☆弟などは、働いている会社にかなり不満があるらしく、よく私に相談してくるのだが、
私は長男なので、あまり職場でのトラブルを自宅には持ち込まないタイプだ。
最近も、また、「気持ち悪い人間」が現われたが、どうやら、叩き潰せたようだ^^v
私は、常に「客観的に見た正義」を基準において、異常者と接するので、ことが公(おおやけ)になっても必ず、必ず、勝利する。
対して、バカは、「自分個人の感情」を「正義」と勘違いするので、私に必ず敗北する。
・・・では、私が、かつて勝利した、会社内での人間関係のトラブルについて再掲する・・・。
◇
・・・[2008/04/03]・・・。
書きたいことはいっぱいオッパイあるのですが、もう何を書くにしても長くなってしまうし、その入り組んだ、対象となる異常者の心理状態を紐解こうとすると、こっちもその心理に同調しなくちゃいけないので、段々と、平日は長文を書くのがきつくなっている^^;
さて、私が、何で、いつも自信満々であるかと言うと、三十歳を過ぎた頃から、自分の中に、独自の「思想・信条」が確立され、自信が持てるようになってきたからである。
その「思想・信条」をここで長々と語るつもりはないが、それを確立したことによって、常に矛盾のない言動をとれるようになってきた。
「確固たる自立」とでも言うのでしょうか?
で、その「自己」とは、どのような局面に現れるかと言うと、
生半可な人格を糾弾するとき
に、顕著になる。
相手が誰であっても関係ない。
特に、それは、「意味なくイキがって、他人に迷惑をかける奴」に発揮されることが多い。
今回の「派遣会社I社問題」などでは、「アキラ」「サンタクロース」と言うチンピラの糾弾に、そんな私の姿が大きく見られよう。
・・・タカダやホシノ、サキコなどへの糾弾は付随に過ぎない。
その3人などは、中核のアキラさえいなければ、まあ、無難な人生を送れたはずだ。
アキラに関わりあったばかりに、その3人の今後の人生は惨憺たるものになる・・・。
・・・私は、T社で働く前には、HT社にいた。
そこでも、私は同じように、調子に乗って他の善良な作業者に迷惑をかけていた奴を、同じように追いつめていた。
「タカツ」と言う名で、「アキラ」とはまた違った<勘違い野郎>だった。
私は、つくづく、<似非リーダー的存在>を憎むタイプらしい・・・。
今回は、その「タカツ」を追いつめた時の話を、以前書いたものに手直しして転載する^^v
# # # #
ここで、お知らせ^^
本日の、初閲覧企業ドメインとして、
小学館さま
が、いらっしゃいました♪
保守系出版社の雄ですね^^
段々と、閲覧マスコミの役者も揃ってきましたよ!
それと、前回の「その251」に絡んで、とある方から非公開コメントを頂きまして、以下のサイトを御覧あれとのことです。
東芝・過労うつ病労災・解雇裁判 (クリック!)
なかなか、厳しい内容です。
私は、くだんの亡くなった方の名前のイニシャルが「Kさん」であったことに驚きました。
私は、亡くなった方を、勝手に「圭さん」としていたからです。
また、東芝の別のケースで裁判を争っている方の名前が「由美さん」で、私の勝手に書いた物語の主人公の名前が「あみさん」だったのも驚きです。
あんたらは、PUFFYかいッッ!?^^; (大貫亜美・吉村由美)
それと、「その251」では、AIKOの『カブトムシ』を引用していますが、「著作権は平気なのか?」との心配を頂きました。
私は、このブログで、一銭も儲けていないので大丈夫です^^
# # # #
・・・では、二年前にタイムスリップです^^
現在の閲覧者に読んでもらっても分かるように、文章を修正してあります^^
≪ [「男たちの挽歌」(2006/02/28)]
▼私は、この頃、派遣会社I社の正社員として、HT社で働きつつ、休みの日はグッドウィルの日雇いで稼いでいました。
・・・ともあれ、<私vsタカツ>の話だ。
この文中、私はかなり自由奔放に言葉を発しているが、これは私がリーダーではなかったからである。
HT社内のラインは、請負待遇ではなく、派遣境遇だったのだ。
余計な話が混ぜ込んであるが、我慢して読んでみてくれたまえ。
なお、文中のウドスも、K君も、派遣で働いていました。
▼とある夜勤明けの朝・・・。
職場で、やたらと細かいこと言う奴・タカツ(31歳)がいて、私は、そいつの「口だけ男」振りが嫌いだったので、相手にしていなかったのだが、因縁吹っかけてきたので、「ここらで潰しておくか・・・」と、いつもの通りのサディスティックな言動で対応した。
しばらく、言い合いした後、タカツは「俺、(仕事)やめるわ・・・」と言い去って行ったので、「・・・ふむ、うざいのが消えて良かった^^」と思い、私は、夜勤明けそのままに高円寺に向かった。
高円寺では、千葉から上京予定の若者・ウドス(26歳)が待っていて、一緒に、彼のためのアパートの物色をするのだった。
ウドスとは一年半ぶりの再会であったが、相変わらずの非凡さで面白い奴だった。
何の違和感もなく、バカ話を語り合った。
ウドスは、多くの経験をしてきていたが、最終的に喜劇役者を目指すそうだ。
その「才能」に私は疑問の余地はない。
私は、ならば、プライドの高い彼の性格を考慮し、大きな劇団で長い下積みを経るよりは、小劇団で即戦力として舞台に上がるを良と考えた。
色んな要素を考えると、その居住地として高円寺がベストであった。
まだ朝が早かったので、多くの不動産屋は閉まっていたのだが、店先に貼られている物件案内を見て、吟味する。
ウドスは最初、「今日は決めない」などと言っていたのだが、「一軒くらい、紹介してくれる物件を、見に行ってみるか?」と聞くと、躊躇なく「うん」と答えたので、上京に迷いがないな^^ と、感心した。
その頃、HT社では、タカツが上司たちに私の悪口を言いまわっていた。
派遣会社I社直属の上司・クダカさん(HT社常駐管理)から、私にテルがあり、「状況が悪いぞ」とアドバイスがあった。
私は、「ならば私にも釈明させて下さい」と言い、翌日は休日だったのだが、会社に出向くことを約束した。
そんな、携帯のやり取りを聞いていたウドスは、「平気かよ?」と聞いてきた。
「なんてことないよ・・・」と、私は余裕の笑みを浮かべる・・・。
高円寺・中野近辺の不動産屋を散策し、ドーナツ屋で休憩、「さて、どこか気になるところ、あったかい?」と問うと、高円寺の不動産屋で紹介されていた「六畳・三畳キッチン・シャワー室付・四万円」を見に行きたい、と言う。
彼は、なるべく安いにこした事はないが、汗を流せる場所は絶対に必要と考えていた。
しかし、風呂付となると、六万円台が妥当ではあったのだ・・・。
もうお昼過ぎだったので、その高円寺の不動産屋も開店しているだろう。
私とウドスは、高円寺から中野まで歩いてきたのだが、再び、歩いて戻ることにした。
途中、中野の小劇場を外から眺めたりした。
少しでも雰囲気を感じて欲しかったのだ。
ウドスは、上演予定の目ぼしいチラシを貰うのだった。
高円寺には、私の親友だったK(現在27歳)がいた。
彼は、端正な顔の美青年で、誰とでもケンカする私に、いつもついてきてくれていた。
成田空港勤務を退職した私に続いて、彼も仕事を辞め、東京に出てきた。
役者になりたいようだが、その為の行動をするでもなく、パチスロに明け暮れていた。
だが、ある日、「このままでは、彼のためではない」と思い、彼と距離を置くことにした。
でも、私は彼に、計9万円やピエール・カルダンのスーツ、私の愛蔵のアダルトビデオを貸してもいたので、適度な期間をおいて、「金返せ!」の意思表示をするのは怠らなかった。
その意思表示とは、彼の高円寺のアパートに行き、その扉に「金返せ」貼り紙をすることであった^^
Kについて知りたい方は、ホームページ検索で、これを読んでね^^
[中谷圭君の話・2 <泥酔事故>](クリック!)
ウドスも、Kのことを知っていた。
「Kのアパート、覗きに行ってみるか・・・」と、私はウドスに言い、見に行った。
しかし、そのポストには、知らない名の表示があった・・・。
Kは、どこに行ったのか・・・?
高円寺、桃太郎寿司でランチの握りを喰らい、くだんの不動産屋に向かう。
すぐに、その阿佐ヶ谷の物件の見学に向かう。
「私もここを直に見に行くのは初めてなんですよね」と、案内してくれる不動産屋の兄ちゃん・・・。
ウドスは、すぐにお喋りをはじめる。
「俺は、ビッグになるために東京に住むんですよ^^」(注:よくある若者のセリフだが、その後、彼は本当に多くの舞台で活躍する俳優となる^^)
そんなウドスの気さくな若さに魅了され、不動産屋の兄ちゃんもリラックスし、「タバコ吸ってもいいですか?」などと、和気あいあいで、歩きタバコで阿佐ヶ谷を目指すのだった。
最高の物件であった。
確かに、築年数は長かろうが、とても小綺麗だった。
六畳で、窓は二つの壁にあり、採光は最高^^
クローゼットが二つあり、片方は、ウォークインクローゼットだ。
ブランドの服をいっぱい持っているウドスにはうってつけだ。
三畳の台所には、テーブルが設置してあり、当然のように冷蔵庫があった。コンロもあった。
シャワールームは一畳ほどで広すぎる感もあった。
ふと六畳の上を見ると、エアコンがあった。
三人で難儀して、コンセントを探し、スイッチを押すと、稼動し始めた^^ 感動!
二階だったのだが、台所の窓を明けると、訪れる友人を見下ろせるのだった。
出入り口には、かなり大き目の下駄箱もあった。
あまりにもの好物件に、不動産屋の兄ちゃんはノリノリだった。下駄箱を開き、彼は言った。
【「見てください! トイレットペーパーもありますよ^^」】
かくして、ウドスは、人生最初の不動産巡りで、その最初に紹介された物件を、契約することに決めた・・・。
さて、家に帰ると、また、会社の上司・クダカさんから電話があった。
タカツの野郎は口がうまいので、私に好意的なその上司も、状況の逆転をするのは難しいのではと心配していた。
「大丈夫ですよ、心配しないで下さい^^」
翌日の午前中、私は三時間で4500円と言う、割のいい日雇い仕事をこなし、午後、会社に向かった。
私は、楽しくてしょうがなかった。
私は、話せば、絶対に誰にでも理解してもらえる自信があった。
「勝ち戦」に余裕しゃくしゃくであった。
ただ、私は「専守防衛」の男なので、けして自分からは問題を仕掛けない。だが、他人から因縁を吹っかけられたら、完全に潰すことにしている。
先ず、課長レベルとみっちり話す。
私が働く会社の素晴らしいところは、ともあれ「両者の意見を聞こう」と言う姿勢が堅持されている点だ。
タカツの言い分だけを鵜呑みにされたら、おそらく、私は、異動の憂き目にさらされたかも知れなかった。
私は、夜勤明け三連休であったが、連休明けの話し合いではなく、休日に会社に来て話すことにしたのは、タカツの勝手な言い分を聞いた上司どもが私へのマイナス感情を熟成させかねないからだった。
私は、タカツの言葉の一つ一つの「嘘」を丹念に暴いていった。
続いて、タカツの言い分の、標語と具体例の不整合について逐次糾していった。
また、私は、タカツの「虚言癖」と「陰口気質」を丁寧に語った。
課長は、理解を示してくれた。
続いて、係長レベル、そして、班長レベルと話した。
一番、私にマイナス感情を持っていると考えられていた係長だったが、劇的な変化を見せてくれた。
私は、ただの工員だが、会社は一流企業であり、皆さん非常に温和な方ばかりなので、丁寧に語ると、ちゃんと理解してくれるのだった。
私は、語りながら、楽しくてしょうがなかった^^
・・・だが、課長が、私とタカツを引き合わせて「どっちもどっち」でチャンチャンにしようとした。
それは早急だと思ったが、私は上司の判断にも一理あると思い、反対しなかった。
だが、タカツは、休日に私が会社に来ていることで、かなりの衝撃を覚えたようだ。
自分の「正しさ」が皆に理解されていると思っていたのに、その自分の状況とは反対の方向に現実が進んでいるのである。
タカツはパニック状態になり、「辞めます、辞めます」を繰り返した。
彼は、派遣社員で、話を聞くとどうやら、とにかく自分の所属する派遣会社I社をこき下ろし、温和な方ばかりの派遣先企業に好意を持っていると繰り返し言う。
【「自分の所属する派遣会社はビジョンを示してくれない。
だが、この現場の仕事は好きで、皆さんも好きだ」】
私は戦慄し、憐れんだ。
つまり、このタカツは、「派遣会社は、正社員にしてくれない。だから、派遣受け入れ先企業で社員にしてくれ」と言いたいのである。
・・・【駄々っ子】である。
そもそも、私が見抜いていたとおり、そのタカツの行動原理から考えて、正社員の適正はけしてないのである。
また、HT社は、一流企業であるが故に、派遣から社員への安易な途はない。
それを、課長レベルに直訴することで「どうにかなる」と考える幼児性・・・。
・・・このタカツと言う男は、三十歳にもなって、少しも自分を顧みることをしない。
この場合では、全てを「派遣会社」の所為にして、自分に問題があるなどとは露ほども思っていないのだ。
だから、休日に私が会社に出現し、タカツの思っていたと違う状況が現出し、自分の「100%の正義w」が脅かされ、パニック状態になっているのだ。
こいつ・・・、バカだ。自分の何がおかしいのか気づいていない・・・、と、私は思った。
私は、何だか可哀想になって優しく言った・・・。
「君は、回りが何をしてくれるかしか考えていない。<ビジョン>とか<夢>ってのは、自分で決めることじゃないのか・・・」
すると、「話していてもしょうがないですね。僕は辞めると決めたのです」と、部屋を出て行こうとした。
私は、そんな彼の姿を見て、苦笑いした。
課長も苦笑いしつつ、「おい、タカツ! それはおかしいだろう・・・?」と引きとめようと後を追った。
私は、タカツの背中に言った。
「都合悪くなると、逃げる人生かよ」
そしたら、面白い^^
「ウガゴガゴガーッ!!」と、突如、タカツは私に襲いかかってきたのだ。
私は、もう、状況が楽しくて面白くて、とんだ茶番劇を見せられているような気がした。
「おい、落ち着け! 深呼吸、深呼吸!」
課長は、タカツを取り押さえた。
私は、(こいつ、本当にバカだ・・・)と思いつつ、「私がいると良くないですね」とスルリとその場を去った。
で、その後、タカツは、課長や係長に、二時間以上に渡って説得された。
私は、この会社の人々の、そのあまりにもの優しさに【白けた】。
私は、成り行きを知るために、その後も会社にいた。
でも、廊下を歩くときは、狂ったタカツに出くわしたりしないように、細心の注意を払いながら移動した。
何か、ゲーム『バイオハザード』をやっている気分だった。
二時間後、タカツは、上司たちの前で、私に謝罪する。
私は、「良かった、良かった~^^」とバカみたいに言って見せた。
おそらく、タカツ以外の全員の思いだっただろう・・・。
▼・・・さて、疲れて家に帰り、戯れに、Kの本名で、インターネット検索をしてみた。
すると、とある小劇団のマネージャーのブログにその名を見つけ出すことができた。
Kの顔写真も載っている。
Kのような、Kじゃないような・・・。
でも、翌日、インターネット上で知り合った森英樹君との二人OFF会が予定されていたので、Kについて深く考えることはしなかった・・・。(2006/02/28)
▼[近況報告]
(前略)・・・そんな折、問題が起こった。
職場で、暴力騒ぎだ。
私は寝ていたのだが、電話で叩き起こされた。
問題児は、 [二月は色々あった・・・「男たちの挽歌」(2006/02/28)]で、私といざこざを起こしたタカツであった・・・。
二月の事件が起こった後、私の上司・クダカさんが言った。
「まあ、あ~ゆう人間は、<遅かれ早かれ>大問題を起こすだろう・・・」
私は、首を振りながら、
「そうですかねえ・・・」
と、呟いたものだった・・・。
クダカさんの予測は当たっていたのだ。
私は、「俺もまだまだだな・・・」と思ったのだ。
(2006/05/04)
▼てな訳で、この再掲した「男たちの挽歌」には、新作の後篇がつく。
私が、二月の事件のときに、上司たちに出した手紙があるのだ。
そのうち、公開したい^^
(2006/06/04)
# # # #
私の部署のHT社の方たちは、本当に優しい方ばかりだった。
社員のほとんどが、学校を出て就職、そして、今に至っていた。
古き良き日本の雇用システムのいい面を、私は見させて貰っていたような気がする。
しかし、派遣会社I社の派遣社員が導入され、しかも、の、ろくでもない人間が多数入ってきた。
現場は狼狽し、歯車が狂い始めていくのだった・・・。
(2008/04/03)
◇
私は、自分が正しいと思ったときには、ほぼ100パーセント、公(おおやけ)で勝てる自信があり、うん、勝ってきた。
簡単である。
私は、自分が間違えたときには即座に謝罪・反省するからだ。
そして、日本社会は、ちゃんと思慮をもって語る人間に対しては公正な判断を下すものだ・・・。
ちなみに、現在の世の中の理不尽さは、外国(中国や半島、欧米も)が関係するから生まれてくるのだ・・・。
(2011/01/23)