『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[私の1991年のメモ日記・21<トランクス>]

2012-03-22 23:13:17 | 1991年の日記
☆1991年に書いていたメモ日記です^^

   ◇

     1991年07月13日(土)

 <秋川(実家)にて目覚める。妹の車を家の敷地内に入れるようにするため、ブロック塀を壊す。11時に母と福生に行く。西友にて買い物。家に帰り、またも、父,母と八王子にへ。両親はメガネを買うそうで、<パリミキ>に。僕は金がないので、金を貰い、ケンタッキーを買う。新発売のクリスピーチキンは、あまりうまいとは言えない。けど、「ホームアローン」Tシャツが当たった^^ マナアサがくる。西友で買ってあったケロケロケロッピとキティちゃんの切り抜き絵本をあげる。「ダイヤモンド」のCDをかけて、ベッドの上でジャンプさせながら遊ばせる。マナミとアサミの二人は、物をあげる時とか、「高い高い」をしてあげる時だけ、僕に擦り寄ってくる。夜、レンタルしてきた『バード・オン・ワイヤー』を見る。映画館でも見たけど、まあまあ楽しめる。>

ホーム・アローン [DVD]
クリエーター情報なし
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン


DIAMONDS
PRINCESS PRINCESS,中山加奈子,富田京子
ソニーレコード


バード・オン・ワイヤー [DVD]
クリエーター情報なし
ジェネオン・ユニバーサル


   ◇

     1991年07月14日(日)

 <7時前に起き、新聞を読み、また、寝る。9時半に起きる。お姉ちゃんのバースデー。母とケーキを買いに不二家へ。カマンベールケーキはうまい。お昼に食べた<丸信>の固ヤキソバもうまい。レンタルしてきた『出張』という映画を見る。石橋蓮司が良かったが、妙な映画だった。5時半に<きく家>にミソとんかつを食いに行く。みんな酔って話が盛り上がった。お姉ちゃんは「顔はいいけど、嫌な性格の男」とつきあっているそうだ。いい事だ。中野に戻る>


出張 [VHS]
クリエーター情報なし
東映ビデオ


   ◇

     1991年07月15日(月)

 <いつものように4時半に起き、早朝の町を歩いて築地に行く。ペットショップのガラス越しに白いチンチラがこっちを見ていた。困ったような目がなんとも可愛い。今日は、ことのほか、時間が経つのが早かった。仕事が終わるも早かった。それから、バイトの仲間に予言をしておいた。「ドラゴンボール」のこれからの展開についてだ。「謎の少年」の名前はズバリ! 孫悟空(もしくはべジータ)。彼は、パラレルワールドの、もう一つの地球からやってきたのだ。これは絶対に自信あり。来週のジャンプが楽しみ^^ ジムを終え、菅ちゃんにフレッシュマックをおごってもらい、家に帰り、横になってしまう。大乃国が引退で、少し可哀想だが、しょうがないのか。>

 ・・・私は、「未来から来た少年・トランクス」について、かような勝手な予想をしていました^^;

ドラゴンボール改 人造人間・セル編 BOX1 [Blu-ray]
クリエーター情報なし
Happinet(SB)(D)


                                                       (2012/03/22)
コメント

[私の1991年のメモ日記・20]

2011-10-13 22:48:41 | 1991年の日記
☆1991年に書いていたメモ日記です^^

   ◇

     1991年10月13日(日)

 <昨日、沖縄から肉が届いた。父と弟と僕の分、3枚を焼く。ミディアム。うまい肉だったが、焼き方を失敗したかな。テアトル吉祥寺へ。山田洋二監督『息子』を観る。良かった。三国連太郎は、その老け具合、その演技、文句なし。悲しくもあり、可愛くもある親父だ。ちょいと、我が親父と似ている。時代に合うことの出来ぬ寂しげな瞳が良い。息子であるテツオ(永瀬正敏)の純朴さ、可憐で美しい征子(和久井映見)も良い。ろうあ者(征子)と結婚したいと語る息子に、その障害については一言も触れず、夜も眠れずに喜ぶ父親が、もう本当にいい。涙が出てきちゃうよ。そのビールのだらしない飲み方、「お富さん」を歌う声、三国連太郎、すごく良かった>

息子 [DVD]
クリエーター情報なし
松竹


   ◇

     1991年10月14日(月)

 <昨夜からのつぼ八のバイトをAM3:00に終え、一時間ほど寝ようと思いきや、松邦君が「行ってもいいですか?」。彼はイイ奴なので、断れようもない。4時半までおしゃべりをして時を過ごし、新橋へ。どうも腹の調子が悪い。これがいわゆる胃のもたれか。正露丸を飲む。少しは効いたような気がする。築地界隈を回るのがえらく辛かった。大学は休んだ。言語学概論も休んでしまった。外間先生は、どうせ俺のことなんか嫌いだべぇ。家に帰り、すぐに寝る。また夜、つぼ八にシフトを入れていたから、それまでには直さなくちゃ。つぼ八はなぜか暇だった>

沖縄の歴史と文化 (中公新書)
外間 守善
中央公論社


   ◇

     1991年10月15日(火)…体重69・5キロ

 <とにかく桃さんは働かない。僕が、いつもよりも働かないと、負担は全て菅君へ行く。それでは早くに終わらないので、僕も頑張ってやってしまう。桃さんには早く帰りたい気持ちもないのだろう。グータラ社員か・・・。久し振りにジムに行く。寒くなってきたので、汗もあまりかかない。家に帰り、大学をさぼり寝てしまう。9時に、川口君が長村君と言う人を連れて遊びに来る。昼間に買っていたワイルドターキーやビールを飲んで盛り上がる。長村君は18歳だそうだ。若い。自分の家で飲むと、帰りのことなどを気にしないでよくて、気楽に飲めるのがいい。川口君、酔いつつ帰宅>

ワイルドターキー スタンダード 700ML 1本
クリエーター情報なし
ペルノリカール 株式会社


   ◇

     1991年10月16日(水)…体重69・5キロ

 <昨夜、なんとも新鮮な夢を見た。僕が、覚えのない可愛く美しい女性とキスする夢だ。いやに生々しくて、起きてから夢だと気づくと、悔しくなった。沖縄ゼミ旅行以来の外間ゼミだ。名田部君が旅行の写真を幾枚かくれた。私はデブでシャイに写っていた。稲葉君もいた。広瀬君も相変わらずで、来週辺りにコンパをやるそうだ。楽しみだ。テレビでは「稲村ジェーン」がやっていた。ひどく長く感じる、つまらない作品で、映画館で見たとき、僕も「こりゃ、酷い」と思ったものだが、終盤での浜辺での主人公とヒロインに、ホロ苦い気持ちが起こったので、まんざら悪くないのかね>

稲村ジェーン(リマスタリング盤)
クリエーター情報なし
ビクターエンタテインメント


          ・・・名曲がいっぱいのアルバムです^^

                                                     (2011/10/13)
コメント

[私の1991年のメモ日記・19 <皆勤賞ワヤ、リンチ鑑賞>]

2011-01-15 19:23:46 | 1991年の日記
☆このシリーズも、ちょうど20年前になりましたね^^v

   ◇

 1991年1月14日(月)

 <バイトの後、新宿へ。オスカーで岡本喜八監督の『大誘拐』を観た。紀州一の大金持ちのおばあちゃん(北林谷栄)を誘拐した三人の男が、逆におばあちゃんに振り回されるコメディだ。どうも僕は、このコメディと言うジャンルに興味がない。ギャグでは笑えるのだが、コメディでは笑えない。「巨匠」と呼ばれる喜八監督が、軽いノリ(良い意味)で作っているのは好感である。マスコミに対しての風刺が効いていて、結構クスクス笑わせられるも、多彩な個性的な人物を生かしていない。筋の省略も激しく訳が分からないときがある。そして、一番の酷さは関西弁の活舌だ。音がこもって聞えないよ。新宿オスカーの音響設備が悪いのかなあ。シナリオ重視でありつつ、クライマックスのシナリオが破綻しているのだが、北林谷栄の魅力で楽しめる一編。おっと、それから、丸山さんに一万円借りる>

 最近の私は、コメディが大好きである^^

     

   ◇

 1991年1月15日(火)

 <休日にもかかわらず、丸さんと池袋へ行く為に早起き。文芸座で『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』『3』大会だ。中野駅で電車を待っていると、晴れ着の女性が美しい。成人式なのでニ十歳だろうに、僕よりも大人っぽい。午後2時、マーティとの旅に疲れながら観終えた。三観目ながらも、やはり『2』は傑作、『3』もまあまあ、丸山さんも満足していたが、「デロリアンは二台あるのか?」と時間のパラドックスに悩んでいた。デロリアンは一台だよ^^; 丸山さんと別れ、僕は新宿トーア2へ、待望の『ワイルド・アット・ハート』だ。少々、大衆化してしまった感のあるD・リンチだが、カメラの美しさ、テンポの良さ、N・ケイジの蛇革ジャケット(本人の自前らしい)、選曲の良さ、W・デフォーの不気味さ、I・ロッセリーニも良いね。しかし、あれだけ好き勝手にぶちかましながら、最後に「ラブ・ミー・テンダー」だぜ、全く、ジンときちゃう>

 もう10年以上、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズを観ていないけど、<バック・トゥ・ザ・フューチャー・シリーズ三部作大会>をどこかでやってくれないだろうか、俺、観に行くよ!

 

 

 D・リンチで思い出したのだが、

 そう言えば、ミニシアターの閉館が続いているらしいが、シネマライズは3スクリーンから一館に規模収縮し頑張っているそうだ。

 私、高校三年間を皆勤賞で過ごしたのだが、一度だけ、早退している。

 そう、D・リンチの『ブルー・ベルベット』の試写会かなんかに、このシネマライズに、制服ブレザーで観に行ったのである!(でも、公開日とか考えると計算が合わないんだよなぁ^^;)

     

                                                    (2010/01/15)
コメント

[私の1991年のメモ日記・18 <映画な日々>]

2010-03-31 23:59:04 | 1991年の日記
☆今週から来週にかけて、ウチの近くのシネコンではパッとする公開作がなく、映画を観に行ってない。

 堀北真希ってアイドルの作品が公開されたが、私は、彼女に全く魅力を感じない。

 文句を言ってもアイドル、リアルで目の前にしたら・・・、などとも思うが、どうも私の好みじゃない。

 私には、ラッキョウに見えてしまうのだ^^

 ・・・なんで、「1991年の日記」シリーズで、昔の映画を楽しみましょう!!!

   ◇

 1991/03/28(水)

 10時に起き、昨夜、見てる途中で寝てしまった『十一人の侍』の続きを見る。昔の作品なのに、なかなか新鮮な個性を持つ登場人物たち、老中・水野の冷たさ、バカ殿、それに仕える「ぎょうぶ」の哀しさ。そして、『十三人の刺客』でも良かった西村晃の剣豪! 工藤栄一はもっともっと撮ってくれ! 12時半、市谷へ、進級、我ながらおめでとう^^; 渋谷Bunkamuraル・シネマ1で『尋問』を観る。ポーランドの戦後間もない時代の秘密警察に、不当に逮捕・投獄、そして尋問される無実の女優の物語。物語が始まると、時代も場所も分からず、主人公トニヤのステージで色っぽく歌う姿がある。綺麗やなぁ、と見ていると、彼女は一転、逮捕されて精神の極限状態を強いられる。二人の尋問官、実にリアルなキャラクター、特に少佐役のヤヌウシ・ガヨズが良い。主人公トニア役のクリスティナ・ヤンダのひたむきな瞳が良い。『ウォーリーを探せ!④』難い・・・。

  

 1991/03/29(木)・・・体重70.0kg

 11時に起き、しばらくボーッとして、新井薬師の近くの食堂で肉皿定食を所望し(現在の私による注:「所望」というのは言葉使いとしておかしいね^^;)、新宿へ。シネマスクエアで『マッチ工場の少女』を観る。近頃話題のフィンランドの監督アキ・カウリスマキの作品だ。ブス娘の不幸と、その復讐の話。口数の少ない主人公や、その回りの者達の気まずい瞬間を捉え、そして、それを念入りに見せてくれる。悲しい話なのだが、何となく面白い。ブス少女イリスが封筒を開ける、マッチ箱を整える・・・、そんな物語には無意味なシーンを妙に興味深く見せてくれる。いったん家に帰り、中野サンプラザへ。ジムで汗を流す。菅君に会い話をする。ジムを出、丸井の試写会『レナードの朝』。眠り病のレナード(ロバート・デ・ニーロ)が、セイヤ医師(ロビン・ウィリアムス)の熱心な治療と、薬の投与で30年振りに目覚め、生活をエンジョイ、そして、またも眠りについてしまうまでの物語。再び病に侵されていくレナードが、痙攣する手足で覚醒中に出来た恋人に、「もう会えない」と去るシーン、身障者であるレナードを抱き、ダンスする女の心中に涙した。その後、大沼と飲み、今酔っている。

 ・・・『マッチ工場の少女』

 1991/03/30(金)

 二日振りにバイト、時間がスムーズに過ぎて行く。映画とは何て複雑なものなのだろうと考える。一口に<映画>と言っても、色んな種類と見方がある。杉田君は、ビデオで『ステラ』を見て、その感想を話してくれた。「週刊文春」を、秋川に帰る途中で買うと、ショー・コスギのインタビューが載っていた(『KABUTO』はB級として面白そう)。ベルトリッチと淀川長治の対談も載っていた。『シェルタリング・スカイ』に心底惚れ込んでいる淀川長治、ベルトリッチが作品に込めた思いを全て吸い取っている。『レナードの朝』のペニー・マーシャル監督のインタビューも載っていた。『レナード~』は、一緒に試写会を観た父と母に非常に評判が良かった。父は言った、この作品は奥が深いんだぞ、と・・・。(明日に続く)

  ・・・『シェルタリング・スカイ』

 1991/03/31(土)

 ・・・『レナードの朝』には、キリストの「キ」の字も出てこない。アメリカ人にクリスチャンが多いのは、まあ当然だが、そういった人物も出てこない。しかし、父は言うのだ。これは聖書物語の一種だと。実話ではある、この作品だが、レナードが眠り病になっている30年・・・、その30年こそが、キリストが伝道活動に費やした期間。そして、眠り病の内にセイヤ医師に示した文字が、『マルテの手記』、リルケのものだった。これこそ、宗教書ではないが、あまりにもキリスト教的な、いや、カソリック的だと言うのだ。セイヤ医師こそは、ヨハネだと。かくして、レナードは、一度復活し、そして、また、天に帰って行ったわけだ。この作品にペニー・マーシャルが込めた思い。キリストを語らずして、キリストを全面的に含ませたのだ、と。今日はイースターだ。やったあ! 我が家は衛星放送を設置することになった。父に臨時ボーナスが出たからだそうだ。ビデオをレンタルしてくる。ロバート・デ・ニーロ特集とする。先ず、『俺達は天使じゃない』。2人の逃亡者が、変装にと神父に化けて、結果的に善行を施してしまうと言う、あったかコメディ。劇場でも観たけど、家族で見ると、これまた楽しい。ビデオで鑑賞し、面白さを再認識。ショーン・ペンが可愛くて良い。『ミッドナイト・ラン』、これは永遠の名作です。アクションが主人公でなく、「人間」が主人公。笑えて泣かせて、シナリオが粋!



   ◇

 上記の、父親の『レナードの朝』考は、あまり真剣に読まないでいい。

 親父は、結構、その場のノリで適当なことを言うときもあった。

 何よりも、私は、このブログで書いたかもしれなくて、また、そのうち書くかも知れないけど、ペニー・マーシャル監督の作品全般のテーマが分かっている。

 また、『ミッドナイト・ラン』の監督のマーティン・ブレストの、作品全般のテーマも分かっている。

 その内、機会があったら、書くことになると思う。

 なお、私のハンドルネームは、『ミッドナイト・ラン』に由来している^^

                                         (2010/03/31)
コメント

[私の1991年のメモ日記・17 <正月明けて・・・>]

2010-01-05 06:05:32 | 1991年の日記
☆・・・1991/01/05(土)

 仕事始め、客も少なく、荷も少なし。昼休みに、中野サンプラザのジムの案内書を取りに行く。なかなか綺麗な施設だった。バイトは六時半、早めに終わった。丸山さんと新宿へ、『ダイハード2』を観る。僕は3観目だった。やはり面白い。僕はこのシリーズが病的に好きだ。コックピット脱出シーンなんて最高! しかし、丸山さんは不満な点もあるようだった。僕は不機嫌になるも、個人の感じ方なんだからしょうがない。大沼は「ランボー」シリーズ嫌いだけど、僕は大好きだしね。

          

   ◇

 1991/01/06(日)

 朝起きると、どうも体の調子が良くない。風邪か? ベンザエース飲んで、<渋谷Bunkamura>へ。『太陽は夜も輝く』を観に行く。ル・シネマは洒落た映画館で大好きさ。しかし、無機質過ぎて、生活感がなく。またしても、間違えて、女便所でクソをしてしまった! この映画は、シャルロット・ゲンズブールを見に行ったが、ナスターシャ・キンスキーにいかれた。まさに「究極の美しさ」!! 物語も素晴らしく、堪能した。美しさは罪か? 苦しめナスターシャ! 「神は求めても無駄、真理を求めたとき、神は現われる」 続いて、<新宿ヴィレッジ2>へ。映画版『ちびまる子ちゃん』だ。さくらももこの泣かせの演出にはまって涙腺が緩んでしまったよ。

        

   ◇

 1991/01/07(月)

 体がダルいので、アルバイトを休む。限りなくズル休みに近い。教育テレビを見る。「さわやか3組」の出演者の稚拙な演技、安っぽい展開は、何となくアダルトビデオを連想させた。10時、近くの本屋で『キネマ旬報』を買ってくる。映評に刺激されて、昨日観た『太陽は~』の評論に挑戦してみる。清書して送ってみようか。評価は良くないようだが、『逃亡者』には期待している。テレビCMでのミッキーロークの格好良さ! 闇夜で、銃を構えて立つミッキー。彼を照らすライト・・・。姉が6時にアパートに寄った。土曜日にマナミとアサミが来たそうだ。二人に姉が、「お兄ちゃんは帰っちゃったよ」と言うと、マナミが「知ってる」と答えたそうだ。「何で知ってるの?」と問うと、「夢で見たから知ってる」・・・。何となくブラックだ。

          

                                     (2010/01/05)
コメント

[私の1991年のメモ日記・16 <「吉兆」の思い出(マルジュウ)>]

2009-10-30 22:48:27 | 1991年の日記
☆忙しいので、再掲です^^;

 でも、かつて、このエントリーは爆発的な閲覧数を稼ぎました。

 高級料亭「吉兆」の偽装表示問題が話題になっていた頃だったからです。

 もちろん、今回の舞台の「吉兆」は、あの「船場吉兆」とは別物ですよ^^

   ◇

 [「吉兆」の思い出(マルジュウ)] (2007/11/18 10:21)

☆先ずは、私の1991年の日記を読んで欲しい。

 私は、築地にある「吉兆」に、野菜を配達していた・・。

     #     #     #     #

 ☆10月4日(金)

 さて、AM3時までの「つぼ八」バイトを終え、しばらく中野駅の出入り口シャッター前に座り、始発で新橋へ。変則の早朝バイト。8時まで「金八」で働き、専務(注・1)に一万円頂き、浜松町から羽田へ、初めての飛行機だ! モノレールから見える景色も新鮮だったが、飛行機からの景色だ・・・。滑走路、いきなり鬼のようなスピードで走り出し、飛び立った飛行機からの風景は最高だった。窓際から、窓にかじりつく様にして、地面が見えなくなるまで見続けた。人間なんてちっぽけな存在だ! と思うと同時に、ジャンボ機を作り、1万メートルの空にまで到達できる人間の叡智にも感心。・・・沖縄に降り立つ、モアーッとした上天気。しかし、日差しの爽やかな町だ。喋りまくるバスガイドさんの話を聞きつつ、浜比嘉島に向かう。港からは高速船で行く。風が爽やか、真っ青な海。島ではシナリキョやアマミキョの史跡を見学する。海辺のアマミキョで、現地の子が、「オメラ、フライズンで来たんだろ?」と問うてきた。フライズンとは、僕たちの乗ってきた船・ホライズン号のことだった。ホ(O)とフ(U)の母音変化に納得する。夜はバーべQ、オリオンビールをグビグビやる。その時、ツツツ・・・と、ゼミ生だが、会話したことなかった可愛い斎藤さんが寄って来てポツリと言った。「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。私は、嬉しくなった(ロマンスのはじまりでしょうか・・・^^;)。同室の稲葉君は、ホームステイの経験があるそうで、その話で盛り上がる。

 (注・1)・・・私の大学のゼミ合宿(旅行)は、学習院との合同ゼミ合宿だったのです。で、築地の野菜卸し業「金八」の専務の娘さんが、学習院の学生だったので、その御令嬢も、同じ旅行グループに参加していました。でも、専務が恐いので手を出しませんでした^^;

 「金八」は、「吉兆」や「金田中」、「歌舞伎座」「新橋演舞場」「岡半」「浜長」・・・などの一級料亭に野菜を卸していた一級の八百屋でした^^

 また、私のゼミの合宿には、前年、紀子様も参加しております^^

 私の母校である左翼チンポコ大学と、学習院が合同ゼミ旅行を行っているというのは面白い話である・・・。

                                  (1991/10/04の日記)

      #     #     #     #

 築地にある吉兆は、政治家や財界人の大物がお忍びでくるような超高級料亭なので、その玄関は簡素である。

 私は、その野菜の配達を、更に小さな使用人の出入り口から運ぶ。

 吉兆の厨房は地下にあった。

 私は、野菜の入ったダンボールを、その地下への階段でこけてぶちまけたことがあった。

 でも、吉兆の板前さんたちは、青ざめる私を咎めることをせずに、そのまま、その野菜を使用してくれた・・・。

 初めて行った時、厨房の「本日来られるお客様」のホワイトボードに、盛田(元)会長や竹下(元)総理大臣他、二、三人の当時の有名な方の名前が記されていたので、私はビビったものだった(正直、うろ覚え^^;)。

   (今、この配達初日<1991/04/19>の日記が見つかりました!
        もっと凄い名前が書かれてました! 後で、更新します!)

 ある日、さつま芋を配達した私に、板前さんが「おお! マルジュウが来たな!」と言った。

 そのメガネの板前さんは、私にニヤリと微笑みかけると、

     「君は、さつま芋を、何で『マルジュウ』と呼ぶか分かるか?」

 と聞いてきた。

「いいえ・・・」

 と私は答える。

「西郷さんの薩摩藩のマーク(藩の紋章?)が、丸に十字架なんだよ^^」

          ・・・私は、一つ勉強になった^^v

 「吉兆」は、他の料亭に比べ、温和な雰囲気が漂っていた。

 私は、「吉兆」の創業者・湯木貞一さんに興味を持ち、『吉兆・味ごよみ』なんかも購入し、読んだものだ。

 最近の、吉兆の他店舗による賞味期限偽装問題や牛肉山地偽装問題が、悲しい・・・。

                                     (2007/11/18)

   ◇

 [(追記:1991年) 「吉兆」の思い出] (2007/11/18 15:40)

▼先ほどの投稿、[「吉兆」の思い出(マルジュウ)] の追補です。

  ・・・1991年4月19日(金)

 5時に起き、がら空きの中央線で築地へ。

 朝の早起きは辛いが、それだけで、仕事は楽々^^

 これまでの仕事の、僕一人の作業量を、十人くらいでのんびりやっているみたいだ。

 配達で、日本で5本の指に入るという高級料亭に行く。

 『吉 兆』・・・。

 厨房に入ると、お客さんの予定表が入っていた。

 うぉっ!!!!!

   海部総理だ!

   ソニー・盛田会長だ!

   キャノンの会長だ(名前ど忘れ)!

   ロックフェラーだ!

 本当に凄い店なんだな^^

 海部総理は、ゴルビーとの会見の骨休めと言ったところかな?

 バイトはかくして昼に終わり、最終の講義に顔を出し、部室に顔を出し、ジムに行き、帰宅する。

 帰りの中野駅では、人身事故があったらしく、たくさんの警官と、

 白いチョークの人型と生々しい血の跡があった^^;

☆よく、キャノンの会長のやり方は、ロックフェラーが引き合いに出されるが、ここに、その萌芽があった・・・。

 私は、歴史の証人か!?

   ◇

  ・・・1991年5月17日(金)

 バイトを終え、アパートに戻る。

 アパートから50メートルと離れていない廃ガソリンスタンドで、2日前に、その解体作業中に爆発が起きたそうだ。

 ちょうど前を通って来たので、その新聞記事に驚く。

 新聞をすみずみまで読むと、結構、身近なことが書いてある。

 父の昔働いていた大日本土木が問題視されていた。

 雑誌では、ルノアールとゴッホの絵を買い、「死ぬ時は棺おけに入れてくれ」と言い顰蹙を買った斉藤了英が「吉兆」の日本間で、それらの絵を前に食事を満悦したことが記されていた。

 最終時間の講義の学校に行こうとしたら、どうも体の調子が悪い。

 無理して学校に行くのだが、寒気がして、すぐに帰宅・・・。

 風邪だろう。

 9時にベッドに入る。

                                     (2007/11/18)

   ◇

 本日の私は、23時にベッドに入る。

                                     (2009/10/30)
コメント

[私の1991年のメモ日記・15「大川隆法ネタと、私の誕生日]

2009-10-28 23:06:52 | 1991年の日記
☆20年近く前の日記の中で、『仏陀再誕』で私を辟易させた大川隆法が現れていた^^;

   ◇

 1991年10月27日(日)

 10時の「サンデープロジェクト」では、大川隆法が出演していた。僕は、田原総一郎との対談の中で、田原が大川の虚飾を剥ぐのだと期待して見た。しかし、隆法は、彼なりに理路整然と「幸福の科学」を説いていく。田原の頑張りは認めるが、バカをさらけ出した感が・・・。大川は、宗教者の嫌味なく、天界のことを語っていく、はっきし言って、なかなか見事に演じていた。一般の人が騙されてしまう・・・! いや、騙しているのではなく、真実だったりして^^; 俺は認めないが。天皇賞。武豊のメジロマックイーン、一着なのに失格。まあ、僕は、5-7で取らせて貰ったが、4000円買って、2500円の回収。赤字だ。

 1991年10月28日(月)

 誕生日である。ビデオで『バロン』を見る。サラ・ポリーはやはり、メチャ可愛い。・・・23歳か。○○さんから、プリプリのCDをプレゼントされる。『ダイヤモンド』と『M』はいいなあ。元気が出て、しんみりともさせる。大学では、外間(守善)先生の喉の調子が悪いようで、筆談の講義だった。△△さんと居酒屋「おれんち」で飲む。プレゼントを頂く。色々話した。そして、すぐに酔ってしまった。(この後、自分の誕生日に際しての今後の意気込みが書いてあるが、さすがに恥ずかしいので割愛^^;)

 1991年10月29日(火)

 バイトを終え、先月、駅前で撤去された自転車を鷺ノ宮に取りに行く。密集した住宅街が妙に面白い。帰宅し、『ツイン・ピークス』の5巻を見る。ちょっと飽きてきたかな。僕を圧倒的に惹きつける魅力は薄れてきた。惰性で見ていると言ってもいいが、時に、光るシーンがあるのだ。西武新宿では、ライオンズ優勝セールで盛り上がっていた。それほど安いとは思えないが、ビデオ3本セットを1100円で購入(蘭注:今の感覚だと高いが、当時はちょっとは安い値段だったのだろう)。『サルでも描けるマンガ教室』のマンガ中マンガ『とんち番長』、面白い~っ! 鼻の頭にポツポツが出来てしまった。不潔にしているからだろうか? 「仕事人」見て、さっさと寝よう。

   ◇

 マンガ『サルでも描けるマンガ教室』は、未だに私の思考回路の中で、少なからずのパーセンテージを占める傑作である。

 現在、「少年ジャンプ」で人気を博している『バクマン。』も、「サルまん」の影響が大であろう。

    

                                     (2009/10/28)
コメント

[私の1991年のメモ日記・14]

2009-09-29 21:54:49 | 1991年の日記
☆皆さん、本日は私が、いつもの通り、公休とお思いでしょうが、本日は出勤でした^^

 だから、映画レビューはありませんよ^^;

 でも、好評企画「1991年の日記」シリーズ、行きます!!

   ◇

 1991年1月11日(金)

 朝、母からTel、カゼをこじらせ、ノドから血が出たそうだ。ちょっと心配なので、明日は実家に帰ろう。バイトを終え、新宿へ。紀伊国屋で『キューブリックミステリー』と言う「2001年 宇宙の旅」論の本を買う。政治学の講義が始まるまでの時間と、政治学の時間で読み終えたが、理解したとは言い難い。浜野保樹と言う著者の多角的な視野からの語り口はなかなか面白かったが、自分の頭の中で整理できないのが悔しい。キューブリックとマクルーハンの対立は、正反対のものではなく、ちょっとした(それでも重大な)方向の違いだけなのかも知れない。しかし、「2001~」は深い。/鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、か。

 (現在の蘭による注)・・・最後の1センテンスが意味不明である^^;

 1991年1月12日(土)・・・朝に雪

 バイトを終え、秋川に帰る。帰り際に外山滋比古の『思ったことを思い通りに書く技術』を読む。分かりやすい文章で納得できるところが多かったが、このような内容の本は、納得できないところから学ぶことがあると思う。『プレシディオの男たち』をレンタルしてきて、父と見る。アクションが抑えてあり、人間関係を重視しており、故に、アクションが、よりリアルに見える。S・コネリー・・・、もうその顔が出るだけで映画の質があがる。P・ハイアムズ監督にはこれからも注目したい。『イカ天』が終了し、『エビ天』が始まった。映像コンテストだ。技術に溺れた奴もいれば、バカもいるし、頭のいい奴もいる。「カニ男」、面白かった。その相棒もいい^^

 (現在の蘭による注)・・・『イカ天』・・・「いかすバンド天国」
                『エビ天』・・・「えびぞり巨匠天国」

    

 1991年1月13日(日)

 レンタルしてきた『市民ケーン』を観る。情を揺さぶる内容と思いきや、クールな作品だった。愛を表現できなかった男・ケーが死の際に「バラのつぼみ」と呟き死ぬ。富豪ケーンの死を探る記者が、その言葉を頼りに、ケーンゆかりの人々に会っていく。公開当時に見た人は、その表現技巧に圧倒されたようだが、残念ながら僕は、その後の、この作品を真似た作品のほうを先に見てしまっていたので、新鮮さはなかった。が、面白かった。ザナドゥ城は、タイガーバームガーデンを思い出させる。ホラータッチの作風もGood! 『タッカー』はこの作品をかなり意識したと見える。マナミとアサミが来た。二人とも三つ編みが可愛い^^ 「ノリ巻きゴッコ」をする。午後9時半、中野に帰る。非常に寒い!!

 (現在の蘭による注)・・・「ノリ巻きゴッコ」についてはいつか説明します^^

   

   ◇

 1月の、こんな早い時期から大学は始まっていたのだなあ^^;

                                     (2009/09/29)
コメント

[私の1991年のメモ日記・13「新年・のんびりビデオレンタル」]

2009-09-01 10:24:28 | 1991年の日記
☆さあ、好評の「1991年の日記」、別名「1QQ1年の日記」^^;

 文中で、祖母や父親の名前が出てくるが、今はいない・・・。

 でも、こうして文章で残すと、祖母や父親は心に蘇ってくる。

 私は、ノモンハン事件を専用ブログで追い続けているが、先日、その中の岩男登大尉についての一文に、そのお孫さんがコメントをくれた。

 お孫さんの心に、かつての御尊祖父さんの姿が蘇ったかと思うと、私は感無量である^^

 クリックしてみてね^^

     【『ノモンハン : 見下ろす神、地を這う神』 第七十二回】
           第一柱   陸軍大尉 <岩男 登>
                  「立派な死に場所を得よ」

   ◇

 ☆1991年1月1日(火)

 実感のないままに新年を迎えてしまった。テレビの正月番組にも興味が湧かない。我が家の鶏肉をベースにした雑煮はうまい。おかわりして腹いっぱい。午後、寝る。首の筋を違えて、頭痛。こんな調子でジムに通っていけるのか。夕方、母とビデオ屋へ。姉と『オールウェイズ(注:スピルバーグ作品)』を見る。やはり映画は映画館でを痛感。あの時は泣けたもんなぁ。父と『フルメタル・ジャケット』を見る。何度見ても面白い。発見がある。傑作。屋内戦→インタビュー→屋外戦。前半は完璧な理論構築。後半はそれを土台に、理論の実証へと。ミッキーマウスマーチが凄い。

 (注:今考えると、よく「ミッキーマウス・マーチ」の使用が許されたなあ^^;)

    

 ☆1991年1月2日(水)

 11時に目覚める。初夢もしっかり見た。僕が『ドラゴンボール』の世界で、悪の親玉フリーザに苛められるのだ。僕は耳にピーナッツを突っ込まれ、苦しむ。鼻と口をふさぎ、耳から空気を出し、ピーナッツを吹き飛ばすのだった。そして、フリーザに反撃しようとした時、目が覚めてしまった。さて、今日も父とビデオを見る。『タッカー』、感動した。コッポラは、家族(ファミリー)の絆を描かせると良い。タッカーとキャラッツの信頼関係も心に染みる。『ダーティーハリー5』、どうもノレない。サンフランシスコの急な坂でのカーチェイスなど見せてくれるが。もう、硬派なイーストウッドの時代じゃないのかな。

 (注:現在のイーストウッドの活躍を考えると、凄まじく言語道断なことを書いております^^;
                              でも、これも記録として、記しておきます^^;)

     

 ☆1991年1月3日(木)

 無理して8時半に起きるも、フジテレビの『ちびまる子ちゃん・スペシャル』を、昨日から来ている祖母とちょっと見た後、録画にまかせてお昼まで寝てしまう。そして、昨日借りたビデオ『今を生きる』を、父と見る。良かった。P・ウェラーの透明感のある映像、嫌味のない物語。そして、キーティング先生の優しさ。織り込まれた少年の純な恋心。とても良質な作品だ。午後、またもレンタル屋へ。『LA大捜査線』、フリードキンの相変らずパワフルな実録チックな作品。フリードキンの作品は、この後の2作も見ていたが、彼の創作への思い入れがよく分かる。結末が実に良い。『ジョニーハンサム』、W・ヒル最後の傑作か? この作品と同じくミッキーローク主演の『逃亡者』、期待してますよ。

 (注:『ちびまる子ちゃん』を録画してまで見ている私に、みんな驚くかもしれないが、
     この頃の「ちびまる子」ブームは凄かったんだよ。学校や飲みの席で皆で話題にしていた。ズバリ! そうでしょう!)

      

   ◇

 では、督促状のきた固定資産税と車両税を納めてきます^^;

                                    (2009/09/01)
コメント (1)

[私の1991年のメモ日記・12「夏のバイト(2)」]

2009-08-17 02:06:22 | 1991年の日記
☆私は今、急速に痩せていて、この一ヶ月ばかりで4~5キロほど体重が減っている。

 80㌔台の前半の体重だったので、今は70㌔台後半になっている。

 体を動かすのが楽しくてしょうがない^^

 しかし、19年前の私も、ダイエットしていたようだ^^;

 なお、写真は、文中に出てくる飼い猫のミュウです。

 つい、二年ほど前まで生きていました^^

 それから、私はこの頃、中野のアパートに一人で住んでいて、たまに実家の秋川に帰ってました。

   ◇

 ☆1991年8月15日(木)・・・裸で68.6kg

 疲れていたので、昨日の午後4時から寝て、でも、バイト(金八)が休みであるにもかかわらず、いつもの時間に起きてしまう。体が起きる時間を覚えてしまっているんだな。しばらく、「ファイナルファンタジーⅣ」を続ける。何となく単調になりつつも、中ボスとの戦いは燃える、四天王にどんどん打ち勝つも、最後の「火のルビカンテ」が強く、勝てないのでとりあえずやめる。つぼ八のバイト、初めて午後5時から翌3時まで通しで働く。終わってから、皆で白木屋で飲む。長時間働いたので、とにかくビールがうまい。帰宅すると、朝の4時半、いつも起きる時間に眠りにつく、この不思議!

          
           <火のルビカンテ>

 ☆1991年8月16日(金)

 どうにも寝つかれず、寝てもちょっとしか眠れず、9時にはファミコンに挑む。しかし、面白い^^ 朝から何も食べていないので、午後3時に、午後5時からのツボ八バイトには早かったが、「中華丼でも食おう」と、秋川に帰る準備も済まし、アパートを出た。共同便所で小便をして、何気なくケツに手をやると財布がない。アパートは自動ロックでしまっていて、部屋の中に置いてきた財布に鍵は入っている。金がないのに、部屋に戻れない。大家さんも留守のようだ。針金で開けようとしても開きっこない。外に出ると、すごーくいい天気。僕は腹を空かして、本屋で午後5時まで立ち読み、そして、午後10時までバイト。店長に金を借りて、秋川に帰る。腹減った。

 ☆1991年8月17日(土)

 スーパーファミコンをやっていると、大沼からTel。エスティマに乗ってやってくる。しばらく、ビールを飲み、話をする。と言っても、なんか夢のなくなった大沼に、僕と熱っぽく語るパワーはなく、金はあるようで、全く似合わないブランド物の服を勘違いにも着て、それについて語るだけ。ラーメンを食いに昭島。そして、五日市方面にちょっとしたドライブ。でも、盛り上がりはない。両親と『ミザリー』『パシフィック・ハイツ』と言う、どちらもサイコ人間・限定状況のビデオを見る。やはり、それなりに面白い。アニーとヘイズを対決させたいものだ。僕は『ミザリー』の完成度よりも、『パシフィック…』のドキドキ感に、映画としての面白さの軍配を上げたい。前者は特別な状況だが、後者は誰にでも起こり得る状況だから、怖い。

 ☆1991年8月18日(日)

 しかし、「ファイナルファンタジーⅣ」、凄いボリュームのゲームだ。最後の大ボスと戦うようなバトルが目白押しだ。やめられない。そろそろ、合計のプレイ時間が20時間になろうとしている。飽きさせないように工夫されている目まぐるしいシナリオ。どうやら、最終局面は、月の奥に潜む巨悪ゼムスへと向かう。秋川はのんびりしている。川には家族連れが泳ぎに来ている。セミの鳴き声が時に大きくなる。すると、ミュウ(飼い猫)が目をクワッと大きく開く。短い休日も終わり、中野に戻る。今日もいっぱい食ってしまったので、体重がまたも70㌔台に戻ってしまう。『キネ旬』では、「ターミネーター2」特集や、「ツイン・ピークス」特集がされていた。でも、D・リンチは、伏線の回収などは考えていないと思うぞ。

   ◇

 ミュウについてですが、庭に繁殖した竹を駆逐するために庭をユンボで掘り返すに辺り、一旦、そのお墓を掘り返しましたが(二ヶ月ほど前)、昨日、また、改めて庭に手厚く埋葬しました。

 天国で親父と遊んでいるのではないかと・・・^^

                                    (2009/08/17)
コメント

[私の1991年のメモ日記・11「夏のバイト(1)」]

2009-08-08 22:46:02 | 1991年の日記
☆好評の「1991年の日記」シリーズです。

 私は、今の職場で、辞めていく若者たちには、このブログのURLを教えることにしている。

 最近、ベテランのバイトの若者(23歳)が辞めることになった。

 多分、このエントリーは読むと思うので、その若者に似合うような内容を抜き出す。

 18年前の日記であり、私が23歳になる年の記述である。

 時期も、夏の同じ日付にしてみた^^

 少しは、その若者に、何かを示せるか?

 私は、この頃、大学を休学しての翌年に控えたニュージーランドでのワーキングホリデーのために、夏、築地の八百屋「金八」と、中野の居酒屋「つぼ八」で働いて、金を稼いでいた・・・。

   ◇

 ☆1991年8月5日(月)

 土曜日に休んだので、皆に少々気まずくも仕事をはじめた。今日からステーキ屋チェーンの野菜の注文があり、僕が担当することになった。そのほとんどが、儲けにならないモヤシ軍団。台車に山盛りのモヤシ、結構重い。←朝は金八、夜はつぼ八→ みんな若い。バイトを初めてやった様な高校生のはしゃぎ振りは僕を若返らせる。そして、6時間の完全な拘束が、高校時代のテニス部の練習の時の、何とも言い知れぬ不安感を蘇らせる。店長がいなかったので、飲んでもばれない生ビールを皆で飲む。うまい^^

 ☆1991年8月8日(木)・・・18年前の今日

 今日でつぼ八バイトも五日目でトレーニング期間の終わり。しかし、色々あった料理も、なんだかんだで覚えることが出来た。僕は、歳のせいもあって優遇されていて、はじめから楽なコーナーを任せられている。岡田君や新井君は高校生で、フライヤーや焼き場だ。僕は厨房。フライヤーや焼き場は暑そうだ。しかも、僕のコーナーは運良く、注文が少なく、楽だ。対して、フライヤーなんて、忙しそうだ。でも、僕は、忙しいほうが、汗もかいて、仕事後のビールがうまいからいいんだけどね。

 ☆1991年8月9日(金)

 例のモヤシ軍団が、仕事を大変にさせる。しかし、まあ、あらためて思い直してみると、それでも楽なんだよなあ。仕事を終え、すぐに家に戻り、昼寝をする。そして、午後の五時、夜のバイトへ。今日も厨房でした。途中で川口君が登場、店長もいないので、生ビールを飲む。川口君、水割りも入れてくれる。ホロ酔いのいい気分で仕事が出来た。こんないい気分で仕事が出来るなんて! ホロホロホロ酔いで実家(秋川)に帰る。駅まで母親が迎えに来てくれたが、父・母・姉・お祖母ちゃんらは新潟方面に旅行だ。僕は実家の犬の散歩をせにゃならん。

 ☆1991年8月10日(土)

 午後4時から吉祥寺オデヲンに並び、『ターミネーター2』の超先行オールナイトだ。公開は8/24だそうだ。娯楽監督ナンバー1のJ・キャメロンの、グイグイと観客を引っ張るパワーに圧倒される。シュワのターミネーター1もさることながら、今回は興味をターミネーター2にさらわれた感がある。その、液体金属で出来ている変幻自在のボディ、SFXを堪能した。パンチをしても突き抜けるし、手・指が鋭利な刃物に。ショットガンで撃っても、裂けた体はすぐに再生する。ターミ2を演じるロバート・パトリックの不敵な笑みが不気味。そのあまりの凄さに物語がかすんでしまった。一緒に行った菅君も喜んでいた。

     

 ☆1991年8月11日(日)

 秋川にて、犬の散歩をする。とにかく、またも、ムートンは外でクソをしなかった。ペコは人格が変わったように、まじめに、オシッコとウンコを外でする。ケツからモコモコ。早めに秋川を切り上げ、高円寺の丸山さんの所へお伺いをたてる。相変らず、丸山さんは相撲と競馬三昧で、僕もしばし、千代の富士のビデオの雄姿に見とれる。さて、予約していた「ファイナルファンタジーⅣ」を受け取りに行き、家に帰り、アダプターがないのに腹を立てつつ、髭剃りの充電用を代用にして、やる。とにかく絵がきれい。音楽もいい。

     

 ☆1991年8月12日(月)

 店長がいない。そして、川口君の登場とくれば、ビールの飲み放題だ。ホロ酔い気分で、牛のたたきや、ハマチ・マグロを食い散らかして、在庫数が決まっているポテトグラタンまで食い散らす。うまい。昼間は金八でモヤシ軍団と戦い、夜はつぼ八にて無礼講。疲れに疲れつつも、アパートに戻れば、ファイナルファンタジーⅣ! とにかく展開が矢継ぎ早で面白い。レベル上げの苦労がなく、話がトントン拍子に進んでいく。ダンジョンも楽だし、山頂からの景観のグラフィックが美しい。

 ☆1991年8月14日(水)

 さあ、今日を乗り切れば、金八バイトは四連休だ。モヤシ軍団も、4kgが70袋くらいあるが、何とかこなす。月・火と二つのバイトをフルタイムで働いてきて、少々、疲れがたまってきている。ボーッときてしまう。

   ◇

 ・・・こりゃ、全然、若者が読んでもためにならないな^^;

 僕は、明らかな「業務上横領」みたいなことを繰り返している^^;

 文中の、悪の申し子・川口君だが、長崎の被爆二世であった。

 だから、国から、補助金とか貰っていた。

 足が生まれつき悪く、女とセックスする時は、必ず「女性上位」じゃないとやれないとのことで、

 初体験は済ませていたが、限りなく「童貞思考」の私は、何とも、その生々しい話に苛立ちを覚えさせられたものだった^^;

                                      (2009/08/08)
コメント

[私の1991年のメモ日記・10「沖縄/後篇・外間先生」]

2009-06-09 13:45:02 | 1991年の日記
☆最近発売の、小林よしのりの『天皇論』を読んでいたら、この「1991年の日記」シリーズに度々登場する、大学時代のゼミの教授・外間守善先生が出てきた。

 その、慎重な語り口も、マンガでうまく描写されていたので、私は懐かしく思った。

          

 外間先生については、他にエントリーした内容があるので、近日、アップします(批判ですけど…)。

 では、「1991年の日記」の再々掲です・・・、が、その前に、また、余計な文章が付いてますな^^;

 再掲のときに、付けた文章です^^;

 私のサービス精神です!

   ◇   ◇

☆これは、<2005/07/15>のエントリーの再掲です。

     #     #     #     #     #

▼かなり極まった・・・。

 写真上、典型的な「男前」の私だが、後ろから見ると、つむじが広がっている。

 そう、「頭の砂漠化」が始まっているのだ。

 私の家系は、オデコこそ後退する血筋であるが、ザビエルのような禿げ方をしている者はいない。

 私がアルシンド化(古い^^;)しつつある原因は三つ考えられる。

   1・チェルノブイリ後遺症。

 高校時代、私は、長時間の自転車通学をしていた。

 帰宅時などは、多少の雨だったら、雨粒に打たれるがままにしていた。

『おい、蘭! チェルノブイリ事故の放射能が、ジェット気流で日本にまで来てるってよ。雨に濡れたら、ハゲになっちゃうぞ』

『その時はその時だよ^^』

 ・・・若かった・・・^^;

   2・三十路の茶髪

『蘭さん、結構似合ってますね^^ 茶髪^^』

 私は、自分の顔を鏡に映しながら、ちょっと感動していた^^

『こ、これは・・・、可愛い・・・^^』

 そして、次第に、茶髪から金髪へと髪の色がエスカレートしていくのだった。

 髪は痛み、地肌に悪影響が起こり、地軸は捻じ曲がり、五つあった大陸はことごとく引き裂かれ水没していくのだった・・・(途中から『未来少年コナン』のオープニングナレーションが混じった^^;)。

   3・ヘルメット

 私は、『安全第一』が掲げられる職場で働くことが多かった。

 夏・・・! ヘルメットの中の頭皮は蒸され、肉まんあんまんの様にふやけ、髪の毛をガッチリと捉えていた毛穴を弛緩させていくのだった・・・。

 ・・・でも、イイのである。

 これで私も、名実ともに<保守派>の仲間入りだ^^

 左翼の非道横暴に怒り、血を頭にのぼらせる保守派は、その血液循環を阻害し、頭の毛を喪失した方が多い。

 いや、良くない!

 私はまだ結婚していないのだ!

 姜尚中ならば、いつものハスキーヴォイスで私にこう言うだろう。

    【そんな頭じゃ、結婚もままなりませんよ】

   ◇

   ☆10月5日(土)

「蘭さんは、『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』の主役に似ていますよね^^」と、昨夜、可愛い斉藤さんは確かに言ってきた。その映画は、香港の悲恋話だ。その主人公は、二枚目だった・・・。
僕は「そんなことないですよ^^;」と謙遜した。すると、まん丸顔の斉藤さんは言ったのだ。 【「いいえ、似ていらっしゃる」】・・・。
「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」「似ていらっしゃる^^」・・・。
僕はにやけながら寝た。
午前の間に海で泳ぐ。あまり日は差していなかったが、水温は具合良く、水の中にはウニやナマコがいた。ある人たちがウニを割っていた。僕もウニ味噌にありつこうと近寄った。だが、中には、変な赤い身があっただけだった。
誰かの言った「あ~あ、さっきまで生きていたのに・・・」の言葉がもの悲しかった。
船とバスを乗り継ぎ、今帰仁方面へ、疲れて寝てしまった。途中でソーキそばを食う。油っぽくてうまいスープだったが、メンがいまいちだった。
午後の海浜公園では、水族館がとても面白かった。4m位のジンベエザメが泳ぎ回っていて、その腹にはコバンザメがちゃっかしくっついている。南洋の色とりどりの異形の魚たち・・・。
アクアポリスは、「だから何!?」って程度のものだった。
夜は飲み会。チームがカラオケ優勝、僕は何もしないで、優勝商品、一万円相当のブローチを貰う。誰かが、そのブローチを見て言った。「あっこれ、アメ横で見た!」^^

   ☆10月6日(日)

朝から今帰仁城へ、万里の長城みたいな城壁がかっこ良い。
次に、何か忘れたが、山の中の墓みたいな所に行く。
民俗資料館の?さんが、その帰りの山歩きの時、僕の横に来て、しきりに僕を勧誘する。
「H先生(ゼミ教授)の仕事は、上には上がいるけど、僕の仕事は、自分で切り広げられるんだ。パイオニアになれるんだ。君、興味があったら、僕の仕事の仲間にならないか?」
僕に、今後、何もしたいことがなければ、数年後に彼を訪ねよう。
今帰仁の山頂からの風景は、雲が出ていたのにもかかわらず爽快だった。風が強くって吹き飛ばされそう。
夜、石垣島に行く連中と別れ、僕は孤独になっちゃった。寂しいのだが、そのままではつまらない。さっそく本島に残った連中と友好を深める。
内園君はいい奴ですぐに仲良くなる。根川君は、ユネスコで、コスタリカに植林に行ったことがあるそうで、英語でメキシコ人の彼女に手紙を書いている。
うらやましい・・・。実は、斉藤さんに、その後、こちらから世間話を仕掛けてみたのだが、斉藤さん、何となくそっけなかった・・・。
夜に観覧した琉球舞踊は、いまいち退屈だったが、瞳の真っ直ぐさは良かった。歌いもなかなかだった。

   ☆10月8日(火)
最終日8日、みんなとショッピング! 国際通り、市場通りは臭い^^;
市場では、ステーキ牛肉を実家に送る。10枚で送料込み5000円。
市場の二階では庶民的なものを食う。僕は『ミソ汁』400円を注文。味が濃くて旨かったア。
『コンピーフおかず』『ペーコンおかず』と言うメニューには笑った。
酔いどれ軍団は、かくして東京に帰った。アパートに戻る。なんか寂しくなった。そして、お調子者の自分にやや自己嫌悪^^;

   ☆10月9日(水)
久し振りのバイト、菅君とも久々に会う。専務と奥さんとも話が弾む。
夜7時、池袋の芸術座で、稲さんの出演している『真夏の夜の夢』を観た。
シェイクスピアの戯曲はちゃんと抑え、時折オリジナル要素も交え、とても楽しめた。
でも、僕の心に深く喰いこんで来るほどのものではなかった。菅君は、芸人志向なので、稲さんの名演に、かなり衝撃を受けたようだった。
僕は、今、人気の劇団全てがこの程度ならば、怖るるに足らずと思った。

                                 (2005/7/15)

   ◇

 「1991年の日記」シリーズは、まだまだ続きます!

                               (2009/06/09)
コメント

[私の1991年のメモ日記・9「新宿ジョイシネマ・完全閉館完結篇]

2009-05-31 00:54:10 | 1991年の日記
前回(クリック!)、部屋で行方不明だった「1991年の日記」が、煩雑なるかな部屋から「発掘」されたので、「さよなら、新宿ジョイシネマ」の完結篇をはじめる。

 同じく閉館した新宿プラザや新宿トーアについても、そのうち、転載しますです、はい。

   ◇

 ☆3月1日(金)・・・

 マキちゃんがやって来た。今日でこの店に買い物に来るのも最後だそうだ。優しくて可愛らしいマキちゃん、さようなら。突然なので言葉も出なかった。後継者の女の子には伝言を頼んで「卒業試験と四月からの新生活頑張って!」とは言っておきたい。▽静かに落ち込む。▽大学での教授・杉山先生がキャベツロールのおしんこを二個買って行った。学校で講義を受ける時の先生とは違い、普通のじいさんだ。▽最近、店に手伝いに来ている杉田君は、アメリカ留学した事があるそうだ。経験者の話はためになる。▽ジムに行った後、新宿ジョイシネマ1に『フラット・ライナーズ』を観に行く。3月1日映画の日、1000円でした。妥当な値段だった。映像・美術の美しさと、脚本のひどさのアンバランス。僕はJ・ロバーツ好かん。あの演技、どうにかしろ。久し振りにひどい作品を観た。

          

 ☆3月13日(水)・・・

 寝坊した。体に疲労があったが、頑張って仕事をこなし、ジムもこなす。ジムでいつものコースを終えると、さすがに立ちくらみ状態になったが、すぐに直った。▽新宿ジョイシネマ2で『ハリウッドにくちづけ』だ。飽きさせない展開の作品。元になったのが、キャリー・レイア姫・フィッシャーの自伝で、偉大なエンターテイナーだった母を乗り越えられず、そして、母親からの過剰な愛と、自分の若さへの嫉妬に苦悩し、ドラッグに走る女優の物語だ。暗さはない。デュカキスがファンだったという、暗いM・ストリープが、主人公を明るく演じていた。ぶりっこだが、彼女の歌いっぷりは見事。母親役のS・マックレーンも歳だが可愛い。

          

 ☆3月15日(金)・・・

 「卒業テスト頑張ってる?」と、多分、会うのが最後になるだろうマキちゃんに問う。「テストじゃないの。コウエンなの」「コウエン?」「そう、卒業公演。お芝居の専門学校なの?」・・・そうだったのか、いつか、相まみえることもあるだろう。頑張れ、マキちゃん! 僕も頑張る。▽昼休みに、「演劇小事典」「シナリオハンドブック」を買ってみる。前から勉強したかったんだ。いい機会だ。▽ジムで左肩の筋を違えた。痛い。▽新宿ジョイシネマ2に行く。『チャイルド・プレイ2』だ。『1』はかなり面白かったが、『2』はいまいち、チャッキーにつけ狙われるアンディの、周囲の人に分かって貰えない理不尽な孤立感。←この辺はとてもいいのだが、いいのはそこまでで、所詮はリアリティに欠ける子供騙しの作品になってしまった。人形が殺人鬼なんて、格調高いホラーに出来そうなものだが。

          

 ☆3月25日(月)・・・

 何となく、金のことばかり考える一日だった。今のバイトを辞めるにともない、ついに社長が時給を1000円に上げると言ってきた。悩む。みんなが人がいなくて大変なのは分かる。バイト料とりあえず19万円。←計算が間違えていて、二日分、まだ貰っていない。▽新宿に行く。ジョイシネマで『ダークマン』だ。この、事故に遭い、全てを失った男が格好いい。体(特に顔)が、ヤケドでボロボロの科学者ペイトンが、黒いマントと帽子を着て、悪に戦いを挑む。ボロボロの体、ボロボロの心で、廃工場の暗闇で研究を続ける。重厚な音楽がかぶさる。誠実なペイトンの人柄と瞳がいい。ダークマンとしての立ち姿と、ドタドタ走りが良い。ゴリラ顔だが、上品な敵役もいい。サム・ライミのオーソドックスな演出に好感!

          

 ☆5月22日(水)・・・

 実家。咳が出る。止まらない。涙が滲んでくる。病院に行くも、診察は2分で終わり、貰った薬も家にあるものだった。▽拝島で電車を待っていると、西立川付近で事故。青梅線止まる。八高線で遠回り、新宿へ。▽ジョイシネマ2で『対決』を観る。独チェコ国境で、力を持て余した男二人(米軍人とソ連軍人)が、その個人的な不満を、国家レベルにまで発展しそうになるまでケンカするのだ。妙な映画である。R・シャイダーも好演しているのだが、闘争意志があまりにも自分勝手なので(そこがいいのだが)感情移入が出来ない。何故にそこまで? てな感じ。いっそのこと、雪合戦でもして欲しかった。▽『贋学生』を読み終える。面白かった。サギ師・木乃が自分に似た面があって嫌だった。この作品からは、観察と記憶、それを表現することの重要性を習ったような気がする。

          

 ☆11月4日(月)・・・

 秋川を昼間に出て、大沼の所に行くが、彼はいなかった。西武立川→大沼宅→昭島の道程はハードだった。▽新宿ジョイシネマ2で『真実の瞬間』を観る。作品でなく、その役者としての魅力で、ロバート・デ・ニーロは、僕を映画館に足を運ばせる。かつてのハリウッド赤狩りの時代の物語。名プロデューサー、A・ウィンクラーの初監督作だそうだ。手堅い作りの映画だ。いまいちパンチに欠ける。もう少しあざとく盛り上げてもいいと思う。査問会で、デ・ニーロ扮する映画監督を責める非米活動委員会の面々、こいつらが凄い。実際にあった話ゆえの、作品的「弱さ」が、作品全体を覆っていたような気がする。▽『七人の侍』は満員で入れなかった。マーラーの6番イ短調のCDを買う。

          

 ☆12月21日(土)・・・

 新宿ジョイシネマ2へ勇んで行く。初日にもかかわらず空席が目立つが、こんなものだろう。『ザ・コミットメンツ』。アラン・パーカー監督は、もう、ほとんど信頼している。安心して楽しんだ。最高の12人の奴らが、パワーをステージにぶつける。夢見る若き者どもは、いつでも成功した自分を夢見る。思った通りの最高の映画。僕もこんな仲間が欲しい。でも、僕の夢には孤独が必要だ。12人のうち、その瞳が格好いいのにサングラスで隠しているデレクがいい味。▽夜はゼミコンだが、はっきし言ってシラけた。健ちゃんもいなかったし、外間先生と話せたのは良。

          

     ◇     ◇     ◇

 新宿ジョイシネマさん!

 想い出を有り難う!

 お疲れ様でした^^

                          (2009/05/31)
コメント

[私の1991年のメモ日記・8「さよなら、新宿ジョイシネマ]

2009-05-23 20:41:55 | 1991年の日記
☆最近、新宿ジョイシネマが閉館することを知った。

 正に、この<1991年のメモ日記>の時代、映画鑑賞に非常にお世話になった映画館だ。

 だから、私の<1991年のメモ日記>の中から、ジョイシネマの名前が出てくる映画鑑賞の記述を抜粋しようと思ったのだが、私の煩雑な部屋の中で、<1991年のメモ日記>が見つからない^^;

 こういうとき、携帯なくした時みたいに、家電話でかければ、部屋のどこかで音が鳴ればいいのだが^^;

 でも、ちょうど、新宿ジョイシネマの名前の出ている1日分のメモ日記が、パソコン上に残されていたので、それを転載する。

 ・・・しかし、なあ、みんな、日記って素晴らしくないかい?

 ちゃんと、記録されてるんだぜ、新宿ジョイシネマの名前もさ^^

   ◇

▼私の「1991年1月4日の日記」。

《さあ、三が日はビデオ三昧だったが、今日からはキーティング船長の言うとおり、「今を生き」て行こう。

 祖母とマコちゃんを送りに、母と八王子に行く。

 家に帰ると、父がテレビで『日本一のゴマスリ男』を観ていた。

 何が起きてもめげない前向きな植木等に感心する。

 床屋に行き、さっぱりした後、新宿に向かう。

 待望の『ロッキー5』だ。

 ジョイシネマ2館内は空いていたが、内容には満足した。

 今回のロッキーには悲壮感が漂っていた。

 しかし、ロッキーが僕らのヒーローであることには変わらない。

 ストリート・ファイトで終わったのは、ヤケクソで良かった! 》

   ◇

 他にも、たっくさんの映画を、この劇場で観た。

 学生だったから、金はなく、金を払って観る映画は、自分の青春の一部にすべく、多くを吸収しようと勤めていた頃だ。

 新宿ジョイシネマと言うと、階段を思い出す。

 人気作には行列が出来て、九十九折りの階段をぞろぞろと並んだものだ。

   ◇

 日記では、『ロッキー5 最後のドラマ』を観た日のことが書いてある。

 最近、「ロッキーの完結篇」である『ロッキー・ザ・ファイナル』が公開されたが、この頃は、『ロッキー5』が最終作とされていた。

 私は、その評判の悪い最終作(「ロッキー5」)に、好感を抱いている。

 それまでの「ロッキー」シリーズが与えてくれた「情熱」を忘れないからだ。

 つまり、新宿ジョイシネマが閉館しようとも、ジョイシネマが与えてくれた「ジョイ(楽しさ)」を忘れないということだ。

 おっ、うまくまとめたなあ、オイ!!^^;

   ◇

 今、新宿ジョイシネマは「さよならフェスティバル」を行なっている(←クリック!)。

 私は、明日、『人間の條件』六部作を見に行こうと思っている。

 朝11時から、夜9時過ぎまでのマラソン鑑賞である^^;

 私は<ノモンハン事件>を研究していこうと思っている者であり、この作品には<ノモンハン事件>が描かれる。

 原作の五味川純平に対し、私は批判的であるが、見て損はない作品だと思っている。

 明日が楽しみだ^^

                           (2009/05/23)
コメント

[私の1991年のメモ日記・7]

2009-05-13 21:20:51 | 1991年の日記
☆・・・う~ん、大橋のぞみが可愛くて可愛くて、好きで好きでたまらない

 昨夜も、ドラマ『白い春』を見ていて、抱きしめたくなった

      

 この、ほとばしる想い、どうしてくれよう^^;

   ◇

  [私の1991年のメモ日記・7 沖縄・中篇(大月隆寛コラムも^^)] (2007/08/08 20:51)

☆これは、「2005/07/07」のエントリーでした。

 文中の『断』の話ですが、大月BD(暴力デブ)先生も復活ですな。

 丸川珠代批判でした^^

 ・・・でも、BD先生、帰宅して、丸川珠代が素っ裸で「カモ~ン」って立ってたらどうする?

 好みに関係なく、一本いっとくでしょ?

 男による、女の見方なんて、それでいいんじゃないでしょうか?

     #     #     #     #     #

  [私の1991年のメモ日記・7 沖縄・中篇(大月隆寛コラムも^^)]

▼いささか旧聞だが・・・。

 ≪入試問題で「ひめゆり学徒体験談は退屈」 青学高等部≫(ASAHI.COM 2005年 6月 9日 (木) 23:17)

  青山学院高等部(東京都)の今年2月の一般入試の英語で、ひめゆり学徒隊の沖縄戦体験者の証言を聞いた生徒が「退屈だった」と感じたという趣旨の長文読解問題が出題されていたことが分かった。同校は「配慮を欠いた問題だった。深くおわびしたい」としている。
 同校によると、生徒の感想文を紹介する形式だが、感想文は実在せず、同校の教諭が入試のために、自身の体験をもとに作成。約1000人が受験した。
 出題文は修学旅行で沖縄へ行った生徒は防空壕(ぼうくうごう)を体験した後、ひめゆり学徒隊の体験談を聞き、「正直言って、彼女の話は退屈で飽きてしまった。聞けば聞くほど防空壕の強烈な印象が薄れていった。彼女はその話を何回もしており、非常に話し上手になっていたと思う」と感想を持つ。問題では「なぜ筆者はひめゆりの話が好きでなかったのか」と聞き、「彼女の話しぶりが好きでなかった」など4つの選択肢から答えを選ばせた。
 沖縄では、ひめゆり学徒隊の生存者が戦争の記憶を風化させないため、体験を語り継ぐ活動をしている。ひめゆり同窓会東京支部の常任委員で、関東一円の小中学校などで語り部をしている上江田千代さん(75)は「亡くなった同窓生たちに大変失礼だと思う。そういう感想を持った人がいたとしても、それを入試の問題にする感覚は理解できない」と残念がった。

▼問題となっている問題・・・。左翼系サイトの訳文より好意的引用^^

  (試験問題)
 次の英文を読んで、それぞれの質問に対する答えとして最も適切なものを選び、記号で答えなさい。

 [文章(要旨)]
   ※原文は英語・日本語訳は引用したサイトの管理人による。

 [第2次世界大戦の終結から60年近くになる。戦後生まれの人でも、日本人には再び戦争の過ちを起こさせない責任がある。年を追うごとに戦争体験者が亡くなっていくもとで、どのように次世代に体験を語り継ぐのか。
 昨年の夏、第2次世界大戦の終結に関するテレビ番組を見た。悲惨な映像が使われていたことから直視できずにチャンネルを変えた。しかし数日後、新聞に年配女性の投書が掲載されているのを見つけた。「私たちはじきに戦争体験を伝えられなくなるが、言葉以外の方法でも映像で体験を伝えることができる」と。その投書を読んで、高校時代の体験を思い出した。
 沖縄への修学旅行で、防空壕を見学した。語り部の女性に続いて壕の中に入った。語り部が「明かりを消して」と指示し、明かりを消すと暗闇が広がった。誰も何も言えなかった。「これが戦争なんだ…」と。壕から出た際には神様に感謝した。言葉ではなく体験で理解できることもあるんだ。
 その後ひめゆり祈念公園へ移動した。ひめゆり学徒として生き残った女性の話は衝撃的で、戦争のイメージがふくらんだ。しかし正直に言うと、女性の話は退屈だった。彼女が話すほどに、直前の防空壕での強烈な印象が薄れていったからだ。彼女は何度も話しているから、話すたびに話がうまくなっていったのだろうと感じた。彼女の話は、まるで母親が赤ちゃんにベッドで話すように、易しく聞こえた。何人かの友人は彼女の話に心を動かされていたのだが、私にとっては彼女の話は何の意味もなさなかった。
 事実と体験を次世代に伝えることは重要な仕事である。それではどのように伝えるのか。もちろん一番はっきりしている方法は、言葉で伝えることである。しかし聞き手が話し手の意図を理解しなかったら、いくら良い話でも「言葉の羅列」に過ぎなくなる。また話し手の意見が強すぎると、違うメッセージにもなりかねない。
 時には、言葉以外の方法でメッセージを送る方法もある。あなたが青山学院高等部の生徒になると、長崎へ修学旅行に行くことになる。その際、被爆者の話を聞くことになるだろうが、あなたはそこでどのようなメッセージを受け取るのだろうか。]

  〔設問〕
   ※原文は質問文・選択肢とも英語、日本語訳は引用したサイトの管理人による。

 7.なぜ筆者は、ひめゆり祈念公園での話を気に入らなかったのか。
   A.もうすでに話の全容を知っていたから。
   B.その話はうそだと知っていたから。
   C.語り部が、子どもに接するような話し方だったから。
   D.語り部の話しぶりが気に入らなかったから。
              (設問の正解):D

▼産経新聞コラム『断』(2005/6/22)

  大月隆寛筆 <「体験」の真の継承とは>

 [この春、青山学院高校の入学試験で「ひめゆりの戦争体験談は退屈だった」という内容を含んだ英文が出されていた、というので、今になって一部のマスコミで騒ぎに。当のひめゆりの語り部や研究者がクレームをつけて地元紙経由でようやく全国報道に、というのが真相らしい。
 問題の原文を読んでみたが、はて、何が問題なのかわからない。修学旅行で沖縄の戦跡を見学してその具体性に衝撃を受けたが、その後、語り部たちの話を聞いたら戦跡ほどの感銘は受けなかった、戦争体験の語りがこなれてしまっていて「退屈」だった・・・ざっとそういう内容なのだが、最後に、だから戦争体験の継承って難しいよね、君はどう思う、といった感じの問いを投げかけていたり、出題者にはむしろ「その心意気やよし」と言ってもいいくらいだ。
 「展示」される「歴史」の語りが「退屈」なのはいずこも同じ。どんな「体験」も「語り」を介してしか現前化しないのだとしたら、それが「型」としてなめされてゆくことは必然であり、だからこそ、そういう「退屈」を超えてなお伝わる何ものか、が求められる。<芸>とはそういうもの。落語や歌舞伎を引き合いに出すまでもない。
 「型」の向こうに<芸>は宿る。「悲惨な体験」を「型」に幽閉するだけでは「体験」の真の継承など生まれようがない。語り部がするべきは、その「退屈」という感想の理由を静かに考えてみることではなかったか。
 ただ、この件、学校側がその後、「謝罪」したとか。ああ、なんたる腰砕け。出題者よ、いまからでも遅くはない、ぜひともひめゆりの語り部と対峙せよ。その覚悟も目算もないのなら、初手からこんな仕掛けはせぬが吉、だ。(民俗学者・大月隆寛)]

▽フジ・サンケイグループが、ホリエモン・ライブドアからの買収劇と戦っていた時、私は言った。

『私が産経新聞を支配したら、関東の夕刊廃止に伴い終わってしまった名物コラム<斜断機>を復活させる!』

 そしたら、その二ヵ月後、このコラムシリーズ『断』が始まった・・・。

 なんか、あまりにも偶然が重なるのだよなあ^^;

 で、十日間に一度ほど、大月隆寛氏が書き手を担当している。

 はじめは、軽い話題(「レッサーパンダ」「ナウマン象冷凍頭部」など)だったのだが、最近、読ませる内容が多い。

 「読ませる内容が多い」などと書くと、「こいつ、偉そうに!」などと言われそうだが、まあ、酔っ払いオヤジも、松井やイチローに文句を言っているということで・・・^^;

 さて、この「ひめゆり出題」問題だが、内容自体は、確かに、筋が通っていると思う。

 でも、「なんで、こんな問題を、いや、ひめゆりの話をテーマの具体例にしたのだろう?」と言う疑問は起こった。

 あっさりと謝ってしまったトコを見ると、そこに出題者の【思想的背景】があったのか?

 それとも、ただの<ヘタレ先生>で、「とりあえず謝っておこう」と思ったのか?

 しかし、<ヘタレ先生>と呼ぶには、この問題の含んでいるテーマは深い。それは大月BD先生が指摘している通りだろう。

 出題者の意識の真相は「藪の中」であるが、その出題問題を殊更に問題視したヤカラに【思想的背景】があるのは確かであろう・・・。

▼(おざなり本編^^;)

 ☆10月7日(月)・・・

 星名さんと松田さんが、タクシー運転手と組んで市内観光するというので、純君とともに乗り込む。那覇を拠点として巡る。広瀬君・鈴木君・根川君・小野田君らも一緒(彼らはレンタカー)。最初に霊御殿(たまうどん)、次に首里城。観光しながら、段々とみんなとうちとけて行く。広瀬君が実に良い。すごく惚けていて面白い。コブラVSマングース。コブラは最初から負けている。でもレフリーが適当にけしかけて盛り上げる。しかし、両者とも、毎日繰り返される戦いに疲れが見えていた^^; 次に、玉泉洞に、魅力的空間だった。あっさりと終わらないのが良かった。<ひめゆりの塔>にも行った。資料館で、生き残った人々の文章が、僕をしんみりさせた。出た後、みんな無口になってしまった。ここで僕は、『八月のラプソディ(黒澤明作品)』での、原爆の現実を知って無口になった子供たちの描写を思い出した。僕は、ひめゆりの見学をソフトクリームをなめながら見学することになってしまい、不謹慎な思いがズーッと続いた・・・。タクシーの運転手は、チャーター時間をはるかに過ぎたのに、島の最南端にも連れて行ってくれて、サービス満点! 金城さん、ありがとう。夜は、僕が一部の女の子に誘われたのがきっかけで、他の皆も仕切って、総勢13人で沖縄料理「うりずん」に行く。ピーナツ豆腐が不思議でうまい。みんなで盛り上がった。OB連中も楽しい。部屋に戻って、深夜までみんなと酒を飲む。狭い部屋で15人くらいが下らない話をして過ごす。楽しい。

                             (2005/07/07)

   ◇

 しかし、かつて書いた文章を何度も再掲し、それでも面白いっちゅうのが素晴らしいですな!

 では、テレビでニュースでも見ながら寝ます

                             (2009/07/13)
コメント   トラックバック (1)