『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[映画『僕の彼女はサイボーグ』を観た]

2008-05-31 15:57:47 | 物語の感想
☆東京は三日ほど雨が降り続いており、なんか映画『セブン』の舞台のようだった。

私は、MOVIXのポイントが貯まったので、本日は誘う人もなかったのだが、一人で、映画『僕の彼女はサイボーグ』を観に行った。

これは、見る前の印象では、確実にデートムービーであった。

その公開初日の第一回目の上映に、単身で乗り込める私と言う男は、なんて男気があるのだろう。

     #     #     #     #

・・・私は、韓国人が嫌いである。

しかし、この作品はその韓国人監督の良さが見事に開花していた。

・・・この作品が、その韓国人監督から見た「萌え」要素を狙ったということも分かる。

その罠にははまるまい、と思って鑑賞した。

しかし、それ以上に、巧みな演出が冴えていた。

   ◇   ◇

私は、この作品を甘く見ていた。

これは、もしかして、これからのアイドル映画のスタンダードになるのじゃないか?

うん、「伊豆の踊り子」や「時をかける少女」みたいにさ。

時代時代のアイドルが、このサイボーグヒロインを演じるのである。

   ◇   ◇

サイボーグの、感情を持たないヒロインが、主人公と交際を続けていき、一時間ほどまでの上映時間を、予定調和の二人の心が通い合う時間に費やし、残りの三十分強を大事件の時間とし、ハッピーエンドが待っている・・・、そんな展開を予想していた。

私は、そもそも、綾瀬はるかは好みじゃなくて、なんか「のっぺり」した顔だなあ、などと思っていた。

だけど、予告編で見たら、その「のっぺり」具合がサイボーグという設定にマッチしている気がして、ちょっと魅力的だったので、見る気持ちが湧いた程度だ。

だから、物語序盤の未知の美女として展開するヒロインには、ダレ場を感じさせられるだろうと思っていた。

だけど、そこには、あらゆる演出テクニックで、ヒロインを魅力的に見せようとするアイディアが溢れていて、私を圧倒した。

物語上の工夫で、ヒロインはけして感情を持たない訳ではなく、笑うし、泣くし、怒る。

均整の取れたプロポーションは、モデル歩きが映える。

肩幅の広さが、実にサイボーグチックだ^^

多くの衣装に身を包み、そのいずれのファッションもさまになっている。

屈託なく、よく食べ、よく飲み、そして、逃げる^^

更には、殴る^^;

紹介としてのヒロインの魅力ではなく、物語全編、綾瀬はるかの多角的な魅力に満ちていた。

これは、ファンにはたまるまい^^;

   ◇   ◇

サイボーグの彼女は、未来からやってきた。

彼女は、一年前と現在、二度、主人公のもとを訪れる。

ここに見事なからくりがあった。

時間テーマの作品では、筒井康隆の「時をかける少女」や「ドラえもん」の一連のタイムマシンを絡めた短篇に連想がいく。

その両者のエッセンスをうまく抽出した物語展開だが、私がもっとも、似た雰囲気を感じたのは、筒井康隆の短篇「時の女神」だった。

淡々と心を打つ時間テーマの作品だった。

「僕の彼女はサイボーグ」にも、なんとも、儒教思想を持つ韓国人特有の、いい意味での「家族愛」「郷土愛」が描かれていて、私はしみじみと感動した。

この「郷土愛」のシーンなど、明らかに、物語展開上、不要なシークエンスでもある。

しかし、そこには、大林宣彦監督が尾道に込めたような想いが描かれるのである。

主人公の男の子(小出恵介)も、現代の日本人の男にはいない大林チックな優しさを示していた。

ちなみに、「ガバイばあちゃん(吉行和子)」も出てましたよ^^

「ガバイばあちゃん」だけでなく、「チョーク投げ講師」として竹中直人も登場している。

   ◇   ◇

日本映画の監督として招聘されたクァク・ジェヨン監督は、韓国人としての現代日本観を余さずに描こうと努力しているし、それを消化しきっていた。

あくまでも、韓国人から見た日本観なので、その風景は、主人公のリアクションを含めてズレてもいるが、それが良かった。

サイボーグの彼女は、突飛な行動を多々する。

それは、周囲から見たら、日本では「バカップル」を見てしまったかのような恥ずかしさを覚える。

だが、その「二人だけの盛り上がり」を映画鑑賞者のこちらに認知させ巻き込んだとき、その物語は、異常な盛り上がりを見せるのだ。

サイボーグの彼女が、レストランで「♪ハッピー・バースディ・トゥーユー」を歌うとき、明らかに恥ずかしいのである。

でも、それは「二人だけの盛り上がり」の中では「可愛い!」のである^^;

そこまで、私の気持ちを引きつけた、この監督は非凡である。

   ◇   ◇

大事件が起こり、サイボーグの彼女は大破する。

その姿はショッキングである。

あたかも、映画『セブン』のラストか、筒井康隆『ロートレック荘事件』の犯人かっちゅうぐらいだ^^;

以前、韓国産のギャルゲームで、女の子の生首を鉢植えで育成するゲームがあり、日本人おたくにはそっぽを向かれていたが、韓国人にとっては、大破したサイボーグ彼女を含め、それは「あり!」なのだろうか?

   ◇   ◇

それから、物語のエピローグだ。

ここにおいて、見事な「大どんでん返し」が行われる。

確かに、その直前までの展開には、サイボーグ彼女の情動を考えると、やや矛盾があったのである。

だが、最後のエピソードで、また違う、少なくとも私には理解できない「常識」が示される。

あまり詳細に書くと、酷いネタバレになってしまうので、書かないが、ちょっと捻って書くが、

自分が愛したサイボーグの彼女を失い、また違う、外見とメモリーだけ同じサイボーグが現われて、それと結ばれたからといって、それはハッピーエンドとして、本当に納得できるのか?

と言う問題だ。

私ならば、同じ経験をし、死んでいった「彼女」こそが、本当に愛せる(した)「彼女」だと思うのだ。

クローンは、「彼女」であって「彼女」ではないのである。

     

PS.綾瀬さんの「うおおおおっ!」と叫ぶ声が良かったです。

                           (2008/05/31)
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[遅ればせながら、映画『最高の人生の見つけ方』を観た]

2008-05-30 23:59:00 | 物語の感想
☆まあ、数々のネット映評家さんたちが、既に多くの賛辞を送っているようなので、私は多くを語らないぞ^^;

いい作品だった。

ガン末期の二人の「自由な旅」の物語だ。

   ◇   ◇

その「自由な旅」がクローズアップされているが、何よりも、私は、偶然にも相部屋となった二人の、病室で、次第に友情を育んでいく様に面白さを感じた。

ロブ・ライナーは、こういった密室での会話で充分に楽しませるだけの力を持つ監督だ(例『ミザリー』^^;)。

私は、何よりも、ジャック・ニコルソンの演技の見事さに驚いた。

毒づきと、傲慢と、おどけ・・・。

そこはかとない悲愴感が漂っていた。

この人、こんなに凄い人だったんだ!^^

・・・と思いきや、中盤から、やはりモーガン・フリーマンのいぶし銀の演技が光るのである。

シナリオに、過剰な泣かせの演出はない。

しかし、奥さんが・・・、秘書が・・・、それぞれの主人への敬愛の姿を見せていた。

   ◇   ◇

惜しむらくは、ジャック・ニコルソンの下っ腹が、どうあっても末期ガンの患者の腹とは思えなかったことだな^^;

また、世界中を回る旅であるが、

私には、先に公開された映画『ジャンパー』を思い出してしょうがなかった^^;

両作にそれぞれ出ているモーガン・フリーマンとサミュエル・L・ジャクソンは、同じ黒人で似たようなものだし・・・(←問題発言^^;)。

   ◇   ◇

私は、きちっとした作品には、あまり語る言葉がないのです・・・。

                           (2008/05/30)
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[映画『ランボー・最後の戦場』を観た(前篇)]

2008-05-25 22:00:54 | 物語の感想
☆桑田佳祐は凄い。

サザンを結成してから30周年が経つが、いつも変わらずに、いい楽曲を提供し続けてくれている。

変わらないということは、時代に合わせて、常に変わり続けているということだ。

趣きは違うが、私は、スタローンにも、同じ思いを感じる。

やはり30年以上活躍し続けており、時代は巡り、人の情動にも変化があるだろうに、常に、人間の感情を最高潮に盛り上げる作劇の作品を撮り続けてくれている。

   ◇   ◇

昨年の良作『ロッキー・ザ・ファイナル』(クリック!)に続いて、スタローンの代名詞「ランボー」、その二十年ぶりの新作である。

相変わらず、最小限の物語的起伏で、こちらの感情を盛り上げてくれる。

だが、作品全体を通して、こじんまりとした印象を感じた。

それは、前時代的な兵器を用いるミャンマー軍が相手だからであろう。

州警察(『1』)やベトナム軍(『2』)、ソビエト軍(『3』)に比べ、ハイテク性に欠けた敵であった。

それ故に、つくりものではない、生々しい戦場が感じられた。

私は、それで戦争のリアリティの切れ味が増したと肯定的に捉えている・・・。

   ◇   ◇

そのリアリティとは、何に代表されるのだろうか・・・。

・・・「肉片」と「腐臭」であった。

この作品で描かれるミャンマー軍は、極悪非道であった。

『プライベート・ライアン(1998)』以降、『ブラックホーク・ダウン』など、戦場での臨場感は、解像度の高い映像、大気を振動させる音響で、これでもかと表現されてきた。

(厳密にはジャンルは違うが^^;)それ以前の戦争映画『ランボー3』までなどと、格段なる表現の隔たりが見られよう。

しかし、今回の『ランボー』は、その臨場感ある映像表現の洗礼を受けた後の戦場を「肉片」と「腐臭」で表現してくれた。

それは、バーホーベンが『スターシップ・トゥルーパーズ』で示したものと似ていよう。

あの作品の、夥しき「肉片」の散乱こそが、バーホーベンは、「幼き日に経験した戦場の姿だった」と語っている。

スタローンは、謙虚な人間である。

先の大戦の経験はないにせよ、充分なリサーチを行い、バーホーベンの言うが如き「肉片」に、「腐臭」をプラスし、戦場のリアリティとしたのだろう。

・・・「戦場のリアリティ」などと、作劇テクニックのように記すことこそ失礼だろう。

スタローンは、今回の物語の中でランボーを、「暴力をもって暴力を駆逐する(理想主義者たちの)守護者」として描いている。

ミャンマー軍の残虐を<現実>として描き、ランボーの非情な応戦を<現実>として描き、そして、やや老いたランボーは、その理想主義者にも「現実には必要となる防衛としての暴力」を行使させる羽目になる。

悲劇の物語である。

しかし、スタローンは、何よりもエンターテイナーである。

ミャンマー軍を悪鬼羅刹に描いている故に、ランボーの活躍に、私は大きなカタルシスを得るのだ。

   ◇   ◇

今回の物語は、あえて、ステロタイプな展開を外している点もあった。

例えば、冒頭のスネークハンターとしてのランボーのシーン。

従来のスタローンだったら、もっとねちっこく、コブラとランボーの対決を描いていただろう(例:『3』の冒頭の賭けファイト)。

しかし、そこでの盛り上げはなく、ランボーは淡々とスネークハントの仕事をこなしている。

私は、スタローン、ランボーともどもの老いと感じた^^

だが、鍛冶場のシーンなど、アクション要素のないシーンで、妙に画面に引き込まれる。

これこそが、スタローンの老成なのだろう。

   ◇   ◇

ランボーは、ミャンマーに入りたいからガイドをしてくれとの、白人のキリスト教支援団の依頼を逡巡の末に受ける。

しかし、タイからミャンマーへと船で進んで行く中で、海賊に出くわす。

ランボーは、諦観を秘めつつ、海賊と話し合おうとする・・・。

当然ながら、そんな話を聞いてくれる相手ではない。

行き詰る「刹那」が流れる・・・。

『最後の戦場』には、そのような「時間の凍結」が何度も描かれる。

ランボーは、西部劇の抜き打ちのような素早さで、相手たちを瞬殺する。

・・・これが、今回のランボーの切れ味である。

   ◇   ◇

更に、ランボーは、支援団を送り届けた後、川に浮かんだままの海賊船の処理(死体も含め)をする。

火葬に付すのだ。

こんな、アフターケアに気を使う性格ではなかったはずだが・・・^^;

シリーズの中でランボーは、「やったらやりっぱなし」のハズだったが・・・。

20年の時の流れは、ランボーの仕事に、きめ細やかを加えていた。

         (『ランボー』感想、続きます^^v 2008/05/25)
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[映画『ハンティング・パーティ』を観た]

2008-05-17 10:56:19 | 物語の感想
☆誰も誘えなかったので、久し振りに一人で映画を観に行った。

閉店間際の昭島の<エスパ>で、値引きしていた海鮮丼を購入し、開演間近の<MOVIX昭島>になだれ込む。

本当は、館内で買った飲食物しか飲み食いしてはいけないのだが、予告の間に内緒で食った^^

・・・ここで、ちょっと余談を語りたい。

『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』だが、いい<邦題>を考えたので、皆さんに報告しておきたい。

     『紀元後1千年(吹き替え版)1,000 A.C.』

なんて、いかがだろうか?^^;

     #     #     #     #

さて、『ハンティング・パーティ』である。

私は、非常に楽しんだ。

これは、社会派作品的な宣伝のされ方・批評のされ方をしているが、そんなことはなかろう、純娯楽作品だ。

背景こそ、ボス二アの民族紛争の「今」を描いているが、

私は、マーチン・ブレスト監督の一連の作品、ロード・バディ(友情)ムービー的な「粋な小気味よさ」を感じた。

タイトルクレジットや、音楽のセンス、編集にも、そんなスタイリッシュな作りが見えた。

そもそも、この地域の内紛は、どちらが正しくどちらが悪いなどと括れない複雑さをもっている。

その中で、どちらかの主張に肩入れするには、何らかの個人的な利害関係(と言うと、お金に思われようが、そうではなく、民族であったり、愛情であったりと、精神的なものも含む)しか理由はあり得ない。

海外のジャーナリストとして現地入りしていた主人公たちは、大枠としては、「戦争を食い物にする三流ジャーナリスト」なのである。

女を買い、酒をやり、他人の不幸をリポートして、食い扶持としているのである。

ほめられるのは、危険を恐れない蛮勇だけだ。

だから、そのバカ者どもが、何らかの思想をもって動くには、利害関係(つまり、個人的な問題。具体的な経験)しかないのである。

作品全体に社会性を求めるのはいいのだが、この主人公たちに社会性を求めるのは間違いである。

主人公たちは、フォックスと言う戦場における重犯罪者への個人的な思惑で動く。

それが、世界的には社会的な意味合いを持っているに過ぎない。

別に、戦争の悲惨さを訴えているわけではない。

主人公サイモンは、自分が受けた具体的な苦痛を晴らそうとしているだけだ。

それで良い。

   ◇   ◇

バルカン半島と言う、民族の坩堝地帯を、実によく活写していた作品だと思う。

町のいたるところに、文字通りの「蜂の巣のような弾痕」の壁がある。

そこでは、虐殺が行われ、女は殺される前に犯された。

そこには、臆面もなく、多くの人々が生活をしている。

田舎に入れば、善良であるべき農村のカフェの主人が追ってきて、いきなり銃を発砲してくる。

飲み屋の常連たちは、ふいにナタを構えたりする。

私は、ゲーム『バイオ・ハザード4』を思い出したよ^^;

   ◇   ◇

主演の三人は、いずれも、非常に魅力的な人物造詣であった。

落ちぶれたが、いまだヴァイタリティあふれるレポーター・サイモン。

サイモンの使いっ走りのようなカメラマンだったが、堅実な仕事で大成しているダック。

親のコネでテレビ局に入社してきた、ハーバード大卒の今風の若者・ベン。

それらは、三食パンのそれぞれの味のように異なる生き方の人物たちなのだが、それぞれが異なる欲望をもって、戦争犯罪人フォックス捕捉のための、粋な道中を形成していく。

中でも、サイモン役のリチャード・ギアが良かった。

私は、今まで、リチャード・ギアに魅力を感じたことなどこれっぱかしもなかった。

しかし、今回の、枯れていて、それでいての、フットワークの軽さに魅了された。

「うわ~! カッコいいなあ」と、ずーっと思いながら見ていた。

   ◇   ◇

二十年ほど前の洋画は、このような細部にお金をかけた、シナリオ重視の、粋な作品が多くあったものだがなあ・・・^^;

ちなみに、この『ハンティング・パーティ』の邦題は、

     『隠し砦へ三悪人』

で、よろしかろう^^;

                          (2008/05/17)
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[映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』を観た]

2008-05-11 14:53:46 | 物語の感想
☆この作品だが、黒澤作品のリメイク故に、多くの厳しい批評家の目にさらされている。

だが、私は素直に楽しめた。

昨年の黒澤リメイクの『椿三十郎』のほうが、オリジナルまんまで、けれど、クライマックスの「血しぶき」がなかったので、非常に物足りなかった。

新『隠し砦の三悪人』では、オリジナルからの大幅なアレンジが為されていて、私は、別物作品として見た。

物語上、酷評するに足る破綻もなく、楽しんで観た。

大きな「破綻」と言えるとしたら、派手なアクションシーンに隠されて、大テーマであろう「君主と民の関係」というテーマ性が薄れてしまっていることぐらいだろうか?

物語の節々で、雪姫のセリフとして、それは語られているのだが、こちらの心に深く刺さってくるとは言い難い。

樋口監督は、自分のアクション指向の、その「更に向こうの情感」を描きたそうな気持ちが、前作『日本沈没』、前々作『ローレライ』と垣間見えるのだが、それが成功しているとは言い難い。

ただ、そのテーマ性がセリフででも語られていないと、物語は劣化の一途を辿ることになるので、限りある上映時間の中で、ちゃんと登場人物に語らせていることで及第点は与えられるだろう。

   ◇   ◇

雪姫役の長澤まさみだが、とても良かったと思う。

この子、ちゃんとアクション映画用の声が出る女優だなあと感心した。

柴崎コウなんて、アクション物で叫ぶ声が、なんか苦しそうで、聞いているこちらも辛くなる。

ただ、序盤、戦国時代の設定だったので、いつものアイドル用のメイクではなく、私は、ずーっと長澤まさみに見えなかった。

いつもの長澤まさみとして「見よう、見よう」と思うのだが、他人にしか見えなかった。

メイクの力は大きいのだなあ、と感心した。

ただ、この映画上のメイクが悪いわけではなく、可愛いイメージの長澤まさみが、ずーっと「いい女」顔に見えて、それはそれで良かった。

   ◇   ◇

上記の長澤まさみと同じアイドルである松本潤が主演であるが、この松本潤も良かった。

テレビのイメージだと、ナヨッとした中性的な魅力を醸しているのだろうが、この作品では、それと全く違った印象を残してくれている。

ちょっと多すぎる無精ひげと、よたった歩き方、鼻をしゃくる仕草・・・。

おそらく、ファンには不評なんだろうな^^;

でも、良かったですよ!

   ◇   ◇

攻略された秋月国の姫の逃避行・・・。

それをつけ狙うのが、山名国の武士・鷹山。

この鷹山の、作り手側のイメージだが、黒い甲冑に身を包み、明らかにダースベイダーを意識していた。

それは、黒澤のオリジナルが、後年、『スターウォーズ』に影響を与えたように、更に、このリメイクが『スターウォーズ』を意識していることを意味しよう^^

   ◇   ◇

鷹山と競り合う、雪姫の忠実な家来である武士・六郎太を演じるのは近年大活躍し過ぎている阿部寛^^

この六郎太のチャンバラシーンは、なかなか激しかった。

私は、『王妃の紋章』で観たような「マトリックス」風の剣術シーンよりも、スピード感あるものの方が好きだ。

そこには、樋口監督のこだわる「剣の残影」や「火花」「砂ぼこり」など、アニメ的な手法が取り込まれて盛り上げてくれた。

六郎太vs鷹山は、オビワン・ケノービvsダース・モール風でもあった。

   ◇   ◇

三つ不満がある。

 1.地中からの有害ガス(瘴気)が、敵に勝つキーポイントになるのだが、クライマックスで地下を掘る理由が、敵に囚われている状況においては圧倒的に弱いと感じた。

しかも、主人公・武蔵が腰の籠に持っている「ガス感知のカナリア」が、物語の冒頭に出てきて、旅を経ての、クライマックスになるまでずっと籠から出てこないのだ。

籠に入れっ放しなのだ。

私は、籠の中にいるカナリアが飢え死にしていないか、見ながらずっと気になってしまっていた。

途中で、1シーンでも、餌をあげる描写があったら、物語のリアリティがぐっと高まるのになあ。

2.また、馬で逃げた敵を、前の村まで、同じく馬で追いかける雪姫と六郎太のシーンがあったが、かなりの距離があるのに、武蔵が足で追いついてしまい、そこでの顛末を見聞きしてしまう。

そして、その二人よりも早く、武蔵は元の場所に戻ってしまう。

私は、このような旅の行程の距離感の無視が行われると、非常に白けてしまう時がある。

3・クライマックスの舞台となる「隠し砦」が、全く隠されていなくて、主人公達が、ずいぶんと気楽に侵入できてしまっている・・・。

   ◇   ◇

新八役の宮川大輔は、おそらく黒澤好みのいい演技をしていましたね^^

『ガチ☆ボーイ』と言い、今後、邦画の名バイプレイヤーになるでしょうて・・・。

PS.それから、「火祭り」シーンが、手塚治虫の描く古来のお祭りシーンを髣髴とさせて良かったです。

                         (2008/05/11)
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[映画『相棒 劇場版』を観た]

2008-05-06 22:04:13 | 物語の感想
☆ゴールデンウィークの旅行から帰ってきたのだが、水谷豊扮する右京さん好きの母親が「連れてけ! 連れてけ!」とうるさいので、『相棒 劇場版 絶体絶命42.195km 東京ビックシティマラソン』を、いつものMOVIX昭島に観に行った。

私は、このテレビシリーズをほとんど見たことないのだが、水谷豊がちょっと奇矯な刑事像を見せてくれていることは知っていた。

水谷豊は、十年に一度くらい、確実に<当たり役>を演じているのが凄いなと思う。

   ◇   ◇

なかなか面白かった。

邦画の、特にテレビシリーズの映画化にありがちな雑さがない画面作りに感心した。

画面の撮り方に、スタジオめいた作りっぽさがなく、自然光の画面が「映画的」だった。

映画版らしく、スケールが大きく、国際マラソンを背景に描くのだが、その数万人は動員するだろう国際マラソンの描写が、ちゃんと描かれていて、チープさが全く感じられなかった。

どうやって撮影したんだろうと興味が湧いた。

実際の東京マラソンの映像を流用したのだろうか?

   ◇   ◇

最近のドラマ上の犯罪には、どうしてもネットのマイナス面が絡んでくる。

この作品でも、連続殺人のネタ元としての、SNS「裁判サイト」が槍玉に挙げられる。

そして、処刑宣告された人物の「リスト」なんてものが出てくる。

そこが、もう、明らかに『デスノート』を意識していた。

私は見ながら、ずっと、この作品が、駄作『L : change the WorLd 』のシナリオであったならば、なかなかの傑作になり得たのになぁと、夢想した。

   ◇   ◇

想像してみてよ!

右京の役を、Lに移し変えるのは容易でしょ?

で、亀山刑事の役も、Lが肉体を酷使して頑張るのである^^;

それならば、この現実範疇の「相棒」世界の中ではちょっと違和感が起こる「切実な犯人による愉快犯的方法」が、とたんに「L」世界でのリアルに早変わりするのである。

思えば、この「相棒」も、そして「L」も、物語のプロローグが発展途上国からはじまっている偶然は、偶然に収めとくには勿体無い^^;

   ◇   ◇

一つ、この作品で、許せないことがある。

この物語の事件動機の引き金となったバックボーンに、架空の政情不安定な国での若きボランティア青年の、テロリストによる誘拐事件、そこにおける日本国の対応、という問題があった。

多くの映画鑑賞者は、「イラク3バカ」や、その後の「イラク2バカ(ニーバカ)」、「イラクの首切られヤング」を思いだしただろう。

あの頃の、彼らへのバッシングは凄まじかったし、私も、彼らのいい加減さにハラワタ煮えくり返っていた。

「相棒」では、あたかも、そのバッシング対象の若者(バカ者)を擁護するかのようなストーリーを展開させていた。

しかし、その「状況の構成要素」は全く違っている。

「イラク3バカ」は、売名行為で、渡航禁止のイラクに向かったのである。

「イラク2バカ(ニーバカ)」は、反日活動の一環としての行動でイラクに行った。

「イラクの首切られヤング」は、全くの無知蒙昧なる無軌道さでイラクに行ったのである。

物語中で、テロリストの犠牲になった優しいボランティア青年とは異なるのである。

この物語の青年は、例えるなら、カンボジアで犠牲になった中田厚仁さんみたいな人物なのである。

日本政府も日本国民も、中田さんみたいな人物には不用意なバッシング行為などは、けしてしていない。

私は、カンボジアに10回ほど行ったことがある。

今でこそ平和であるが、15年ほど前のUNTAC撤退直後は危険であった。

私は細心の注意で、カンボジアを旅した。

だからこそ、「イラク3バカ」には、本当に呆れ果てたものだ・・・。

「相棒」においては、明らかに、「イラク3バカ」への日本人によるバッシングに嘘の状況を付加させ、あやまちであったと思わせるような思想誘導が行われていた・・・。

・・・まあ、テレビ朝日の番組だからしょうがないのだろうか・・・^^;

                    (2008/05/06)
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