『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『スパイダーウィックの謎』を観た]

2008-04-29 17:23:14 | 物語の感想
☆これは完成度の高い作品であった。

『パンズ・ラビリンス』、『テラビシアにかける橋』に続く、「大風呂敷広げない」系の、「世界観きっちり掘り下げ」系、「美少女堪能」系の作品であった。

まあ、今回のサラ・ボルジャーが、果たして、<美「少女」>と言えるかどうかは、後で考えようじゃないか^^

   ◇   ◇

こうした良作に、私が語るべきことは少ない。

長い原作をもっているらしいが、それをうまくザックリ編集して、こちらに「早足感」を抱かせることもなく、きっちりと物語が語られていた。

ネット上では、すでに多くの評者が、作品の魅力を見事に語っている。

いい作品が不当に低評価で語られたりすると、私はムキになって論じたり、

『紀元前1万年』みたいな能天気な作品だと、却って、多くの字数を費やしたりしてしまうものだが、この作品については細かく語るつもりはない。

・・・、・・・いや、けして、映画を語ることに疲れたわけではない、嫌いになぁた訳じゃなぁい~♪(by松山千春)

   ◇   ◇

だから、私が最も書きたいことを書く。

・・・サラ・ボルジャーである。

可愛い娘である。

目の離れ具合(ヒラメ)が、後藤真希的で、涼しげで良い。

作中での個性も、わがままな弟相手に男勝りの対応をしたり、趣味のフェンシングを姿勢正しくやっている姿なんかも凛々しい。

・・・ただ、この子、作中で、顔が少女のように締まった顔から、

老けるのが早い外人故に、崩れはじめる顔へと「成長」をしている姿が窺えてしまうのだ。

微妙なお年頃だったのだろう。

つまり、長い期間を費やす映画撮影の時期が、彼女にとって、少女から女への成長期間に重なってしまっていたのだ。

故に、とてもキリっとした表情のシーンもあれば、なんか頬が垂れた様な表情の時もあり、いきなり、異常な厚メイクの白塗りのような顔の時もあるのだ。

映画ってのは、物語の展開順に撮影するわけではない。

だから、可愛いマロリー(サラの役名)、冴えないマロリーが、前後する展開に、私は少し寂しくなった。

制作者側も、微妙なお年頃の女優を相手に、その「美少女品質」を下げないように苦労したことだろう。

   ◇   ◇

もし私が<美少女帝国>を築くとしたら、

『パンズ・ラビリンス』のオフェリアや、『テラビシア』のレスリー、『ライラ』のライラ、『ハリーポッター』のルーナなどは殿堂入りだが、

マロリーは年齢制限に引っかかってしまうだろう。

ハーマイオニーも、額の横じわが厳しい。

   ◇   ◇

しかし、サラ・ボルジャーだが、過去の作品においては、その実の姉妹そろって、凄まじい美少女ではあった。

     

時の流れは非情だが、美少女を卒業すると、次は美女時代が始まるのである・・・^^v

   ◇   ◇

物語は色々あって、スパイダーウィック氏が、80年の時を経て少女の姿の娘とともに妖精の国に旅立って終わる。

ハイラインの『夏への扉』のバージョン違いみたいな結末なのだが、この少女にもうちょっと「萌え」要素があったら良かったのになあ、と思いました。

   ◇   ◇

おっと、最後に、作品自体への不満を書いておく。

物語のほとんどが、スパイダーウィック邸を舞台にしているので、その見取り図が頭に描けるような説明的描写が物語の最初に欲しかった。

そしたら、『ダイ・ハード』や『ホーム・アローン』『カリオストロの城』のように、建築物を舞台にした立体的な冒険を観る者にイメージさせられたのになぁ。

   ◇   ◇

それから、屋敷に住んでいる短気な妖精が、どんなに怒っていても、蜂蜜を差し出されると、途端に怒っているのを忘れて、「蜂蜜、チュ~チュ~、美味しいでちゅ~」と豹変するのが、その「間(ま)」の見事さもあって、何度もくり返されるが、そのたびに大笑いした^^

                        (2008/04/29)
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[映画『NEXT-ネクスト-』を観た]

2008-04-28 23:48:26 | 物語の感想
☆なんだよ! と思った。

いい作品じゃないか!^^v と・・・。

某『超映画批評』ブログで、あたかも『ジャンパー』的な紹介のされ方をしていたので、まあ、何も考えずに適度に楽しめる程度の作品なのだろうと思い、期待せずに観に行った。

しかし、ソツのない堅実な作りの「一発エスパー物」だった。

   ◇   ◇

主人公(ニコラス・ケイジ)は「二分先の見える男」・・・、控えめに能力を使いつつ、派手に生活を送る訳でもなく目立たずに暮らしていた。

しかし、ジュリアン・ムーア扮するFBI捜査官が、そんな男の予知能力を見抜き、どこぞから強奪された核による、アメリカ本土でのテロを阻止するために協力を仰ごうとする。

しかし、主人公は、そんなおおごとには関わりたくないので、能力を用い、FBIの追求をはぐらかし続ける。

本来ならば、FBIと主人公は、すぐに共闘をはじめるのが物語の常道だろう。

しかし、この物語では、展開のほとんどが、FBIと共闘に至るまでに費やされる。

主人公は、FBIの追及を逃れ何をしているかと言うと、恋をしているのである。

     ・・・しかし、それが良かった^^

主人公が惚れる女は、確かに美しい女だが、それ以上に、映画のヒロインには似つかわしくない、普通の真面目な女性だった。

グランドキャニオンのインディアン居留地で、ボランティアの教師をしていたりする。

その風景も、丹念に撮られていて良かった。

   ◇   ◇

主人公は、「二分先が見える」能力で、シミュレーションを行いつつ、喫茶店で近くにいたヒロイン・リズをナンパする。

その、シミュレーションの中のリズのリアクション(断わり方)が、実に普通で良かった。

今、こうして書いていてふと思ったのが、恋に至る第一印象ってのは、「仕込み(演技)」でも構わないんだなってことだ^^;

   ◇   ◇

主人公の「二分先」の限定超能力は、このヒロインに対してだけは、時間無制限になる。

これは、作り手側も「都合がいいな」と思ったらしく、しかし、そのヒロインに対してのみ発揮される、主人公のアンリミテッドな能力こそが、この作品の肝なんだよ、とばかりに、物語の初っ端から説明されている。

これは、とてもフェアだと思う。

   ◇   ◇

とある「超映画批評」では、これをご都合主義と記していた。

自分が前提を忘却しておいて、かような良作を貶めるのは酷いと思った。

これは、賠償問題に発展するんじゃないか。

こっちゃ、ただの映画語りであるが、あっちは、それで金を稼いでいるんだろうからなあ^^;

あんたの批評で、お客さんが3人は減ったぞ!!^^;

   ◇   ◇

一昨日、『紀元前1万年』という作品を観たのだが、この作品でも、主人公が愛した女を得た結果、救世主となるとしたかったらしい。

・・・残念ながら、その劇的な状況は不発に終わっていたが・・・。

しかし、この『NEXT』では、リズを得たことによって、主人公のニコラスが、聖二コラス(笑)へと成長する様が丹念に描かれていたと思う。

   ◇   ◇

FBIのジュリアン・ムーアだが、ややギスギス感があったが、妙に「人間」がちゃんと描かれた脚本というか演出の結果、実に「いい女」風だった。

脇を固めていた捜査官達も良かった。

テロリストたちも、妙に顔が記憶に残る。

テロリストの中に、老けた滝川クリステルみたいな女がいたのだが、作戦決行の前に、仲間の一人が恋人だったのだろう、「気をつけてね」とかキスしたりしていて、それだけで、そのテロリストの人生が垣間見られるのである。

思えば、リズの教え子のアメリカインディアンの子供たちも、1シーンなのに、キャラが立っていた。

そうそう、刑事コロンボことピーター・フォークもちょい役ながら、主人公のよき理解者として登場しています^^

・・・で、監督は誰かと思ったら、パワフルな演出のリー・タマホリではないですか!

彼は、ニュージーランドの先住民のマオリ族の血を引いているそうだ。

道理で、アメリカインディアンへの眼差しが優しい・・・^^

   ◇   ◇

最初は、あまり主人公の能力の発露の仕方が理解できなかったのだが、

物語が進むにつれて、理解出来てきた。

最終的には、『ジョジョの奇妙な冒険』の歴代ラスボスの「時間を操る能力」の如くに活躍する主人公を楽しみました^^

   ◇   ◇

最後に一つだけ不満点。

何で、テロリストたちは、物語の序盤から、主人公が自分たちの作戦に害を及ぼすと考え、排除を敢行しようとしたのだろう。

それさえ、私にちゃんと納得させてくれる人がいたら、私はこの作品をほめたたえる。

一緒に観た人は、「自分らの敵のFBIが注目している人だから、自分らの敵だと思ったんでしょ?」と淡白なお言葉・・・^^;

                         (2008/04/28)
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[映画『紀元前1万年』を観た]

2008-04-27 14:22:28 | 物語の感想
☆実はこの感想、一度書いたら、間違って消してしまったので、二稿目である^^

足早に書きたいと思う。

私は、エメリッヒ監督の『インディペンデンス・デイ』には興奮させられたタイプの者で、『GODZILLA』も、本当のゴジラこそ現われなかったけれど映画としての出来は良かったと思っている。

『デイ・アフター・トゥモロー』もまあまあ楽しかった。

しかし、今回の作品は、乗り切れなかった。

幾つか理由があるが、一つにタイトルである。

タイトルを「紀元前1万年」・・・、つまり、閲覧者のみんなにイメージを膨らませてもらうために書けば、「紀元前100世紀」なのだが、とてもとても、そんな時代に思えないのだった。

「幾らなんでも、紀元前1万年に、人間はこんな生活はしていないだろうよ…」との思いが、鑑賞中、ずーっと心をよぎっていて、また物語の展開上、その違和感は増大を続けていくのだった・・・。

「娯楽作なんだから、野暮なこというなよ」と言う方もいるかも知れないが、だったら、そんなタイトルは冠さないで欲しかった。

私はカンボジアによく行くのだが、1000年ほど前のカンボジアが、この物語と同じぐらいの状況だと思われますよ・・・^^;

   ◇   ◇

この物語は、アルプス風の雪山の峰、その集落に住んでいる若者が、愛する女を悪の集団にさらわれて、それを追って山脈を越え、いきなり熱帯っぽいジャングルに至り、アラビアっぽい荒地を突き進み、アフリカの民族っぽい多種多様の部族を仲間とし、砂漠に至る・・・、とても舞台がバラエティに富んでいる。

各地から連れて来た人々を奴隷とし、ピラミッドっぽい巨大建造物を構築するファラオっぽい独裁者を打倒! 故郷に戻るっぽい、という「行きて帰りし物語」っぽい作品であった。

かなり大味なのだが、私は途中から、ファンタジーだと思って見ることにしたら、斬新な点も多々あり、楽しめた^^v

   ◇   ◇

物語の最初に、主人公の集落の若者たちによるモンモス狩りが描かれる。

このマンモスのCGが、この映画の売りでもあるらしいのだが、私には、「毛の生えた象」にしか見えなかった^^;

ただ、その重量感の表現は、凄いものだった。

子マンモーもいて、可愛かった^^

村の若者たちは、大挙として行進しているマンモスの群れを追い立て、そのしんがりの一頭を仕留めるべく、大きな網の罠に仕掛けようとするのだ。

しかし、その網がズルズルとマンモスに引っ張られてしまった。

「みんな! 網を引き戻すんだ!」

と、みんなで引きずられていく網をワラワラと追いかけ、手を伸ばす。

しかし、爆進するマンモスパワーは凄まじく。

みんな、「ウワーッ!」と、そのまま引きずられていくのだった。

その様が、メチャ面白かった^^

私も連れも大笑いした。

こんなシュールなアクションシーンは、稀である^^

「ギャートルズ」みたいだった。

   ◇   ◇

このマンモス狩りで、マンモスを仕留めた者には、村のリーダーの栄光が与えられる。

くしくも、主人公がその権利を得た。

しかし、実際は、主人公が勇敢だったのではなく、主人公はうろたえていたのだが、運良くマンモスのほうが自滅してくれたのである。

そこの一連のエピソードだが、主人公は、けして、そんなちゃっかしした性格ではなく、普通の若者なのである。

そのマンモス狩りのエピソードで、そんな展開にする必要はないのである。

変である。

変であるが故に、私は、作品鑑賞中の序盤、物語に妙なリアリティを感じてしまった^^;

このマンモス狩りエピソードは、物語のクライマックスで、主人公がマンモスに果敢に挑むことや、エピローグでの、「主人公は村のシャーマンばあちゃんの予言した救世主ではなかったのか・・・」といった点の伏線になっているようなのだが、残念ながら効果を発揮していなかった。

   ◇   ◇

雪山やジャングル、草原に砂丘と、物語は大ロケーションを敢行していた。

それらの映像は、一枚絵のように物語に説得力を与えてくれていた。

しかし、それが、映画としての動体となると、その展開の継ぎ目に粗さが目立った。

このようなビッグプロジェクトの作品には多く見られる状況だ。

その場その場のユニットは最高の仕事をしているのだが、その間をつなぐ、コミュニケーションと言うか、グランドデザインに欠けていた。

手触りとして、ゲーム『ファイナル・ファンタジー7』見たいな感じだ。

   ◇   ◇

どうやら、この作品は、もしかして、『アポカリプト』(←クリック!)を意識して作られたのかも知れない。

似た点が多々ある。

だが、『アポカリプト』と異なり、悪の集団は、主人公の村を襲いはするが、村を壊滅させることはなかった。

主人公が旅先で知り合う他の部族も、悪の集団に襲われつつも、部族として生きながらえてる。

手ぬるい悪党どもであるが、しかし、悪党のほうも「金づる」を根絶やしにしたら後に続かないのであるからして、私はそこにも、いちお、リアリティを感じるのだ。

だが、物語上のリアリティは、ここで、「ほぼ皆殺し」という選択肢の方が説得力があるのかも知れない。

この『紀元1万年』は、娯楽作としては必要のない、妙なリアリティがそこかしこに見られる。

・・・いや、リアリティ重視じゃなくて、虐殺描写で、レーティングが厳しくなるのを避けたんだろうけどね・・・^^;

   ◇   ◇

村のシャーマンばあちゃんは、この作品のオリジナリティの最たるものだった。

村にいたままに、苛酷な旅を続ける若者たちの経験を感受し、同調を続けるのだ。

故に、若者たちの旅が描かれていきつつも、時おり、「その頃、シャーマンばあちゃんは・・・」と、ばあちゃんの姿が描かれ、一本道の物語を複合的に見せてくれていた。

しかし、このばあちゃん、物語の最後に、その能力の物理的な影響を示してくれるが、物語進行中は、ただの「旅のシンクロナイザー」に過ぎないので、あまり意味がなかった。

このような伏線設定が、ちゃんと活かされてない状況も多々見られた。

例えば、悪の一味のリーダーがいるのだが、強そうなのだが、あまり強さを示さない。

ヒロインに惚れているようなのだが、ヒロインに対しての求愛行動がぎこちない。

そこにリアリティを見ようと思ったが、私は、そこで「ああ、これは演出が下手なのだな」とやっと理解した。

『インディペンデンス・デイ』に感動した私は、エメリッヒに過剰な要求をし過ぎているのだろうか?

また、この敵のリーダーだが、最後に主人公と一騎打ちするようなこともなかった。

ただ、ヒロインへのひたすらのこだわりがあるようなのだが、見ているこちらには、その「奴隷を愛する」という悪のリーダーの屈折心理は伝わってこない。

自分のものにならないなら死ねとばかりに、悪のリーダーは女に矢を射るのだが、その、一味違った屈折心理もまた、見ている私達には「悪のリーダーの執念」とさえも伝わってこない。

   ◇   ◇

ひょんなことから、草原の王者サーベルタイガーを助け、後にその恩返しをされて、主人公の「牙と話す男」としての救世主伝説が始まる。

しかし、サーベルタイガーは、その1エピソードだけの登場で、後の物語には絡んでこない。

それはそれで良いのだが、設定が勿体無い気もする。

   ◇   ◇

主人公の父親は、かつて村を捨てた男であった。

実際は、村の未来を考えての行為であったのだが、その後、父親は、主人公が知り合う人の思い出の中には出てくるのだが、それ程に伝説的な活躍していたわけでもなく、これまた設定が勿体無かった・・・^^;

   ◇   ◇

ファラオの居城には、大きな船が内蔵されている。

ちょっとした軍艦のイメージだ。

ファラオの強さの象徴の一つだ(もう一つはピラミッド)。

だが、最後の戦において、その船は、主人公の前に現われることはない。

ただ、燃やされ、解放された奴隷がその前で快哉を叫ぶだけだ。

イメージ的に、『インディペンデンス・デイ』の巨大UFOが落ちて、その前で地球人が喜んでいる風にしたいのだろうが、なにぶん、その船が悪虐の象徴のような活躍をしてないので、こちらの感情も高ぶらない。

   ◇   ◇

また、戦の前には、多くの部族が集まり、リーダーが、やはり『インディペンデンス・デイ』の大統領の<独立宣言>のように一演説ぶち上げるのだが、それまでの旅が、そこまで追いつめられたような気配がないので、やはり、こちらの心を打たない・・・。

   ◇   ◇

元ファラオの側近で、今は追放された賢者が、奴隷小屋の地下に、昇降式寝台でかくまわれているなんて設定もあって、そういった箇所には、「おお、いいぞ^^」などと興味が湧いた。

   ◇   ◇

娯楽映画は、アイディアの結晶体である。

そんなアイディアを活かすには、相応の「間(ま=編集)」が必要である。

だが、この作品においては、その統合が欠けていた様な気がする。

「北極星」の伏線も、「救世主の印」の答えも、見ているこちらに驚きのカタルシスを与えてくれることはない。

   ◇   ◇

神である「ファラオ」は、主人公に簡単に殺される。

「神などといっても、所詮は人間! 俺に簡単に殺される」

そう主人公は叫ぶのだが、それまでのファラオの超常能力みたいなものが全く描かれていないので、見ているこちらは、「そりゃそうだろうよ」などと思ってしまうのだ^^;

よっぽど、主人公の集落の小さなシャーマンばあちゃんの方が偉大な能力を持っていた。

   ◇   ◇

ただ、巨大ダチョウ(モア?)との戦いのスピード感や、明らかに現在も存在するかの如き(^^;)アフリカの部族たちが続々と集ってくるシーンなどは良かった。

莫大な制作費は、こちらが払う鑑賞料金程度には楽しませてくれよう・・・。

                          (2008/04/27)
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[映画『クレヨンしんちゃん:ちょー嵐を呼ぶ 金矛(きんぽこ)の勇者』を観た]

2008-04-21 20:48:00 | 物語の感想
☆感動した。

・・・知ってる気になって知らないものがある。

『クレヨンしんちゃん』は私にとって、そういうものだった。

『ドラえもん』ならば、私が子供の頃からテレビでやっていた。

だが、子供に人気の『クレヨンしんちゃん』が始まった時には、私は、もう大人になっていた。

私が愛読していた雑誌『映画秘宝』などでは、この『しんちゃん』映画シリーズは、すこぶる評判が良かった。

私は、「へーっ、しんちゃんは、大人の鑑賞に耐え得るものなんだあ」などと思いつつも、見る機会がなかった。

テレビシリーズやマンガも、一度か二度しか見たことない。

でも、メディアへの露出は高かったので、私は知った気になっていた。

今回、小さな豆甥っ子と豆姪っ子を、映画館に連れて行き、私は夢中になって見た。

『超劇場版 ケロロ軍曹3』と同じパターンだった。

     #     #     #     #

今回は、他次元の世界ドン・クラーイの支配を目論む悪者(名前忘れた)から狙われることになった勇者しんちゃんが、ドン・クラーイと春日部の平和を守るために戦う物語だ。

最初、明らかに「ナウシカ」とか「ラピュタ」のパロディらしいタイトルバックが流れ、私一人で笑った。

物語は、野原家の日常が延々と描かれる。

しかし、夜になると、夜にしか現われないドン・クラーイの使者がしんちゃんに接触を試みる。

二日ほどで「日常」は終わり、大冒険ギャグ活劇が始まるのかと思いきや、三日、四日、五日と日常が続く。

ただ、しんちゃんだけが、夜、ドン・クラーイの悪者たちに、得体の知れない怖い思いや、なんとも不可思議な目に遭わされる。

   ◇   ◇

・・・夜・・・。

寝るタイミングを失った子供にとっては、永遠とも思える静寂の時間である。

しんちゃんは、真っ暗な台所で、開け放った冷蔵庫からの明かりの中で、ジュースを飲んだりしてエンジョイする。

それだけで大冒険だ。

家の外などは、未知の世界で、出て行こうとさえ思えないだろう。

しかし、しんちゃんは出て行く。

油絵の具を塗りたくったような遠近法を失った世界が広がっていた。

そして、そこには、なんか「大人の世界の含みをもった男」が待ち受けていた。

男は、大人の世界の絶対価値観「カネ」を振りかざし、歌い、踊り、

メフィラス星人よろしく、子供のしんちゃんから、「世界を譲る」とでもいう<言葉>を得ようとする。

しかし、しんちゃんは、屈託なく拒絶。

この拒絶、ちょっと「千と千尋」っぽかった。

こんな風に、しんちゃんは、夜になると、異世界の怪人と遭遇する。

しかし、家族に話しても、幼稚園の友だちに話しても、園長先生に話しても、信じてもらえない。

しんちゃんはしんちゃんなので、マイペースなのだが、なんとも、孤立していくのだ。

見事な展開である。

子供の感じるいい知れぬ外界への不安感は、大人になった今の私だからこそ分かる。

私は、夏休みに配られた学研の「読み物」の中に数篇含まれていた怖い話や、学校図書館にあった「ぼくのまっかな丸木舟」なんて作品を思い出す。

映画の途中の館内で、どこかの女の子が「怖いよ~」と呟いていた。

感受性のある子である。

当たり前である。

この作品はそういう作りである。

   ◇   ◇

しんちゃんの能天気さで誤魔化されているが、子供が巻き込まれる犯罪の暗喩に満ちていた。

特に、しんちゃんは、何度も、訳分からない大人の怪人に追いつめられて、パニック状態になり、「ぼく、ノバラシンノスケ、五歳・・・」「ぼく、ノバラシンノスケ、五歳・・・」「ぼく、ノバラシンノスケ、五歳・・・」「ぼく、ノバラシンノスケ、五歳・・・」と連呼する。

私は、それを見ながら、「うへっ!」と思った。

   ◇   ◇

この作品には、ドン・クラーイの世界から、しんちゃんの助けになる少女も現われる。

マタという名前の女の子は、外見は短髪で、男の子と区別がつかない。

・・・世にロリコンという存在がいる。

俗に、ロリコンは美少女が好きだと思われようが、違うのである。

真のロリコンは、マタのように元気いっぱいの、男の子か女の子か分からない明るい華奢な少女が好きなのである。

しんちゃんは、男かと思っていたマタの胸をはたいてはじめて女だと知り、衝撃を受ける。

その瞬間、マタが「女の子」にしか見えなくなるのだ。

いい展開である^^

とある夜は、しんちゃんに怪人の来訪はなく、野原家の前の電柱の突端で、マタはホッと一安心・・・、そして、ミュージカルっぽく、歌いだすのだ。

かわいい、かわいい、たまらない^^

   ◇   ◇

物語の最後、マタは、しんちゃんにキスをしてさり気なく去っていく。

・・・子供時代は、ゆったりとした永遠にも近い日常の繰り返しである。

子供は、それを享受し、遊んでいる。

『ドラえもん:のび太の宇宙開拓史』では、そんな子供時代に、「どうにもならない断絶」が存在することをそのクライマックスで知らしめてくれていた。

次元の歪みで繋がっていた地球ののび太の部屋と、どこでもドアさえ届かない宇宙の彼方の星コーヤコーヤが、かけがえのない交流をしていたにもかかわらず、離れ離れになってしまうのだ。

『千と千尋の神隠し』では、異世界から去る千尋に、異世界の住人・坊が「またね~^^」と言い、私を安心させてくれた。

『しんちゃん』のエンディング、マタとの別れのシーンは、しんちゃんが、「マタ、またね~^^」とは言うが、さり気なくも「どうにもならない断絶」が描かれていたように思う。

とても、ノスタルジックな気分にさせられる作品だった・・・。

                       (2008/04/21)
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[映画『王妃の紋章』を観た]

2008-04-20 14:04:47 | 物語の感想
☆MOVIXで、無料鑑賞券を貰えるポイント数は60ポイントである。

本日は、3人で映画に赴き、先ず、私以外の二人にチケットを買わせて、20ポイントをゲットし、私の持っていた40ポイントと合わせて、私はタダで観てきましたよ!

     そして、そんなセコイ真似をして観た作品は・・・、

        絢爛豪華なる古代中国物語『王妃の紋章』!!!^^v

いちお、私の名誉のために言っておくと、いつもは、上記の連れには映画をよく奢ってやっているのだ。

なんか、今日は、そんな、凝った買い方をしてみたかったのだ^^;

     #     #     #     #

面白かった!

多くの方が、正鵠を射た評論をしているので、ここで私は同じようなことは書かない。

この映画、一言でいうと、私にとっては「おっぱい祭り」だった^^v

特に、冒頭の、国王一人のための無数の女官が、目覚め、それぞれが整然と、されど、多人数なので衣擦れの音が一つの大きなムーブメントにも感じられるほどの、身支度を整えていくさまに、私はとても高揚を覚えた。

この物語では、延々と大物量の国王権力が描かれる。

それは、北朝鮮のマスゲームにも似て、見る者を驚嘆させる。

王宮で働く者の朝の風景、そんな本来人間臭い情景が、あたかも工場の生産ラインの如く、機械的に流れていく。

私は、「・・・凄いな」と呟き、昨年ナンバー1の作品と思った『アポカリプト』に近い映像の力を感じた。

私が、そこに埋没させられないのは、ひとえに、視線がオッパイに向いていたからかも知れない。

この王宮の女のほとんどが、寄せて上げるブラを装着している。

きらびやかな宮廷を歩きつつ、その胸は「ポルンッ! パルンッ!」と揺れている。

基本的に、私は中国が嫌いなので、中国や香港映画を率先しては見ない。

だから、チャン・イーモウ監督とか、チョウ・ユンファとか、コン・リーと言われてもよく分からない。

こういった中国の大作は、『さらば、わが愛/覇王別姫』以来観ていなかった(何年振りだろう。 at渋谷Bunkamura)^^;

だが、リー・マンという娘は、メチャ可愛かった。

この子、千秋に似ているが、それ以上に丸かった^^

顔も体も、鋭角的なところがなく、女らしい曲線の極(きわみ)を感じさせられた。

皇太子とイチャついているところなど、なんか桃のようにエロかった。

そこに王妃が飛び込んできたので、伏せながら恐怖にブルブル震えているシーンも良かったなあ。

どんなに若くても美しくても、権力の逆鱗の前には儚いのである。

     #     #     #     #

物語は簡単に言うと、中国の宮廷内の国王一家の愛想劇である。

中国人ならば誰もが知っている舞台劇から想を得ているそうだ。

確かに、シェイクスピア劇のような、配役に無駄のない展開である。

かように多くの予算を用い、やっていることは「ただの家族ゲンカ」か、という意見もあるようだが、

作中、国王が語っている言葉に「我々王族は、民の規範にならなくては」があり、その裏返しで、「王族といえども、民と同じ」というテーマが浮かび上がってくる。

それに則して考えると、王族の世俗的な振る舞いも理解できる。

 1・前后の息子である皇太子と体の関係を持ってしまった王妃

 2・そんな王妃の毒殺を謀る、無慈悲な国王

 3.母親と契り、女官と結ばれ、後悔しつつ、自分の無力さに諦観を抱く皇太子

 4・国王を慕い王妃を慕う、武に秀でたリーダーシップも兼ね備える第二王子

 5・天真爛漫に過ごしているような第三王子。しかし、その心は・・・

 6・宮廷の薬師。王に忠誠を尽くしているが、それとは別に無意識の不忠行為を・・・

 7・宮廷の薬師の娘で、毎日、王妃に毒を盛る女官。皇太子と恋仲

 8・謎の女

その8人がピースとなって、見事にかっちりと合わさるパズルの如く物語を形成する。

それゆえに、技巧を凝らした戯曲みたいな完成度に至れるか・・・。

   ◇   ◇

・・・が、なぜか、この作品では、幾つか不確定な要素を残しているのだ。

私は、それを、物語の、観客の想像力に対してのプレゼントの如きものと認識しようと努めた。

これまでの、子供の頃から見てきた多くの作品でも、明らかに説明されていない要素があったとき、私はそう思い続けていた。

しかし、最近、それは製作者側の不親切のようにも思えてきた。

この作品においては、そのクライマックス・・・、

国王の暗殺部隊が、国王追放に動き出した金色の軍勢によって討たれるのだが、そのリーダーが何故か第二王子なのである。

第二王子は、この作品中、最もまともな人物であるが、国王に反旗を翻すに足る思考の変遷が描かれていないのだ。

あれ? と、見ているこちらには違和感が起こり、その「解せなさ」は、喉に刺さった小骨のように、後の展開を楽しめなくなるのだ。

また、王妃は、前妃の子である皇太子と結ばれているのだが、次期国王は自分の息子である第二国王に送りたいと思っている。

それは、国王も、同感で、でも、そこにコミュニケーションが不足しているが故に悲劇となるのだが、

では、さて、王妃は皇太子を憎んでいたのか? と思うと、そうではなく、まあ、相反する感情が王妃の心にはあったのかと考えれば事足りるのだが、

この大作の中にあっては、そのこだわりは蛇足以外の何ものでもないような気がした。

また、それぞれが、それぞれの手ごまの集団や軍勢を放つのだが、それまで、その自分の軍事力の片鱗さえ、物語中にあらわにならなかったので、やったと思ったら、もっと強い集団にやられ、やったと思ったら、もっと強い軍勢にやられ、やったと思ったら、もっと強い軍団にやられ、の繰り返しを考えると、力の裏づけの希薄な「少年ジャンプ」のマンガ作品を見せられているような気になってきた。

そんなことも気にならなくなるほどの人海戦術でもあったが・・・。

   ◇   ◇

しかし、中国の出か香港の出かは分からないが、このチャン・イーモウという監督、ビジュアル的感性に世界的非凡さを感じる。

特に、渓谷の谷間にある館に、薬師一家を討とうと暗殺集団が侵入するくだり、

四方八方から綱が張られ、忍者の如き暗殺団が、その綱を滑っていく。

セピア色の画面の中、水墨画のように美しい絵だった。

日本人の映像作家も、多くの美しい絵を生んでいる。

しかし、それとは異なる環境で、それとは異なる映像を生み出せる、この監督は凄いものだと思った。

この人、北京オリンピックの開会式セレモニーの監督をすると言う。

きっと素晴らしいものになるだろう。

私は、開会式テレビ観覧のボイコットをするので、見ないだろうが・・・。

   ◇   ◇

・・・リー・マン演じる、皇太子と恋仲の女官には、衝撃の真実が告げられる。

半狂乱になって走り去る女官・・・。

可愛い娘には、相応の罰が与えられるのである。

                         (2008/04/20)
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[映画『大いなる陰謀』を観た]

2008-04-19 01:42:36 | 物語の感想
☆とりあえず、この作品の公式HPで、作品の画像を一枚貰おうと思って、飛んだ。

すると、『ライラの冒険』の「あなたのダイモンは?」に似た、「(この作品中の登場人物での)あなたのタイプは?」みたいな企画がありまして、私が挑戦したところ、トム・クルーズ演じるところの<共和党の上院議員>でした^^;

・・・もう一つ、前説的に、一つ語っておきたい事がある。

この『大いなる陰謀』だが、封切り日は先週の土曜だったらしいのだが、何故か、私の行きつけの映画館<MOVIX昭島>は、18日からだった。

なんか「大いなる陰謀」があるのだろうか?

     #     #     #     #

さて、この作品は、同時刻三箇所の、それぞれの「閉鎖空間」をメインにした舞台劇みたいな作品だった。

一つ目のステージは、停滞するイラク情勢の批判を、他の戦場の勝利によって逸らそうと発案した上院議員の執務室だ。

ここでは、時期大統領候補とも目される議員が、その新人の頃に目をかけてくれたベテラン記者(メリル・ストリープ)に独占インタビューをさせていた。

二つ目のステージは、アフガニスタンは雪の山岳地帯。

その軍事作戦のポイントに飛ぶ軍用ヘリの中からだ。

有能だが育った環境の悪かった貧しい二人の軍人が、除隊後の大学院の学費免除を目標として参加していた。

三つ目は、その二人が学んでいたハーバード大の教授室。

才気はあるが、裕福さにかまけて甘えている学生に、ロバート・レッドフォード演じる政治科学の教授が説教していた。

それぞれのシークエンスは、物理的には接点はないが、テーマ的には深くつながっている。

ちょいと、先に観た『バンテージ・ポイント』を髣髴とさせた。

だが、『バンテージ…』が、技巧をバリバリに凝らしていたのに対し、こちらの作品は、上質で洗練された流れを持っていたと思う。

   ◇   ◇

簡単に言うと、この作品は、タカ派路線の共和党の政策に警鐘を鳴らす作品であった。

だが、フィクションである。

作り手は、自分の都合の言いように、幾らでも物語を展開していける。

だから、甘えた学生と議論するレッドフォード教授の主張することは、この物語内では、見事に正しく合致する。

それについて、タカ派にシンパシーを感じる私が難癖つけてもどうしようもない。

例えば、『機動戦士ガンダムSEED』の主人公チームなど、完全にリベラルである。

その物語は、途中から、「相手を殺さない戦争」を続ける。

だが、それについて、「誰も死なない戦闘なんてあるか!」とクレームつけるのも野暮である。

物語にはテーマがあり、それに沿った展開になるのだろうから^^;

・・・故に、タカ派だろう私であるが、この作品は良作だと思った。

   有望な上院議員とベテラン記者。

   弁の立つ学生と真摯な教授。

二つの議論が平行して描かれるが、その会話の応酬が、やや、内容にはリベラル的な青さを感じるが、見事な演技で裏打ちされ、飽きることなくエキサイティングだった。

中でも、トム・クルーズ、メリル・ストリープ、ロバート・レッドフォードと言う大物たちに囲まれていたが、楽しく安穏と暮らしたい学生役のアンドリュー・ガーフィールドが頑張っていた。

実に整った顔立ちで、女の子に人気が出そうだ。

単純なバカ学生ではなく、見込みがあるがやる気を消失させているって設定だ。

レッドフォード教授は、その弁舌に感心しながらも、

   「だが、君の言葉にはハートが足りない!」

というのだ。

「まだまだ経験が足りない」と・・・。

   ◇   ◇

同時刻、上院議員は、ベテラン記者の「国のリーダーは現場を知らない」との言葉に、

   「僕はトップの成績で士官学校を出た。優秀なのが悪いのか?」

と答えるのだ。

   ◇   ◇

現場の者と、遠く離れた場所で命令を下す者の齟齬というものは、永遠に語られ続ける主題であろう。

・・・私事だが、私は、とある製造生産ラインの現場責任者をやっていた。

そこには、数々の、現場を知らない上司からの指示があった。

私は大ゲンカして職を辞し、いまだにネット上で、その会社を糾弾し続けています^^;

   ◇   ◇

アフガニスタンで行われている新作戦は、思いもよらないタリバン側の攻勢に遭い、二人の行方不明者を出して、一時撤退していた。

・・・雪の中で、二人の軍人は生きていた。

二人は、かつて、理想に燃えていた。

その理想に近づくために、おそらく理想と最もかけ離れた軍隊を志願したのである。

逃げずに、苦難を経てこそ、自分らの大成はあると考えていた。

・・・そう言ったライオンのような戦場の意志が、羊のように脆いホワイトハウスの命令指示者によって蔑ろにされる。

それが、この『大いなる陰謀』の原題「Lions for Lambs」の由来だそうだ。

                         (2008/04/19)
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[『おらウェイズ:蘭丁目の白昼』 ⑤「vs牛」]

2008-04-15 19:57:34 | 日本の原風景
☆私の職場の近所には牧場がある。

昼休憩に自転車で近場を回っていると、いつも、この牧場の子牛が、それぞれの牛舎の個室(?)で草をハムハム食べている姿に出くわす。

それを、黒猫がジッと見ている。

そんな名シーンがよく見られ、いつも写メを撮りたくなるのだが、牧場の人がいると、どうも写すのに気が引けてしまう^^;

   ◇   ◇

牧場の奥のほうの放牧場では、年老いた牛が優雅に過ごしている。

最近、気になる牛がいた。

牛は、白と黒のツートンカラーだが、その配色のバランスが崩れているような牛がいた。

白過ぎるのと、黒過ぎるのがいた。

かくして、本日、うららかな春の日差しに誘われて、その放牧場に赴いた。

栗林を抜けると、お目当ての二頭と、茶色いコーヒー乳牛がいた。

三頭とも座っていて、のどかに日向ぼっこしていた。

しかし、私が近づく音に気づき、三頭は立ち上がった。

で、でかい!

私は怯みつつ、一歩前に出た。

すると、三頭も近づいてきた。

ちょっとしたモンスター風だ。

こ、これはやばい^^;

   
   (左:白過ぎ牛 真ん中:黒過ぎ牛 右:コーヒー乳牛)

私は、身の危険を感じ、一回シャッターを切ると、逃げた^^;

                       (2008/04/15)
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[遅ればせながら、映画『うた魂♪』を観た]

2008-04-13 16:25:33 | 物語の感想
☆いい作品であることは予想できた。

私は、この手の日本映画を、「ボーイ(ガール)・ミーツ・異文化」ものと呼んでいる。

最近では、『ガチ☆ボーイ』などもそうだった。

これは、伊丹十三の一連の作品(『マルサの女』『スーパーの女』など)にはじまる流れだと思う。

一風変わった世界を舞台に、そのシステムをカタログ的に語りつつ、主人公の「勝負」を描くのである。

その流れは周防正行に引き継がれ、『Shall we ダンス?』や『それでもボクはやってない』を生んだ。

中でも、『シコふんじゃった。』では、大学の相撲部を舞台にして、このカタログ的映画に「青春」を織り交ぜた。

異文化カタログ+青春の流れは、その後、『がんばっていきまっしょい』、『スウィングガールズ』、『ウォーターボーイズ』と発展していく。

どれもが、なかなかの佳作であり、日本映画の安全パイ的な質を保証してくれるジャンルである。

今年になっても、『ガチ☆ボーイ』と言う作品が生まれており、今回の高校合唱部を舞台にした『うた魂♪』に至る。

見ればそこそこ感動するだろう。

だけども、私は、少々、そのようなジャンルに飽きはじめた気配もあった^^

     #     #     #     #

ファーストシーンは、浜辺で歌う少女・・・。

線の細い少女で、色白で美しい。

なかなかいいぞ^^ 私は思う。

しかし、その主人公の娘(夏帆 )のモノローグがかぶさってくると、物語は状況を一変させる。

「ああ、私の歌声って、美しい。私の歌う姿をみんなはどう思っているのかしら」

・・・・・、・・・・・^^;

そういう主人公だったのである。

一種のオタク娘(腐女子)的な性格で、確かに才能はあるのだろうけど、その心の中は勝手な妄想で溢れている。

自己中で、ナルシストで、思い込みが激しく、「みんなが私に注目している」と夢想している。

いつも、川原泉のマンガの主人公のように口をポカーンと開けて「二ヘラ~ッ^^」と笑っている。

だが、好きだった男に「歌っている顔が、鮭の出産のときみたいだ」と言われ、それを契機に、それまでの自己の才能に過信した妄想世界がガラガラと崩れ始め、意気消沈する。

最初こそ笑っていたのだが、なんか、主人公カスミのインナーワールドの連続に、こちらの気分が引けてきて、段々と笑えなくなりはじめたとき、合唱に命を燃やすバンカラ学生集団が現われる。

その、「花の応援団」の青田赤道にも似たリーダー・権藤をGORIが演じていた。

それで私は救われた。

後は、この権藤が物語の牽引役として、まさに歌だけに限らず、作品にも魂を込めてくれたような気がする。

権藤率いる合唱部は、尾崎豊を荒々しくも情熱的に歌い上げる。

感動した。

そして、カスミも感動し、権藤と話をしてみるのだ。

権藤は言う(うろ覚え)。

 「見栄えを超越したとき、訴えるものが伝えられる」

 「カッコなんか気にしてちゃ、勝負に勝てねえ」

 「テクニックじゃねえ、ソウルだ!」

 「素っ裸で挑め!」

いや、良く覚えていないのだが、権藤はもっと心に響くセリフで言っていた。

言葉だと聞き流せてしまうが、権藤の合唱部は、説得力ある歌声を披露してくれていた。

だから、私の心にもグッときた。

私も、このサイトでは「甘噛み!」スタンスだが、姉妹サイトでは、とことんまで自分をさらけ出して多くを伝えようとしているので、権藤の言葉には勇気づけられた。

     #     #     #     #

多くの歌が合唱されたが、どうも選曲が二の線をいっていて、心に100%響かなかったのは残念。

こういうときは、思いっきりベタな選曲をキボンヌ^^;

     #     #     #     #

この作品は、青春群像劇ではなく、意外に、主演の夏帆のワンマン映画であった。

主人公カスミの成長がテーマでもあるので、最初こそはクローズアップが為されているのはいいのだが、「合唱とはチームありき」と分かった後も、物語はカスミだけを追い続けているのが、なんとも、映画のバランスを考えるとおかしく感じた。

     #     #     #     #

・・・で、このカスミ役の夏帆なのだが、どうにも主役として微妙なのである。

いちお、物語上は、「ちょっと顔がいいからって!」とか妬まれる役なのに、あまり魅力がないのである。

顔にメリハリもなく、「萌え」要素なんてのもない。

「不思議ちゃん」を演じているつもりなのだろうが、「痴呆ちゃん」みたいなのである。

こういうタイプって、たとえ落ち込んでも、反省も改心もしないことが多いんだけどね・・・。

・・・いや、僕、最終的には、やっぱ、「夏帆ちゃん、可愛い^^」と思っちゃうんだけどね^^;

      #     #     #     #

脚本上、人が合唱と言うものにめぐり合った時の、多くのエピソードが余さず語られている。

例えば、カスミを嫌う女の子が、カスミの歌い方を評して「どこぞの将軍様をほめたたえている様な歌い方だわ」とか言う、・・・そんなセリフにはシナリオのうまさを感じた。

また、そのカスミを憎む女の子のエピソードに、「フニクリフニクラ」を恥ずかしさも伴ってみんなの前でうまく歌えない思い出なんかも織り交ぜていた。

     #     #     #     #

『ガチ☆ボーイ』も、『クローバーフィールド』も、昨日観た『ブラックサイト』もそうだったのだが、クライマックスを終えると、エピローグが語られることもなく、潔く終わる。

私は、最近の映画の、このような作りはサッパリしていて好きである。

PS.裕子がストリートで歌っていて、まだ歌うことを知らなかった権藤が衝撃を受けるシーンがありますが、そこの場所、私知っています。
 東京は中野ブロードウェイの近くです^^
 この作品の舞台が、『ガチ☆ボーイ』と同じく北海道だったので、私個人の中では違和感がありありでした^^;

                        (2008/04/12)
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[映画『ブラックサイト』を観た]

2008-04-12 23:56:24 | 物語の感想
☆実は、昨日、近所のビデオレンタル屋さんで、200円で購入した中古ビデオ『マッドマックス』を観たのだが、そこで表現されたアウトローの暴力描写が、ちょうど30年ほど前の作品なのに、怖くて斬新で、とても新鮮な思いで作品を楽しめた。

30年前の古さと言うのは、そのややざらついた画質だけだった。

     #     #     #     #

そして、本日、ネット情報化時代を背景にしたサスペンス作品『ブラックサイト』を観た。

2時間弱の上映時間中、ダレ場がなく、ずっとヒヤヒヤさせられっぱなしで、面白かったぁ^^

物語は、殺人の実況中継をするサイトを摘発しようとするFBIのハイテク犯罪捜査官と、サイバー猟奇殺人者との対決の物語だ。

主人公は、先の『ジャンパー』でもチョイ役で出ていたダイアン・レインだ。

ダイアン・レインと言うと、私ぐらいの年齢にはアイドル女優として非常に懐かしい^^

『リトル・ロマンス』、コッポラの一連のYA(ヤング・アダルト)作品、そして、『ストリート・オブ・ファイヤー』・・・。

そう、まさに、30年前、『マッドマックス』の公開時期のスターだった。

現在では、あまり華もなく、枯れたイメージだ。

しかし、この『ブラックサイト』と言う作品自体、あまりメジャーな俳優を起用しておらず、ネット時代を背景にこそしているが、そのストーリー展開においては、非常にオーソドックスなスタイルなのであった。

画面もデジタル時代にも関わらず、フィルム的な粗さがあった。

それが却って、作品を格調高くしていた。

舞台となるのはポートランド。

あまり聞きなれない土地である。

しかし、作品上、重要となるブロードウェイ橋は、なんか見たことあるような味のあるアーチを持っていた。

     #     #     #     #

この物語の斬新さは、ウェブサイト「Kill with me」上で、興味本位でアクセスしてくるそのネット上の第三者たちのカウント数によって、捕らわれた者の命が左右されるということだった。

つまり、悪意なき者のクリックが、殺人を引き起こしてしまうのである。

しかし、それは予告編では大きく取り上げられていたが、作品内ではあまりクローズアップされない。

ただひたすらに、公開殺人を起こしている、その犯罪者を、捜査官たちは追及していく。

それもアナログ的な思考で、だ。

一見、無差別と思われた連続殺人だが、実は理由があった。

それについても、見ている私などはホッとするのだが、犯人の動機が○○であったと分かると、そこにも(ドラマ上での)20世紀型の古き犯罪の残滓を垣間見るのである。

ただ、犯人の動機が○○だと分かったにしては、犯人の手法が猟奇的なのである。

残忍なのも1つのパターンならばいいのだが、3,4回とバリエーションが豊富だと、犯人の動機が、やっぱり「快楽殺人」なのではないかと思ってしまうのだ^^;

しかも、犯人の顔が明らかに「危ないサイコ顔」なのである。

とてもとても○○を動機にしているとは認めがたいのだ。

     #     #     #     #

一時期のハリウッド映画は、このようなサスペンス作品において、実は身内が犯人だった、と言う手法が取られて、私はゲンナリさせられたものだったが、この作品においてはそれはないので、安心して欲しい。

また、犯人に、主人公ジェシーの娘が狙われると言う展開が少しだけ見られたのだが、その時は、「ああ、マッドマックスのパターンかよ」と恐れたのだが、それはサスペンスを盛り上げるためのツマに過ぎず、その後は、娘が殺されちゃうなんてストレスのたまる展開にはならず、安心して健全なサスペンス展開を楽しめます^^

     #     #     #     #

しかし、ジェシーの娘だが、ヘチャムクレの顔である。

私は、先日観た『魔法にかけられて』に出てきたヘチャムクレの娘役を思い出すのだった。

しかも、両者とも、柔道か空手か分からないけど、習い事から道着姿で返ってくるシーンがあった。

アメリカの家庭では、娘に武道を習わせるのが流行っているのだろうか?

     #     #     #     #

物語のクライマックスは、ジェシー自身が犯人に捕らえられ、ネット上での公開処刑をされそうになる。

ここのシーン、素晴らしい出来である。

もっともっとゆっくりとサスペンスを盛り上げてもいいのであろうが、「居合い斬り」のようなシャープな演出で物語を締める。

ダイアン・レイン、・・・久々に爽快感を感じただろう役柄だったと思う。

  ・・・FBIのバッチを差し出すジェシー・・・、かっちょいい!!!^^

                           (2008/04/12)
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[映画『クローバー・フィールド/HAKAISHA』を観た]

2008-04-05 19:53:24 | 物語の感想
☆この作品は、巨大モンスターがニューヨークを壊滅させる話だそうだが、そのモンスターの姿は秘匿されたまま、本日の公開に至っている。

その「秘密戦略」は、宣伝が開始された頃は、映画のタイトルさえも謎とされていた、ようだ。

チラシなどには、謎めいたキーワードがちりばめられている。

・・・いや、私は、この作品を意識し始めたのが二ヶ月ほど前なので、それ程には待望してはいなかったのよ^^;

でも、人並みに、「ネットでなら、そのモンスターの姿が曝されているべぇ、母べぇ^^;」と思い検索した。

でも、私の調べが甘かったからかも知れないが、見られなかった。

思えば、『E.T』や『未知との遭遇』『エレファントマン』が公開されていた三十年ほど前は、そういった「人の興味を嫌がおうにも引いてしまうビジュアル」は「公開までは秘密」とされていたものだ。

しかし、この高度情報化社会において、そういった秘密戦略は成り立つのだろうか? と思ったものだが、本日の公開まで、私がモンスターの姿を拝んでいないので、成功したのだろう^^

私は、モンスターの外見を友人と語り合っていて、「ロボットじゃないか?」と言ってみた。

だって、映画館の予告CMの最初に、プロダクションのものだろうけど「BAD ROBOT」と言うロゴが出ているから・・・。

・・・さて^^

     #     #     #     #

おっと、もう一つ、書いておかないといけないことがある。

この映画の『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』的なつくりである。

それは、一素人の撮影者による「記録された映像」的な作劇であり、カッコ良く言うと「ドキュメント」的な作品づくりのことである。

つまり、ホームビデオを撮っていた撮影者が、大きな事件に巻き込まれ、その様子を記録し続けた、と言う態が装われているのである。

顕著なのは、「画面の揺れ(手ぶれ)」が大きいということである^^;

私がモンスターの姿を求めてネット検索していた時、海外で公開された直後で、多くの感想が見られたのだが、「手ぶれ画面に酔っ払ってしまったから、ダメ」と言う感想が多くみられた。

でも、それがいいと言う方も見られた。

私は、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の時、やや酔ってしまったタイプであるが、『ブレア…』の新しさには面白さを感じた。

だが、『クローバー・フィールド』は、『ブレア…』のように、「奇を衒った」だけでは済ますことは出来ない。

あまりにものビッグバジェットであるだろうし、ベーシックとなる作品自体の面白さを、私は期待するのだ。

つまり、「素人による擬似ドキュメント」の魅力を差っ引いても楽しめる作品をキボンヌ、っちゅうことだ。

・・・と、ここまでは観る前に用意しておいた文章だ。

以下は、鑑賞後・・・^^;

     #     #     #     #

非常に面白かった。

私は、この作品を肯定したい。

手ぶれ映像で確かに少し酔ったが、それが非常に心地良い疲労になって、鑑賞後の今も、「ふぅ~っ」と深呼吸をくり返している。

前段で私が書いた「<擬似ドキュメント>手法による<奇を衒った>」などと言う虚仮威し(こけおどし)の内容ではなかった。

「擬似ドキュメント」は、作品の魅力を最大限に活かす最良の表現テクニックであった。

内容と技術が不可分で、見事に絡み合っていた。

成り行きで作っているように見せかけて、そこには、緻密な計算が成り立っていた。

たかだか若者数人の集まりの「右往左往」のようだが、モンスターの姿も、それに対する軍隊からの情報も、自然に明らかになっていくと言う展開で、こちらの興味も惹きつけ続ける。

多くの謎が残るのだが、この作品が、主人公とヒロイン二人の「愛の物語」だと考えると、序盤の長いパーティーシーンも納得できるし、尻切れトンボにも思える結末が、ちゃんと悲恋として完結しているのだ。

時おり、そのホームビデオのテープが、重ね撮りらしく、昔の二人の幸せそうな時期の姿を映し出す。

観終わって思うと、そのインサート映像がよい効果を生んでいる。

     #     #     #     #

私は、もはや、一匹しかでない大型モンスター映画などに、胸をドキドキさせられるとは思っていなかったのだが、「どこぞから来た未知の怪獣」から、臨場感たっぷりに逃げ惑う主人公たちの姿にハラハラドキドキさせられて、「ああ、こんな、巨大怪獣本来の怖さに立ち返った撮り方があったんだなぁ!」と感動した。

私は、「ゴジラ」「ガメラ」などに慣れ過ぎて、その怪獣プロレス的なものがモンスター映画だと思い込んでいたらしい。

・・・しかし、最近の怪獣映画の傾向として、モンスターには必ず付随するチビモンスターたちがいますな^^;

   『ゴジラ』のデストロイア
   『ガメラ』のレギオン
   『ゴジラ(USA)』の子ゴジラ

今回の怪獣は、それは踏襲しています。

チビモンスターが出現し、それでこそ、人間との等身大の戦いも表現されて、本体のスケールが強調されまする^^

     #     #     #     #

肝心のモンスターだが、その姿について、ちょっとだけ記させてくれ^^;

怪獣と言うと、どうしても恐竜的なフォルムから離れられない西洋人だが、この作品のモンスターは、やや細めで、人間ぽかった。

巨大な人型が、マンハッタンをズシズシ歩くビジュアルはシュールでよかった。

なんか肌合いがカサカサしていて、表面にシミが多数見られるのも、老人くさい^^;

私は、『ウルトラマン』のジャミラを思い出しました^^

     #     #     #     #

平成『ガメラ』シリーズはスタイリッシュで、いい画が多数あった。

   ・・・折れた東京タワーに蹲るギャオス。
   ・・・仙台爆心地で化石風になるガメラ。
   ・・・燃えさかる京都でイリスと対峙するガメラ。

『クローバー・フィールド』も、いいビジュアルがあった。

   ・・・ポスターにもなっている、燃えるマンハッタン背景の首のない「自由の女神」。
   ・・・破壊されて隣の高層ビルに寄りかかる高層マンション。
   ・・・いかにも軽々と飛んでくる「自由の女神」のクビ。
   ・・・爆撃攻撃されて、倒れつつ、近くのビルに縋り、窓と言う窓を引っ掻き散らすモンスター。

良かった~^^

それらが、完璧に構築された世界で展開されるんだから、たまらない。

主人公達の性格の描き分けもしっかりしていた。

     #     #     #     #

ひとつだけ、微妙なことについて書きたい。

撮影者が、仲間の身内に不幸があってもビデオを撮り続けるのに違和感。

確かに、それについて、主人公が疑問を呈す会話があるが、その後、更に厳しい展開が続き、途中で、誰かが「もう撮るのやめなさいよ!」と叫んでもおかしくない気がする。

ただ、それについてもうまいんだよなぁ。

撮られている仲間たちは、疲労しきって、そんな文句も言えなくなっているような描写がちゃんとあるんだよなぁ^^;

今年は楽しい映画がいっぱいだなあ!!!

                          (2008/04/05)
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