『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[ミステリ『時限絶命マンション』を読んだ]

2008-12-27 22:27:57 | 物語の感想
☆一ヶ月ほど前に読んだ『極限推理コロシアム』に続いて、矢野龍王の第二作目を読んだ。

 前回と同じく、閉鎖空間で老若男女が「殺人ゲーム」をさせられる。

 気楽に読める作品としては、とても楽しんだが、前回は、成人の男女が殺人ゲームを繰り広げるのに対し、今回はマンションと言う閉鎖空間での殺人ゲームで、勝負は家族単位で繰り広げられ、故に、子供なども犠牲になり、それが不愉快だった。

 文学的な踏み込みが足らない故に、子供が殺人ゲームの犠牲になるショックはサラリと流されるのが救いか・・・。

 前回は、『SAW』や『サバイバー』『バトルロワイヤル』風であると書いたが、今回は、それに『ダイ・ハード』が加味されているかな?

 それは、マンションが舞台になっているからだろう。

 一定時間に、持っていると人が殺される「悪魔人形」を、各マンションの世帯が押しつけあうのだが、文字通り、その悪魔人形を他の家族の部屋に「押しつけあう」様が、力尽くで、でも、何とも「シュール」で面白かった。

 この人の文章は、多人数を描いても、何故か、文章を追っていくだけですんなりと登場人物が頭に入ってくるところが良い。

 説明がうまいのだろうか?

                       (2008/12/27)
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[ミステリ『イニシエーション・ラブ』を読んだ]

2008-12-23 22:34:27 | 物語の感想
☆いつの間にやら、なかなかの人気作家になっていた、乾くるみの『イニシエーション・ラブ』を読んだ。

 ミステリ臭のない、80年代を舞台にした恋愛小説の体裁であるが、最後の二行で全てが変転する、超ド級のミステリだ。

 その「からくり」はともかく、私は、その描かれている、ちと野暮な恋愛模様に、非常にノスタルジックな思いをチクチクさせられた。

 具体例が、ことごとく自分と重なるのだ。

 う~ん、私も、イニシエーション(通過儀礼)としての恋愛を経てきたんだなあ、と思う。

 それは、村上春樹の恋愛小説とは違う、武者小路実篤のような必死な、恥ずかしい恋愛の数々だった。

 特に、可愛いマユと、美しいミヤコに挟まれている「主人公」の姿を見ると、自分の輝かしい時代を思い出す。

 思えば、・・・(以下ry

   ◇   ◇

 乾くるみは、講談社ノベルスのメフィスト賞のデビューだが、私は、その頃、本格ミステリを読み漁っていて、毎月、講談社ノベルスのほとんどを購入して読んでいた。

 そんな時期が三年ほど続いていた。

 乾くるみのデビュー作『Jの神話』も、発売と同時に読んだ。

 そのトリックもさることながら、女性特有のネッチリとした深い「エロス」描写に非常に感心(興奮)した。

 私は、真意を探るべく、その『Jの神話』を、あえて気のある女の子に読ませたものである。

 期待して読んだ、次作『匣の中』は、いまいちの出来だったが、男が恋人の乳首を「クリック! クリック!」とするところだけが乾チックだった^^;

 三作目の『塔の断章』は買ってはあるが、読んでいない。

 今回、『イニシエーション・ラブ』が良かったので、これから、『塔の断章』や、続作も読もうと思っている。

                       (2008/12/23)
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[映画『地球が静止する日』を観た]

2008-12-21 20:36:12 | 物語の感想
☆私の働いている業界は、年末が忙しく、短い更新でゴメンちゃい。

 なお、私の本名は「ナカムラ」と言うのだが、来年の元日に「ナカデミー賞」を発表したいので、皆さん、チェケ!!

 さあ、作品賞は? 美女賞は? 美少女賞は? 美幼女賞は?

   ◇   ◇

 予告編の限りでは、あまり派手な印象の作品ではなかったが、それが良い意味で裏切られることもなく、淡々とした作品であった。

 これが、『X-FILE』だったら、超傑作だったんだろう。

 『地球が静止する日』と言うタイトルだが、私は、『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』のパクリだと思っていたのだが、この作品は、1951年のアメリカ映画(ロバート・ワイズ監督)のリメイクであり、『ジャイアントロボ』のほうが、このタイトルを借りていたそうです^^;

 つまり、

 『地球の静止する日(1951)』
      ↓
 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日(1992~1998)』
      ↓
 『地球が静止する日(2008)』

 の、順番となる。

 しかし、リメイク版でインパクト大の、大きな球形の異物体のイメージは、オリジナルにはなく、『ジャイアントロボ』で出てくるんだよなあ。

 ただ、地球人の是非を問う異星人と言うキャラ付けは、『ジャイアントロボ』の原作者である横山光輝が、『マーズ(1976)』でも描いている。

 横山光輝は、ワイズ版の『地球の静止する日』にかなり影響されていたのか。

 『マーズ』のラストシーンは、地球人に幻滅したマーズが、地球を爆発させるという救いのない終わり方をしている。

 これは、この頃、マンガ『三国志』で中国と交流を持った横山光輝が、中国共産党に、大陸での、旧日本軍の「幻想(嘘)の悪行」を吹き込まれた結果だと思われる。

 『マーズ』の作中でも、戦争中の、「幻想(嘘)の<南京大虐殺>」と思われるシーンが繰り返し描かれていた・・・。

   ◇   ◇

 話が脱線してすいません。

 でも、今回の『地球が静止する日』のモチーフを語るには、重要なことだと思うのだ。

 オリジナルの監督は、この作品を冷戦時代のソ連との関係をイメージしたようだ。

 ただ、ワイズ監督は、苛酷な時代を背景に『サウンド・オブ・ミュージック』というミュージカル映画に撮り上げた監督である故に、その「異星(ソ連)の使者・クラトゥ」を友好的な人物に描いている。

 今回の作品でのクラトゥ役のキアヌ・リーブスは、寡黙だが表情をしかめて感情を表わすという、一時のハリソン・フォードみたいな芸風であったが(竹中直人は、そのフォードを批判していた)、この作品においてのキアヌは良かったと思う。

 他の作品で見られるような「改心」キャラと異なり、今回のクラトゥは、その感動の揺れ動きがこちらにあまり伝わらず、それがかえって、演出の抑制に感じられた。

 だから、クライマックスのクラトゥの行動も、激しい感情の変化に至る大きなエピソードがある訳でなく、小さな「観察」の積み重ねだったのだなと、そこにも、大作映画に見られぬ大人の抑制を感じてしまうのだった。

   ◇   ◇

 不思議な巨大ロボット<ゴート>は、凄まじく魅力的だった。

 私は、あのような、シンプルでパワフルなロボットが大好きなのだ。

 動力とか素材とかが不明なので、神秘的ではないですか?^^;

 私は、『エヴァンゲリオン』のヒットも、その主役ロボの生物的な秘密に起因すると思っている。

 そして、「文明を喰う虫」のケレン味も良かった~。

   ◇   ◇

 PS.私は、この作品を見て、横山光輝のロボット・アニメを多く連想させられた。

 自分へのクリスマス・プレゼントに、アニメ映画『鉄人28号 白昼の残月』のDVDを買うことに決めました^^v

                       (2008/12/21)
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[映画『ワールド・オブ・ライズ』を観た]

2008-12-20 23:58:58 | 物語の感想
☆仕事が忙しく、短い更新でゴメンね。

 なお、私の本名は「ナカムラ」と言うのだが、来年の元日に「ナカデミー賞」を発表したいので、皆さん、チェケ!!

 さあ、作品賞は? 美女賞は? 美少女賞は? 美幼女賞は?

   ◇   ◇

「これはッ!!」と言う、特筆すべき事柄に欠ける作品ではあったが、作品を構成する因子は水準以上の作品だった。

 デカプリオは、すっかり演技派で、中東現地で活躍するCIAエージェントを堂々と演じていた。

 私個人は、どうしても彼を『タイタニック』の青年の如く見てしまうのだが、役者としての実力は充分につけているのだと思う。

 すれっからしの私の感受性には引っ掛からなかったけど、かつての私が、アル・パチーノやデ・ニーロに感じていたような感銘を、今の若い子はデカプリオに感じているのかも知れない。

 二枚看板のラッセル・クロウだが、ちょっと中年崩れた、生活感のあるCIAの上司を演じていて、そのアラブ諸国への偏見と傲慢さは見ものだった。

 あの微妙な「やさぐれ」感はいいし、眼鏡越しの上目使いも、自分の能力しか信じていない雰囲気がよく出ている。

 リドリー・スコット監督は、昔の映像作家的なイメージから、近年では、男の真剣タイマン勝負を描くような、マイケル・マン的な監督に変貌しつつあるね。

 「スモーク」の美学なんて、ジョン・ウーの「鳩」みたいな一発イメージ屋から、『ブラック・ホーク・ダウン』で見せた、高解像度の散文的な映像を、格調高く見せてくれるように変貌している。

 さて、ならば、この作品で、最も「売り」となるのはどこか?

 それは、ヨルダン情報部のトップ<ハニ>を演じたマーク・ストロングの「気品」だろう。

 作中、自らが語るとおり、「礼儀正しい知的な紳士」然としており、優雅な身のこなしで、カリスマが感じられた。

 『アラビアのロレンス』のオマー・シャリフ的な魅力か。

 配給側は、この作品を、デカプリオとクロウの二人の、対テロ活動のコンゲーム的な売り方にしているが、第三の男・ハニの、情さえも兼ね備えたイスラム(前時代)的な合理性が機能もすることになる(←ネタバレになるので、微妙な言い回し^^;)。

                          (2008/12/20)
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[映画『ブロークン・イングリッシュ』を観た]

2008-12-16 19:20:21 | 物語の感想
☆ああ、こりゃ、傑作! 以上!!

 ・・・では、済まないだろうから、ちょっと書く。

   ◇   ◇

 主人公は、結婚適齢期を過ぎたOL。

 高級ホテルで働いていて、歳相応にそれなりに責任ある役職についている。

 物語は、三つのパートに分けることができようか・・・。

 先ずは、結婚願望を抱きつつもの、「都合のいい女にされちゃう」篇。

 続いて、フランス人の恋人との「ニューヨーク・不安な恋」篇。

 最後に、フランスに帰国した恋人を追っての「パリ・見聞録」篇か。

 ・・・私は、物語がニューヨークで完結すると思っていたので、話がヨーロッパに広がっていくことに意外を感じたが、主人公ノラ(パーカー・ポージー)が、それまでの自分から「吹っ切れる」には、何かのキッカケが必要なのだろう。

 日本人の感覚からすると、フランスとの文化の違いは大きいが、アメリカ人がフランスに渡って感じる差異みたいなものも、見ていて少し興味深い。

 ポランスキーの『フランティック』は評価低いようだが、私にはアメリカ人がフランスで戸惑う姿が非常に面白かった。

   ◇   ◇

 ・・・いや、私が、この作品を見て書いておきたいのはそんなことではない。

 主要な役の「視線の演技」の見事さである。

 先ず、ノラである。

 「都合のいい女」として男に扱われ、新しい男との出会いにも非常に臆病になっている。

 でも、その心根は優しく、いつも、男の言葉を信じて、・・・結局、孤独なのである。

 それでも、優しく瞳を閉じたり、視線を斜め上にして悲しみを逸らしたり、その仕草をやめない健気さに、私は共感した。

 男の私がノラに共感してしまうのだから、三十路に突入した、男性との交際を多数経てきたけど、何故か、うまくいかないタイプの女性などは、その不憫さに共感しまくりだろう。

 その母親(ジーナ・ローランズ)は、その辛さを分かっているようだが、女性特有のクールなことを言う。

「最近の若い子は大変ね。選択肢がありすぎるから、どれを選んでいいのか分からないのね・・・」

「私に、どこか欠点があるのだと思う」

   ◇   ◇

 親友のオードリー役も、夫婦の危機にあるが、夫にキスされると、それを受け入れてしまう弱さがある。

 夫のマークと視線を合わせ、ノラの不遇を心配する。

 また、オードリーは、ノラのフランス行きに同行するのだが、そこで、とある男に抱かれてしまう。

 その男が、はじめてオードリーを見たときの視線・・・。

 このジョン・カサヴェテスの娘のゾーイ・カサヴェテス監督は、とにかく、対象が意識していないときの他者による「視線」を、非常に物語のポイントに持っていく。

   ◇   ◇

 ノラは、知り合ったフランス人の青年ジュリアンへの恋愛に臆病になっていて、自分の心をさらけ出すことができない。

 言葉にもするし、そういう態度も見せている。

 しかし、その態度をジュリアンにぶつけないので、ジュリアンには分からない。

 ジュリアンは、ノラを「選ぶ」と言う上位にありそうだが、それは、ノラや私たちの勝手な思い込みである。

 ノラの不器用な態度は、真摯に恋する人を求めていたジュリアンさえも不安にさせていたのである。

 そのジュリアンの不安は、ノラがあらぬ方向を見つめているときの、ノラを見つめる「視線」で良くわかるのである。

 「イケメン」の弱さがよく伝わってきて、私などはそこでも共感してしまう。

 メルヴィル・プポー・・・、忘れないでおこう!

 ・・・そして、そのジュリアンの「視線」を客観視できた私達にとっては、その後の物語は、ノラの物語ではなく、ノラとジュリアンの二人の物語へと変貌するのである。

   ◇   ◇

 フランスに渡ってきたけれど、ノラはジュリアンに再会できず、空港への電車に乗る。

 そこで、偶然にもジュリアンの姿を見る。

 通路を挟んで、無言の二人・・・。

 だが、喜怒哀楽の感情が渦巻いている。

 最高に「饒舌」なシーンだ。

 ・・・最後にノラは瞳を閉じて、画面は暗転、エンドクレジットへ。

 ノラは瞳を閉じた。

 しかし、今回は、それは「不安」ではなく、「安心」の思いからだった。

   ◇   ◇

 (蛇足)

 どうでもいい話だが、私は、ノラやジュリアンそれぞれに自分を重ねもしたし、昔つきあった女性たちとも重ねた。

 ノラもそうだが、女の子は、どうも、どこかしら「情緒不安定」な一面を持ってるね。

 ・・・久し振りに映画パンフレットを買ったのだが、パーカー・ポージーが私と同じ年齢だと分かって、嬉しいような気がした^^

                       (2008/12/16)
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[映画『空へ ─救いの翼 RESCUE WINGS─ 』を観た]

2008-12-14 09:48:10 | 物語の感想
☆航空自衛隊全面協力で撮られた、自衛隊レスキュー部隊の物語だ。

 私は、仕事を終えてからの時間帯で見られるレイトショーが、この作品だけだったので、それ程に興味がなかったのだが観た。

 昨今のシネマコンプレックスの乱立で、公開日の話題作でも、レイトショーになると、客もまばらなものだったが、何故か、この作品、かなりの客が入っていた。

 しかも、やや年配の方が、一人で多数来ていた。

 指定席制のMOVIX昭島(映画館)側も、それほどに客が入らないのを見越して、一人の客は、一席抜かしで配置させる。

 だから、客席中央は、一席抜かしの、列ごとに一席ずらしと言う「幾何学模様」を形成していた^^;

 中年オヤジが集うのは、主演の高山侑子目的ではなかろう。

 おそらく、子供の頃、「将来の夢は?」と聞かれたら、「パイロット!」と即答したような根強い航空ファンなのだろう。

   ◇   ◇

 物語は、至ってオーソドックスな、女性レスキューパイロット成長物語である。

 それはそれで悪くなく、私は無難に見た。

 ただ、個々の役者の演技が下手なのかうまいのか分からない、「妙なさじ加減」が感じられた。

 三浦友和や中村雅俊など、おなじみの顔も、妙によそよそしく見えた。

 ドキュメント的作りだったのかな?

 レスキュー映像も、CGは使われておらず、画面のいい意味での「がさつき」にドキュメントタッチのリアルさが感じられた。

 ただ、私が映像を見ながら、思わず、「また、あんたか・・・」と呟いた、最近、映画出ずっぱりの木村佳乃だけは、「ビクトリア朝」的演技で独自の路線を突っ走っていた^^;

   ◇   ◇

 作りのオーソドックスさで、私は、大森一樹の青春物を思い出していたのだが、そしたら、案の定、脚本に大森一樹の名前があった。

 私は、氏のSMAP主演『シュート』など、意外に好きなのであった^^

 ただ、その自衛隊ノリの飲み会などでの会話は、体育会系ではない私にとって、リアルなのか分からず、

 また、女性隊員同士での会話も、昨今の若い女性事情に疎い四十路の私には、どうも、ちゃちに感じられた。

 主演の高山侑子は、「欽ちゃん球団のピッチャーの娘」みたいな可愛さがあったが、私を夢中にさせるには至らなかった。

 どうも、目や眉が、私にはクリント・イーストウッドに見えてしょうがなかった^^;

   ◇   ◇

 実は、私、十日前に尿管結石になったのだが、今回の上映中に、またも強烈な腹痛にみまわれた。

 私は、腹を押さえながら、朦朧としつつ見た。

 レスキュー隊は、怪我した遭難者や、過疎地の急病人を助けるのだが、私は、そんな物語と自分をオーバーラップさせた・・・、・・・なんてことはない。

 ひたすらに腹痛に耐えて、最後まで見た。

 で、夜通し苦しみ、今日の早朝に、緊急医療で病院に行った。

 レスキュー隊に限らず、苦しんでくれる時に親身に力になってくれる人の存在は、それだけで痛みが和らぐもので・・・。

 ・・・いや、今も痛いのです・・・^^;

   ◇   ◇

 作中、二人の美少女が出ていました^^

 ゆきのちゃんと、渡辺優奈ちゃん、どちらもめんこかった(名前はうろ覚え、腹痛に苦しみつつも、それだけは見ていた)。

                        (2008/12/14)
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[本格ミステリ『乱鴉の島』を読んだ]

2008-12-12 21:57:57 | 物語の感想
☆有栖川有栖の作品は、短篇は好んで読むが、長篇は、いまいち派手さに欠けていてそれ程読んでいない(『双頭の悪魔 (創元推理文庫)』は傑作だと思う^^ )。

 しかし、この作品は、昨年度の<本格ミステリベスト10・第一位!>だったそうで、講談社ノベルスで出たので購入し、読んでみた。

 有栖川作品には、二人の代表的な探偵がいて、いかにも本格な舞台で活躍する探偵が大学生の江神二郎で、やや大衆的な、今なお書き続けられている探偵として、臨床犯罪社会学者の火村英生がいる。

 この作品は後者の探偵であり、これまでも、やや派手さに欠ける事件を解決しまくっている^^;

 しかし、今回は、<クローズドサークル>である「孤島」を舞台にしている。

 古典的な、派手な舞台設定である。

 が、事件は地味である。

 なのに、なかなかの大著であるにも拘わらず、飽きずにスルスルと読んでしまった。

 余韻も深い。

 考えるに、節々に、本格ファンを喜ばすような「文法」が充ちているからだろう。

 それは、有栖川の「ケレン」ではない。

 有栖川の「熟成」である。

 普段は本格を読まないような方にとっては、「本格ミステリってこんなものか・・・」と思われちゃう可能性もある。

 火村英生は、この作品で、何度となく、名探偵のような所作を見せる。

 クールな火村にしては珍しいことなのだ・・・^^;

 しかし、どうも、うまくいかない。

 難解な「謎」に、珍しく戸惑う火村の姿も見ることが出来る。

 そんな姿が見れて、私は嬉しい^^

                           (2008/12/12)
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[もう一つの、映画『落下の王国』評]

2008-12-10 19:43:06 | 物語の感想
☆ネット上での友人、おってプライベートでも友人のMUTIさんが、私個人に『落下の王国』評を送ってくれたので、ここに転載する。

 ちなみに、私は、[映画『落下の王国』を観た(大傑作!!)](クリック!)として書き残しているので、併せて読んで欲しい。

   ◇   ◇

 蘭さん、MUTIです。

 おすすめいただいた「落下の王国」を見ました。

 見たのは、10日程前でしたが、印象がまとまらず、

 今日まで連絡できなかった次第です。

 今となっても、まとまらない感想ですが、以下、映画の感想です。


   ===============================================

 ターセム・シン監督の「落下の王国」(2006年 THE FALL)を見た。

 冒頭が恐ろしいほどの傑出映像だった。

 白黒によるスローモーション映像で、これほどに美しい映画を私は未だかつて見た事がない。

 映画史において比類のない数分間の一つとして記憶されるべきイメージだ。

 私がこれまで見てきた経験からすると、

 スローモーションというものは、映像の美しさ・映画的構成という点で、きわめて扱いにくい手段であり、多くの場合、作者の意図通りの効果を生まないだけでなく、それまでの「流れ」をぶち切ってしまう無惨な例と化す。

 アメリカン・ニューシネマの名監督、サム・ペキンパーのような、スローモーションに関して異様・特異な才能をもつ監督もいるが、しばしばスローモーションの使用は、その作者の映画についての無理解部分を晒してしまうことにつながってしまう。

 そして白黒。

 この監督の前作「ザ・セル」(2000年 THE CELL)はDVDで鑑賞し、鮮やかな色彩のカラーを多用した衝撃的イメージは印象にのこった。

 本作でも、鑑賞前にポスター等をみて、鮮やかな原色のイメージを持っていのだが、冒頭の白黒映像のもつ緊張感とみずみずしさは、そんな私の先入観を鮮やかにとびこえてくれた。

 この白黒スローモーションの冒頭部分についていた音楽がなかったら、私は全身全霊で、この部分を賞賛した事だろう。

 ただ、この部分で、クラシックの名曲を使っている事だけが、映画としての感動に水を差した。

 こういう気分の中ではじまった本編は、ここでも私の監督に対するイメージをくつがえしてくれた。

 恥ずかしながら「ザ・セル」を見た印象からは、これほどのものを作る能力がある監督とはまったく想像できなかった。

 「ザ・セル」は、写真集といった、見る側が自由に深読みし、想像のできる発表形式での「画」なら相当の水準のものだったと思う。

 が、「ザ・セル」において、スクリーンの枠内で時間をかけて流されたものは
前後とのつながりが悪く、結果、ストーリーとしっくりこない物と化していた。

 精神異常者の心象風景、という事であったから、監督の意図通りなのかもしれないが、とりあえず普通の人間である私にとって、その衝撃的な映像は「鬼面人を驚かす」、「独りよがり」の絵空事となってしまっていた。

 全体としては「同人」的な作品だったように思う。

 それが(今作品では)、サイレント映画撮影の際のスタントの失敗によって
半身不随となった青年が幼い女の子に語るお話という「物語」の枠組みを設定することによって奔放なイメージが有機的に結合し、見事に動いて鮮明な印象を残してくれるストーリーとなっていた。

 映画前半の、「物語」のイメージの「きらめき」と、青年と幼い女の子の入院した「現実」の病院のシーンとの微妙な関連は、さりげなく慎ましく、それを発見するものにさりげない喜びとしっとりした感触を与えてくれる。

 奴隷が引いていた車からでてくる扇のベールの姫の美しさ。

 が、この映画は、ストーリーをハッピーエンドには持って行かない。

 半身不随の青年は自殺の衝動に囚われ、幼い女の子をだまして自殺に荷担させ、
大怪我をさせてしまう。

 大怪我をした幼い女の子のベッド脇で、真に反省出来ない青年は、酒に浸りつつ嘆き、「物語」を悲惨な展開へと持って行ってしまう。

 「物語」の主要なメンバーは次々と無惨な死をとげ、ベールの姫の美しさは衰える。

 なんとか幼い女の子の訴えにより、「物語」での全滅、そして自死は食い止められる。

 が、病院を出た二人の接点はなくなり、幼い女の子は黄金時代のサイレント映画に出てくる超人的な役者を、回復した青年だと思いこんで、現実を見る事が出来ないままなのだ。

 そして、この映画は、

 「キートンの恋愛三代記」(1923 THE THREE AGES)の中の、落下しつつ愛を全身で表現するバスター・キートンの名シーンを最後に暗転し、冒頭部と同じ曲をエンディングとして終わる。

 なぜこの作品はハッピーエンドにならないのだろうか。

 さて。

 この映画が冒頭とエンディングでテーマとしている曲は、ベートーベンの交響曲第七番の第二楽章であり、この曲を聴くと私はある漫画を思い出すのだ。

 それは松本零士の作品だ。

 この松本零士の多くの著作・関係作品のうち、私の知る範囲における最高の傑作なのではないか、と思っているのが、「四次元世界」という漫画短編集だ。

 松本零士の若い時代、そう、アニメ等で有名になった時代とは違う、繊細かつ強靭、どこか魔的(デモーニッシュ)な線の時代の作品集で、その中に「未完成」という題名の小編がある。

 将来を目指して苦悩する青年が映画館に入る。

 そこでは、作曲家フランツ・シューベルトを主人公とした映画をやっている。

(実際に存在する映画にはシューベルトを対象としたものがいくつかあるが、この漫画の中の映画はおそらく、古典的名作とされている、邦題「未完成交響曲」を参考にして松本零士が作ったものだろう。)

 この劇中劇、漫画内の映画のシューベルトはベートーベンの音楽について、自分を慕う貴族令嬢に対して語る。

「交響曲第七番 第二楽章 不滅のアレグレット
 僕の血は海に、
 血が青い海のように騒ぐ
 永遠の命のささやきが僕には聞こえる。
 ルートヴッヒ・ヴァン・ベートーベン
 偉大な世界…
 僕には作れない世界…」

それを聞いた令嬢はシューベルトに、

「あなたには歌曲がある…」

 とささやくのだが、シューベルトの顔とまなざしは、おののきと絶望に満ちたままだ。

 結局、この漫画内の映画のシューベルトは三十一歳で、

「これが…
 俺の終わりか… 」

 と最期に独白して死去。(ちなみに年齢は史実どおり。)

 未完成の人生の後には未完成の交響曲が遺される。

 この「映画」を見た漫画の主人公の青年は涙しつつ、「自分にはまだ未来がある」とおもうが、時は刻々と過ぎてゆく。

 松本零士の「未完成」は、こういう内容の漫画だ。

 松本零士にとってベートーベンの交響曲第七番 第二楽章は、成功に焦がれて達成できない情念の象徴であったが、ターセム・シンにとってもそうなのだろうか?

 冒頭の白黒スローモーションのすばらしさを見た私としては、この監督は映像的成功を達成できないのではなく、それを恐れているのではないか、という気がしてしまうのだ。

     ===============================================

 以上、私の感想です。

   ◇   ◇

 MUTIさんは、無声映画の時代の作品をこよなく愛す方であります。

 私と若干解釈が違いますが、そこで特に口論になるようなことはありません。

 お互いの思考の流れが分かっているからです。

「ああ、そこを、そう感じたか!^^」と一本取られた思いになるのです。

 映画に関しては、原理主義的な方ですが、その方をして、ここまで語らせているのは、この作品の非凡でしょう。

                      (2008/12/10)
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[映画『私は貝になりたい』を観た]

2008-12-09 17:34:30 | 物語の感想
☆元の映像化はテレビドラマで、私は、20年前くらいに、TBSの開局○周年だかの特別番組で、そのフランキー堺主演版のダイジェストを見た。

 その番組では、筑紫哲也の正統な後継者っぽい関口宏(^^;)が、TBSの社是に沿った左翼的な括りで紹介していたと思う。

 私は、この、やや極端すぎる物語性にアクの強さを感じていたので、今回の映画版をあまり見る気はなかったのだが、ふと、思い立って見てみた。

 主演の中居正広は、顔が全然違うのに、序盤の表情がフランキー堺にそっくりであった^^;

 美術(四国の小さな町、東京の焼け野原など)が素晴らしく、そこにリアリティが宿っているので、物語も引きずられて、いい出来になっていた。

 今回の映画版は、ほとんど左翼臭もなかった。

 まあ、元々、物語のプロットは、戦争の悲劇しか抽出できない。

 この物語に左翼臭を探すような右翼は、『明日への遺言』に対しても、同様の思いを抱くのだろう。

 世の中の物事が、全て、自分の思想に都合よく進むとは思わないで欲しいものだ。

   ◇   ◇

 私は、主人公の兵隊時代から物語が始まるのかと思いきや、その前の、家族との団欒の時間から、更には回想で、妻(仲間由紀恵)との馴れ初めが描かれるので驚いた。

 つまり、これは、夫婦、小さな家族の物語なのだな・・・。

 だから、冤罪で軍事裁判にかけられた夫の経過とともに、妻の助命署名嘆願の困難も描かれたりする。

 この、署名嘆願の雪中の道行きも、「いくらなんでもやりすぎだろ^^;」の一歩手前で踏み止まる演出であった。

 だが、クライマックスの大どんでん返しの悲劇の演出は容赦なかった。

 『フランダースの犬』よろしく、結末に悲劇が待っているのは分かっていたが、こんな「サドンデス」な展開だとは思っていなかった。

 また、久石譲の音楽が、これでもかと盛り上げる。

 この人、『ハウルの動く城』でも思ったけど、ワルツは絶品だね。

 この作品でも、クルクルと運命に翻弄される主人公をワルツ風のBGMでよく表現していた。

   ◇   ◇

 ただ、なあ・・・。

 この物語の主人公だが、どうしても個人主義に思えてしまう。

 いや、最終的に、全体(お国)のレベルに達観せよ、と言ってるのではない。

 死ぬ間際になっても、「私は深い深い海の貝になりたい」などと<自分のこと>だけを考えているのが、どうにもなあ。

 そんな遺言を渡された家族の不愉快さったらない。

 せめて、「私は雲になって、お前らを空からずっと見守っているよ」ってのが、現実的な個人(それでも家族込み)レベルであろう。

 この物語は「創作」なのである。

 原作者は、70年代後半まで生きていて、病死している。

 生きている人間が書いた遺書なのである。

 死にゆく人間ならば、「貝になりたい」なんて、ネガティブなことは言うまい。

   ◇   ◇

 PS.前述の『明日への遺言』と言い、『南京の真実・第一部「七人の死刑囚」』と言い、今年は、巣鴨プリズンのセットを何度も見ることになった。

 いっそのこと、今後は、使い回しをすれば、製作費が安く上がって、東京裁判の欺瞞を打ち破るのに役に立つと思うのだが。

                              (2008/12/09)
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[映画『ウォーリー / WALL・E』を観た^^]

2008-12-07 01:16:05 | 物語の感想
☆仕事が年末に向けて異常に忙しい。

 本来なら公開日(金曜)に観に行きたかった『ウォーリー』だが、日曜にやっと見られそうだったが、日曜も出勤となり、でも、おかげで、土曜が早くあがれて、レイトショーを鑑賞できた^^

 ちなみに、明日の出勤も、午前10:00からで良いそうで、こうして零時を過ぎても書いていられるわけだが、長くは書けないのであしからず^^;

   ◇   ◇

 いい映画だった。

 どこがいい映画かと言うと、同じくピクサーの前作である『レミーのおいしいレストラン』では見られなかった、異世界を描こうとも観客に共感を抱かせるような普遍性があったからだ。

 この物語は、簡単に言うと、「さえない男が、高嶺の花の女に惚れて、その頑張りによって、女の気持ちを捉える物語」なのだ。

 それは例えば、ピクサーの初期の作『トイ・ストーリー』が、サラリーマン社会の悲哀とオーバーラップさせることで、大人の鑑賞に耐えられていたのと同義だ。

 高嶺の花のイブは、とても魅力的だった。

 工業的な無骨なロボット<ウォーリー(ジョニー5にクリソツ)>と、全く異なるコンセプトの、デザイナーズ的な<イブ>・・・。

 しかし、その装いは、「殺し屋」の様である。

 その「クール・ビューティー」が、ウォーリーと触れ合うようになって、徐々に心を開いていくさまが、べタな展開だが、実に良い。

 ・・・いや、ベタではないか・・・、繰り返し心を動かされる普遍なんだな。

 一本気なウォーリーに宇宙まで追われて、そして、何故か、イブは自分の使命を成し遂げられない。

 故障しているのかと、ロボット病院に送られるイブの複雑な心境。

 隣りには、そんな胸中を察することもなく、ウォーリーがキョトンとしている。

 自分の使命と、心の中に湧いてきた複雑な愛情…、そんなイブのアンビバレントな思いを感じると、私は胸がキュンキュンするのだ。

   ◇   ◇

 多くのアイディアとギミックに彩られている作品だが、それらは強調されることなく、自然と物語に存在させている。

 私は、その豪勢な使い方に、感心する。

 ウォーリーの一人暮らしのコレクションだが、その見せ方も、カタログ的に紹介するでもなく、画面の端にさり気なく、だ。

 廃墟の地球のビジュアルは、遺跡のように「滅美(ホロビ:私の造語)」が感じられて良い。

 その廃墟の都市には、宇宙に旅立った地球人のハイテクが主なく機能している。

 それらは、DVDが出たときにゆっくり鑑賞したい。

   ◇   ◇

 物語的に突出させているところもなく、そこに作り手の抑制も感じられる。

 宇宙に飛び立った地球人は、どう考えてもまだ完全に環境回復していない地球に帰還し、また、長年の宇宙生活における宇宙に出ていた地球人の体調は、とてもとても安易に重力下の生活に戻れるとは思えなかった。

 そこら辺に決着はつけていない。

 また、映画紹介で強調させている「ウォーリーの700年の孤独」も「孤独なウォーリーの愛する者との手をつなぐ行為への思い」も、それほどダイナミックには描かれない。

 ウォーリーの手をつなぐと言う行為への思いも、物語のクライマックスでは、それを否定することによって、ウォーリーの「大義(地球を元に戻したい)」が示され、そこにウォーリーの男気が爆発し、イブを惚れさせるのである。

 それで良い・・・^^

   ◇   ◇

 ちなみに、この作品でも「HAL9000」祭りが行なわれていましたね^^;

                         (2008/12/06)
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[映画『まぼろしの邪馬台国』を観た]

2008-12-02 20:31:43 | 物語の感想
☆昨日、残業に次ぐ残業で、終了したのが本日の午前3時^^;

 でも、本日の休日はちゃんと満喫しようと、映画館に向かう。

 あまり乗り気でなかった鑑賞だが、とても面白かった。

 なにぶん睡眠時間が少ないので、疲れていて、短めの感想ですみまへんが・・・^^;

 私は、邪馬台国論争の一つの答えを解いていく話だと思っていたのだが、どちらかと言うと、その盲目の市井の研究者(竹中直人)を支えた奥さん(吉永小百合)との夫婦愛の物語だった。

 物語の前半などは、邪馬台国そっちのけで、舞台となる島原の人々の姿が、山田洋次風の喜劇タッチで描かれる。

 それはそれで面白いのだが、そんなことを描くために、この作品を作ったのか? と、疑問がよぎる。

   ◇   ◇

 吉永小百合は、『母べえ』に続いて、考えるに無理矢理な役をやらされていた。

 この奥さん役、・・・40代位の役柄だよなあ・・・。

 しかし、映画を見ていくうちに、ちゃんと違和感なく、可愛らしく、美しく、その役をやり遂げているんだよなあ。

 60代半ばだよなあ、吉永小百合は・・・、でも、見ているこちらを「やりたい」気分にさせてくれるんだから大したものだ。

 魔女のようだ・・・^^;

 ポイントは、その「上品さ」であろう。

   ◇   ◇

 そして、『母べえ』に続いて、濡れ場を演じている。

 ここで言う「濡れ場」とは、男のために物理的に濡れることである。

 『母べえ』では、海水浴で溺れた、世話になっている青年のためにワンピース姿で海に飛び込むのである。

 今回は、行方不明になった、後の亭主のために、暴風雨の中、走り回る。

 この両作品、結構、対になっている点が散見される。

 ・・・一つ間違えれば、山田洋次(幼児?)的な反戦思想に陥りそうな、危いポイントが幾つかあったが、そこは醸すだけで持ち堪えていた。

 もしかして、その反戦思想は、吉永小百合の意向なのだろうか?

 まあ、左翼の女は可愛い時もあるので、それは許そう^^

   ◇   ◇

 物語のクライマックスには、なんと、吉永小百合演じるところの卑弥呼も出てくる。

 サユリ・ワンダーランドである。

 他のシーンはメイクで頑張っていたが、卑弥呼シーンは、CGで顔のしわを消していたと思う^^;

 この卑弥呼パートは、雲仙噴火の特殊効果もなかなか良くできていた。

   ◇   ◇

 夫が死去してからが、やや長く、

 無理矢理に、吉永小百合の賢母ぶりをあらわにすべく、夫の葬式に前妻が現われたのは蛇足に感じたが、全体を通し、脇役の窪塚洋介や柳原可奈子などの頑張りには好感を持った。

   ◇   ◇

 正直、竹中直人の演じた宮崎康平の学説は、学会では認められているのでしょうか?

 それを知りたくなったので、このエントリーをした後に、ちょいとネットサーフィンしてみようと思う^^

                        (2008/12/02)
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