『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『ダイ・ハード 4.0』を観た^^]

2007-06-25 19:17:54 | 物語の感想
☆私のMOVIXポイント=164点

 二人で映画を観れて、まだ余る^^

▼先行ロードショーが、いつものMOVIX昭島であるというので、観に行った。

思えば、『ダイ・ハード』は、私の最も好きなアクション映画である。

これまでもネット上で、何度となく繰り返し語ってきた。

『ダイ・ハード』をはじめて観たとき、私は、帰宅後、その面白さの理由をノートに書いて研究したものだった。

結論としては、その「立体構造」にあった。

舞台となったナカトミビルが、もちろん立方体であったのだが、そこを縦横無尽に使い切り、人物配置も多重構造にしていたのが斬新だったのだ。

・・・私は、ルービック・キューブをイメージしたものだった。

主人公ジョン・マクレーン刑事は、戦いの最中に、ふと壁に貼ってあったヌードポスターに視線を落とし、それをやり過ごす。

しばらくして、ビルの中、銃撃戦をかいくぐり、走り回っていると、再び、また、ヌードポスターの場所に舞い戻っている。

そんな、「場」のうまい使い方に唸らせられたものだ。

第一作目の監督のジョン・マクティアナンの名は、当時、私の中では、神様のように思えた。

▼二作目も面白かった。

二作目に過ぎないのに、私たち観客は、馴染みのヒーローを見るかの如く、マクレーンの活躍に拍手喝さいした。

『ダイ・ハード2』の先行オールナイトの盛り上がりは、とてつもなかった。

監督のレニー・ハーリンは、自身の思う「ダイ・ハード」像を、自身の撮った『2』に叩き込んでいた。

多くの粋な脇役・・・。

狭いダクトをぼやきながら這いずり回る主人公・・・。

『1』ほどではないが、許せる範囲で、ちゃんと舞台となる空港の「立体構造」も踏襲されていた。

クライマックスの、
軍用機のコクピットに閉じ込められたマクレーンが、窓から手榴弾をいっぱい放り込まれ、絶体絶命の危機に陥り、そこを脱出するに至るアクションの凄さ!!

平面アクション(縦・横)が、3D構造(高さが加わる)へと変貌する妙。

私は、これ以上に衝撃を受けたアクションシーンを、いまだかつて知らない。

豪快なレニー・ハーリン監督・・・、

最近、アクション大作を撮らないが、今でも大好きです。

・・・ただ、二作目は、ちょっとセルフ・パロディが多かった^^;

それが楽しかったばっかりに三作目が「お祭り」気分に至れなかった・・・。

▼そもそも、『3』の監督に復帰したジョン・マクティアナンは、「ダイ・ハード」を、舞台設定を現代的にした「西部劇」と定義していたようだ。

故に、なんだかんだと言いながらも等身大の人間でしかなかったマクレーンを「スーパーヒーロー」のように描いた『2』はお気に召さなかったようだ。

『3』は、『1』の後に作られたら、傑作の評価を受けたかも知れない。

そこには、粋な会話一つで観客を楽しませる映画作品の姿があった。

ただ、「ダイ・ハード」は、派手なアクションの『2』で方向付けされてしまったので、『3』の地味な印象は拭えない。

マクティアナンは、ちゃんと作っていた。

しかし、それは、私たちの望む「ダイ・ハード」ではなかった。

「立体構造」も薄まっていた。

クライマックスの、ジェレミー・アイアンズ扮する悪党との、マクレーンの一騎打ちも、『1』との関連の中でなら、あくまでも「西部劇」の踏襲として理解できるのである。

だが、『2』の後にあっては、あまりにも呆気ないクライマックスであった。

▼『4.0』は、凄まじかった。

『3』で、マクティアナンが目論んだ「いつもは火だから、今度は水のアクションだ」などという冒険はせずに、『4.0』のレン・ワイズマン監督は「ならば、もっと凄い火だ!」とばかりに、それでも必然のある爆発シーンを見せてくれた。

今回は、アメリカ全土をパニックに陥れる「サイバー・テロ」犯罪である。

私は、その争点を、どうやって一刑事のマクレーンに還元できるのか?

マクレーンは、どうやったら、勝てるのか?

映画の最後の最後までドキドキさせられた。

ワイズマン監督は、「立体構造」を忘れていなかった。

アパートメント、トンネル、発電所、金融情報管理ビル、高速道路・・・。

各所で、マクレーンは立体的な戦いを見せてくれた。

平面移動しか出来ないはずの車を、マクレーンは、文字通り、「空中」でヘリコプターと勝負させる。

ビルでは、お得意のエレベーター縦溝内での大格闘がある。

高速道路では、F35戦闘機を相手に、それを下に見おろすという状況をこしらえた。

島田荘司は、「ミステリー作家は、世の中を平面的だけでなく、立体的に見なくてはいいトリックを考えられない」と言っていたが、アクション作家も同様なのである。

今回は、これまでのシリーズを遥かに超えた大破壊が行なわれる。

私は、崩れ去るハイウェイの姿を見て、阪神大震災の映像を思い出させられた。

しかし、犯罪は、アメリカ全土が対象であるので、違和感はなかった。

ただ、敵役のガブリエルと腹心の恋人マイは、『3』の敵役コンビの焼き回しのようで、芸がないと思った。

ならば、『3』のジェレミー・アイアンズの方が演者として遥かに上であった。

だが、マイ役のマギー・Qは魅力的であった。

美しい平安(時代)顔、色っぽい小雪というイメージだ。

マクレーンは、そのマイと、「ダイ・ハード」史上一番長い格闘をする。

マイは、とにかく強いので、最終的にはマクレーンにコテンパンにやられるのだが、「女なのに可哀想」などとは思えず、「この女は危険だ! 早くやっつけろ!」と思わさられる^^;

今回、強く思ったのが、ブルース・ウィリス演じるマクレーンが「大人になったなあ」だ。

今までのシリーズの数倍ものダメージを喰らっているのに、ぼやきつつもめげずに、「犯罪者は打ち殺す」のポリシーに忠実であることに迷いがないのだ。

打ちのめされても、即座にファイティングポーズを構えるのだ。

そして、けして、テロリストと取引しない。

交渉もしない。

娘を人質に取られても、瞬時に、「娘を人質に取るしかない敵の弱み」を見て、突進するのである。

▼・・・情報量の非常に多い作品であった。

矢継ぎ早に豪勢な物語が進行する。

個々のアクションも、味のある登場人物たちも、堪能し切れなかった。

もう一度、観に行こうと思う^^

                             (2007/06/24)
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[十年に一度の傑作映画『アポカリプト』を観た]

2007-06-16 19:04:22 | 物語の感想
▼私は、こんな記事に感動する。

《 指とホチキス使い…シャトル耐熱材、宇宙で修復 06/16 19:04
 国際宇宙ステーション(ISS)にドッキング中の米スペースシャトル「アトランティス」の宇宙飛行士が15日、打ち上げ時に機体後部の耐熱材にできた損傷を船外活動(宇宙遊泳)で修復した。ISSのロシア区画で発生したコンピューターの故障は3分の2が回復した。
 米航空宇宙局(NASA)によると、特殊繊維製の耐熱材の損傷は亀裂ではなく、約15センチにわたって端がめくれ上がっていることが判明。ジョン・オリバース飛行士が指で元に戻し、特殊なホチキスで隣の耐熱材に固定した。
 一方、ISSのロシア区画で13日に停止したISSの生命維持装置と姿勢を制御するコンピューターは、補助電源のスイッチを迂回(うかい)するように配線したところ、3系統あるうちの2系統が起動した。
 NASAの担当者は「うまくいっている」と述べた。ロシアの飛行士が機能確認と、残る1系統の復旧に向けて作業を続けている。故障原因は不明だが、増設した太陽電池パネルの稼働に伴って発生した電磁気のノイズが有力視されている。
 アトランティスの飛行士らはあと1回、船外活動を実施、21日(日本時間22日)に帰還する予定。(共同)》

映画『アポロ13』でも、似たようなハイテク環境でのアナログ的な修復作業が行なわれていた(実際のアポロ13号も同様だったのだろう)。

クールな作品である『2001年 宇宙の旅』でも、最後の最後で、宇宙飛行士が生身で真空に躍り出ると言う力ずくなシーンがあった。

私は、人間が肉体や頭脳をフル回転させる映画が結構好きである。

昼間も、ビデオで、『ミッション・インポッシブル:3』を観て、トム・クルーズが走り回っている姿を見て唸った。

▼・・・そして、映画に最も必要なものは、「緊張感」である。

昨夜、レイトショーで観た、メル・ギブソン監督作品『アポカリプト』は、二時間二十分の長尺全篇、マヤの一部族の運命を背負うことになった青年が、肉体を酷使し続ける緊張感が、ダレ場なく続く傑作であった。

ストーリーを簡単に書く。

  末期にある文明は、内部から崩壊する。

・・・マヤ文明の末期、森に住む素朴な一部族が、首都の侵略的な一族に、村を徹底的に蹂躙される。

多くの村人は殺され、動ける者は捕虜とされる。

首都に着くと、そこには退廃があった・・・。

主人公はどうにか、首都を脱出し、追っ手との壮絶な闘いを経つつ、家族が待っているかもしれない森に走るのだった。

森の部族の生活が見事に描かれていた。

侵略者に蹂躙される村の滅亡が、悲しいがリアルに描かれていた。

侵略的な一部族の「常識」がうまく語られていた。

個々の人物の情動が、見事な演技で表現されていた。

主人公と「敵」の因縁が自然に語られていた。

首都・チチェインイツアの、文明末期の過渡の姿がダイナミックに活写されていた。

そして、後半の主人公の大逃走劇・・・。

それを包み込むジャングルの緑の濃淡・・・。

全く飽きる間がなかった。

これこそ、映画だ!!! ^^v

▼テーマはあるが、そこへの誘導はない。

何らかの恩着せがましい主題を求めようとしたならば、この物語は、スペイン人との闘争の物語になったであろう。

しかし、ここでは、その前夜の「国内状況」が描かれている。

それも、アクション要素たっぷりで。

メル・ギブソン監督の前作『パッション』での、キリストの鞭打ちシーンに代表されるような過激な描写が、『アポカリプト』でも目白押しなのだが、現代人の目から見ると「未開」の印象がある時代の姿なので、それ程に衝撃は受けず、リアリティを感じさせられた。

▼・・・つくづく、メル・ギブソンに興味が湧く。

・・・『マッド・マックス』シリーズを演じてきた。

続いて、『リーサル・ウェポン』シリーズ主演だ。

監督業をはじめても、シャマラン監督の『サイン』なんて言う能天気な作品にも出ている。

・・・なんで、それが、『パッション』や、この『アポカリプト』に帰結するのか?

メル・ギブソンが歴史上の核心を目指すようになった転機の作品として、アメリカ独立戦争を背景にした『パトリオット(2000)』で主演したことが大きいと思うのだが?

・・・と、思ったら、既に、スコットランド独立への抵抗運動のリーダーであったウィリアム・ウォレスを描いた『ブレイブハート (1995)』と言う作品を監督もしていたか!

あんまし、深く考える必要もないか・・・。

今回の作品には、ジョージ・ミラー監督やリチャード・ドナー監督仕込みのエンターテイメント要素もたっぷりであった。

メル・ギブソンは、淡々と、これまでの映画人生で学んできたことを作品に積み重ねているのだろう・・・。

特に、白塗りの人物たちや、神話の壁画、装飾の濃い権力者の姿なんてのは、『マッド・マックス サンダードーム』の影響大だ。

▼『アポカリプト』は、その終幕を、歴史上の異文化の来訪(【ハイテク】との邂逅)で締めている。

『猿の惑星』のラストシーン的な衝撃ではある・・・。

ここで、安易に衝突させないとこが、メル・ギブソン演出の「抑制」である。

面白かった。

映画とは、こういうものを言う。

シンプルな事象を、最大限、観る者の心に植えつけてくれるものだ。

そう・・・、

     【生きることは、走ること】

と言う単純な答えを示してくれた。

                         (2007/06/17)
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[映画『ザ・シューター 極大射程』を観た]

2007-06-10 00:50:28 | 物語の感想
▼一昨日は、関西のお笑いの雄・松本人志の監督作品『大日本人』を観たので、昨日は、関東お笑いの雄・北野武監督作品『監督・ばんざい!』を観ようとしたのだが、

ふいに、「なんで、出来の悪い映画を二日続けて観なくちゃならないんだ」と疑問が起きてきて、急に観たくなくなってしまった^^;

で、安心してアクションを楽しめそうな『ザ・シューター 極大射程』を観る。

予想以上に面白かった^^

アメリカ政府の中に巣食う悪党どもの罠にはまった凄腕狙撃手の主人公が、逃げながらも反撃していく物語だ。

原作は、翻訳された日本でも好評だったアクション小説だそうで、おそらく、原作では膨大なミリタリーやサバイバルの薀蓄が語られただろう筈だが、それはニュアンスにのみ残しつつ、豪快なアクション大作になっていた。

私は、『ランボー』に代表されるようなダイナミックな戦闘アクションが大好きなので、主人公のご都合主義的な無敵さに夢中になった。

この主人公、プロローグのエチオピア出兵で苦渋をなめたのに、その後のストーリーでは、敵が可哀そうになるほど完璧に強い^^;

『ダイハード』に代表されるような炎の演出(火薬量の多さ^^)もふんだんに見られ、私は大いにカタルシスを感じさせてもらった^^

▼何と言いましょうか・・・。

ハリウッド映画は、色々言われるけど、ちゃんと一筋の流れで、物語を語ってくれるので、安心して楽しめます^^

多くなった郊外の映画館・・・、

初日であっても、『スパイダーマン3』や『スーパーマン リターンズ』でさえもガラガラとなるレイトショーだったが、

この作品は、なかなか評判が良いらしく、公開からかなりの日数が経っているのに客がまあまあ入っていた。

閲覧者の皆様も、DVDが出たらレンタルして見ることをお勧めしますです、ハイ^^
                              (2007/06/10)
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[映画『大日本人』を、今、観てきた]

2007-06-08 13:47:14 | 物語の感想
▼私は、松本人志の熱狂的なファンではない。

テレビは楽しんで見ているし、笑わせてもらっているが、自分から好んで、番組表からダウンタウンの名前を探して、チャンネルを合わせるほうではない。

『ガキの使いやあらへんで!』も、『電波少年』のついでに見ていたタイプだ。

鋭いギャグセンスの持ち主だと思うが、根本的な部分で、関東に生まれ育った私は、関西人の松本人志と共感できかねる部分が、生理的にあるのだ。

▼さて、だが、第一回松本人志監督作品である注目作『大日本人』を観に行った。

「傑作」「駄作」と両極端の評価のようだが、私は、観る前から、その意味が理解できた。

おそらく、「表現」としては見事で、「映画文法」としては破綻しているのだろう。

観終えて、私は、「惜しい作品」だと思った。

多くのテーマが提示されているが、鋭いが短い一言で処理されてしまっていた。

序盤の、フランス映画の如き、散漫だが雰囲気で魅せる調子で最後まで引っ張ってくれたら、かなり斬新な佳作になりえたのだが、松本監督は、更に実験作として推し進めてしまった。

許せないのは二点、

特殊任務につく主人公が、特殊任務の最中にだべりはじめたことだ(板尾創路が出てくるトコ)。

「喋っちゃったらダメだ!」

私は、心の中で叫んだ。

それと、最終のシークエンスだ。

それぞれが、映画の中では、もっとも笑える箇所であり、毒のきつい箇所でもあるのだが、映画の流れとしては、完全に文法を切断された形になってしまった。

序盤、物語は非常に丁寧に作られている。

後半から、それが作者の意図とは別に蔑ろにされていくのが辛い・・・。

▼さて、これは、とても、悲しい主人公の物語だった。

時代に拒絶されつつある、ヒーローの伝統を受け継ぐ者の悲哀の物語だ。

松本は、独特の人間観察眼で、そんな悲しさの渦中にいる人間を見事に演じていた。

これがバラエティだと、ギャグとして帰結するのだが、

現実の中でのヒーローを描くと言う序盤の構成の中では、喜劇と悲劇の狭間で、実に見事な効果を生んでいた。

あらゆる局面で、破綻した人間関係が描かれる。

そんな中で、自分の悲劇的状況に無知なのか、もしくは、自分が傷つかないために自分を偽っているのか、妙に陽気さも見せる主人公の姿が描かれる。

それは、日曜午後のフジテレビでやっているドキュメント番組を見せられているような居心地悪さだ。

だが、それを狙って作られているので、そのうまさには感服するのだ。

最終実験的なシークエンス、

主人公は、また新たな人間関係に組み込まれる。

そこでも、「永遠に訪れることのない安穏」の人間関係状況が見られる。

この「孤独」というか、「孤高」は、芸人・松本人志としての現実でもあろう。

最近、各種番組での松本が、皆をまとめようと無理している姿をよく見る。

   仲間を築けたら、自分にも平安が訪れるかも・・・。

松本はそんな風に思っているかもしれないが、断言しておこう。

   ・・・天才は、死ぬまで孤独だよ・・・、と。

▼『大日本人』を観て、私が最も似ていると感じた作品は『新世紀エヴァンゲリオン』であった・・・。

                         (2007/06/08)
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