペを触ってやると喜んだ。

 ホッペは、水の入ったビニールのように柔らか^^

 (ここを読んで、下らないことを延々と書いてるなあ、と思ってる方もいましょうが、後々の為の伏線だと御理解の程を・・・)

 その後、部屋でしばし、友人どもへの手紙を記し、腹が減ったので近くのチャイニーズレストランでフライドライス(ポーク)を食う。

 うまい。量も多い。合格!

 町を散策する。

 海岸通りを行ったり来たり。

 シャレた、と言うか、趣のある時計台もある。

        

 古いので止まっているのかと思いきや、定刻には金を鳴らす。

 現役だったのだ。

 戦争記念碑の前で、しばし、コロ海を遠望し、風に吹かれる。

 海は干潮で海底が見え、あまり眺めは良くなかったが、骨休めにはなった。

 部屋に戻る。

 蚊が多いのだが、蚊帳があるので、夜は快適に過ごせた。

 ・・・蚊帳の中に、蚊が一匹でも入ってくると<金網デスマッチ>が始まる^^;

 夜は、フィジー報告が溜まってしまったので、それを記すことに専念する。

 夕食は<Kims>と言う店でエビカレーを食って美味かった。

 何でもうまいと感じられるのは健康な証拠!

 いや、インド人が大半を占めるフィジーは、カレーが美味いんだわ^^

 実は、先ほど昼食を食べた店でも、エビカレーを注文しようとしたのだが、しかし、さて、オーダーしようと思ったら、僕の席の後ろに水槽があり、その中にザリガニ風が何匹も泳いでいた。

 これを出されてはたまらんとエビカレーを断念していたのだ。

(追記)書き逃した事がある。それは、『カバ』と言う飲み物のこと。これはカバの木の根を、干して、擦って、水に溶かし濾過したもので、フィジーでの儀式に良く使われるそうだ。

 ホテルの人に勧められて、僕も何杯と飲んだが、無味無臭、後に舌に痺れが残る。

 無害。

 ・・・だが、英国王族がフィジーを訪れた時、この、麻薬とも解釈される<カバ>の扱いでひと悶着あったそうである。

 それから、フィジーでのビールとは、全てFiji Bitterだと思って欲しい。

 言葉では説明しにくいが、少しクセのある美味いビールである。

 さて、誰も横にいない、たった一人の夜、急に寂しくなる。

 そして、翌日、冒険は加速をつけて急展開を迎えることになる。

        ・・・今は、蘭クン、安らかに熟睡・・・。

                          (2006/12/08に再掲す)

   ◇   ◇   ◇

 長いですね^^;

 数回に分ければ良いシリーズになったのに・・・^^;

                          (2009/04/16)
コメント   トラックバック (1)

[私の1991年のメモ日記・3]

2009-04-15 10:47:54 | 1991年の日記
☆うん、アクセス好調です^^v

   ◇   ◇   ◇

 [私の1991年のメモ日記・3 <ソ連のクーデター>] (2007/07/22 16:22)

▼いやはや、意外に好評のようで、今日も続ける。

 こう暑くては、頭も回らないのだわ^^;

 今日、12歳の姪と、『ハリーポッターと不死鳥の騎士団』を観に行ったのだが、正直、一本筋の通っていない、パッとしない作品だった。

 でも、ルーナ役の娘(イバナ・リンチ)だけは、非常に私好みの少女で満足した^^

  

 この子、スチール写真よりも、画面上の方が、病的で可愛い^^

     #     #     #     #     #

▼私は、この頃、翌年に予定していたニュージーランドへのワーキングホリデーの資金を貯めるべく、早朝は築地市場の野菜問屋「金八」で働き、夜は居酒屋「つぼ八」で働いていた。

 ワーキングホリデーの資金はどうにかなりそうだったが、大学の休学にかかる費用がやるせなかった。

 ☆1991年8月19日(月)

 金八のバイトをしている最中、暴風雨が起きた。大粒の雨がバチバチ降ってくる。仕事を終え、市場から新橋までタケさんに車で送ってもらう。その車中、カーラジオから株価暴落の報、続いて、ゴルバチョフ失脚の報。激しい雨の中、時代は目まぐるしく流れる。ソ連には、共産党保守派のクーデターが起きたらしい。少し汗をかきつつ、寝た後、つぼ八へ。今日はお客さんが少なく仕事しやすかった。福田君にビールを注いでもらい、仕事の後の一杯。うまい。家に帰って、ニュースステーションを見る。ソ連は、このまま、時代の流れを停滞させるのか?

 ☆1991年8月20日(火)

 今日は仕事をしている最中から、大雨に降られた。体が、配達の時にビショ濡れになった。風邪をひいたかな。家に帰ると、ゴルバチョフ失脚・ソ連共産党保守派のクーデターの新しい情報のニュースをじっくりと見る。どうやら、もろいクーデターのようだ。エリツィンが、ロシア共和国大統領として、やたら格好良く見えてきやがる。民衆も「エリツィン」コールだ。テレビもニュース番組ばかり見てしまう。でも、あまり進展がなく、同じ情報ばかりだ。雨は激しい。時おり、バケツを引っくり返したかのようなドボドボ音がする。

 ☆1991年8月21日(水)

 ソ連情報を知りたくて、休みの日なのに、早朝5時に起き、CNNを見る。特に進展はないが、エリツィンの下には民衆が集っている。菅君と「荻窪・湯~トピア」に行き、終日くつろぐ。サウナでは、高校野球やソ連状況を語り、ミストサウナにも入り、暑くなった体を冷水風呂で癒し、薬湯・檜風呂を楽しんだ。汗を流した後の食堂のビールもうまい。シアターでは「ダイハード2」を楽しむ。そこを出た後、荻窪の春木屋でラーメンを食おうとしたが定休日だったので、丸福で食う。ここも有名店らしく、お客がかなり並んでいた。菅君は「うまい!」と満足。PM7:43、NHKを見ていると、クーデターを起こした国家非常事態委員会のメンバー8人が国外逃亡を謀ったそうだ。更に今夜も、ニュースウォッチャーになってしまう。

 ☆1991年8月22日(木)

 完全にクーデターは失敗。エリツィンの株が上がっただけだった。なんとも、うまい話だなぁ、と疑問も湧く。昨日の休み疲れで、金八の仕事に身が入らない。早くに家に帰って寝る。続いて、つぼ八のバイトへ。暇な日で楽に仕事ができました。その後に、酒飲みの川口・吉田・中村さんに捕まり、ビールを飲む。色々おもしろい話をし続け、時は過ぎる。AM2:30。僕は明日、と言うか、今日早朝の金八の仕事を考えつつ・・・。⇒

 ☆1991年8月23日(金)

 ⇒仕事を終えたつぼ八野郎たちも含め、白木屋で飲む。楽しいが、不覚にも横になってしまう。気分は、もう、金八は休みますです、ハイ。川口君の話が頭に残っていた。「学校をサボった時、おじいさんが倒れたので、と嘘をついたら、本当に死んじまった」のだそうだ・・・。しかし、僕は、AM5:30に金八にテルし、こう嘘をついてしまった。「おばあさんが倒れてしまって!」。いやはや、他の嘘が思いつかなかった。おばあちゃん、ごめんなさい。5:30からのCNNを見る。ゴルバチョフのいまいち冴えない姿が悲しい。あのノーネクタイのフォーマルな姿は、どっかのオヤジみたいだった・・・。

▼以下の本は、ブックオフなんかで100円で叩き売られてますな^^

 でも、この本に載っているエリツィンの赤ちゃん時代の写真は丸くて可愛い。

          

                              (2005/04/04の再掲)

   ◇   ◇   ◇

 昨日の東京の雨も激しかったですな・・・。

                              (2009/04/15)
コメント   トラックバック (2)

[レイマン・コントロール]

2009-04-15 01:47:38 | 保守の一考
☆これも、昔書いた文章の再掲です。

 私は、『天才バカ板!』『元祖・天才バカ板!』『輝け! 天才バカ板!』と言うHPやブログを主催してきたが、私が大批判を繰り返した「新しい歴史教科書をつくる会」の雇った統一教会系の弁護士の暗躍によって、抹消の憂き目にあってしまった。

 そもそもが、保守派の組織が、統一教会と組むなんてことが言語道断のことなのだが・・・。

   ◇   ◇   ◇

 [関連性のない細かい話、いろいろ ⑤<レイマン・コントロール>] (2006/09/07)

▼『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著/PHP社)』を読み進めている。

 いやぁ、面白い本だ・・・。

        

 私のやりたいことが先取りされてる・・・、・・・悔しい・・・。

 話変わって、

 自サイト『天才バカ板!』をはじめて二年半が過ぎた。

 自分なりに、国や子供のことを思い、能書きを垂れてきた。

 しかし、多くの野郎が、私の指摘に行き詰まると、こんな言葉をぶつけてくる。

   「お前にゃあ、実績がない」

   「部外者が、専門家に口を出すな」

   「エリートに任せておけ」

 最終的にかような標語をぶつけたりしてくる。

 なんか、そう言った言葉には、言葉を返すのが面倒になる。

 『いいかげんにしろ 日教組』に「レイマン・コントロール」という言葉があった。

 それは、「専門家と呼ばれる人々はともすれば常識から逸脱した独善的な考え方におちいりがちなものであり、それゆえ常識のある<素人による監督>がぜひとも必要である」というアメリカで生まれた考え方だそうで、アメリカの陪審員制度もその一環だそうである。

 よくいうオンブズマン制度も似た趣向かな。

 そもそも、そのような趣旨が、教育委員会制度の基本理念にもあるのだが、機能していないのが問題なのである、と言うのが『ふざけるな 日教組』の一問題提議である(それから先は、ここでは記さない)。

 果たして、私が『常識のある<素人による監督>』に相応しいかはさておき、

 私は、そのような意気込みで、日々、文章をしたためている。

                             (2006/09/07)

   ◇

 [関連性のない細かい話、いろいろ ⑥<レイマン≒有識者>] (2006/09/08)

▼いやはや、ショッキングなことが起こった。

 「レイマン・コントロール」について、辞書的意味を把握してみようと、グーグル検索してみたら、結果「ゼロ」だった。

 『Wikipedia』でも出て来なかった。

 まあ、いいや・・・。

 で、その「レイマン・コントロール」からいろいろ連想すると、「オンブズマン制度」とか「陪審員制度」とか「有識者会議」など、どうも、保守的視点から見ると胡散臭いシステムが立ち現われてくる。

 もっとも、「オンブズマン制度」とか「有識者会議」なんてのは、専門家を集めたものなのであるが、

 【本来の存在意義】が、権力を行使する者の「バックアップ」を担当すると言う点が「陪審員制度」を含めて似ていると思う。

 「本来の存在意義」・・・、である。

 我々が胡散臭さを感じるのは、それが逸脱している(逸脱しそうな)ことを示しているからだ。

 『いいかげんにしろ 日教組』(もうすぐ読み終わる^^)において、

 「レイマン・コントロール」が語られたのは、

 現場の教師をバックアップするべき教育委員会が機能していないということを言うためだった。

 この場合の「バックアップ」と言うのは、控えめな言い方に過ぎなくて、現実には、「大きな権力」の腐敗に、「異なる権力」を行使出来える存在のことを言う。

 では、何で、我々は、それに「胡散臭さ」を感じるのだろうか?

 簡単である。

 「大きな権力」・・・、その腐敗に抗し得る別の「異なる権力」を選ぶ視点が偏っているからだ。

 既成のものの枠内から生まれるから、それ以上の答案が出せない「すくみ」にあるわけだ。

   (注)ここで言う「腐敗」とは、左翼の言うように「権力」とイコールの関係ではない。
      権力の中の疲弊・腐敗部分を言う。

 つまり、現状の「権力の腐敗」から生まれる「権力の暴走抑止機関」は、その当初から腐敗を育んでいる、ということを示す。

 左翼標語<権力は腐敗する>ではなくて、<権力を監視する権力も同じ穴の狢の如く腐敗する>という事である。

 このたび、四十一年ぶりに、天皇家に殿下が誕生した。

 これにより、悪名高き、<女性・女系天皇を容認する「皇室典範改正案」のもとになった昨年11月の「皇室典範に関する有識者会議」の報告書>は必要をなさなくなった。

 ・・・だが、正直、危なかった・・・^^;

 「皇室典範に関する有識者会議」のメンバーについてはよく知らないのだが、

 例えば、その前の「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」のメンバーなどを見ると、

  東江 康治 (前名桜大学長,元琉球大学長)
  今井 敬 (社団法人経済団体連合会会長,新日本製鐵株式会社代表取締役会長)
  上島 一泰 (株式会社ウエシマコーヒーフーズ代表取締役社長,前社団法人日本青年会議所会頭)
  上坂 冬子 (ノンフィクション作家,評論家)
  草柳 文惠 (キャスター)
  坂本 多加雄 (学習院大学法学部教授)[平成14年10月29日逝去]
  田中 明彦 (東京大学大学院情報学環教授)
  西原 春夫 (学校法人国士舘理事長,元早稲田大学総長)
  御厨 貴 (政策研究大学院大学教授)
  山崎 正和 (劇作家,東亜大学長)

 最終的には、不満足な結論に至ってしまったが、「真の有識者」の名前もチラホラ見られるのである。

 私は、こう考えるのである。

 では、もう一段階、「有識者を決める有識者」を募ってみよう、と。

 そうすると、確実に、上記のメンバーの中での坂本先生や上坂さんの如き「まともな人」のパーセンテージが増えるはずなのである。

 更にもう一段階、「有識者を決める有識者、を決める有識者」を募ってみよう。

 確実に、腐敗権力の腐敗からの干渉を薄められた「まともな人間」のパーセンテージが増えるはずなのである。

 そうして、「有識者を決める有識者、を決める有識者、を決める有識者、を決める有識者・・・」と繰り返していくと、いつしか、一義的な有識者ではなくなるが、

 「レイマン・コントロール」の目指す<素人による監督>が機能してくるはずなのである。

 「真の有識者」には、知識の持ち主ではなく、【常識】の持ち主が求められるからだ。

 インターネットは、そのような「真の有識者」を求める為の<マトリューシカ>システムの構築場所として最適だと考えている・・・。
                              (2006/09/08)

   ◇   ◇   ◇

 このような、私の面白い主張は、現在のプラットフォームである、ここ「甘噛み^^; 天才バカ板!」で復活させて頂く^^v

                              (2009/04/15)
コメント