『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『テネイシャスD:運命のピックをさがせ!』を観た]

2008-07-28 06:43:22 | 物語の感想
☆これまた、面白い映画を観た^^v

私は、特にバンドを結成したような過去はない。

しかし、友人たちの多くは、当時(20年前)のバンドブームに乗っかって客の全くいないライブとかを行なっていたので、

ロックを志すにあたっての最初の通過儀礼みたいなものは把握していると思う。

だから、この作品の主人公二人の気持ちがよく分かった。

そして、おそらく40歳も近いだろうデブ・ハゲが、性懲りもなく、スターを目指している姿に勇気づけられもするのだ。

   ◇   ◇

つくりとしては、青春「ロード・オブ・ザ・リング」と思っていただきたい。

主人公がロックスターを夢見て、旅立ち、仲間を増やし、伝説の道具を手に入れ、その道具の魔力で別離の危機に瀕しながらも、悪の魔王をロック魂で倒すのである。

それが、スタイリッシュな画面、斬新なアニメ技術なども駆使して語られる。

だけども、主人公二人はダサい。

ダサいけど、格好いい。

しかし、物語の最後になっても、二人の「カッコ良さ」は普遍なものとはならない。

最後のロック対決の勝利も、特に観衆に認められたものでもない。

二人の世界限定なのである・・・。

それが、この物語のリアルなのかも知れない。

   ◇   ◇

私は、アメリカンコメディは苦手だが(と言うか、笑えない)、この作品はゲラゲラ笑った。

それは、物語上の「青春のほとばしり」と、作劇上の「音楽の効果」、二つの芯があったからだろう。

JBの回りを省みることのない突っ走り方は、ある一定年齢の誰もが、自分の過去を思い出して懐かしくも恥ずかしくも微笑ましくなるだろう。

また、ミュージカル的に歌われる心情を表した歌の数々に、そのサウンドに心が捉えられる。

  「♪ロッキン&ファッキン! ロッキン&ファッキン!
     ファッキン&ロッキン! ファッキン&ロッキン!」

には、冒頭でいきなり笑わせられた。

特に、昨日、『ギララの逆襲』と言うリズム感のないコメディを見せられたので、その落差に安心感をもって笑えた。

ヘビメタなので、歌詞に性的な単語が飛び交うのだが、なんとも、二人の女性経験のなさが露呈していて、「チンコ」「チンコ」と目立ってしょうがなかった^^;

「チン立て伏せ」って、あんた…、『十五童貞漂流記』を思い出してしまったよ^^

   ◇   ◇

この作品、「R15」指定なんだけど、何でだろう?

やっぱ、「♪ロッキン&ファッキン!」が良くないのだろうか?

確かに、若い子がこの作品をみて、「ああ、大人って、いい年して、こんなことやっていていいんだ・・・」などと思ったら、やばいけどね。

   ◇   ◇

私は、最近、太りはじめたし、つむじも広がりはじめたので、この<テネイシャスD>の生き方にはとても憧れるのである^^;

                          (2008/07/28)
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[映画『ギララの逆襲/洞爺湖サミット危機一発』を観た]

2008-07-27 09:26:43 | 物語の感想
☆誉め言葉として、先ず言いたい。

     「くっだらね~^^;」

   ◇   ◇

それと、この作品には、特別出演として、生前の水野晴郎が出演している。

完全に末期の様相であった。

テレビで慣れ親しんでいた頃を知っているだけに、その変わりようは衝撃だった。

若い頃は、水野晴郎の映画解説などは歯牙にもかけなかったが、「ビートルズがやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」や「007 危機一発!」などの邦題を決めたセンスの凄さたるや、大した功績だと思う(「洞爺湖サミット危機一発」もそこからだろう^^;)。

その後の、日本の言語文化を左右したのだから・・・。

慎んで御冥福をお祈りするのです。

   ◇   ◇

ギララの暴れっぷりなのだが、心底、チープである。

物語の最後に、ビートたけし扮する「タケ魔人」ちゅうのが出てくるのだが、私は、それを知っていたので、「ああ、これは、『タケちゃんマン』だと思って見ればいいのだな^^;」と割り切った。

それにしては、ギャグの練りこみが足りないとは思った。

お笑いのセンスがないのに、劇団員を率いていくためにコメディ脚本を書き上げ演じる小劇団、てな雰囲気に満ちていた。

だが、ギャグセンスがないとは言い切れないシーンも多数あるのだ。

例えば、G8首脳会議で怪獣対策が議論されている時に、何故か、いつの間にやら、巨人帽を被ったペロペロキャンディーを舐めた少年が紛れ込んでいて、「怪獣、怪獣って言うけどさぁ。名前をつけようよ! 眼がギラギラーっとしているから<ギララ>がいいよ!」と屈託なく言うのである。

少年は、何故そこにいたのか?

少年は何なのか?

何も語られず、退場させられる。

非常にナンセンスで、バランスが悪いのだが、なんか面白いのである。

そして、登場人物の次のセリフからは、当然のように「ギララ」が使われるのである・・・。

   ◇   ◇

また、ギララ殲滅作戦が、各国のアイディアで繰り出される。

その作戦はほとんど失敗するのだが、失敗するたびに、サミット会場の前に掲げられた八カ国の国旗のうち、失敗した国のものが半掲にされる。

「くっだらね~」と思いつつも、それがくり返されると、しまいには吹き出してしまうのだ。

   ◇   ◇

先ほど、小劇団云々と書いたが、まさしく、この作品は、そのようなノリなのである。

ギララにかかわる特撮は全て安っぽいが、それを補完するのは観劇者なのだろう。

舞台は、サミット会場、ギララの現場、神社周辺の三場で形成され、そこが「書割」の如く、その前で出演者が熱演しているのである。

映画の終了時には、作中の胡散臭いG8首脳達が、なんとも愛すべき野郎どもに思わせられるのは、なかなか感動ものだ。

   ◇   ◇

上映時間の2時間弱、私は、作品自体の帰着点を知りたいこともあり、飽きずに見た。

映画なので、長時間の制作期間を必要としていただろうに、最近の国際情勢のネタも盛り込まれていた。

G8各国の事情のほかに、中国や北も、そのお国の「個性」で絡んでくる。

なかなか毒がある。

・・・ああ、『タケちゃんマン』かと思ったら、『チーム☆アメリカ』的に見ればいいのかな、などと私は思った。

   ◇   ◇

ヒロインの加藤夏希は美しいが、この役は、いまいちステロタイプ過ぎて面白みがなかった。

どっちかと言うと、フランスのソルコジ大統領に誘惑されていた「奈美」のほうがエロくて良かった^^

まあ、加藤夏希は、今回、普通の役であるが故に、後に「ネチコマ」を踊るのが活きてくるのだな。

もっとも、「ネチコマ踊り」は、面白いというよりも、見ていて、メチャ恥ずかしかった^^;

恥ずかしいことを真剣にやっているので、この作品は救われている。

 PS・書き忘れていたが、ギララの頭部から「ボンボリ」が二本飛び出ているが、あれ、長さが違うゾ^^;
 それから、尻尾の先が蟹のハサミみたいになっているけど、なんか役に立ったか?
 また、ギララの顔の真ん中から蛇口みたいのが出てるが、あれも光線が出るわけでもなく・・・。
 そういった「意味ね~!!!」が面白かったよ^^v


                          (2008/07/27)
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[映画『ハプニング』を観た]

2008-07-26 09:13:39 | 物語の感想

☆一日だけ早い先行上映で、シャマラン監督の『ハプニング』を観に行く。

私はよく、この監督の作品を「能天気だ」とか言っているが、実は、この監督の作品は、『シックス・センス』しか見たことがない。

それも、ビデオで観た^^;

この監督を好きな人は多いようだが、『シックス・センス』が余程、心のツボにはまってしまったのだろう。

「あの感動をもう一度」「あのどんでん返しをもう一度」とばかりに、続作を見に行ってしまうのだろう、と思っていた。

私は、『ジェイコブス・ラダー』を十年以上前に見ていたので、『シックス・センス』を見ても衝撃はなかった・・・。

   ◇   ◇

で、『ハプニング』だが、非常に面白かった。

全編これ、謎が覆っていて、手応えとしては、ジョージ・A・ロメロ風味の『クローバー・フィールド』って感じだった。

ふいに、町の人間たちが、呆然と立ち尽くし、おって、自殺をはじめるのだ。

その、人間が神経を狂わせたかのような現象は、疫病のように、ニューヨークから隣りの州に伝染していく・・・。

シャマラン作品はオチが肝なので(まあ、今回はオチは不明瞭なのだが…)、語らないことにするが、ミステリーとホラーの境界線を綱渡りするような絶妙な演出で楽しかった。

「謎の、目に見えぬ伝染」は、人知れず人を蝕む。

これが第一の格調高き恐怖。

だが、人々は自殺するわけで、主人公たちは危険地域から脱出する中で、数々の方法での自殺現場を見せられる。

これが、下世話な第二の恐怖だ。

そのバランスが絶妙で、実に怖くておもちょろい^^

しかも、下世話な直接的な恐怖を描いているのだが、

高層ビルの建築現場の足場から、多くの労働者が飛び降りてくるシーンや、

田舎の通りの、枝振りのいい街路樹から、何人もの首吊り死体がぶら下がっているシーンなどは、

前衛芸術を見ているようで、よござんした。

・・・人々は、ゆっくりと着実に自殺していく。

白昼で行われるその様は、シュールである。

   ◇   ◇

ただ、なんか気になる点もあった。

登場人物たちが総じて、なんかおかしいのだ。

特に、主人公の奥さんなど、私は「神経病み」なのかと思っていた。

夫婦の不和の解消の物語にしたいみたいなんだけど、奥さんの初登場のシーンの挙動や、主人公の兄弟との感情的な諍いも、シーンシーンが妙に突出しているので、物語上の大きな伏線のようにも感じられ、しかし、それが、あまり物語に生きてこないので、違和感がありありだった。

途中で知り合う苗木飼育場を営む夫婦も、奇矯で、妙にキャラが立ち過ぎている。

ホットドッグの話の意味のない繰り返しや、道の遠くに死体が見えて、それを見たいと思う主人公に、「隣りの家を覗くのに使っている双眼鏡があるわ」などと脚本に加えられているところなど、コメディみたいだ。

最後の舞台にいる、電気の通っていない、よってメディア機器もない中で暮らす孤独な老女の異常性なども、物語の本筋から外れているのに、怖い。

ああ、これが、第三の恐怖だ。

シャマランは、こうした「世界に潜んで暮らす異常者」の姿などを描いて、世界を襲った異常事態の根本原因としてフィードバックさせたかったのかな。

好意的に解釈すると気持は分かるが、成功しているとは言い難い。

   ◇   ◇

主人公夫婦と逃避行の動向をする作中8歳の娘ジェス(アシュリン・サンチェス)がいる。

これが、美少女であった。

やや南米風の顔立ちで、服装も民族的な首飾りをしていて、それが似合っていて、可愛かった。

物語の最初こそ、回りの大人は、悲惨な状況をジェスに隠す気遣いを見せていたのだが、物語が進むに従い、そうもしてられなくなり、ジェスは何度もショッキングな場面に直面することになる。

私にとっても強烈なシーンが続くので、私は、物語内のジェスの教育的な精神衛生上にとても不安を持たされた。

と、私が思わせられる程のリアルな演出力が、この作品にはあった・・・。

                       (2008/07/26)

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[映画『崖の上のポニョ』を観た^^]

2008-07-20 00:00:19 | 物語の感想
☆最初に言っておくと、私は、『ポニョ』を愛してます^^

     

   ◇   ◇

宮崎駿監督は、もう往年のパワーは持ち得ないと思っていた。

私が考えるところの問題点は二つで、

  1・あまりにもビッグバジェットとなってしまった宮崎作品は、
   多くのテーマ(客の嗜好)を内包することを義務づけられ、
   「もののけ姫」「ナウシカ」に代表できるような、宮崎的な怨念を込められる…、
   あるいは、「ラピュタ」や「トトロ」「カリオストロ」のような純粋エンターテイメントの如き、
   シンプルな一本道の物語作りができない環境になってしまった。

  2・宮崎監督に、自分の情念を作品化するにあたっての集中力が、
   年齢とともに欠落してしまった。
   つまり、ボケた。

と思っていた。

それは、両方ともあたっていると思う。

「超映画批評」の人が、『ポニョ』の批評で、「パラノイア(偏執病・妄想症)」的と言っていたが、私は、「スキゾフレニー」的だと思っている。

とにかく、「ハウル」「千尋」は、内容が支離滅裂で、部分部分が面白かったけど、完全に、宮崎監督の「統合失調症(昔の言い方だと「精神分裂病」)」が見え隠れていた。

だけども、『ポニョ』においては、その気配はなかった。

純粋に、孫を見るおじいちゃんの視点で、作品自体が統合されていた。

千尋やシータ、ラナに見られていたロリコン的な視点もなく、「孫を愛する大泉逸郎」的な作品に対する純粋な視点で、一本道がついたのだ。

『ハウル』や『千尋』に見られた、ギミック発揮の横道も、『ポニョ』においては、宗助やポニョと言うキャラクターに向けられていたので、作品テーマ自体が、かろうじて保持されていた。

この作品、宮崎監督が瀬戸内に滞在していた折、構想を得たと言う。

そのニュースが飛び交った昨年の3月ごろ、私は出張で岡山に一ヶ月滞在していたのである。

ゆっくりとした時間の流れる瀬戸内の町の雰囲気が実によく理解出来た^^

   ◇   ◇

海辺が舞台なので、最初から、海を行き交う船が多数出てくる。

ポニョと出合った宗助が、老人ホームのおばあちゃんたちにポニョを紹介するシーンなど、海辺を眺める老女たちの前に宗助は立つわけで、背後にポンポン船が横切っていく。

『カリオストロの城』でのオープニングクレジットを思い出すようなポンポン船の使い方に、私はほろ苦くなった^^

とにかく、瀬戸内を小高い丘から俯瞰した時、行き交う大きい船・小さい船の数々は、多くのインスピレーションを湧かしてくれるのである。

   ◇   ◇

この作品は、とにかく、孫を慈しむ老人視点なので、アニメで描かれた幼児の挙動がこれでもかと丹念に描かれる。

例えば、ポニョのハム好きの可愛らしさを描くために、サンドイッチやインスタントラーメンと言う背景を構築する。

後半の町水没と言う背景も、ポニョと宗助の「はじめてのおつかい」を描くために設えられたものである。

宮崎監督は、ポニョが人間になりたい→魔法の魚が陸に上がる→次元にゆがみが出る→その混乱の中での幼児の冒険→全てを解決する幼き愛の完成、と言う具合に流れが定まった時、さぞかし快哉を叫んだことだろう・・・。

   ◇   ◇

私は、宮崎アニメは、箱庭的な舞台と、空間の3D的な使い方が肝だと思っている。

その中で、崖の上の家、海岸線の町、海の深度(海の幾つかの場は分断されていた)がよく描かれていたと思う。

     

特に、町の水没後、上記の三つの舞台が、立体的に融合していた。

それが、ただ、二人の幼児のためだけに集約されている。

   ◇   ◇

よく分からない点も多い。

主に、ポニョの父親であるフジモトについてだ。

どうやら、ハウルのなれの果てであることは分かる(分かるんかいっ!?)。

フジモトは、なんでフジモトなのだろう。

この人は、どうやら、世界を海の時代に戻したいと日夜研究を繰り返しているらしい。

服は、青のストライプと赤のストライプがあり、なんかルパンの青ジャケと赤ジャケを思い出す。

なんか、この人についての疑問を書いていったらキリがないので書かない。

   ◇   ◇

宗助のお母さんのリサは、すこぶるつきのいい女だが、

私は、あまり、宮崎アニメの女をそういう目で見たくはないので多くは書かない。

少女ならばいいんだけどね。

   ◇   ◇

ポニョのお母さんの、海の女神みたいな女性だが、この人が現われた時、耳についたイヤリングの三つの石が「カリリ」と音を立てる細やかな描写に、私は驚かされた。

そのほかにも、フジモトの研究室の扉が立て付けが悪いという描写もあったが、これは後のポニョの大暴れのシーンのためではなく、宮崎監督が、フジモトに生活感を与えたかったのだと思うのだ。

宗助の保育園と老人ホームの間の抜け穴・・・、そこをカッパ姿で通り過ぎようとした時に、カッパの裾が抜け穴の軒に引っかかる描写・・・、実に細かいのである。

台風で電気が不通となり、自家発電機を動かそうとする描写・・・、ポニョの魔法を発露させる場面ではあるが、宮崎監督が無性に発電機を描きたかったからであろう。

私が言いたいのは、つまり、「ハウル」や「千尋」では、自分がやりたいシーンを、気持ちのおもむくままに描いていた宮崎監督が、ちゃんとその衝動を物語の必然として描く方法を覚えたと言いたいのだ。

バケツや、冒頭から出てくる船の模型の使い方もうまい。

・・・造船所に入る大きな船の遮断通りの、物語冒頭の紹介シーンと、台風の中でのサスペンス演出もいいね。

   ◇   ◇

映画の各所で、洗練されたスピード感の描写もあった。

ポニョが海の中で、ゴミをさらう網から逃げるところや、

リサの運転するミニは、ルパン3世の運転するスバル360みたいだし、

ポニョの脱走シーン、

フジモトの操る水の魚とのチェイス、

そこここで、安心して、そのスピード感に酔えた^^

ただ、女の子になったポニョが海の上を走り回るシーンのBGMがワーグナーみたいだなと思っていたら、

パンフレットに、宮崎監督は、ワルキューレを聴きながら物語の構想を練ったとも書かれていて、

私は、変なオヤジだなあと思ったのだ。

まあ、ワルキューレは、『地獄の黙示録』に使われたから戦争のイメージだが、先入観なく聞いたら、流れるような水のイメージかも知れない。

   ◇   ◇

うん、ポニョは可愛い。

バケツの中で、スヤスヤ寝て、回転しつつお腹を見せたりするのがメチャ可愛い^^

気難しげな目つきで、口から水を飛ばすのも可愛い^^

私は、ポニョの妹たちを見ていると、宮崎監督が嫌悪しつつも、結局は手塚治虫の影響を大きく受けていることを思うのだ。

     

ポニョは、金魚→半魚人→少女の3段変化を見せるが、

昔のパワフルな宮崎監督ならば、ポニョを可愛い少女に変化などさせず、

せいぜい半魚人でとめて、あの半魚人ヴィジュアルを可愛く見せる方法論で押し切ったと思う。

そこが残念かな。

少女ポニョも可愛いけどね^^

                         (2008/07/20)
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[遅ればせながら、映画『奇跡のシンフォニー』を観た]

2008-07-19 18:00:10 | 物語の感想
☆昨夜、MOVIX昭島の公開最終日/最終回になだれ込んだ。

意外にも、客の入りが2割ほどもあったので驚いた。

   ◇   ◇

物語は、孤児院に育った、音楽的才能に溢れた少年が、その音楽の道を貫いていけば、自分を捨てた親に会えると確信し、ニューヨークに家出して物語が進む。

話は至ってテンポ良く、別の意味で言えば「ご都合主義」で展開される。

それは、一概に悪いとも言えず、でも、その主人公が音楽的な才能をあらわにするシーンともども美しさを感じるのだが、物足りなさも感じた。

私は、主人公の「絶対嗅覚」版である『パフューム』(←クリック)や、激しき音楽的世界を描く『4分間のピアニスト』(←クリック)を期待したのだが、『奇跡のシンフォニー』においては、あまり作品的に過激さはない。

   ◇   ◇

私は、息子である主人公の不遇を知らなかった両親の、特に母親役のケリー・ラッセルの演技に、鳥肌をビシバシ立てさせられるほどリアルを感じた。

息子は死んだと言われての諦め・・・、息子が実は生きていたと分かってからの激しさ・・・。

とても良かった。

母親のお父さん役に、『ダイ・ハード2』の敵役のウィリアム・サドラーが出ていたのは懐かしさをともなって嬉しかった^^

父親役のジョナサン・リース=マイヤーズも、実に寂しげな瞳で良かった。

こりゃ、イケメン俳優として皆に人気があるんだろうなあ^^



   ◇   ◇

役柄的に、主人公の少年は「天然」なので、それに対して、脇役達は受身の演技派を揃えている。

児童相談所の所員のような役のテレンス・ハワードも、

主人公の才能に畏怖を感じつつも、認めることしかできない少年役としてのレオン・トマス3世も、

性が違うだろうからか、主人公の才能を素直に認める黒人少女役のジャマイア・シモーヌ・ラッシュらが、やはりいい演技を見せてくれた。

また、主人公を取り巻く、音楽学校の大人たちも、実にリアリティを感じた。

   ◇   ◇

惜しいのは、主人公の才能で、荒稼ぎをしようとするロビン・ウィリアムスだ。

『ラスベガスをぶっつぶせ』(クリック!)での、ケヴィン・スペイシーにも感じたのだが、どうもカントリー歌手風の扮装をした人間は胡散臭い^^;

それはさておいても、そのロビン・ウィリアムスが、最後の最後まで俗物だったのは痛かった。

11年前の、主人公の両親が結ばれるきっかけになったストリート・ミュージシャンでもあるのである。

また、音楽学校で大人に囲まれる主人公を連れ去るときに、「古臭い音楽理論を、この天才に仕込むな!」などといいセリフをかましていたので、彼の人物造詣の甘さが痛い。

   ◇   ◇

それから、主人公だが、そのクライマックスでのオーケストラを指揮をする様である。

あまり激しさがなく、下手だった。

うまく演技指導することはいくらでも出来ようから、ここは演出陣、あえて、あのような指揮振りをさせたのだろう。

それも惜しかった。

                          (2008/07/19)
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[映画『ホートン ふしぎな世界のダレダーレ』を観た(脱線)]

2008-07-13 00:21:36 | 物語の感想
☆なかなかいい物語でありもうした。

しかし、この物語、完全に左翼的な思想に彩られた作品でもあった。

まあ、この物語の中で示される具体例においては、そのリベラルな思想が合致するんだけどね。

ジャングルの象・ホートンが大事に守る綿埃の中には、微小なる世界ダレダーレがちゃんと存在している。

もし、ダレダーレが存在しなかったら、ホートンは、ただの秩序の破壊者である。

   ◇   ◇

物語上の悪役であるカンガルーは、あたかも、保守派の依怙地な老人方の具現化のようであるが、実際のところ、現実の社会においては、このカンガルーのおばさんのようなシュプレヒコールを挙げるような方は、左翼のメンタリティである。

証拠に、このカンガルーのおばさん、息子をポケットに入れて、いつも一緒にいるが、旦那が出てこない。

おそらく、フェミ二ズム行動の帰結を、暗喩しているのだ^^;

   ◇   ◇

話が脱線するが、こうしたシステム維持派である頑固ジジィである保守派は、今となっては幻想であり、今のシステム維持派は左翼思想ババァに乗っ取られている。

例えば、最近発覚した大分県の教員汚職事件だが、

この大分県、絶大な左翼的思想を背景に持つ教育状況なのである。

本来、汚職なんてものは、システム維持派の保守派の悪弊であったはずだ。

しかし、大分県は、そんな左翼教育界のシステム維持のために、汚職を行ったのだ。

左翼の常套句に、「権力は腐敗する」があるが、

右翼であっても、保守派であっても、そして、左翼であっても、「権力は腐敗する」のであろう。

   ◇   ◇

しかし、そんな中にあって、ダレダーレの市長が、代々、世襲制であることはおかしいのである。

世襲制が悪いと私は言っているのではない。

だが、圧倒的な左翼思想に彩られた物語の中にあって、その中核に「世襲制」を置いたのは違和感がありありだ。

     

そして、左翼の常套句「市民」の代表である「市長」が国のリーダーとしてされているのも、なんかおかしい。

だが、市長は絶対的ではない。

国会において、市長のお目付け役として議長団が存在している。

この議長団が、いかにも保守の悪弊的な<事なかれ集団>なのである。

原作者のドクター・スースは、日本の大学教授・中村貢との親交の中でこの物語を完成させたと言う。

中村貢氏の思想背景は分からず、調べる気もないのだが、スースとの交流は戦後すぐに始まったようで、

その頃は、左翼であっても天皇陛下への敬愛は忘れていなかった人が多い。

つまり、私が言いたいのは、ダレダーレ市長=昭和天皇、議長団=軍部を表わしていたんではなかろうか、っちゅうことだ。

そうでも考えないと、この作品中での左翼思想の中での権威世襲制が理解できない。

   ◇   ◇

いろいろ書いているが、作品自体はいい出来であるので、みんな、どうぞ見に行って欲しい。

物語の冒頭に、空気中を漂うダレダーレを内包した綿埃の描写があるが、滝の上空を落ちていく時のスピード感たるや、『スピードレーサー』のレースシーンや『インディ・ジョーンズ4』での滝落ちなんかよりも腹がヒヤヒヤさせられた。

私は、アメリカのアニメと言ったら、ピクサーの作品だけ見ておけば良いと思ったが、他の会社も高品質の作品を作っているのだなあ、と感心させられた。

しかし、カンガルーのおばさんや、ハゲワシの醜い感情の姿をまざまざと見せられてなおもの、その二人(二匹)を含んで全員悪い人はなく、大団円のハッピーエンドには、やや解せない思いを感じた。

まっ、ホートンの優しい人徳っちゅうことで!!^^;

PS・しかし、ケイティって、何の動物だったのかな? ブタの貯金箱か? 市長の末っ子ともども、可愛かったです^^v

                        (2008/07/13)
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[映画『スピード・レーサー』を観た]

2008-07-12 11:10:07 | 物語の感想
☆私の問題なので、その作風が好きな人は、それはそれで良いのだが^^;

世の中には生理的に受けつけないものがある。

ウォシャウスキー兄弟の作品が、私にとってのそれだ。

『マトリックス』シリーズもゲンナリさせられたものだ。

その薄っぺらさに文句を言い続けてもしょうがないので、いい所を書いて見る。

   ◇   ◇

『マッハGO GO GO』のハリウッド実写版なのだが、竜の子プロがかつて作ったアニメから逸脱することなく、押さえるところはちゃんと押さえていると思った。

アメリカでも大ヒットしたアニメでもあるらしく、熱いファンが多く、オリジナルに敬意を表さなくてはならない点もあるのだろうし、

元々、竜の子アニメは、アメリカナイズされた画風だったので、ハリウッド風の改変も必要とされなかったのだろう。

ちなみに、竜の子アニメは、幼少時の私にとってはあまり好みのものではなかった。

竜の子アニメのクォリティは非常に高かったが、その絵柄や動きのバタ臭さが、子供のときの私にとってはレベルが高過ぎて、完全に低レベルの、東映の『マジンガーZ』などに魅了されていた。

   ◇   ◇

私は、『スピード・レーサー』の前半、見ていて、つまんなくてつまんなくて、帰っちゃいたくもあった。

あんな奇を衒ったカラフルな画面も、しばらく見せられると飽きてくるし、私は、どうも腹が立ってくるのだ(同じくカラフルな『ディック・トレーシー』はなかなか良かったが…)。

それを救ったのは、時おり繰り返される『マッハGOGOGO』のテーマの前奏部だ。

何度も何度も、あのレース前の緊張感の感じられるフレーズが繰り返される。

私は、それが流れるたびに、疼くような感じがして、やや身を乗り出す。

そのテーマ曲が物語の盛り上がりと融合して爆発するのは、終局になってからだ。

   ◇   ◇

途中から、マッハ号は改造されて、ジャンプが多用される。

それが良かった。

映画には見ていて心地いいアクションがある(例えば、スパイダーマンが摩天楼を滑空するシーンなど)。

マッハ号のジャンプは心地良かった。

その時に、「シュンシュンシュンシュン!!」と、アニメと同じ効果音が使われている。

最高だ^^

   ◇   ◇

その頃から、物語の定番だが、家族の絆なんてものがうまく挿入されていて、見ている私も俄然感情の移入をさせられる。

ヒロイン役のクリスティーナ・リッチは、目玉がグリグリに大きくて可愛かった^^

ヒロインの子供の頃を演じた娘も可愛かった。

それから、レーサーX(別名「ザ・グレート・ゼブラ」)だが、頼りになりつつも、無敵の強さでもない、その力加減が絶妙であった。

   ◇   ◇

惜しむらくは、私がアニメ版で強烈に印象に残っているシーンがなかったところかな。

そうそう、マッハ号が、崩れそうな太古の巨大な恐竜の化石のあばら骨の中を走るシーンだ。

マッハ号が進むと同時に、その骨が崩れ、追っていた敵のレーサーが押し潰されてしまう、っちゅうシーンだ。

   ◇   ◇

キーワード:『トロン』『マリオカート』『ジョジョの奇妙な冒険・第3部:「ダービー弟」戦』^^;

                          (2008/07/12)
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[映画『クライマーズ・ハイ』を観た]

2008-07-06 09:58:23 | 物語の感想
☆日航123便墜落事件は、私が社会の動向に興味を持ち始めた高校生の頃に起こった大事件だったので、非常に記憶に残っている。

川上慶子ちゃんや与圧隔壁なんて言葉が、すぐに思い出される。

後に、阪神大震災が起きた後に、サブカル系言論者が「<終わらない日常>が終わった」と語っていたが、私にとって日航機墜落事件は、「<終わらない日常>などはない」と言うことを既に教えてくれていた。

当時、バンドブームで、パンクバンドを組んでいた友人が、即興で「日航機墜落」などと言う不謹慎な楽曲を作っていたものだ・・・。

   ◇   ◇

非常に面白かった。

さりとて、この作品、誤解を恐れず言えば、物語などない。

別に、背景を「日航機墜落」にする必要がないのである。

また、力強い演出に引っ張られて、2時間半の上映時間を緊張感を持って見ることが出来るが、舞台を地方新聞社にする必要もない。

事件当時の動向に、現在の主人公の姿を重ね合わせている。

そのロッククライミングの姿を、大自然を背景に、臨場感たっぷりに見事に活写しているが、本筋とのテーマの有機的なつながりは薄い。

ただ、タイトルの「クライマーズ・ハイ」のためだけのモンタージュであった。

おかしい点は多々あるが、それでも見ているこちらをグイグイ引っ張ってくれるのは、ひたすらにパワフルな演出の結果だろう。

   ◇   ◇

そう、そもそも、この作品は、具体的事例を辿る物語ではないのである。

社会・組織内での人間群像を執拗に描いているのみの作品なのだ。

あまりにも役者が多いので羅列はしないが、社会人として生きていると、必ず出くわすであろう、自分の回りにいる者に似た個性的人物が、見事に配されている。

鑑賞者は、そこでの主人公の心情や動きを見て、自分に重ね合わせずにはいられない。

人と人のぶつかり合いは、バトルロイヤルを見ているが如くだ。

面白い。

面白い、が、なんかふと我に返ると、車田正美のマンガの如く、それぞれの出演者が必殺技を叫んで戦い続けている印象にも似ている。

   ◇   ◇

私は、日頃、限界までは怒らないタイプの人間であるが、主人公(堤真一)をはじめ、出てくる者たちが、日常の中で自分の主張をやや礼儀なくぶつけあう姿を見て、かなり勉強になった。

口論して、でも、その後に社会人・会社人たるべく、感情のぶつかりあいなどなかったかのごとく対応する様は、私に、人生の生き方の新たな答えを教えてくれた様な気がした。

                          (2008/07/06)
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[遅ればせながら、『ナルニア国物語・第2章』を観た]

2008-07-05 11:30:15 | 物語の感想
☆『ナルニア国物語/第2章:カスピアン王子の角笛』を観に行った。

そもそも、『第1章』も、テレビで放送された時、最初の30分くらい見ただけなので、この『第2章』なども観に行くつもりはなかった。

なんと言っても、出てくる少女にあまり魅力を感じなかった。

しかし、連れが「観たい観たい」とダダをこねたので、私個人としてはふんだんに使われた特撮を楽しもうと座席に座った。

予告では、『崖の上のポニョ』がやっていた。

こうして、映画を週に数度も見に行っていると、同じ予告を何度も見せられて飽きてくるのだが、「ポニョの歌」の予告は何度見てもいい^^

   ◇   ◇

さて、ナル二アだ!

公開から一ヶ月以上経っているこの作品だが、私、「よくぞ観にいった!」と思った^^

とても面白かったのだ☆

私は、長大な原作を持つファンタジー映画は、映画化するとき、そのオリジナリティを削られて味気ないものになってしまう・・・(例、『エラゴン』)、と言う先入観を持っているのだが、「ナル二ア」は、実に、独創的なアイディアに溢れた作品だと魅了された。

ファンタジー大作のマスターピースとして、『ロード・オブ・ザ・リング』がある。

その後のファンタジー大作は、どうしても、それと重ねあわされ、比較され、「ああ、似てる」とか「あれに比べれば見劣りする」などと思ってしまうのだが、

この作品においては、それはなかった。

クライマックスの決戦。

地上戦と空中戦が繰り広げられる。

規模としては、中レベルである。

しかし、ファンタジーの合戦シーンによく見られるシチュエーションでありつつも、それぞれの見せ方が斬新なのである。

投石器の岩の重み…。

落下する<空飛ぶ獣>が地面に巻き上げる砂塵…。

それらの重量感。

まあ、ディズニーなので、あまり陰惨な映像はない。

しかし、想像を巡らすと壮絶であろうシーンは『ランボー:最後の戦場』なみにある。

・・・見たことのないビジュアルが示される。

まさか、カタコンベがあのように使われるとは!!

   ◇   ◇

何よりも、主人公の4人が、戦うことへの心の葛藤がなく(それは、『第一章』で済んでいるのか?)、既に「覚・悟・完・了・!(by『覚悟のススメ』)」されている点が良かった。

あまり美少女じゃないお姉さんみたいのは、凛々しく弓を射る。

あまり美少女じゃない妹みたいのは、最後の最後に品をつくって、最終兵器を発動させる。

なかなか格好良いが、いまいち冴えないお兄さんみたいのは、現代っ子なのに、剣の道を学んできただろう悪の王・ミラースと力強いタイマン勝負を行う。

そのリーダーシップも、なかなかのものだったと思う。

弟みたいのは、二の線で、いつも物語上、おいしいトコをもって行く^^;

前作の敵役「白い魔女」の復活を阻止するトコなんか、お兄さんやカスピアン王子では、「白い魔女」の力を借りでもしないと勝てない戦いの苛酷さを知っているだけに、他には討てる者がいなかっただろうから、弟が未熟さゆえに「暗黒面」に堕ちることがないという理由付けとして見事だと思った。

それぞれが自然に、役割分担されていて良かった。

   ◇   ◇

何よりも私が一番感心したのは、お姉さんがカスピアン王子と別れるシーンだ。

お姉さん、メチャ演技がうまい。

先ずは、わざとに、冷たい視線で別れようとする。

それは、相手への冷たさではなく、自分の運命への諦めだ。

しかし、やや逡巡し、振り向き、カスピアン王子と抱擁し、口づけする。

4人のうち、上の2人は、もう、ナル二アに戻ることはないのだ。

そう、2人は、大人になってしまったのだ。

その理由は語られることはない。

しかし、その「どうにもならない別れ」は伝わってくる。

4人は日常に戻る。

大冒険を繰り広げた後の日常・・・。

初期の映画『ドラえもん』にあった切なさがあった・・・。

   ◇   ◇

ナル二ア開闢の祖・アスランの存在が、私にはいまいち、理解できなかった。

早めに出てきてくれたら、多くの流血沙汰が起こらなかったと思うのだが・・・。

自分を認識してくれる者が、異界から現われてこそ、その全能の力が発揮されるのだろうか。

ともあれ、久々に感心した大作ファンタジーであった^^

                         (2008/07/05)
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