『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[遅ればせながら、映画『ガチ☆ボーイ』を観た]

2008-03-30 19:05:12 | 物語の感想
☆私の死んだ親父は、大のプロレスファンだった。

母親と結婚した新婚旅行の北海道で、母親をほったらかしにして、テレビのプロレス中継に夢中になり、いきなり夫婦ゲンカをしたそうだ^^;

そんな話を思い出しながら、私は、MOVIX昭島での、『ガチ・ボーイ』公開最終日のレイトショーに行った。

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物語は、司法試験の一次までをも合格した大学3年生の真面目君が、学生プロレスに魅せられて、プロレス同好会に入部して活躍する青春物語だ。

しかし、物語は、それだけでは終わらない。

その、五十嵐君は、いかにも思い出作りとばかりに、ポラロイドカメラで仲間との交流の節々を映し、手帳には膨大なメモを書き続けていくのだが、それには理由があった。

事故の後遺症で記憶障害になってしまい、それまでの記憶は残っているが、新しい記憶は、一晩眠ると、すっかり忘れてしまうようになってしまったのだった。

そもそもが秀才であり、朝になると、事故前までの記憶しかない自分に、『明日の自分へ』と題した、膨大な、「これまでのあらすじ」にも似た日記を残していて、毎日をしのいでいるのだが、もはや、彼には、司法試験を乗り越えるような運命はなくなってしまっていた。

もともとが真面目で前向きなので、それでもひたむきに生きていくのだが、自分を誇りにして生きていた父親の落胆振りに接すると苦しい毎日だ。

そんな中で、事故前の記憶が鮮烈なプロレス同好会に参加し、学生生活の最後を楽しもうとするのだった。

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記憶が消えてしまうと言う状況は、思い出の欠落であり、時間の消失と似ている。

故に、五十嵐の心情を考えると、いつもSF的な連想をしてしまう。

『アルジャーノンに花束を』や『ハイペリオン』の第四章を思い出すし、

時間の繰り返しは、『恋はデジャブ』や、『うる星やつら:ビューティフル・ドリーマー』、『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部のクライマックスを彷彿とする。

記憶障害は、最近では『メメント』なんてものもあったし、

主観としての記憶の、事実との相違は、最近観た『バンテージ・ポイント』や、『羅生門』があろう。

しかし、この物語は、あくまでも<青春ドラマ>であった。

非常に優れた作品であった。

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五十嵐は当初、自分の記憶障害を隠して、同好会に入る。

そこでの仲間との触れ合いは、私も、その大学時代を思い出して、いささかこっぱずかしかった^^;

大学時代と言うのは、社会に出るモラトリアムの期間でもある。

それまでの子供だった時代を経て、時に、社会人たるべく「道化」染みた自分を演じなくてはならない。

それは、他人と一線をおくことを覚える期間でもある。

仲間たちは、本音でぶつかり合っているようでいて、よく言うと「思いやり」や「気づかい」を相手に向けるようになる。

・・・滑ると分かっている駄洒落を連発したりする奴がいたり、

・・・無骨なクールを装おう奴がいたり、

・・・自分の境遇の不幸を演技過剰に語る奴がいたり、

・・・同好会のリーダーを、リーダーたるべく全うしようとする奴がいる。

大学生とは、それを習得していく様がダサく、・・・しかし、そこが悪くもないのである^^;

故に、五十嵐の病気はなかなか気づかれない。

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そもそもが、プロレスと言うものには、好きでやっている本人たちには分からないのかも知れないが、「ダサさ」がつきまとう。

マスクや全身タイツなどのコスチュームなんか、ダサさの最たるものだと思う^^;

「真剣な格闘を演じる」と言う行為も、矛盾を孕んでいる。

大人へのモラトリアムを過ごす学生たちが、プロレスと言う矛盾の中で青春を楽しんでいる。

まさに、「学生最後の思い出」だ。

そんな私の思いとは裏腹に、主人公たちは、全国の青春を送る学生たちと同様に、屈託なく日々を生きていた。

五十嵐も、病気ではあるが、そんな中の一人ではあった。

しかし、一つだけ違った。

五十嵐は、演技が出来なかった。

学生としても、「プロレス」レスラーとしても、演技をしている余裕がなかった。

記憶が消失してしまうのだから・・・。

故に、常に、「ガチンコ」で相手に挑むのだった。

その様は、仲間だけでなく、敵にも新鮮であり、多くの者を五十嵐ペースに巻き込んでいくのだった。

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ヒロイン・朝岡麻子は、サエコと言う女優で、この女の子の、あまりにもの「オンナオンナ」しさには参った^^;

あの顔で、あの表情で、あの声で、近くに存在されたら、多くの男が心を奪われてしまうだろう。

私などは、あんな女がいたら、自分が傷つくことになるのでけして近づかない^^;

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五十嵐の親父は、泉谷しげるが演じている。

『KIDS』でも、実に味のある演技をしていたが、この作品でも、自分の息子の境遇にくたびれた感じが実に良かった・・・。

・・・私は、ちょっとだけ死んだ父親を思い出すのだった。

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クライマックスの試合は凄かった。

『ロッキー』よろしく、関係者全ての苦悩を吹き飛ばすかのような五十嵐の闘い・・・。

キムタクに顔が似ている学生プロレスのスターに、コテンパンに、コテンパンに、コテンパンに、コテンパンにやられつつ、何度も何度も2カウントまで追いつめられつつ、最後に反撃を開始するのが良い。

ここで、記憶は毎日消えてしまうけど、体には、仲間との思い出が詰まっている、てな闘い方をはじめる。

こちらは、泣けるを通り越して、とてつもない爽快感を得る。

安易に勝利させなかったとこも良い。

ジョン・ヒューストンの『勝利への脱出』を髣髴とさせた^^;

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「プロレスはダサくて、彼女に振られるから」と、同好会の花形からロッカーに転向した佐田君だが、この佐田君こそが、一番ダサく見える演出も良かった。

・・・作品の舞台は北海道だが、北海道の人って、彼のように、節操がないんだよね^^;

でも、北海道の人は優しくて、最終的には、助けてくれるんだわ^^

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・・・この映画は、【青春のダサさ・滑稽さ】を見事に描いた作品かも知れない。

五十嵐役の佐藤隆太の笑顔を見ても、多くの人が、「良い奴だが、ダサい^^;」と言う感想を持ってしまうことで分かろう。

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もしかして、最後の試合で、記憶障害が直ったりして、などと言うご都合主義の展開を期待したのだが、この作品ではそうはならない。

この作品は、「青春の一瞬のきらめき」の物語である。

その「一瞬」を胸に、若者は、その後を社会と共生させていくのであろう。

                         (2008/03/30)
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[映画『バンテージ・ポイント』を観た]

2008-03-20 18:52:53 | 物語の感想
☆予告編を何度も見ていたが、予告編では、この作品の傾向がいまいち分からなかった。

思ったのが、何人かの主人公の「視点・主観」で、大統領暗殺事件の真相が二転三転するストーリーのようだった。

「ああ『羅生門』かあ」とは思ったのだが、画面は派手なアクションが展開されていた。

公開されて、各種のネット映評を覗くと、かなり評価が高い。

私は楽しみにしていた。

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黒澤の『羅生門』(原作は芥川龍之介の『藪の中』)は、物語や思想、主張、議論といったものを突き詰めて考えた時、必ず立ちはだかる問題<それぞれの主観>をテーマにしていた。

黒澤作品においては、イタコの口を借りた死者にまでも真実を語らせないという人間の業を描いていた。

私は、黒澤作品がビデオでは発売されていなかった17,8年前に、NHK衛星で放送された『羅生門』を見て感動した覚えがある。

だから、その後『アイアンメイズ』や、天海祐希主演の『ミスティー(だっけ?^^;)』など、『羅生門』にインスパイアされた作品と聞くと、異常に気になった。

しかし、『バンテージ・ポイント』の舞台は、現在である。

このハイテク情報記録機器が行き渡った時代である。

それぞれの主観の出る幕ははないはずなのである。

とにかく、私は、楽しみにしていた。

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いやはや、面白かった。

ここ数日、『魔法にかけられて』『ケロロ軍曹3』と、傑作ばかりで楽しい毎日だ^^

・・・なんなんだろう・・・?

とにかく、構成が緻密であった。

緻密と感じさせないハリウッド風の娯楽的見せ方の「緻密」であった。

集会での大統領暗殺の場面が、複数の登場人物の視点で繰り返し語られる。

   テレビ番組の制作者たち
   大統領警護のシークレット・サービス
   舞台となるスペインに旅行に来ていたアメリカ人
   女に惚れて、その頼みごとを聞いた刑事
   集会を見に来た母と娘
   テロリストに弟を捕らえられ、その要求通りに動かなくてはならない殺し屋
   大統領
   テロリストの女活動家
   テロリストのリーダー

正午12時から12時半までの30分が何度もくり返されるのだが、その内容は、それぞれの視点ではない。

微妙に客観的な視点がちりばめられている。

そして、その5,6回くり返される30分間は、単純な並列ではなく、リピートを続けつつ、核心に至る情報が徐々に足されていく。

それが、知的に、実に心地良いのだ^^

いわゆる「アハ体験」を連続させてくれるのだ。

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私が危惧していたハイテク時代の、暴かれる『羅生門』とは異なっていた。

ハイテクはハイテクとして、実際の犯罪者を記録していた。

しかし、30分の間のことなので、その瞬間においては、個々の登場人物の主観に頼るしかないのだ。

<ラショーモン>の形式を借りつつ、娯楽大作として、観ている私たちが満足できるオチを用意してくれている。

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全員が主人公だが、特にシークレット・サービスのバーンズ(デニス・クエイド)が良かった。

過去の事件(大統領を暗殺から救い銃撃される)にPTSDを抱え、精神安定剤を飲みつつ現場復帰しているのだ。

挙動が不審で、かなり頼りない。

私は、このバーンズが黒幕だったりして? などと思いつつ見た。

まあ、バーンズは悪ではないと言っておく。

そこをネタバレしても、考える選択肢は無数にあるからだ。

わずか、わずか40分後、バーンズが異常に頼もしい男に復活する様は、スタローン映画並みにスカッとする。

これは、挫折した親父の再生の物語である。

もう一人の生き残りし主役の親父も、妻と不仲で傷心旅行中だったのだが、愛を復活させる。

ちゃんと人間ドラマとしても成立しているのだ。

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数年前に、『メメント』とか言う、つまらない物語をモンタージュし、奇を衒った駄作があったが、

この『バンテージ・ポイント』は、モンタージュを駆使しなくても面白い作品になっただろう。

足によるチェイス、カーアクション、爆発、ガンアクション・・・、それら一つとっても「極上」であった。

皆さんも観に行ってほしい。

傑作である・・・。

                        (2008/03/20)
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[映画『超劇場版 ケロロ軍曹3』を観た]

2008-03-20 15:26:40 | 物語の感想
☆チビの姪っ子と甥っ子を連れて、『超劇場版 ケロロ軍曹3/ケロロVSケロロ 天空大決戦であります』を、いつものMOVIX昭島に観に行った。

MOVIX昭島は、『ドラえもん』『ワンピース』『ライラ』と子供向けの作品が目白押しだったのでメチャ込みだった。

MOVIX昭島が、開館20周年記念で、千円均一と言うこともあったのだろう。

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子供らは、『ドラえもん』が観たい風もあったのだが、それでは私が辛かった。

『ドラえもん』や『ポケモン』ってのは、主人公達に毒がないので、物語の幅に限界があり、初見の子供ならば楽しいだろうが、子供の頃から見ている私には、展開が読めて飽き飽きしてしまうのだ。

その点、『ケロロ』や『しんちゃん』は、そもそもが毒入り(^^;)なので、物語的に冒険が出来るのだよね。

「悪は善を内包している」って訳だ^^

初期の映画『ドラえもん』の、ジャイアンやスネ夫みたいな立ち位置だな。

まあ、今や、テレビ版のジャイアンやスネ夫でさえも、「いい奴」に骨抜きされてしまっているが・・・^^;

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さて、『ケロロ3』である。

感動した。

不覚にも、私は泣いてしまった。

テーマは、「友情」と「リーダー論」であり、

悪のケロロこと<ダーク・ケロロ>との戦いの中で、段階を追って、非常に論理的にそれが語られていくのである。

もちろん、北朝鮮を模したギャグなど、毒も盛りだくさんだ。

<ダーク・ケロロ>は、圧倒的な力で、ポコペン(地球)を侵略していく。

ポコペン人は、謎の電波で、<ダーク・ケロロ>の操り人形と化す。

しかし、ケロロ軍曹は、「そんなやり方は良くないのであります。そもそも、地球は私が侵略するのであります」と立ち上がる。

しかし、<ダーク・ケロロ>たちの力は強大で、ケロロ小隊の兵たちは、何度もやられる。

ケロロが世話になっている冬樹は、なぜか「操り人形」と化することはなく、ケロロと協力し合うのである。

<ダーク・ケロロ>は、「何で、あのポコペン人は、あんなバカ(ケロロ)に協力するのだろう?」と疑問を持つ。

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<ダーク・ケロロ>の居城は、空の天空城にあり、物語の随所に、高さの強調が見られた。

冬樹は、ホバーバイクで、雲海を突き破り、

夏美は、操られながら、<ダーク・ケロロ>の巨像造りの現場で、足場をスルスルと降りる。

気絶したケロロは、天空城から落ちて行く。

高さの演出は、宮崎駿には及ばないけれど、

落下するケロロを仲間たちが助けた時、隣りに座っていた子連れの奥さんが、思わず身体をビクリとさせていた^^;

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しかし、所詮は、子供向けのアニメのヒロインに過ぎない夏美なのに、

何で、あんなに、身体のラインがエロいんだろう。

そのなで肩、腰の艶かしい曲線・・・、私は見惚れるのだ。

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仲間たちが終結した時、<ダーク・ケロロ>は、それぞれに、仲間を認識できないリングをはめてしまう。

『ドラえもん』の<石コロ帽子>みたいなものだ。

そうして、それぞれの「友情」などというものが、所詮は見かけだけのものと分からせようとする。

しかし、仲間達はそれぞれ、<約束の地>を目指す。

そして、お互いがお互いを見えない中で、ガンプラを組み立てる。

私は、ここで、泣いた。

そして、ここからが凄かった。

『ガンダム』最終回のパロディをやり始めたのだ。

製作会社はサンライズだし、バンダイや角川書店とのつながりもあるので、権利問題にはならないのだろうが、

それとは別問題で、ここまで精巧なRX-78は、もう、これ以後、大画面では見れないのではなかろうかと思い、驚いた。

ガンダムの足の裏があんなになっているなんて、初めて知った^^;(とてもリアル!)

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私は、そこがクライマックスと思いきや、物語は更に続く。

ケロロと冬樹の友情を壊すべく、<ダーク・ケロロ>は、「仲間を認識できないリング」の効果をアップし、お互いに悪い相手の幻影を見せる。

しかし、冬樹の友情が、それを打ち破るのだった。

「お前のようなやり方では、王になれない!」

とか、ケロロは諭す。

が、それでも、<ダーク・ケロロ>は、

「一人でも、こんなポコペンは治めてみせるぅぅぅ」

とか言いながら、最終兵器を繰り出す。

そして、最後の天空大決戦となる。

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・・・ただ、私は、アンゴル・モアちゃんが、<最後の審判>を発動してくれたら、戦いはさっさと済んだと思うのだ^^;

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この作品の世界観は、『うる星やつら』的だなあと思いました。

特に、二重人格者が、多数、市民権を得ているところなどが^^;

また、天空城の地下回廊の存在が『カリオストロの城』を彷彿とさせた。

物語展開の妙も、初期の宮崎アニメのようなうまさを感じた。

最後のクレジットの背景で語られる<ダーク・ケロロ>の「その後」も良かった。

・・・私は、非常に楽しみました^^

昨夜、『バンテージ・ポイント』と言う傑作を観たのだが、満足度では、こちらも負けませんでした。

PS.地下通路の天井を這う小雪のお尻も可愛くて、そのシーンなど、物語上意味なく、ちょっと足を滑らして、水面に飛沫をあげさせるような演出も良かった^^

                           (2008/03/20)
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[映画『南京の真実・第一部「七人の死刑囚』を観た]

2008-03-16 21:49:55 | 物語の感想
☆セシオン杉並に、日本会議主催の上映会、映画『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』を観に行った。

・・・私は、美少女についてばかり語っており、中一の姪っ子の買ったローティーン雑誌を覗いていたら、私にとっては「プレイボーイ」でも見ているかのような楽しさを覚えるし、最近では、派遣労働問題などで共産党の支持をしたりもするが、根本的には保守的な思想系列に属している。

いわゆる「南京大虐殺」は、ここ数十年、日本の保守派が困惑し続けている、反日国家・中国の歴史捏造による問題であった。

あらゆる、日本の戦争犯罪を扱ったメディアがあるが、その一つとして、事実をちゃんと語っているものはない。

全て、そこには、中国共産党やソ連コミンテルンの情報戦謀略的な介在が確認されている。

潜在的に、中国・ソ連と敵対しているアメリカだが、アメリカには、原爆投下・東京大空襲と言う世界史上の大虐殺行為を犯した引け目がある。

だから、捏造の「南京大虐殺」と言う、架空の、敗戦国・日本の悪罪を拵えなくてはならなかったのだ。

中国共産党は、何億人もの人民から搾取した金や、日本からのODAなどを駆使し、軍事費を冗談のようにうなぎ上りにしており、また、情報戦の一環から、人民へ反日教育を植えつけるために、捏造の「南京大虐殺」を繰り返し語り、自国の国定教科書には、天安門事件や文化大革命と言う中国の虐殺の歴史が記されることはなく、もちろん、現在のチベットで行なわれている大虐殺なども語られることなく、ただ、日本の罪悪がひたすらに語られている始末だ。

今年は、(もちろん、妄想なのだが^^;)「南京大虐殺」の70周年なのだそうで、国を挙げて、・・・と言うか、全世界を挙げて、10本近い南京嘘映画が作られる。

それに一矢報いようと作られたのが、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』である。

チャンネル桜の水島社長が私財を投げ打って手弁当で作った作品だ。

三部作が予定されており、こうして、公開のめども立たない作品を、保守団体や、地方地方の良心的な方の力を借りて公開し、自作へのカンパを募っているそうだ。

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映画に先立って、作品の監督であり<チャンネル桜>の社長である水島聡氏と、場所を提供してくれた杉並区の区長の挨拶があった。

二人とも男気が溢れる方であった。

その他にも、保守運動界で有名な方も多く散見された。

私は、悪名高いので、挨拶などは出来よう筈がなく・・・^^;

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作品は、東京裁判で裁かれた「A級戦犯(松井のみBC級戦犯)」七人(松井石根、東条英機、広田弘毅、板垣征四郎、土肥原賢二、武藤章、木村兵太郎)の、処刑に至る最後の24時間を丹念に描いた作品である。

最初は、<能>の様式を用い、観念的な映像が続く。

私は、いささか、肩透かしで、あまりいい印象を持たなかった。

しかし、この<能>の様式は、クライマックスで、なかなかの効果を生む。

海外での受けは良いかも知れない。

ただ、観念的なイメージの世界で、男の子と女の子の子役に、能面や夜叉面を被らせるのは、不気味で嫌だった。

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私は、こってりと「南京大虐殺」の嘘を暴いていくのかと思ったら、この作品では、ひたすらに「七人」の潔い死に様を描いていくのだった。

途中、陥落直後の南京城内の記録映像が使用されていて、そこは俄然興味深かった。

本来ならば、蔑ろにされてもおかしくない南京住民が、日本軍によって律儀に安全管理されている姿が克明に記録されているのだ。

これは、貴重な東宝の記録映画だそうで、株式会社新日本映画社から販売もされているそうだ。

興味ある方は購入せよ!

     「南京 ~戦線後方記録映画~」
     http://www.history.gr.jp/~nanking/reason18.html

笑顔の南京人民の姿が見れるぞ。

子供たちも、モコモコと肥えていて可愛いんだわ^^

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『南京の真実・第一部「七人の死刑囚』は、3時間超の大作で、セシオン杉並の視聴覚室のパイプ椅子は座り心地が良くなかったのだが、飽きることはなかった。

大きな感動で涙を流すこともなかったが、流れるように見てしまった。

考えるに、七人の死刑囚及び、その七人と最後の交流をするお坊さん(三上寛)の演技が見事だったからだろう。

死刑は、七人を二回に分けて行なわれた。

最初の4人、後の3人。

お坊さんは、それぞれに仏に祈らせ(×4人)、お経を唱え、それぞれにぶどう酒を飲ませ(×4人)、お菓子を与え(×4人)、水盃を交わし(×4人)、それぞれと最後の握手を交わし、「天皇陛下万歳」の三唱をする。

そして、留置場から、処刑場へ向かい、その前で再び、別れを交わす(×4人)。

・・・処刑される。

その律儀な描写の数々に、私は、監督の水島氏は、映画の演出が下手なのかと思った。

なぜなら、後半の死刑囚たちの描写は端折られるかと思いきや、先ほどと同じように「×3人」で繰り替えされたのだ^^;

過剰な、意味のない繰り返しだ、と思いそうになった・・・。

しかし、飽きないのだ。

それぞれの死刑囚の、死に赴く態度が、・・・個々の役者の演技が、演じる対象への思い入れたっぷりに、7人7色で火花を散らすのだ。

これは、水島監督、あえてやっているのだな。

そう、思ったとき、この映画の良さが理解できた。

     #     #     #     #

・・・だが、この「第一部」だけでは、到底、問題点を語り尽くしていない。

     「第二部・検証篇(ドキュメント)」
     「第三部・アメリカ篇(劇映画篇)」

は、必ず、作られなくてはならないだろう。

                        (2008/03/16)
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[映画『魔法にかけられて』を観た]

2008-03-16 00:59:09 | 物語の感想
☆・・・いやはや、いい作品でした^^

半年ほど前に、この『魔法にかけられて』の予告編を見て、「こりゃ、かなり面白い作品になるぞ」と期待したものだが、何度も何度も予告編を見せられると、この物語が、<アニメ童話の世界の主人公が、現代のNYに来てしまう。そのギャップを楽しむ>と言う1アイディアに頼り切りのようにも思え、ちょっと期待が冷めつつも、「観に行きたい^^」と連れが言うので、「行きつけの映画館w」であるMOVIX昭島に向かった。

     #     #     #     #

初っ端は、非常にグレードの高い童話世界のアニメが展開される。

日本的なリアルさに対し、ディズニーは、非現実世界をクリアーに魅せてくれる。

しなやかな肢体の少女がいて、動物たちと、夢に見た理想の王子さまについて語る。

そこへ、モンスターのトロルが襲い掛かってくる。

助けてくれたのが、それ以上でも以下でもないジャスト「王子様!」。

お互いの想いが重なって、婚約と相成った。

しかし、それを妬む王女がいて、おとぎの国のお姫様ジゼルは、式の当日、「夢も希望もない国」・ニューヨークに飛ばされる。

そこからが、この作品の肝である「実写」パートになる。

ジゼルは、童話のお姫様の格好で、現実のニューヨークをさまよう。

そこでの、「主人公の服は汚れない」「ミュージカル的なディズニーアニメ上の作劇に、周囲は疑問を持たない」「出会う人はいい人ばかり」「可愛らしい動物が主人公を囲む」などと言うお約束は、次々に打ち破られる。

そもそもが現実世界でのジゼルは、額にしわが寄っている「疲れた風のお姫様」であった。

目だけは大きいが、目などは化粧でどうにでもなるし、いつも瞳を見開いている様は、冴えない女の子が写真を撮るときだけ「目を大きく見開く」のにも似て、なんとも切ない。

この女優(エイミー・アダムス)は、33歳だそうだ。

それを後から知って、笑った^^

映画の前半を観ている間は、昼間に見た番組「王様のブランチ」の中での、はしのえみの「姫」を連想してクスクス笑った^^

     #     #     #     #

そのジゼルは、ほとほと疲れ果てた後に、とある、バツイチ子持ちで再婚を目指す弁護士ロバートに助けられる。

私は、「この男とくっつくのかな?」と一瞬思ったのだが、それでは、物語が収束しないだろうと、あくまでもコメディ路線で突っ走ることを望んだ。

童話世界からは、王子と、ジゼルの友人のリスや、二人の仲を阻もうとする王女の使いもやってきて、それぞれが、現実世界とのギャップで、見ている私たちを笑わせてくれた。

ジゼルは、あくまでも、童話アニメの主人公で、現実世界で、大真面目に愛を歌い続ける。

ジゼルを助けてくれたロバートとの「デート」の、公園を訪れる人総出のミュージカルシーンなどには、私はとても胸が躍った。

このシーンを見ただけで、私はもう充分に観て良かったと感じた。

     #     #     #     #

しかし、物語は、更に進む。

王子と再会したジゼルは、ロバートへ湧き上がる思いを打ち消し、童話の世界に戻ろうとするのだ。

私は、「ああ、この作品は、『ローマの休日』をやろうとしているんだ!」と思った。

明朗健全、純真無垢、天真爛漫たるジゼルの心に複雑な思いが芽生えた時、私は、それまで滑稽なものにしか見えなかったジゼルがたまらなく愛おしくなった。

     #     #     #     #

物語の中で、ロバートは、会ってすぐ結婚を約束するジゼルとエドワードに「おかしいなあ^^;」と言う。

「デートを重ねつつ、お互いを分かっていくものだろ?」と。

観客である私たちも、ジゼルを見続けて、ジゼルと「デート」し、ジゼルの変化を感じて、愛を育むのだ^^;

しかし、ドラマは『ローマの休日』を目指しているのだ。

もう、すぐに、別れが迫っていた。

そして、ジゼルは、童話の国で、エドワード王子と幸せに暮らすのだ・・・。

     #     #     #     #

・・・と、思いきや、物語は、とんでもないハッピーエンドへ突き進んでいく。

私は、その四方八方ハッピー☆ハッピー☆な展開に喜んだ。

「ディズニーって凄いな・・・!」

私は感服するのだ^^

                          (2008/03/16)
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[映画『ジャンパー』を観た]

2008-03-02 15:49:33 | 物語の感想
☆てな訳で、映画の日・鑑賞2連弾、『明日への遺言』を朝一で見て、レイトショーで先行ロードショー『ジャンパー』を観て来ましたよ。

もち、いつものMOVIX昭島です!

     #     #     #     #

ジャンパーと言うのは、衣服のことではなく、空間を自由自在に移動できる<テレポテーション>能力を持つ超能力者のことだ。

主人公は事故に遭い、その超能力に目覚める。

スパイダーマンなどは、自分の超能力に目覚めてから、上映時間中、かなりの葛藤の時間を必要としていたが、この物語の主人公は、小気味よく、超能力者になった通過儀礼をこなしていく。

そこには、能力者ゆえの優越、不道徳行為、良心の苛み、能力との共生、という段階があろう。

しかし、その能力(瞬間移動)には、他人を傷つけるような要素がない故に、主人公は、苦悩することなく、超能力の有効活用をし続ける。

能力に完全に目覚めてから8年、主人公の少年は、若き日のベイダー卿を演じたヘイデン・クリステンセン演じる青年へと成長する。

それが、タイトルバックの終了までにスピーディーに語られる。

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さて、物語が始まると、即座に敵の存在が明らかになる。

敵の集団(古来より<ジャンパー>と敵対する<パラディン>たち)は、特殊武器を使用するが、生身である。

超能力をもつ主人公(名前を忘れた。以下、アナキンとする)は無敵に思えようが、けしてそんなことはない。

そもそもは人間であるが故に、大いに隙がある。

故に、戦いが成立する。

敵のリーダーのサミュエル・L・ジャクソンの顔は、芸術的に恐ろしい。

特に、黒い肌に白い髪、そしてギョロ目が「悪魔のモンチッチ」みたいだ^^;

・・・私は、無敵に思える超能力者が、所詮は人間であるが故に弱い点があり、対する鉄の意志の敵が襲い掛かってくるというシチュエーションに、筒井康隆の永遠の名作『七瀬ふたたび』を思い出した。

だから、物語前半は、『七瀬ふたたび』へのノスタルジーが、重なって、いい鑑賞感触だった。

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しかし、そんな私の感傷的な気分と裏腹に、画面は至って鮮明で、話は矢継ぎ早に進んでいく。

ジャンパーは世界を巡る。

世界の名所が、ジャンパー的な視点で見ることが出来て楽しかった^^

物語に深みがないじゃん! と言う方もいようが、私は、それ以上にそのスピード感に胸が踊った。

この作品の監督(ダグ・リーマン)については詳しくないが、ミュージック・クリップ的なセンスを感じた。

画面が彩り豊かだった。

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(小ネタ)

・アナキンは、好きな女の子がいたのだが、超能力を得て、銀行から大金をせしめて富豪になり、女もいい女をとっかえひっかえなのだが、いざ、初恋の相手と会うと、ちょっとはにかみ屋さんに戻ってしまうところが良かった。

・で、主人公の好きだった女の子ミリーなのだが、学生の頃はメチャ可愛いのに、8年後に再開したら、なんか物足りないヒロインになってしまっていたのが寂しかった^^;

それは、映画館を出てから、前を歩いていたカップルも話していたことだ^^;

・また、脚本上、どうにも解せない点が幾つかある。

それは、敵であるパラディンと遭遇し、エセ富豪の状態が崩壊してから、何で、アナキンは、捨てたはずの自分の故郷に戻ったのか?

いや、そういう感傷的な気持ちになるのは分かるが、物語の展開上、敵に自分のウィークポイントを開陳するような流れに、解せない思いがした。

・どうやら、アナキンのお母さんは、アナキンの超能力の秘密と関係あったのだが、観ている私達には、その中途半端な母親とのかかわりが、テンポ良く進む物語の流れを分断する存在以外の何ものでもない。

おそらく、原作などでは重要な要素なのだろうが、いらんエピソードであった。

・パラディンは、捕らえたジャンパーを始末する時、短剣を用いる。

おそらく長い歴史の中での、ジャンパー対パラディンの間での儀式的な意味もあるのだろうが、その説明もなく、パラディンはハイテク特殊兵器を用いるので、その曰くありげな短剣だけが、物語上浮いている。

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クライマックスの戦いだが、何故だか、対パラディンという図式ではなく、同じジャンパー仲間と、対パラディンの方法について対立し、世界中を跳び回って戦う。

絵的には、世界中がクリアーに認識できて非常に面白いのだが、物語の方向性としては、なんとも横道それまくりなイメージだ。

私は、「絵的には、世界中がクリアーに認識できて非常に面白いのだが、物語の方向性としては、なんとも横道それまくりなイメージだ」と考えた時、とある映画を思い出した。

『ザ・ロック』だ。

あの作品も、ミュージック・ビデオを作っていたマイケル・ベイが監督し、絵的には、見事な作品だった。

しかし、物語の大半は、主人公のニコラス・ケイジが、敵を倒すために必要なショーン・コネリーを仲間にすることに、物語上、無意味な時間を長々と浪費していた。

その、物語上の横道へのこだわり感に解せない思いがつのったものだ。

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私が監督ならば、物語のクライマックスにおいては、大気圏へのジャンプで決着をつけたと思う。

それでこそ、「少年ジャンプ」好きの、私好みの熱血超能力バトルになり得る。

だが、ハリウッド映画って、若者を主人公にすると、必ず、青春物でまとめるんだよなあ^^

まあ、悪くないけど・・・。

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色々、不満を書いたが、おおむね私は楽しんだ。

ジャンプシーンの連続に、私はお腹にビンビン緊張感を溜め込んで、映画館を後にしましたよ^^v

                           (2008/03/03)
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[映画『明日への遺言』を観た]

2008-03-01 17:19:48 | 物語の感想
☆私は、『硫黄島からの手紙』を見終えたとき、あのようなふんだんな資金で作った戦争大作洋画に対し、邦画の戦争を語る作品が勝つには「戦争法廷物」しかないと語っていたものだ。

すると、この『明日への遺言』と言う、かなりの傑作が生まれた。

もっとも、東京裁判での東條英機を描いた『プライド』と言う作品が、私の念頭にあったのかもしれない。

『明日への遺言』は傑作ゆえに、その完成度は高く、私が語る余地は少ない。

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アメリカの大物量の骨太なテーマの戦争物に勝てるのは、ローコストでまかなえ、脚本力を駆使できる法廷物であり、その私の考える概念は、この『明日への遺言』と言う作品内での、岡田資中将の「法戦」と言う考え方と重なる。

物語について詳しく語るつもりはなく、ただ、「観に行けや!」と思うのだが、「法戦」について説明したく、ちょっと内容を語る。

・・・日本は戦争に負けた。

敗者は勝者に裁かれる。

東京裁判には、もはや、道理は存在しなかった・・・。

しかし、その「敵」だらけの法廷に、道理を復活させようとしたのが岡田資の「法による戦い」だった。

民主主義における裁判は名ばかりで、弁護人も連合軍側(アメリカ人?)、検察も連合軍側(アメリカ人?)、裁判官グループも連合軍側(アメリカ人?)だった。

だが、弁護人は、アメリカ人ながら、道理を通す人物だった。

岡田中将も、自分の思うところを法廷で語ることが出来た。

確かに、岡田司令官の受け持った東海方面軍は、日本全土を無差別爆撃せし米軍機から脱出してきたアメリカ兵を、略式審理の末、死刑に処した。

その段においての、東海方面軍の行為を裁く法廷が舞台となっている。

弁護人は、そもそも、米軍の行為が、無差別爆撃を禁じるハーグ条約に反する国際法違反だ、との線で、岡田との「共闘」を進めていた。

それだからこそ、その捕らえられた米軍機からの捕虜を、切迫した戦時下の情勢の中、死刑に処すという判断を下すことになった、と。

また、各所の法廷から、似たような事例の裁判(石垣島ケース)は、全て、軍関係当事者ほとんどが死刑判決を受けたことを知り、岡田は、自分の周囲の若者の前途を憂い、全責任を自分に引きつけようとした。

ここで、多くの観客は、「ああ、何て立派な人だ」と泣くのだろうが、私は、そんな「当然のこと」では心は動かされない。

責任者であった者が責任を取る。

それは当たり前のことだ。

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私が感動したのは、その岡田中将のパーソナリティである。

この人、わりと精神論を語ったりして、古いタイプの人である。

しかし、それが良き方向に作用する性格の人物らしかった。

英語を話せることもあり、「敵」とのコミュニケーションも取れ、また、部下との会話も気さくである。

法廷でも、わりと、誰にでも理解できる言葉で、自分ら東海方面軍の置かれていた状況を語っていく。

情勢を考えると、全ての行動は必然で、だが、結果については、自分が全責任を持つ、と言うのだった。

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  (余談)

私は、岡田中将を演じた藤田まことの大ファンであり、『必殺 仕事人』の映画の舞台挨拶の時に、「まことー!!」と客席から叫んだこともあるほどのファンである。

だから、岡田中将が、無差別爆撃を行なった米兵を略式審理の処刑を行なった理由を知っている・・・。

           ・・・仕事人だからである・・・。

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(閑話休題)

そういった、至って装飾のない岡田中将の真摯な語り口は、次第に、検察側や裁判官側の、戦犯としての岡田を見る目を変えていく。

その経過が見事だった。

主任弁護士フェザーストンを演じた俳優は、飄々としていて、立ち居振る舞いが洒落者で良かった。

いかにもアメリカ的な正義感に燃えていた主任検察官バーネット役も良かった。

どうあっても、重犯罪人に仕立てたい中将が、自分と似た正義感(日本風)を持っていることに、次第に敬意を表せざるを得なくなっていく様が良かった。

裁判委員長を演じたラップ役も良かった。

この白い肌に赤味が差している男は、酷薄そうなのだが、次第に、中将に対して、いや、中将の気持ちに対して、理解を感じていくのだった。

裁判委員長も、主任検察官も、法廷の言葉ではそれを表せないが、目で語っていた。

素晴らしい演技で、良かったなあ・・・。

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私は、何度か涙を流した。

それは、家族との交流のシーンだった。

奥さんを演じた富士純子だが、セリフはほとんどないのだが、裁判のはざ間の岡田に、信頼の笑顔を向け続けていた。

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では、岡田中将の語った言葉で、心に残った一つを最後に記す(細部はうろ覚え)。

「ここから話すことは、私の個人的な考え方です。
  私は仏教を信じる者だが、仏教には、十の段階がある。
  畜生道、修羅、人間、そして、菩薩と…、徳が高まっていくのですが、
  (日本を裏切るような)武藤の如き畜生には、
  自らも畜生に落ちて、懲らしめなくてはならない…」

私も、ブログ等で、卑劣な野郎を糾弾するときは、自分が同レベルに堕ちて戦わねばならない時がある・・・。

法廷と言う閉鎖的な空間を舞台にしながら、なんとも、空間的な広がりを感じたのは、この岡田中将の庶民的な常識が日常を感じさせてくれたからだろう。

                      (2008/03/01)
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