『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[戦前の新聞が見つかった・1]

2009-09-30 22:18:23 | 保守の一考
☆今、テレビで『白旗の少女』と言うドラマを見ながら書いている。

 それほど、ドラマのテーマに興味はないのだが、多分、極上の美少女が出そうな気がしていた。

 そしたら、案の定、メチャ可愛い女の子が出ていた^^v

     
       ヤギッチ! カワバンガ!^^

   ◇

 で、本題!

 母親が古い古い和服の直しをしていたら、その裾の生地の中から、型を決めるために挟み込んでいたのだろう、折り畳まれた新聞が見つかった。

 パッと見、その古臭いレイアウト・レタリングで、かなり古い新聞だと分かる。

 上記の写真の「黒い筋」は汚れでなく、縫い込まれていたので「黒い糸」である。

 旧仮名遣いであった。

 だが、新聞の下半分なので、日付が書いておらず、いつの新聞なのか分からないのだ。

   ◇

 ただ、連載小説に『官軍入城(邦枝完二・作 鴨下晃湖・画)』があり、この作品名を検索したところ、

   開戦前夜の朝日新聞の夕刊だと判明した。

 こちらで分かりました(クリック!)。

   ◇

 一つ記事を転載しておく。

《     行進を指導せよ
 ◇名誉ある軍人の歓送迎に際して、軍歌を高らかに唱へながら行進する様は、軍國日本の誇りである。しかし、私の目撃した大部分の行進にはこれを指導する適當な人がゐないためか、前の方は規律もとれて行進の足並も揃ひ、高唱する軍歌もキビキビと気持よく調子がとれて見るからに勇ましいが、三分の一以下の後の方になると、軍歌を歌つてゐるのもあり、歌つてゐないのもあり、歩調も亂れがちで雑然たるものが多い。
 ◇こんな風では名譽ある軍人の歓送迎の行進として、却つて士氣をそぐものではないか。ついては今後大政翼賛會あたりで、これら行進のやり方に積極的な指導を切望する。目前に迫つたシンガポール陥落の當日は、各種團体の祝賀行進も催されるであらうが、楽隊を附ける場合は一部を行進の中途におくとか、あるひは指導合唱團を適當に配置するとかして、規律ある行進としたい。(梶原牛寄)   》

   ◇

 これどこの産経新聞?

   ◇

 ・・・『白旗の少女』・・・、・・・。

 段々、話が容赦なくなっていってます・・・。

 こんな話を、俺に見せるなよ・・・。

 私は、高校時代に試写会の当たった、元祖美少女・磯崎亜紀子(地球防衛少女イコちゃん☆)主演の『ムッちゃんの詩』を観て以来、この手の映画は見ないようにしているんだよ!

 『火垂るの墓』も、アニメ・実写含めて見ていないのだよ!

 ・・・うは、「白旗の少女」八木優希ちゃん、可愛くて可哀想・・・。

   

                                      (2009/09/30)
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[日教組について(4・[『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・③])]

2009-09-29 22:16:13 | 保守の一考
☆再掲を続けます。

   ◇

 ・・・2006/09/13

   [『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・③<思想運動>]

     「ほかにどんな能力を持っているんだ?
       まさか、加速装置だけというんじゃあるまいな」
     「あ、あとは……、勇気だけだ!」
                   (『サイボーグ009』より)

▼『いいかげんにしろ 日教組』には勇気づけられる。

 日本一の日教組加入率(ほぼ100%)を誇る「三重日教組王国」に、少数で矢面に立たされた松浦光修は、先ず、どうしたか?

 ≪・・・しかし、非力な私たちに何が出来るであろうか。答えは一つしかなかった。それは”文章を書くこと”である。もしかしたら、それによって”志を同じくする人を探すこと”も出来るかもしれない。・・・≫

 雑誌『正論』に、『無惨やな、神の御もとの教育界』と言う論文を書いた。

 しかし、反応はなかった・・。

 「神の御もと」の意味するところとしては、伊勢神宮の存在がある。

 そして、その「神の御もと」の学び舎としての皇學館があった。

 ここの卒業生で、三重の教職に就いている者の集いがあった。

 その参加者数1300人。

 しかし、そこで配布しようとしていた松浦論文の趣旨を記したプリントは、配ることが許されない雰囲気になった。

 三重教育界を牛耳っている日教組・・・、神の御もとの学び舎である皇學館の卒業生をして、その精神を呪縛しているのだった。

 実質的には宗教否定の共産主義の系列に属する日教組である。

 多くの皇學館の卒業生は、自分の教師としての「出生」に引け目を感じ、より強硬な日教組の運動員となっているのである。

 1300枚のプリントは破棄の憂き目に遭った。

 松浦先生は、大きな絶望を感じた。

 だが、そんな卒業生の中にも、骨のある人物が以前からいた。

 渡辺毅氏だ。

 この方は、当時、教師生活十五年を、日教組との孤軍奮闘の戦いに費やしていた。

 松浦先生の「絶望」の四日後に、渡辺氏の『私の日教組打倒論 ---教員を目指す若い人たちへ』が『正論』にて発表され、再び、松浦先生の心に光明が差すのだった。

 そして、徐々に、同士が集まってくるのだ。

 「つくる会」三重県支部は着々と設立に向かうのだった。

▽そんな松浦先生に、苦言を呈す者もあった。

 松浦先生が尊敬できる人物、皇學館大学の元教授T氏だった。

 T氏は、松浦先生が対決することになる三重日教組の強大な力について語り、それに歯向かうことの徒労を具体的に説明し、自分の研究に専念するよう諭してきたという。

 T氏は、松浦先生を心から心配していたのであり、それは、誠に説得力あるアドバイスであった。

 が、松浦先生は、何故だか、三重日教組との対決に舵を取ってしまうのだった。

 この方は、その後も、自分の助言と反対の行動に出た松浦先生に対し、マイナス感情などを抱くことなく、松浦先生の苦境に引き続き適切なアドバイスをし続けてきてくれている。

 ≪・・・さすがに、闘った実績のある人は違うものである。人は、ふつうの時には、皆同じ様に見えるが、何か困難な課題に直面してふと回りを見渡した時、はじめて”本物”と”偽者”の違いが見えてくる。虚勢を張っている”偽者”の大人が、男女を問わず、今の世にはなんと多いことか(逆から言えば”偽者”だから虚勢を張るのであろうが)この点、T氏は、やはり”本物”であったと言えよう。・・・≫

 私は、ここでも不覚にも涙腺が緩んだ。

 前回の「②」を読んでもらえば分かるが、若鷲さんの苦難から得た教訓を語ってくれているような気がした(我々には、当時、T氏的な人物はいなかった・・・)。

 『いいかげんにしろ 日教組』は、一つの「運動記」でもある。

 <思想運動>に関わる一つの雛形の提示にもなっている。

 私や若鷲さん、まほきゃすと氏が直面した「つくる会」内紛においての、<荒んだ思想闘争>の経過とぴったり当て嵌まる状況がたびたび散見され、私は、そこでの松浦先生の決断に、自分を重ね共感を覚えるのである。

 T氏も、松浦先生に、自分がかつて経験した苦難を体験させることをさせまいとしたのだろう。

 だが、かつての自分と同じく、松浦先生は、その闘争の中に飛び込んでしまった。

 ならば、年長者として、できる限りのバックアップに努めるのだろう。

 それが、「年長者」のあり方だ・・・。

 松浦先生も、我々に『いいかげんにしろ 日教組』を手渡してくれている。

 『いいかげんにしろ 日教組』は、<思想運動>をはじめた者には必読書の一面を持っている。

 そこには、ある意味、真摯であるならば誰もが直面する未来が描かれている。

 こんな文章もある。

 若鷲さん、泣きたまえ。

 以下は、松浦先生が、渡辺毅氏を語りつつ、<運動の業(ごう)>について語った箇所である。

 ≪・・・氏は明敏な人であるから、当然、サヨクからの攻撃はある程度は覚悟していよう。しかし、こういう場合に当事者の心に最もショックを与えるのは、敵からの攻撃よりも「身内」と信じていた人々からの「無支援」であることのほうが多い。・・・≫

 だが、多くの苦難の伴う戦いに、自分の「正義」「勇気」「信念」に沿って行動した者は、何ら「見返り」などは求めていない。

 つまり、完全に勝利できる目算などなく、裏切りに際しても耐え、若者は戦いの渦中に身を置く。

 だから、T氏も、止めはしたが、その運動に赴く気持ちは理解してくれていた。

 故に、その後の協力は惜しまず、松浦先生に向けてきたのである。

 松浦先生は、渡辺氏を評した文章の中で、

     「やむにやまれぬ大和魂」
     「男児世に処する、ただ誠意正心をもって」

 と、語っている。

▼「つくる会」三重県支部が暗中模索のうちに立ち上がりを見せようとしていたとき、産経新聞および『正論』に、≪三重県の教育状況に関する”衝撃的な数字”≫が掲載される・・・。

   ・教職員組合加入率 全国第一位
   ・暴力行為発生率 全国第二位
   ・いじめ発生率 全国第二位
   ・不登校人数 全国第四十五位

 松浦先生は過酷な現状を思い知らされただろう。

 渡辺氏は、その調査結果には「裏切られ」たかっただろう。

 しかし、自分の十五年の日教組との闘争の「裏打ち」をされた形だ。

 雑誌上で、その調査結果の総括をした八木秀次先生も石川水穂氏も、その結果に暗澹とさせられる・・・。

 私も今、思う。

  【これは、完全に、子供を地獄に追い込む環境が、
                システムとして完成している】

 と・・・。(次回、「密閉教室」に続く)

                                     (2006/09/13)

   ◇

 では、私、今夜は寝ます^^

                                     (2009/09/30)
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[私の1991年のメモ日記・14]

2009-09-29 21:54:49 | 1991年の日記
☆皆さん、本日は私が、いつもの通り、公休とお思いでしょうが、本日は出勤でした^^

 だから、映画レビューはありませんよ^^;

 でも、好評企画「1991年の日記」シリーズ、行きます!!

   ◇

 1991年1月11日(金)

 朝、母からTel、カゼをこじらせ、ノドから血が出たそうだ。ちょっと心配なので、明日は実家に帰ろう。バイトを終え、新宿へ。紀伊国屋で『キューブリックミステリー』と言う「2001年 宇宙の旅」論の本を買う。政治学の講義が始まるまでの時間と、政治学の時間で読み終えたが、理解したとは言い難い。浜野保樹と言う著者の多角的な視野からの語り口はなかなか面白かったが、自分の頭の中で整理できないのが悔しい。キューブリックとマクルーハンの対立は、正反対のものではなく、ちょっとした(それでも重大な)方向の違いだけなのかも知れない。しかし、「2001~」は深い。/鳴かぬなら殺してしまえホトトギス、か。

 (現在の蘭による注)・・・最後の1センテンスが意味不明である^^;

 1991年1月12日(土)・・・朝に雪

 バイトを終え、秋川に帰る。帰り際に外山滋比古の『思ったことを思い通りに書く技術』を読む。分かりやすい文章で納得できるところが多かったが、このような内容の本は、納得できないところから学ぶことがあると思う。『プレシディオの男たち』をレンタルしてきて、父と見る。アクションが抑えてあり、人間関係を重視しており、故に、アクションが、よりリアルに見える。S・コネリー・・・、もうその顔が出るだけで映画の質があがる。P・ハイアムズ監督にはこれからも注目したい。『イカ天』が終了し、『エビ天』が始まった。映像コンテストだ。技術に溺れた奴もいれば、バカもいるし、頭のいい奴もいる。「カニ男」、面白かった。その相棒もいい^^

 (現在の蘭による注)・・・『イカ天』・・・「いかすバンド天国」
                『エビ天』・・・「えびぞり巨匠天国」

    

 1991年1月13日(日)

 レンタルしてきた『市民ケーン』を観る。情を揺さぶる内容と思いきや、クールな作品だった。愛を表現できなかった男・ケーが死の際に「バラのつぼみ」と呟き死ぬ。富豪ケーンの死を探る記者が、その言葉を頼りに、ケーンゆかりの人々に会っていく。公開当時に見た人は、その表現技巧に圧倒されたようだが、残念ながら僕は、その後の、この作品を真似た作品のほうを先に見てしまっていたので、新鮮さはなかった。が、面白かった。ザナドゥ城は、タイガーバームガーデンを思い出させる。ホラータッチの作風もGood! 『タッカー』はこの作品をかなり意識したと見える。マナミとアサミが来た。二人とも三つ編みが可愛い^^ 「ノリ巻きゴッコ」をする。午後9時半、中野に帰る。非常に寒い!!

 (現在の蘭による注)・・・「ノリ巻きゴッコ」についてはいつか説明します^^

   

   ◇

 1月の、こんな早い時期から大学は始まっていたのだなあ^^;

                                     (2009/09/29)
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[映画『機動戦士Ζガンダム 星を継ぐ者』『機動戦士ΖガンダムII 恋人たち』を観た]

2009-09-28 07:19:12 | 物語の感想
☆・・・(これまでのあらすじ^^;)

「機動戦士ガンダム」シリーズ30周年記念イベントとして、<ワーナーマイカル村山>で週変わりで三部作を観てきて、

「さあ、続いて、『ゼータ』だ!^^」と思ったら、<ワーナーマイカル村山>では「ファースト」シリーズ三部作しかやらなかった^^;

 かくして、我々(私と姪)は、<新宿ピカデリー>まで電車賃をかけて乗り込むのであった・・・。

   ◇

 さて、映画版『Zガンダム』シリーズは、2005~2006年に公開され、そのお祭り気分に、私もノリに乗って楽しんで観た^^

 感想も、結構ガッチリと記したものだが、今は、その過去ログを探すのが困難だ^^;

 そして、今回、再見してみて、かなり印象が異なっていたので、その辺を書いておく。

   ◇

    

 正直、二本続けて見て、お腹一杯状態になってしまった^^;

 公開当時、お祭り気分の鑑賞で、夢中で、「最大脳内補完」で見ていたので、気にならなかったのだが、

 今回、そのTVシリーズ50話を三部作にして、それぞれが短尺90分ちょいに編集された「高密度早足」編集に非常に疲れてしまったのだ。

 あまりにも、セリフ一つでの物語の整合性のつけ方が多い。

 短い時間に纏め上げて、しかも、説明調に陥らず、それぞれのクライマックスに叙情性をもたせた富野監督の手腕は凄まじいとは思うが。

 初見の姪は、どう見たのだろうか?

 とにかく、<連邦>、<エゥーゴ>、<ティターンズ>、<カラバ>、<ジュピトリス>などの組織が入り乱れる様に「こりゃ、テレビ版を多少なりとも知ってないとワケワカメだぞ^^;」と呆れてしまうのだ。

 モビルスーツも、途中から「赤」か「青」のカラーリングばかりで区別つけ難い。

 ・・・<カラバ>は、<エゥーゴ>の地球での活動組織だそうだが、それもセリフで語られるのみで、いつの間にやら仲間の印象だ。

 ・・・<ジュピトリス>などは戦艦の名前だが、そんな説明もなく、上記のように「木星帰りの男」シロッコの、勢力組織の一つのように語られる。

 シロッコがこれまた、自分の乗る戦艦を何台も乗り換える。

 それが、「戦艦」と説明されない固有名詞で、作中に普通に語られる・・・、把握が難しい。

 <ティターンズ>のツートップ(ジャミトフ、バスク)も、足並みが揃っているわけではないようで・・・。

 更に、ジオン残党の<アクシズ>勢力も出て来るわけで^^;

   ◇

 映画版として、作画がかなり書き直されている版「新訳(A New Translation)」としての公開だが、当時、テレビ版そのままの箇所と書き直された部分の落差に唖然としたものだが、今回は、直近にテレビ版そのままの「ファースト」シリーズ三部作を見ていたのでそれほど気にならなかった。

 が!

 レコアさんが、旧作画において、顔の作りが全然違うのに驚いた。

 こりゃ、別人だよ^^;

 レコアさんは「大人のいい女」なので、私は今回、やたらと注目してみていたので、作画の落差以前の問題でキャラクターデザインも全く違うので衝撃的だった。

 両親を失ったカミーユが、その温もりを求めようと近づいてきたとき、「やっぱり・・・」と呟くレコアさん。

 非常に文学的に情報量の多いシーンで、私は、富野監督、頑張っているなあと思うのだ。

 ここが、アムロに対してのマチルダさんとは異なる、レコアさんに代表される『Zガンダム』の「屈折」であろう。

 レコアさんは、クワトロ大尉との絡みに於いても、アニメ的には難しい役どころを演じてくれている。

 カミーユが両親を失った直後の、<アーガマ>の休憩室・・・、世界観・人間関係構築のために新しく加わった1シーンもいい出来だ。

 ここで、<アーガマ>メンバーの人となりが自然に体得できる。

 このようなシーンを「一点豪華主義」で組み込んでいるので、この作品は活きている。

   ◇

 私は、実は、「星を継ぐ者」は、今回で3観目であった。

 クライマックスの夕映えの中での、可変がスムーズなアッシマーとの戦い・・・、そして、カミーユ、アムロ、シャアの邂逅に、えらく感動してしまったからだ。

 何とも、このシーンには、万感の想いが募った。

 そして、「恋人たち」序盤では、大型輸送機<アウドムラ>デッキでの三人の躍動感溢れる動きが、「星を継ぐ者」のクライマックスそのままのノリで始まる。

 作画も美しい。

 だが、その後、アムロは宇宙までもカミーユと行動を共にすることはない。

 物足りないが、それでいいのだと思う。

 そのまま、ファンの願望通りに、アムロが活躍しだしたら、物語のバランスが著しく歪なものになっただろう。

 ・・・そう、『ガンダム SEED』シリーズの二作目「DESTINY」で、主人公をバトンタッチされたシンが、物語の進行と共に、一作目の主人公キラやアスランに主人公の座を乗っ取られたようにだ。

 あれは、ファンの要求に答えた結果だが、その、当初予定していたテーマからずれて行き、「DESTINY」は応援していたファンからも「駄作」扱いされてしまう結果となっている。

   ◇

 フォウについても記したいが、時間がないので、これにて終わる。

 ただ、以前にも書いたが、ベン・ウッダー大尉が、フォウにはじめて会った時、その頬を撫でるのだが、

 その後、前半のクライマックスで、大尉は、そのフォウの頬を撃ち抜かなくてはならないという展開は、作劇技巧として見事であった。

   ◇

 来週は、『星の鼓動は愛』『逆襲のシャア』で御座います^^v

                                    (2009/09/28)
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[映画『マーシャル博士の恐竜ランド』を観た]

2009-09-22 17:46:30 | 物語の感想
☆シルバーウィークで、弟が子供を親戚のうちに預けて暇なようなので、うちの母親、いつもの姪と4人で<MOVIX昭島>に行った。

 未見の『カムイ外伝』は、姪が「予告編を見せられ過ぎて嫌だ」と言うので、ノーマークの『マーシャル博士の恐竜ランド』を観た。

 明らかに子供向けの作品だ^^;

 世間で「トンデモ」扱いされているマーシャル博士が、色んな文明がゴッタ煮状態の異次元に旅する話だ。

 最初は、その子供っぽい特撮のチープさや、出演者の分かりやすい演技に、面白くないドリフのコントを見せられている気分だった。

 私はよりによって、久し振りに映画を見る弟に、なんちゅうものを見せてしまっているのかと暗澹たる気持ちになった^^;

 弟は、「何でこんな映画を見せるのか」と、ちょいと腹が立っていたそうだ。

 序盤に笑っていたのも、苦笑だったそうだ。

 しかし、私は、序盤からも、結構クスクス笑っていた。

 何となく、全てが計算された上で、わざとに進められているような気がしたのだ。

 類人猿やエイリアンのもろ着ぐるみ風に対し、恐竜の特撮などはあまりにも見事だったから、「あえて」の「狙い」なのだと思っていたのだ。

   ◇

 メインの4人、マーシャル博士にヒロインのホリー、にわか相棒ウィルに類人猿チャカの人となりが見ているこちらに馴染むと、そのギャグ路線が爆発する。

 序盤の戸惑いが嘘のように、笑える笑える!

 この作品、ウンコやチンコなどのお下劣や、ソフトなグロ描写で子供の心を引きつけつつも、同時に、妙に大人の笑いを散りばめてくれている。

 ウンコやチンコで子供は大笑いし、

 それにつられて、相乗効果で大人も屈託なく笑えるのだ。

   ◇

 一番優れていると思ったのが、異次元を旅するタキオン装置をヒロインに預け、残りの男3人で、リゾートプールで飲んだくれるシーンだ。

 ビキニパンツのマーシャル博士にもたいがい笑ったが、

 その飲んだくれる3人の、意味のない会話が、とてもまったり空間を形成していいのである。

「お前、こいつと幾ら金を貰ったならキスできる?」

 と、相棒が博士に類人猿とのキスを促す。

 相棒も、実に面白く、そのとぼけた性格もいいが、表情が素晴らしく、出てきただけで笑った。

「別に平気さ。今の気分なら出来る」

 博士は答え、チャカに顔を近づける。

「誰にも言うなよ^^」

 いや、酔っ払っていると、こういうナンセンスな会話を延々と続けるじゃない?^^

 このシーンは、まだまだ続いて、「あー、腹が減った!」などとぼやいていると、巨大なカニが地平線の彼方から、陽炎にぼやかされつつ、ハサミをカシャカシャやりながら近づいてくる。

 3人は危険を感じるのだが、もう酔っ払っているので動けない。

 すると、突然、カニの進行方向で地盤沈下。

 巨大カニは亀裂に飲み込まれ、その下の熱湯で茹でられ、茹でカニとなって、3人のおいしいつまみとなるのだ。

 その3人の食いっぷり・・・、いいんだわ^^

 こんな、男の「愉しいひと時」が描けている作品は稀である。

   ◇

 また、上記のシーンの前にも、プテラノドンの巣の、マグマ池の中心にあるタキオン装置を取りに行くシーンで、

 マーシャル博士が、タキオン装置に組み込まれて流れる「コーラスライン」の曲に乗って、踊りつつ、タキオン装置に向かうのだが、

 そのマーシャル博士の露出度の高い格好も笑った。

 弟は、『アゴなしゲン』みたいだ! と大笑いしていた。

 だが、その復路では、タキオン装置から曲が流れなくなってしまう。

 その曲を子守唄にしていたプテラノドンの卵が孵化し、大暴れしそうだ。

 で、マーシャル博士は、再び眠りにつかせようと歌いだす。

 この『コーラスライン』の歌は、作品中、何度も繰り返されているので、客にも耳に馴染んでいる。

 メインは、マーシャル博士が歌いだし、ホリーとウィルはコーラスだ。

 で、独唱部分になった。

 歌う奴がいない。

 プテラノドンが起きてしまう。

 ・・・と、美声が響く。

 カメラがパンすると、類人猿で人語が喋れないはずのチャカが歌い上げている。

 死ぬほど笑った^^

   ◇

 結果、帰りの車中は、4人で、この作品の魅力をずっと語り合う場になった^^v

                                     (2009/09/22)
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[日教組について(3・[『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・②])]

2009-09-22 11:39:47 | 保守の一考
☆・・・う~む。

 新しい文科省大臣については、依然として調べていないのだが、

 私が閲覧させて頂いている荒間総帥サイトでこんなコメントがあった。

  Re: 凶悪内閣 - キルドンム 2009/09/15(Tue) 23:09 No.7860
  一番心配していた文科相だが、旧民社系の人がなるらしい。
  しかし…この人も相当いかがわしいなあ(泣)。
  だいたい、「おごとの日」って何なのだ…
  (雄琴といえば、関西在住者の思い浮かべるものはまず決まっている^^;)。

 ・・・昔、『REGGIE』と言う助っ人外人が主役の野球漫画があったのですが、その広島を模した球団の選手が全員、「吉原」「川崎」「雄琴」とか風俗街の名前ばっかだったのを思い出します^^;

 いや、私が言いたいのはそんなことではない。

 以下の再掲の最後に、私は、旧民社についてちょいと書いている。

 旧民社は、保守派にもシンパが多数いるのである・・・。

 更に、つまり、私が言いたいのは、左翼政権民主党にも、当然、自民党の劣化コピーであるが故に、保守派が支持出来ちゃう部分もある。

 で、日教組と言う極左集団のカウンターとして、「同じ手法」を使う現「新しい歴史教科書をつくる会」も<ウヨク集団(「右翼」ではない)>として存在していると言いたいのだ。

 文中で、日教組のおぞましさと、現「つくる会」のおぞましさを同根に描いているのもそれ故である。

 それもそのはず、どちらも、マルクス主義を根本においている^^;

   ◇

   ・・・2006/09/05

  [『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・②<正義>]

▼読み進めていく。

 そこには等身大の学者さんの姿が見えてくる。

 他の、生半な学者さんならば、その言葉の引用などを避けるであろう小林よしのりの言葉などもてらいなく記されている。

 思えば、その思想活動生活を、思想上のテーマと融合させて描いていくのが、小林よしのり著『ゴーマニズム宣言』の斬新な手法だった。

 『いいかげんにしろ 日教組』もまた、くしくも、その『ゴーマニズム宣言』と似た表現形態を持つ。

 高校教師を勤めていた時期もあった。

 ごくごく普通の教師が、ただ、その単純素朴な「正義感」だけで、当時の学校に疑問を呈した。

 何やら理不尽な対応に、それが、社会の取り立てて問題視すべきでもない矛盾の一つなのだろうとさえ考えてもいたようだ。

 その記憶はいつしか忘却の彼方に消え去る。

 ・・・松浦先生は、後に、その事例もまた、次第にあらわになる巨大な<黒い影>の片鱗だったのだと認識する。

 大学の教師となり、研究に時間を費やせる時間も多くなった。

 このまま、安穏と暮らしてもいけた。

 だが、その当時起こった教育現場での殺人事件<黒磯事件(中学一年の男子生徒が、女性教師に馬乗りになってメッタ刺し)・平成10年>が気になった。

 大学付属の高校の講演にて、そのことについて語ってみた。

 おって、かような事件の起こる背景に『近代の教育システムそのものが、<制度疲労>を起こしている』という趣旨の短い論文を発表するのだった。
   (この論文は、後に、『①』で引用したように、元大学教授K氏の非難を受ける)

 そして、その年に、「つくる会」のシンポジウムに赴いてみた(蘭注:この頃の「つくる会」は比較的まとも)。

 その活動は知っていて、その趣旨に賛同してたが、特に積極的に行動しようなどという思いもなく、小林よしのりの言うところの「よき観客」であろうと考えていた。

 ・・・だが、いつの間にやら、あれよあれよと三重県支部長になっていた。

 そして、その、自分が「つくる会」教科書を広めなくてはならない三重県こそが、日本最高最強最凶最悪の「日教組王国」だったのである。

 私は、松浦光修先生に会った印象を「歌舞伎俳優のようだ」と表現した。
いい顔である。

 同じ系統の「歌舞伎顔」の方に、遠藤浩一先生がいる。

 ただ、遠藤先生が「硬派」であるのに対し(此度の「つくる会」内紛では、その硬派であることが悪い結果を生んだような気がする・・・)、松浦先生のほうは「陽性」の属性が感じられた。

 遠藤先生の方が、思想活動を「厳しきもの」と考えているのに対し、松浦先生は、これから語ることになるが、苦難を「エンジョイ」しているようにも感じられるのだ。

 これは、松浦先生が、かつて、まだまだ幼い高校生を前に教壇に立っていたことが関係すると思う・・・。

▼『いいかげんにしろ 日教組』は、『ゴーマニズム宣言』の如く、等身大の人間が、その「正義」「常識」「信念」を持ってして、<非常識社会>に分け入って行く【冒険譚】である(この、「冒険譚」と言う表現こそ、松浦先生のお好みかと^^)

 私も、その例に倣って(と言いましょうか、専門の研究分野を持たない私は、いつもそのような描き方)、個人的に『いいかげんにしろ 日教組』を紐解いてみたい。

 ・・・私は、その御著書を送ってくれた松浦先生の気持ちとして「論功行賞」の意味合いがあったのでは、と先に記した。

 もちろん、その意味もあろう。

 だが、読み進めていくうちに、もう一つの意味合いがあったことを知るのである。

 それは、うまく言えないが、こう言うことだ。

  【君たち(私やまほ氏や若鷲さん)が直面した経験は、
     私(松浦先生)もまた、経験してきている。
      それは乗り越えねばならないことなんだぜ、ベイべ】

 それを知らせるためだったと考えられるのである。

 思えば、この本において、松浦先生は、「日教組」と言う巨大な偽善と相対した。

 恐ろしきは、戦後六十年に及ぶ長い歴史期間、日本は着々と犯され(侵され)続けていた。

 その様な、人間の世代の移り変わりさえも超越するような策略は、本来は、人ひとりの価値が省みられることの小さい中国などのお家芸であるが、「日教組」教育に代表される戦後教育は、アメリカはGHQによってもたらされた。

 アメリカは、東洋を研究し、日本に中国的な洗脳方法を施したのか。日本と中国ではかなり民族特質が違うのであるが・・・。

 故に、当然ながら、いわゆる「保守主義者」の抵抗は根強く、戦後体制の破棄を求め、戦いは続けられている。

 だが、同時に、日本人は勤勉でもあり、与えられたものを最高の合理性で遂行する。

 GHQさえ思いもよらないような完成度を「日教組」体制の下、日本の教育界は成し遂げようとしていた。

 教育の帰結は、国家の繁栄or衰退となって現われる。

 GHQの求めていたのは、日本の国際社会における「【国家力】の先鋭性」の「骨抜き」であったが故に、それに準じる「日教組教育」もまた、その完成は、日本国の衰退を意味するのである。

 ましてや、「日教組」教育は、GHQさえも想像だにできないような共産主義国家との融合を伴い、その初期の目的を不気味に貫徹しようとしていた。

 それが現在の、保守と左翼の激烈なるぶつかりあいとなって現われている。

 保守が、共産主義仕込みのテクニックを弄する左翼に拮抗し得ている背景には、左翼の完全空洞化がある。

 これは、分かりやすく言うと、人の悪口ばかり言っている人間に嫌気が差すように、そんな左翼が国民に倦み出したことを示す(が、同時に、国民全体に、希薄な「サヨク」的なものの見方が浸透してしまったことも意味しよう)。

 故に、今、左翼陣営は狂い咲きの断末魔状況なのである。

 それを殲滅しようと、保守陣営も会戦しているのである。

 ・・・その闘争の片鱗を、高校教師時代の松浦先生は、垣間見ていた。

 そして、私(や若鷲さん、まほ氏も)もまた、「つくる会」内紛において、【保守の語彙を用いたサヨク】と対峙することになった。

 両者には、共通するものがあったのだ。

 初期、私は、西尾先生や、その取り巻き(テック、磐南総研、「つくる会」東京支部)が一方的な『四人組(+八木)』糾弾を流し続ける中で、私だけが反対の意見を主張していた。

 寂しくなかった。

 楽しかった。

 なぜなら、私は、西尾先生のいい加減なところを直観していたし、故に、自分に「正義」があることを確信していたからだ。

 ならば、何も不安に感じることはなかった。

 恐ろしいのは、その、ささやかなる正義が、押し潰されることだった・・・。

 高校教師時代の松浦先生は、このように思っていた。

 ≪・・・もともと私は、心身ともに弱い人間である。それでも、自分の行動を「正義」と信じる時、人というものは予想外の強さを発揮できるということを、私は教育の「現場」で、あらためて学ばせてもらった。・・・≫

 ここで、私は、いきなりグッときた。

 理不尽なる戦いを前に、信念を持てる人物の身近な先達をここに見たのである。

 付け加えるならば(私は利己的な人間ではあるが)、

   【「正義」は、他者のために発揮されるものである】

 と言うものがあろう。

 松浦先生には、その時の「生徒たち」と言う守るべきものがあった。

 私のほうにも、ささやかながら、保守されて然るべき道理が蔑ろにされることに憤りがあった。

 そんな私を、「わがまま坊ちゃん」とか「壊し屋」とか評する自称・保守派の野郎もいた。

 私は、よ~く考えてものを言え! と思った。

 西尾幹二を見ろ! あれこそが「壊し屋」だ、と。

「坊ちゃん」と呼ばれるのは、まあ良いとして、今回の件で「わがまま」と言われるのだけはどうしても不愉快であった。

 私は、わがまま以前の、目の前の理不尽な状況に置かれた他者のために怒っていたのである。

「わがまま」とレッテル貼りすれば、事足りると考える自称・保守派の哀しさよ・・・。

 八木秀次+「四人組」が丸々組み込まれている『日本教育再生機構』は、ほぼ次期総理が確定されている安倍晋三の教育改革とがっちりスクラムを組んでいるようである。

 私は、本当に微々たる力ではあったが、その成立に力を向けることが出来たと思う。

「正義」の意味さえ分からず、珍しく「正義」に邁進した私を「わがまま」「壊し屋」と罵り、「四人組」の受けた理不尽に沈黙したヤカラどもは今はどうしているのか。

 西尾を見ろ!

 磐南の岩田・早瀬を見ろ!

 ネット保守界を渡り歩き左翼的思想を吹聴してまわるテック・福井を見ろ!

 恐ろしきは左翼思想と似通ってしまう主婦感覚で保守思想を語ろうとする『日録』管理人・長谷川を見ろ!

 こいつらには、思想などはない。

 ただ、「エゴ」「言い訳」「白々しさ」が服着て歩いているだけだ。

 私は、こいつらに、「日本教育再生機構」と言う言葉を使わせたくない。

 その単語を使えるようになるまでに、私でさえも苦労したきたのだ。

 若鷲さんの受けた衝撃たるや涙なくしては読めない。

   ◇

   <若鷲さんの苦難>

 新田均先生のブログ(『つくる会の体質を正す会』)の開設に伴い、多くの「つくる会」の欺瞞があらわになった。西尾幹二の卑劣が白日のもとに晒された。

 若鷲さんは、「つくる会」内紛における公共的道徳心の蔑ろを憂慮し、これは由々しき保守界の大問題と考え、そのことを皆に知らせるべく、広島の保守的な者が集う、寝るケーノ議員『どっと公務(http://8319.teacup.com/kaku777/bbs)』に投稿した。

 しかし、そこで待ち受けていたものは、信用していた保守派の「都合の悪い事象に対しての無視」であった。

 その時の、若鷲さんのショックたるや、筆舌に尽くしがたい。

 私も、その「仕打ち」にはゾッとした。

 ヒッチコックの諸作品を思い出させられたものだ。

 しかし、私は、これで、ある種、吹っ切れたのだ。
 ・・・(ここに強烈な言葉の一行がありましたが割愛)・・・

   <私のトコの『サイバ掲示板』より>

  2503『若鷲さん』蘭@携帯 2006/05/19 23:14
    無駄ですよ。
    それが彼らの生き方です。
    西尾幹二が、どんなに凄まじく恐ろしいことをしていようが、関係ないんですよ。
    これが、彼らの「人生」です。
    その顔をジーッと見ようではないですか・・・。
    私がなんで子どもが好きか、何となく分かってきたでしょう。
    どんなに偉そうな能書きたれてようが、ある種の大人はそんなもんなんですよ。
    腐った野郎ばかりです。

  2504『なっとくいかない・・・』若鷲桜 2006/05/20 00:04
    そんなはずはない! という気持ちです。
    これじゃまるで、言論抹殺、中共じゃないですか!?
    もし、そうだとしたら、よっぽど新田氏のブログが世間の目にさらされると
    都合が悪い!、と言う事の証左ではないか!
    西尾氏のブログの内容も、コメント欄に投稿している面々の内容も、
    保守とはあるまじき品の無さを感じました。
    新田氏らは、攻撃されたので、
    それについての丁寧な反論・訂正を求めているだけにすぎない気がします。
    南京事件や強制連行などの攻撃に対する、日本が行っている反論・訂正と、
    同じ種類の事という気がします。
    寝るケーノさんや不動さん、こなさん!!
    どう思っているのでしょうか?
    寝るケーノさんは、パソコン関連が苦手だったはず。
    管理を誰かに任せていて、その人物が勝手にやったのか!?
    いろいろ、考えてしまいます。
    小生は、まだ信じたい!!  これ、偽わざる心。
    しかし、もはや、小生の書き込みに対し、「無視」&「新たに書き込んで話題を変える」、
    という方向になっていってるのでは!?、という疑念もあります。
    (蘭による注・若鷲さんによる新田サイトURL含みの投稿が投稿されないのは、
     技術上の問題でしたが、それに呼応して、他の広島勢が若鷲さんを無視したのは驚いた)

  2505『Re:なっとくいかない・・・』蘭@夜勤 2006/05/20 01:06
    「良心」ある者は、必ず立ち上がります。
    私は涙を流して怒っていますよ。
    この悔しさ、その「したり顔」を心に刻み込みましょう!

  2506『Re:なっとくいかない・・・』ミッドナイト・蘭@涙 2006/05/20 12:10
    >>若鷲さん
    標語なんですよ・・・。
    今、西尾先生が、八木・新田先生を、あまりにもの誹謗中傷でけなしている。
    最初の頃こそ、「怪メール(藤岡工作員の傑作)」「コンピューター問題」
    「渡辺記者」などの理論立てられる攻撃要素があった。
    しかし、その前提はことごとく崩れ去った。
    新田先生の実証的な端正な語り口に真実が見出せた。
    西尾先生に残ったのは、「若者」憎しの憎悪の為せるわざ・誹謗中傷、
    そして、相反する感情「若者」愛しの愛情の帰結としての概念「神社右翼」しかなかった。
    ここで、新田先生が、反論したことで、西尾先生側は論理での敗北を感じ、更なる誹謗中傷に走る。
    そこで、なんですよ。
    それに普通に抗する新田先生の姿を見て、
    誰かが、「口撃に口撃を返す愚かさ」と呟いたとする。
    すると、ある種の単細胞な人々は、
    その、「口撃に口撃を返す愚かさ」と言う標語の奴隷になってしまうのですよ。
    そう、例えば、私が文句を発したら、
    「日本人の思想の根本には<和>がある」
    と標語の奴隷が言うようにです。
    人間には、もって生まれた最低限の生存権の一つとして【防衛権】があるのです。
    あの、西尾先生の異常な、変質的な口撃(それも全て妄想の産物・証拠ゼロ)に、
    黙っていられるとでも言うのでしょうか?
    でも、バカな奴は言うのです。
    「分かる人にはわかっている」
    でも、そういう奴や、「和を尊ぶ」ヤカラに限って、黙っている奴に対し、
    「黙っていると言うことは、罪を認めたと言うことなんだな」
    などと標語を言うのです。
    若鷲さん、ひたすらに、じっくりと語り抗するしかないのですよ。
    私は、嘘を撒き散らす西尾界隈・藤岡界隈をけして許しませんよ。
    そして、
    《・私利・私欲・私怨で、共同体(国家)を破壊しようとするヤカラ・・・。
     ・思想なく、日和見(パワーバランスを抜け目なく見て)で自分の意見をコロコロ変えるヤカラ・・・。
     ・標語に呪縛され、物事の例外を認めようとしないヤカラ・・・。
     ・自分のコミュニティを保つために、外界を認めないヤカラ・・・。》
    を許しはしない。
    正直者たちが、あんなにも苦しんでいるのに、見てみぬ振りをする広島勢を許しはしない。
    私は、拉致問題が発覚した翌日かなんかに、テレビニュースで、
    金正日将軍様に送る人工栽培の新種の「花」なんてニュースをやっていた
    テレビ朝日の夕方のニュースに激怒した。
    そんなことを報告してる場合じゃないだろっ!!
    西尾幹二があれだけのキチガイっぷりを害悪としてばら撒いているのが見て取れていて、
    八木中国訪問の話をトピックとして語った野郎の欺瞞!
    目の前で、虐殺が行われているのに、遠くの風景を眺めているような異常性!
    寝るケーノ議員の変節は、その良心を信じていただけに辛かったなあ^^;

  2508『Re:なっとくいかない・・・』ミッドナイト・蘭@涙 2006/05/21 02:58

   >>しかし、もはや、小生の書き込みに対し、「無視」&「新たに書き込んで話題を変える」、
    という方向になっていってるのでは!?、という疑念もあります。

   ここが罪悪のポイントなのですよ。
   アドレス転載の出来るか出来ないかがポイントではないのです。
   たとえ、アドレス転載がサーバーの様式上で、不可能だとしても、
   それを尋ねる若鷲さんに、誰も答えようとしない現実・・・。
   自分で、答えを出すのではなく、寝るケーノ議員がそうしているから、
   自分もその意思に順ずると言う【独立した意思のないおぞましさ】が、広島勢にはあります。
   あたかも、西尾幹二がそうするから、それに話をあわせようといういい加減さと同じです。
   機械計算課長さんは、広島ではないが、西尾先生の提灯かつぎ発言ばかりし始めている。
   昔は、こんな人ではなかった。
   遠藤先生との交流で、自分の思想の独立を保てなくなったのだな。
   恐ろしいのが、あきんどさんも、課長も、
   おそらく、西尾先生の欺瞞の全てがあらわになったとき、こんなことを言う出すだろう。
    【西尾先生は、保守のために、自ら「悪人役」を演じたんだ!】
   でもさあ、西尾先生の今回のやり方、
    【全て、朝日新聞のやり方から学んだんだ】。
   と、考えると、
   そのうち、朝日の本田記者のように、
   新田先生に、【意見のすり合わせ】をしようと、提案を始めるに違いない。
   もしくは、【藤岡一派のように、嘘に嘘を確信犯的に連ねていくのだろう】。

   ◇

 ・・・いや、何で、広島勢にこだわって書くのかと言うと、伏線なのである。

 松浦先生が、「つくる会」三重県支部長に就任した前後、

 産経新聞では、広島県日教組の横暴が毎日のように記事にされていたのである。

 いざ、松浦先生が三重県日教組について調べると、

 それはもう、広島県の比ではない亡国の末期状況が広がっていた。

 広島が「問題が問題視」される環境だとしたら、

 三重は「異常事態が常態」とされる環境だったのである。

 だが、広島のネット論客たちは、

 「つくる会」内紛に至る経緯の「異常事態の常態」化には気づいてくれなかった。

 広島県民と言うのは、自分たちだけが特別な境遇にあると考える傾向があるのか?

 ≪(平成十一年九月、新田先生とともに、松浦先生は東京は産経新聞社へ)
  この日の夕方、私は同社の論説委員・石川水穂氏と、『正論』編集部・上島嘉郎氏に会った。
  持参した資料を見せながら三重の教育の現状を訴えると、二人とも驚いていたが、
  その時上島氏は、ふと「広島よりひどいな」とつぶやいた。≫

 ・・・だが、おそらく、広島勢は、入り組んだカラクリの問題重要性に認識が向かないだろう・・・。

▼(おまけの話)

 私が、現「つくる会」の理事たち(呪い組)は、「旧民社党」つながりだ、こいつら悪い集団だ! と、言い始めたら、『2ちゃんねる』でこんな投稿が・・・。

  35 :右や左の名無し様:2006/09/02(土) 21:27:17 ID:sZ5Xn06V
   (前略)現場記者の山羊支持を黙認している産経の住田社長も、
    山羊の事務所開きに出た石川記者も民社。
    「民社」って、一括りにしない方がいい。
    それじゃ「神社」「生長」「日本会議」と闇雲にレッテル貼りして
    敵を増やすだけの西尾と同じだよ。

  36 :右や左の名無し様:2006/09/02(土) 21:37:35 ID:???
   それもそうですな、反省。

 ・・・てな訳で、私の『旧民社・陰謀論』は撤回しますです、ハイ。

 石川記者と言うのは、上記の石川水穂論説委員のことですね^^;

                               (2006/09/05)

   ◇

 なお、私と産経の石川水穂論説委員は、先の9/11の<ノモンハン事件70周年シンポジウム>にてニアミスしているようである(クリック!)。

                                     (2009/09/22)
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[映画『ドゥームズデイ』を観た]

2009-09-21 01:11:12 | 物語の感想
☆夜遅いので短信ですいません^^;

 昼間の鑑賞で、20日は、<MOVIXの日>で1000円均一だと知り、再びレイトショーを観てきました。

 ・・・またぞろ、ゲーム作品の映画化と思いきや、オリジナル作品らしく、好感^^

 また、序盤、やや硬質な作品作りだったので、『マックス・ペイン』の再来を危惧したのだが、

 伝染病から長大な塀で隔離された、舞台となるスコットランドに、主人公らの作戦チームが乗り込み、そして、全滅していたと思われた住人が「フーリガン」化して襲ってきてからは、最高の能転気アクションが乱れ撃ちで夢中になった。

 ウィルスの所為か、国民性かは分からないが^^; 「フーリガン」どもは、主人公チームの最新銃器にもひるまず、「屈託なく」襲い掛かってくる。

 それはまさに、様式美を見るようだ。

 MTVのような細かいカットバックのアクション編集は、意味が分からないの一歩手前でテンポの良さを感じさせてくれる。

 主人公の機能的マッチョの女・シンクレア(ローナ・ミトラ )は、無駄のない動きで戦ってくれる。

 マッチョと言うと女性的な魅力に欠けるように思われようが、目に優しさと悲しさがあり、なかなか可愛い^^

 物語序盤の幼女時代はもっと可愛いが^^

   ◇

 英国の古式ゆかしいパンク的退廃の世界が、隔離された世界に広がっている。

 そこのモヒカンのリーダーだが、カリスマが全くなくて、それが妙な凄みに変じていて面白かった。

 クライマックスの戦いでも、その初めのほうで、シンクレアの運転する車に飛び乗ってきて、最期の最後まで車に上半身を滑り込ませて戦ってくれる。

 直情型の哲学のない粋な野郎である^^;

   ◇

 先ほども書いたが、戦いそれ自体は、MTV的で分かりやすいとは言えない。

 ムードで押し切る形だ。

 しかし、生き物の損壊だけは、やたらと丁寧に描く。

 人が撃たれると肉片が飛び、ウサギも弾け、牛は内臓を炸裂させる。

 装甲車に踏まれた男は四散し、装甲車の運転手は射抜かれ、も一人の運転手は頚動脈をカットされ、チームのメンバーは生きながら焼かれ、フーリガンどもの食糧になる。

 副首領の女はスパッと首を切られ、それでも首領の車の助手席に乗せられ、ボーガンで射られる。

 枚挙に暇がない^^;

 三人で見に行ったのだが、

「ストレス解消にいい」

「知人が死ぬのは辛いのに、映画だと痛快なのは何故?」

 が、私以外の二人の感想^^;

   ◇

 素晴らしいのが、物語を『バイオハザード』シリーズや『ニューヨーク1997』シリーズのレベルで終わらせていないことだ。

 フーリガンどもが巣食うグラスゴーから、更に主人公たちは旅をする。

 峠をトンネル状に貫通した軍事施設などを通り、他の首領の仕切る町に行く。

 そこら辺の展開が、私には『ロード・オブ・ザ・リング』的で面白かった。

 「処刑人」と言うのが、足音を響かせて登場するのも、バルログ出現時を髣髴とさせた。

 辿り着いたのは、中世風の町・・・。

 剣と弓矢と甲冑の世界だ。

 ふんだんに制作費が掛けられているらしく、セットにちゃちさがなく、物語も面白い^^

   ◇

 そして、「マッドマックス」的なカーアクションのクライマックスだ。

 雰囲気はジョージ・ミラー風であるものの、そのアクションは全く別物で、これはこれで実にスピード感があって面白かった。

 (注)・・・今、ジョージ・ミラーを、いちお引用間違えしていないか検索してみたら、なんと! 新作『マッドマックス4/フューリーロード』の製作予定があるそうだ^^v

   ◇

 ・・・作品自体は痛快で、実に面白かったのだが、惜しむらくは、『ドゥームズデイ』には、物語のテーマの根底を為す思想や哲学が全く感じられなかったことは痛い。

                                     (2009/09/21)
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[映画『男と女の不都合な真実』を観た]

2009-09-20 17:46:00 | 物語の感想
☆ティーンエイジャーの娘っ子と、<R-15>指定の映画を、MOVIX昭島に見に行った。

 見る前に、ロッテリアで「絶妙ハンバーガー」などを食べたのだが、

     

 その子が巨乳なのに絞りのないワンピースを着ているので、「マタニティに見えるよお^^」などと言ってたら、

 後で観た映画で、ヒロインに男が服装のアドバイスをしていたので、ちょっとタイミングが良かったと思う^^

   ◇

 私は、このような作品(いわゆるラブコメ)が好きらしい。

 ゲラゲラ笑いながら見て、映画館を笑顔で出た。

 物語は、なかなか男(恋人)と出会えない敏腕TV女性プロデューサーが、番組のテコ入れに招聘した、本能のままに発言するのが売りのタレントと反目しあいながらも惹かれあっていくという物語だ。

 いまだに男にロマンを求めている主人公アビーに、『幸せになるための27のドレス』のキャサリン・ハイグル、

 下品なタレントに『幸せの1ページ』のジェラルド・バトラーが配役されている。

 キャサリン・ハイグルは、私好みの女優じゃないが、おそらく、アメリカ的な美人なのだろう。

 で、私は、自分の好みじゃない女優が、作品の最後には魅力的に見えてくるパターンが大好きな男であるが故に、楽しんだ。

 対して、ジェラルド・バトラーは、これは見事に格好いい^^

 四十男の私が目指すべき男である。

 が、作中では、アビーに疎まれるマイク役である。

 それが次第に、作品の最後にはアビーにとって、魅力的に見えてくるパターンが、私は大好きな男であるが故に、楽しんだ。

   ◇

 番組内で、男女関係は恋愛云々よりも本能のままであるべきだ、それが真実だ! と主張するマイクのペースで、物語は、「性」絡みのコメディが続く。

 序盤は、スタンダップコメディアンのようなマイクの台詞回しが、英語に疎い私には100%理解できたかわからないが、字幕屋さんが頑張ってくれていたので、結構笑った。

 だが、やはり、「屋外羞恥プレイ」的な「野球場公然手コキ」シチュエーションや、

 「野外調教」みたいな「レストラン無線バイブ責め」シチュエーションと言う、大きなアクションギャグに大笑いさせられるのだった^^

 また、アビーの、マイクの芸風の台頭による不安が、自分の夢の中で「ヌード天気予報」を妄想させるのだが、それもベタなのだが、キャサリン・ハイグルのボディラインの美しさともども良かった。

   ◇

 終盤、マイクのアドバイスで理想の彼氏と巡りあったのだが、その時には、アビーとマイクの間には不思議な感情が宿ってきた。

 私は、このような定番のストーリーの中で、そこに見るべきは、その主人公二人の演技だと思うのだ。

 キャサリン・ハイグル、ジェラルド・バトラーともに申し分ない。

 見ているこちらには、その微妙な「切なさ」が身をもって伝わってくるので、私などは、長い時間、ちょいと感傷的にさせられる。

 確実に「いい友達」関係なのに、とてつもなく盛り上がる男女関係と言うものがある。

 その瞬間、お互い見詰め合って、その感情を言葉に出せば恋愛方向にシフトチェンジするのに、「何か」が足りなくて、そのままで終わることがある。

 この作品では、その瞬間からのキスへの移行が良かった。

 その後の、出張先のホテルで別室に戻った二人が、お互いを求めている様も良かった。

 アビーの部屋には、突然、彼氏・コリンが来訪し、そこに、それを知らずにアビーを求めるマイクが来る。

 ホテルの一室の扉越しに三人が対面する。

「フライトの時間が変わったので、知らせに来た。朝の八時だ^^ じゃあ」

 と、既知のことをアビーに言うマイクの目で、アビーはその気持ちを知る。

 そして、アビーは、男が好むような魅力的な女を演じていた自分の「本当の姿」をコリンに告白する決心をする。

 いい脚本だと思う。

   ◇

 アビーが嬉しい時に、頭や手足を振り乱し小躍りする姿が魅力的でしたね^^

                                    (2009/09/20)
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[与党民主党考・4 「臭いものに蓋」]

2009-09-18 22:59:32 | 保守の一考
☆明日が早いので短信ですまん。

 ・・・恐ろしい時代だ。

 民主党のメディア対策は徹底していると思う。

 それは、自民党のおおらかさ(お愚かさ)と比して明らかに戦略性が見られる。

 誰の入れ知恵だろう・・・。

 選挙戦の終盤の鳩山氏の、迂闊な発言がクローズアップされることを防ぐためのぶら下がり取材の中止など、なかなかだと思う。

 ・・・そして、政権奪取後、こんなことをやらかした。

   ◇

   《官僚の記者会見、原則禁止…官邸が省庁に通知(9月17日3時9分配信 読売新聞)》

  鳩山新政権の発足を受け首相官邸は16日、報道機関への対応について、〈1〉各省庁の見解を表明する記者会見は、閣僚など政治家が行い、官僚は行わない〈2〉次官らの定例記者会見は行わない――との内容の指針をまとめ、各省庁に通知した。
 指針は、閣僚が適切と判断した場合には、官僚による記者会見もあり得るとしているが、「国民の知る権利」を制限するものとして論議を呼びそうだ。
 指針は「政・官のあり方」と題され、各省庁に対し、同日、取扱注意の資料として配られた。「府省の見解を表明する記者会見は大臣等の『政』が行い、事務次官等の記者会見は行わない。ただし、専門性その他の状況に応じ、大臣等が適切とした場合には『官』が行う」としている。鳩山内閣は16日夜の閣僚懇談会で、この指針を申し合わせた。
 これについて、平野官房長官は16日夜、初閣議後の記者会見で、「(事実関係の)ブリーフは記者会見ではない」と述べ、事実関係の説明は除くとの見方を示した。 (最終更新:9月17日3時9分)

   ◇

 これまで、ささやかなる官僚の記者会見で、メディアは真実の片鱗を見た。

 しかし、これまで、「真実」、つまり、与党自民党追求のネタを見つける手立ての作業が、与党民主党では消去された。

 民主党は、脱官僚政治を標榜している。

 だが、その実体は、完全なる「政官癒着」、と言うか、民主党の官僚取り込みである・・・。

 憂鬱である。

 これが、私の最も嫌悪する「言論統制」の一つである・・・。

                                      (2009/09/18)
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[日教組について(2・[『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・①])]

2009-09-17 20:59:23 | 保守の一考
☆鳩山政権の文部科学大臣は、日教組の具現化・輿石東氏ではなかった。

 川端達夫氏に決まったそうだ。

 この人物がどのような人かは分からない。

 私はそのようなことを調べるのを面倒だと考えるタイプで、その内、識者が報告してくれるだろう^^;

 ともかく、民主党の、日本における子供の教育には日教組が張り付いていくのだけは確かだ。

 以下に、かつて書いた文章を再掲する。

 これは、「つくる会」内紛時に知り合うことの出来た皇学館大学の松浦光修先生の著書に拠るのだが、どうしても、序盤、「つくる会」内紛と話が絡むのは御容赦願いたい。

   ◇

   ・・・2006/09/04

 [『いいかげんにしろ 日教組(松浦光修著)』を読む・①]

   <プロローグ>

▼松浦先生じきじきより御著書を三冊頂いた。

  『いいかげんにしろ 日教組(PHP社)』

  『日本を虐げる人々(PHP社 渡部昇一・八木秀次との共著)』

  『夜の神々(慧文社)』

 これらは、今回の「つくる会」内紛においての、私のネット上での活動に対しての上位の方からの「論功行賞」的な意味合いもあろう^^(その中の一冊を読み進めていくと、もう一つの意味もあるのだが)

 ならば、幸い松浦先生と「日本教育再生機構」の旗揚げ式にてコンタクトが取れて御著書を頂く機会に恵まれた私に比し、同じくネットで活動しましたが、自宅が遠方のため、旗揚げ式には来れなかった若鷲さんにもこの本を読む権利があろうと思い、私は、三冊のうちの一冊を送ることにした。

 いや、旗揚げ式では、参加者全員に八木秀次代表の新刊『Q&Aで分かる天皇制度(扶桑社)』がプレゼントされていた。

 若鷲さんは、天皇家に非常に興味を持っていて、先の「皇室典範」改正問題においては、【夜眠れなくなるくらい】悩んでいたのである。

 八木先生の新刊も、併せて、若鷲さんに送ることにした。

 若鷲さんに上記の三冊の題名を挙げ、「どれが御所望か?」と問うと、「『日本を虐げる人々』は持っています」と答えましたので、

 私は、八木新刊に併せて『いいかげんにしろ 日教組』を送ることにした。

 何故、それを選んだかと言うと、『夜の神々』は、イメージ的に、他の著書より希少に思えたこともあったし、

 『いいかげんにしろ 日教組』と言う力作は、書店にて購入しようと思っていたのだ。

 ・・・さて、若鷲さんには、『Q&Aで分かる天皇制度』と『いいかげんにしろ 日教組』を送りました。

 それから、十数日が経ちました。

「早いトコ、松浦先生にお礼の手紙を出さなくては・・・」

 私は思いつつ、仕事に忙殺される日々。

 でも、ネット上では、何かしら書いて、不特定多数の閲覧者の興味を惹きつけなくてはならない。

 忙しい日は、昔書いた投稿に、ちょちょいと手を加えて、再掲したりもした。

 先ごろ、二年前に書いた「寝屋川の少年の教職員殺傷事件」についての高橋史郎先生の意見を読んだ感想の投稿の再掲を行った。

 再び、それらを読み直すと、自分で書いたものなのだが、非常に面白い^^;

 私の頭の中を、「教育」「教育」「教育」と、言葉が渦巻いた。

 次期総理と目される安倍晋三氏の政策の柱には、教育改革が掲げられている。

 その安倍政権の教育改革のブレーンとなるのが「教育再生機構」の面々である。

 ・・・「教育」「教育」「教育」・・・その問題点・・・。

 私が書いた、「大阪府・寝屋川の十七歳の少年」(クリック!)

 ≪・・・つまり、こう言うことです。
  どんなに素晴らしい人間だろうと、その人格を形成する因子に「デタラメ」が混じると、
  その生き様は、反社会的結果をもたらせてしまうと・・・。
  この教師に代表されるような、日教組的教育こそが、今回の「はみ出し者」的な少年を生み出し、
  また、この少年と比べると、この少年があまりにも可愛そうになるようなキチガイ<酒鬼薔薇>、
  そして、また毛色の違う<カットスロート少女NEVADA>を生んだのである。
  この教師的な教育こそが、まさに、上記の殺人未成年たちを生み、育てたのである。
  今回殺された教師・・・、つまり、【自作自演】である。・・・(2005/02/17)≫

 昨日、夜勤に出向く通勤前に、ふと机の上を見ると、『いいかげんにしろ 日教組』が目についた。

 その本を読む機が熟していたのである。

 面白かった。

 読みやすかった。

 通勤の電車の中で、付箋と蛍光ペンでチェックを入れながらバリバリ読んだ。

 ・・・と、ふと思った。

「あれ? この本、若鷲さんに送ったのではなかったか?」

 ・・・、・・・私は、若鷲さんの持っている『日本を虐げる人々』を送ってしまっていたのだ^^;

 慌てて、「間違えてしまいました^^;」とメールを送ると、

 すぐに若鷲さんから返信、

「でも、松浦先生のサインと

     言霊に
       伊勢の神風
      宿さなむ


       のうたが記されていて嬉しかったです^^」とのこと・・・。

▼此度の「つくる会」内紛は、それをテーマに活動していた私も、多くの傷を伴った。

 まあ、私についてはさておき、若鷲さんについても後に譲るとして、引用するまほきゃすとさんが受けた傷についても置いといて、その問題の中核の被害者についてちょっと書きたい。

  (引用 まほきゃすとサイトより)

 ≪・・・○西尾幹二陣営
      ・日本会議を攻撃。
      ・反米わしズムの下、勝手気侭な言論。
        ※当初、宮崎事務局長を首にする為の方便として、軽い気持ちで「生長の家陰謀論」を唱えたが、
        それが各団体や個人への中傷となって延焼した。
        プライドの高さから後に引けなくなって、関係者に距離を置かれ、今に至る。
        西尾氏は、真の意味での保守論者では無い(日本的な性格を持った人物では無い)。・・・≫

 さりげなく書かれているが、その実情は殺伐としている。

 無茶な宮崎事務局長更迭理由に対し、「それはおかしいだろう」と疑問を投げかけた人物たちの正論に窮した西尾幹二は、その人物たちを罵詈雑言の果てに「四人組」と括った。

 それらの四人は、神道系の宗教組織「生長の家」に縁があることを知るや、西尾幹二は、それを【「つくる会」乗っ取りの一大宗教陰謀絵巻】とした。

 ひいては、神道系保守組織「日本会議」までも、陰謀論に組み込んでいく始末。

 西尾幹二が次から次へと仕掛けた陰謀論の構成因子(怪文書問題、コンピューター問題、人格攻撃、「神社右翼」陰謀論・・・)は、その全てが【デタラメ】だった・・・。

 確たる証拠のない中で、自分の【ひたすらなるエゴ】を通すために、西尾幹二は吠え続けた。

 そして、・・・これまでも行っていたことなのだが、全く根拠のない反対の立場の側の意見さえ取り込んでいく始末・・・(例:小沢一郎、日刊ゲンダイ、俵儀文などなどなど)。

 このような感性は、周囲に伝播し、おそらく、安倍政権が誕生できなかったならば、大喜びを始めるのであろう。

 そして、私の両親がそれぞれガン・脳梗塞で倒れた今となっても、やはり満面に笑みを浮かべて喜ぶのだろう。

 ・・・最早、保守主義的な道徳など、西尾派の心情には絶無だろう。

 さて、そんな中、磐南総研と言う若者の保守的な団体の「代表」である岩田君と、その準代表のような早瀬君が、西尾幹二の【「つくる会」乗っ取りの一大宗教陰謀絵巻】を裏付ける体験談を語り始めたのだ。

 ・・・なんか、従軍慰安婦の「不幸な被害者」の告白のように、である。

 更に、こともあろうに、その【若者の狭隘な体験談を、あたかも社会の一問題の如く】理屈をつけて語りだしたのだ。

 その論理的な飛躍!!!

 手本を示すべき「師」が不実な行動を示すと、その弟子も、真似を始めるのである。

 なにやら、こんな筋立てだ。

 ・・・彼らの仲間が、大学にて、ある政治思想研究会に入る。そこは、ある宗教の別働隊の如き有様で、その仲間は、辟易として、その場を去る。
 調べるに、その政治思想研究会は、どうやら、ある宗教の「勧誘場所」で、多くの若者が、その宗教に取り込まれている。
 西尾幹二の糾弾している「四人組」は、その政治思想研究会の前身に所属していた。
 それは、西尾幹二の主張する【「神社右翼」による「つくる会」乗っ取り】に符合する・・・。

 松浦光修先生も、その「四人組」の中の一人と括られた・・・。

 磐南の主張は、なんとなく、筋が通っているが、それを構成する要素のことごとくが、それを現実的な問題とするに足る証拠とはなり得ないのだった。

 1センテンスごとに、自分らに都合のよい論理的飛躍があるのである。

 圧倒的に具体例に乏しく、数人の体験者の偏見に彩られた主張だった。

 何か、話しているうちに、エキサイトしていき、表現がインフレーションを起こしてもいた。

 当然に、多くのネット論客の「バッシング」に遭う。

 しかし、何を思ったか、この二人、それを「思想闘争」と認識する^^;

   【自分の思想活動においての、譲れない「一里塚」の如く思ってしまったのである】^^;

 「つくる会」内紛の経緯に伴い、岩田君は、機を見て敏なるかな、自分の都合の悪い状勢に沈黙するようになった。

 あくまでも、「沈黙」である。

「議論はオープンに」などとほざきつつ、自分の論理的瑕疵を羅列されると、沈黙してしまうのが、西尾から岩田に受け継がれたものである。

 自分の主張の敗北を認めているわけではない。

 ・・・それが出来ないから、西尾幹二と同じく、【子供(お子様)】なのである。

 一つ例を挙げておけば、『SAPIO(7/12号)』における勝岡寛次論文で、「四人組」のうち、少なくとも勝岡先生が、くだんの政治思想組織に参加していなかったことが判明する。

 それに対して、磐南は、勝岡名の載っている名簿を提出してきた。

 ・・・バカか・・・。

 こいつら、「名前貸し」とかの慣習を理解できていないのである。

 『2ちゃんねる』にて、その「名前貸し」の常識が指摘されていた(おそらく、現在、そのスレッドはDAT落ちしていて転載できない)。

 すると、磐南側と思しき人物が、かように返答した。

     「名前が載っているのは事実だろ」

 バカである・・・。

 名前が載っていようがいまいが、勝岡先生が、実質的にその組織で活動していたか否かが重要なのだろう。

 そうしないと、その問題とされる宗教に深く帰依し活動していたことが証明できないではないか!

 岩田君は、くだんの組織の最後の長であったそうである。

 彼がそれまでの長い組織の歴史に幕を下ろしたのである(自慢げに語っているが、・・・恐ろしいことである)。

 故に、その議事録と言えないまでも、会議についての簡略化された記録を保持していると思うのである。

  【その中に、「四人組」を裏付ける、
    勝岡先生なり、新田先生の積極的宗教的発言はありましたか?】

 さて、早瀬君のほうは、かなり「おっちょこちょい」の性格らしく、その後も、自ブログを立てたりして、自分の主張を繰り返した(『保守論壇の仮面舞踏会を斬る!』 このネーミングのセンスのなさ^^;)。

 その中の、実質的な最終回にこんな文章がある。(似たような意見は、岩田君も繰り返し語っている・・・。)

 ・・・富田メモに絡んでのエントリーであった。

 ≪2006年07月21日 <「天皇の大御心」を絶対視する愚昧な思想>
  (前略)今後、保守派は昭和天皇の「A級戦犯」合祀反対の思想をいかに考えていくべきだろうか。
   中でもあの旧・生長の家系グループはこの先いかなる対応を見せるのであろうか。
  (中略)生長の家の論理でいけば確かに、現人神たる天皇のお心・思想は「大御心」であり、
   われわれ日本人はそのお心をいつ何時も胸につなぎとめて日々の生活を送らなければならないということになるだろう。
   思えば、日本青年協議会が常に主張して止まなかったのが上記の言葉である。
   さて、彼らは今すぐに「A級戦犯」分祀を唱えなければならなくなった。
   今までの主張をすべて否定しなければならなくなった。
   今回の事件は、論理よりも信仰、思想よりも信仰という彼らの宗教的ドグマが招いた不幸である。≫

 さて、ならば、さぞかし、「四人組」の一人とされた松浦先生などは、「天皇の大御心」を絶対視していたでしょうね。

 『いいかげんにしろ 日教組』にかくある!

 ・・・【平成十五年】の著作である。

 ≪(松浦先生は、平成十年に、はじめて正面切って思考した教育問題についての一文を発表した)
 ・・・本書のもととなる一文を発表した直後、皇學館大学元教授のK氏から手紙が届いた。激励ではなく、激烈な批判である。
 私の文章を読んで、「大御心を体せざる何たる不忠の論」と嘆き悲しんだという。その根拠は、必ずしも明確ではないが、要するに「義務教育」という制度は、「明治天皇」の「叡慮」によって成立したものであるのに、それを廃止せよというのは「不忠の論」である、ということらしい。
 驚くほかなかった。そのような理屈によれば、例えば「改憲論」のすべても、「不忠の論」となるであろう。なぜなら、そこには昭和天皇の「御名御璽」があるからである。むろん、忠臣を「自認」するのは個人の自由であり、他人を「不忠」者と呼ぶのも個人の自由であるが、あまりにも現代の教育状況についての認識が甘く、議論のレベルも低すぎる。・・・≫

 この、数センテンスの文章を読むだけで(幾つかの単語を入れ替えるだけで)、磐南総研の「四人組」の一人への言いがかりが【地獄妄想】であることがよく分かる・・・。

 繰り返すが、岩田・早瀬の主張は、最初の段階で方向性を間違えている。

 西尾幹二に関わり、自分らの政治的野心(エゴ)を果たそうと画策した時点で、現在の結果は見えていたのである・・・。

 どこかで、過ちは正さなくてはならないよ。

 今回の問題は、なかったことには出来ない。

 少なくとも、私は、もし、今後、お前らがしゃしゃり出てきたら、この問題を永遠にぶつけ続けていく。

     とにかく、ソープランドに行け!!!

                                    (続く 2006/09/04)

   ◇

 ・・・すいません。

 全然、日教組の話題になっていないですね。

 でも、我々が「つくる会」と言う似非保守組織から離脱したのは、その「つくる会」の精神性が、あまりにも「左翼」、あまりにも「日教組」だったからなのである。

 それは今年作り上げられた現「つくる会」の新歴史教科書の内容で、よーく分かった・・・。

                                    (続く 2009/09/17)
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[映画『火天の城』を観た]

2009-09-15 19:39:44 | 物語の感想
☆よく出来た作品であった。

 時代劇の大作として、『BALLAD/名もなき恋のうた』を子供向きだと感じた人は、こちらも見れば、不満が解消されよう。

 また、私があれ程感心した『BALLAD』での小国のお城のセットが、こちらの『火天の城』の安土桃山城セットでは更にパワーアップされている。

 どちらがセット的に優れているかと言う問題ではなく、城のスケールの違いが段違いで分かる。

 繰り返すが、映画作品としての格の違いではなく、登場人物である小国の殿と織田信長の違いである。

 どちらも、その作品の設定上においては見事なのである。

 そして、この二作は、日本におけるVFX技術が、もう、どのような作品でも遜色なく作り得ることが証明された結果でもある。

   ◇

 安土桃山城はスケールが大きい城であった。

 しかし、この作品には、もっとスケールの大きいものがあった。

 主人公の娘役の福田沙紀、である。

 なんか、デカイぞ!^^;

 この子には悪いが、物語の前半、私は作品の質に完璧な思いを感じ続けていたので、この子の存在感が物語の大きなマイナスポイントに感じた。

 色んな意味で濃すぎるのである。

 いい女になっているのに、無理矢理「少女」っぽく見せようとして、丈の短い着物で登場させられているが、昔のエロ本のモデルが、三十路過ぎているのにセーラー服を着させられているような居心地の悪さがあった。

 でも、その福田沙紀の「M1号」っぽい口元が、父親である安土桃山城の築城の責任者・又右衛門役の西田敏行に似ていなくもないので、無理矢理に親子だと思うことにした。

          

   ◇

 福田沙紀問題さえクリアーすれば、物語はかなりの緊張感で進んで行く。

 これは、宮大工・岡部又右衛門と、築城依頼主・織田信長の勝負の物語である。

 下手に文芸大作風にしないで、勝負の構造をスタローン的に直に示してくれたのはエンターテイメント作品として懸命だ。

 その勝負の予選として、名立たる番匠(建築家)たちと、指図(設計図)プレゼンテーション対決をさせられるのも、物語の序盤を大いに締める。

 その設計図、建設予定デザイン図、立体模型と続く多角的なプレゼン方式には息を巻いた。

 面白い^^

   ◇

 岡部又右衛門チームのメンバーも個性的で魅力的だった。

 私は、この作品の緊張感の中での戦術性を、潜水艦物の映画と重ね合わせて見ていたのだが、・・・と考えると若頭役の寺島進は副キャプテン役で、いわゆるおいしい役どころを演じていたと思う。

 石工のリーダー役の夏八木勲も、眼帯がキワモノ臭いが、あまりある演技で良かった。

 圧倒的なプレッシャーは、定説よりもやや人間臭い魔王・信長から受け続けるのだが、

 その他にも、檜の大黒柱を得るために、又右衛門は、織田の敵対国である武田の領地に向かわなくてはならなかったりして、展開は矢継ぎ早で飽きさせない。

 武田領の木曾義昌の配下に、森の民の首領・甚兵衛を緒形直人が演じていてなかなか良かったのだが、又右衛門の甚兵衛との絡みなども、長大な物語の中でダイジェスト感を与えてくるようなことはなく、じっくりと見せてくれた。

 木曾義昌を、笹野高史がいつものとぼけた味で演じるのだが、この演技もやや安っぽくはあるものの、作り手は即座に、画面の陰影を濃くし、格調高く見せてくれる。

 又右衛門の奥さんを演じる大竹しのぶもうまい。

 苦境の又右衛門との問答の場において、私は、遠い記憶の彼方での『男女七人夏(秋か?)物語』での大竹しのぶの、有名な正面カットでの泣きの演技を思い出すのだった。

   ◇

 で、概ね満足できる作品だったのだが、不満もある。

 それは、あの信長暗殺のくだりだ。

 その安易なアクション導入に、私はしらけた。

 あれで私の鑑賞テンションはかなり下がった。

 美しい水野美紀の使い方も宜しくない。

 私は、村娘役の水野嬢は、信長に見初められて、又右衛門チームの一人(山本太郎)との間に悲恋を形成するのかと思っていた・・・。

 それと、西田敏行の演技だが、いかがだろうか?

 いや、うまいよ。

 でも、この人、いつも同じ演技だ。

 そういった目で見直すと、福田沙紀も、大竹しのぶも、椎名桔平も、寺島進も、
山本太郎も、熊谷真実も、西岡徳馬も、渡辺いっけいも、河本準一も、遠藤章造も、石橋蓮司も、笹野高史も、夏八木勲も、いつもの彼らの芸風と同じだ^^;

 それってどうなのだろうか?

 緒形直人だけは、ちょっと新鮮な個性を発揮していたが・・・。

   ◇

 終幕のさりげなさは、非常に良かった。

 作り手は、丁寧に語るべきところと、蛇足の無駄を良く知っているなあと感心した。

                                      (2009/09/15)
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[日教組について(1・プロローグ)]

2009-09-15 09:15:02 | 保守の一考
☆一昨日、[与党民主党考・3「日教組、不良教師を野放し」]と言うエントリーをしたら、同日、以下のようなニュースも入っていた。

   ◇

   《「自民を名乗るべからず」宮崎県連が中山氏の除名要請へ(朝日 2009年9月13日0時42分)》

 <自民党宮崎県連は12日、党紀委員会を開き、衆院選の宮崎1区に無所属で立候補し、落選した前国土交通相の中山成彬氏を除名処分にするよう党本部に求めることを決定した。
 中山氏は昨秋、「日教組が強いところは学力が低い」などの発言に批判が広がったことを受けて国交相を辞任。その後、衆院選不出馬も表明したが、7月の衆院解散後に撤回した。県連は公募で元参院議員の上杉光弘氏の擁立を決めていたが、党本部はどちらにも公認を出さず、結局共倒れになった。党紀委は中山氏の一連の行動を「党の規律を乱す行為」と認めたという。
 県連は同日、衆院選を総括するための会議も開いた。緒嶋雅晃会長は「中山氏の不出馬撤回が1区の敗因というのが皆の意見。今後は自民党と名乗って選挙に出ることは認められない」と話した。>

   ◇

 中山氏の日教組批判は正しい。

 しかし、中山氏、その波紋の各場面で、行動の撤回(発言撤回・不出馬撤回)を行なった。

 本人的には矛盾はないのだろう。

 ただ、その行動原理が、あまりにも狭い視野(一部マスコミのバッシングによる恐慌状態の自分の認識・周囲の数人の認識)に起因していた。

 当初の発言撤回や国交相辞任、不出馬宣言からして駄目だったのだ。

 国会議員の発言たるや、日本全国の人がメディアを通じ見聞きしており、その、例えば日教組批判などには多くの人が快哉を送っていたのに、そこに思い至らず、勝手な撤回を行なってしまった。

 そのような、自己の行動進路の選択ミスで、悪循環がインフレーションを起こし、このような結果になってしまった。

   ◇

 日教組が大きな力を発揮しだした日に、このような中山氏の失脚がニュースとなったのは運命的であるが、一連の経緯は、もちろん日教組の攻撃からなどではなく、中山氏の「自殺点」であり、まことに悔しい。

 中川昭一前財務相の落選も似たパターンだろう。

 しかし、中山氏や中川氏みたいな、筋の通った人物の復活なくしては、日本はすぐに傾くだろう。

 ・・・与党自民党には、芯の通った政治家が多数いた(過去形)。

 でも、悔やんでいてもしょうがないし、反攻を期さなくてはならない。

 周囲の人物は、失敗への怒りを収めて、盛り上げていってくれよ!

                                     (2009/09/15)
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[映画『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』を観た]

2009-09-13 18:00:39 | 物語の感想

☆う~ん、まあ、そもそも『X-MEN』は、割とスケールの小さい世界の物語なんで、それは分かっていたつもりで、

 更に、その「エピソード0」であるから、更に小規模な展開になると思っていたのだが、

 予告編がかなり派手だったので、期待し過ぎたかも知れない。

 ちょっとサッパリした内容過ぎたね。

 私は、かなりヒュー・ジャックマンに憧れていたのだけど、その時期が過ぎたということがあるのかも知れない・・・。

   ◇

 私は、基本的には、アクション映画は、『ランボー』『96時間』みたいなシンプルな作風が好きで、

 その映像テクニック上においても、見る者の情動においても、効果的に見せてくれるものが優れていると思う。

 そして、コミックヒーローたる者も、ウジウジ悩むヒーローよりは『アイアンマン』みたいに、軍事産業の社長のくせに平和のために戦うと言った能天気な主人公のほうが好きだ。

 『ウルヴァリン』においては、技術的には、いいアクションシーンを見せてくれているのだが、その見る者の情動に訴える点においては、

 例えば、クライマックスのスリーマイル島の煙突のような原発建物が崩れ落ちるスペクタクルシーンがあるが、それは、敵もしくは味方の攻撃によるものではなく、倒した敵の事故によるもので、なんら戦闘のサスペンス効果を得るものになっていないのだ。

 予告編で興味をひいたアクションの数々も、あまりにも「そのまんま」なので、新鮮さがなかった。

 そもそも、『X-MEN』のスケールの小ささの原因は、いつも組織内内紛での戦闘であるからだ。

 それも、見る者のエモーショナルな点に臨界まで訴えてこない理由の一つだ。

 ハリウッド産の映画は、これが実に多い。

 上品ではあるが、絶対悪の設定を身内に据えると、見ている者は燃えてこないのだ。

 だからこそ、『X-MEN3』での、ミュータントVSミュータントのガップリ四つに組んだ戦いには快哉が起こった。

 私は、シンプルな味方VS敵の超能力戦を見たいのだ。

   ◇

 ただ、思ったより、多くの超能力者が登場してくれたのは嬉しかった。

 しかし、野郎だけのチームと言うのは、どうも無理矢理な能力者もいて、日本刀を振り回すヤツなどは、『G.Iジョー』の一員っぽくて、わりと格調高く作られている『X-MEN』がB級の一歩手前に見えた。

 ただ、そのアクションの見せ方が、『X-MEN』においてはやはりうまいので、私は安心したのだが、

 この日本刀野郎が、最終的には「ラスボス」だったので、ちょいと嫌でした^^;

 しかも、ミュータント能力の全てを持っている存在ってのは、都合良過ぎる。

 私は、ウルヴァリンが、「超再生能力」と「両手から伸びる超金属の爪」と言う二つの能力を持っているのさえも、能力のルール的矛盾を感じていつも気に食わないのだ。

   ◇

 ただ、今作で、ウルヴァリンが愛しつつ、その恋の記憶ともども失うヒロイン・ケイラが、後年にウルヴァリンが知り合うことになる恋人ジーン・グレイの面影が感じられ、作り手のシリーズへの想いが感じられて良かった。

   ◇

 分かった! この作品が物足りないのは、マグニートーが出てこないからだ!!

                                     (2009/09/13)

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[与党民主党考・3「日教組、不良教師を野放し」]

2009-09-13 16:05:48 | 保守の一考
☆朝、産経新聞の一面を見て、暗澹たる気持ちになった。

   ◇

   《教員免許更新、廃止へ 民主・輿石氏 通常国会に法案も(9月13日7時56分配信 産経新聞)》

 < 民主党の輿石東(こしいし・あずま)参院議員会長兼代表代行は12日、甲府市内で記者会見し、今年4月に導入された教員免許更新制度の廃止に向け、来年の通常国会にも教育職員免許法改正案を提出する考えを示した。更新制度は安倍晋三内閣が教育再生の目玉として導入を決めたが、民主党の有力支援団体である日本教職員組合(日教組)が強く廃止を求めてきた。政権交代で教育改革路線は一気に後退する公算が大きい。
 ■入閣「参院から2人以上」
 輿石氏は元山梨県教組委員長で、日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」会長を務める。小沢一郎代表代行と太いパイプを持ち、「参院民主党のドン」といわれる。
 輿石氏は「教員免許更新制は変えなければならない。できるだけ早くやる方向になる」と明言、来年の通常国会での改正案提出についても「あり得る」と述べた。平成23年度から免許更新制を廃止することにも「間に合えばそうする」と前向きな考えを示した。
 指導力不足の教員排除を可能とする改正教育職員免許法は19年6月に成立。教員は10年ごとに計30時間以上の講習を受け、認定試験で不合格となれば、2年以内に再試験で合格しない限り、教員免許が失効する。
 民主党は衆院選マニフェストに「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す」と明記した。
 一方、輿石氏は、参院民主党からの入閣に関し、「1つでよいというわけにはいかない」と述べ、2人以上の入閣を求めた。また、来夏の参院選後の連立枠組みについて「単独過半数をとったら『もう結構です』なんて、人間の生き方として大変失礼だ」と述べ、社民、国民新両党との連立を維持すべきだとの考えを示した。>

   ◇

 民主党が政権を取ったら、この輿石東が文科省の大臣になるとは言われ続けているが、こうしてジャブを繰り出して来ている。

 そして、早速に「教員免許更新制度の廃止」を押し立ててきた。

 この制度は、不良教諭の排除が第一義であるが、同時に、組合活動や政治活動で処分の常習者、その排除も含まれる筈だった。

 それはつまり、日教組の教師である。

 日教組の政治団体「日本民主教育政治連盟」会長を務める輿石東は、アカ運動にかまけ、子供の教育蔑ろの教師、そのシステムを守るために、「教員免許更新制度の廃止」を打ち出し始めたのだ。

   ◇

 民主党は捩れに捩れている。

 上記の記事のように、<民主党は衆院選マニフェストに「教員の資質向上のため、教員免許制度を抜本的に見直す」と明記>とあり、

 保守派の多くの者も、その言葉をポジティブに捉えた人もいただろう。

 まさか、「抜本的に見直す」が、「教員免許更新制度の廃止」とは、誰も思うまい。

 これも、民主党の「選挙詐欺」である。

 つまり、教師の腐敗に対し、民主党は何もしないのである。

 腐敗している教師たちが、自分らの支持団体である故に、その「教育破壊の既得権益」を守ろうとしているのである。

 結局、民主党は、それまでの官僚腐敗の政治を改めるどころか、その腐敗の渦を、公務員の下層まで拡大させるだけなのである。

   ◇

   《日教組の主張通りへの一歩に 免許更新制廃止(9月13日0時54分配信 産経新聞)》

 <民主党の輿石東(こしいし・あずま)参院議員会長兼代表代行が廃止に向けた法改正案を提出する考えを示した「教員免許更新制」。教育問題に詳しい八木秀次・高崎経済大教授は、「廃止は日教組の主張そのままだ。今後、安倍内閣が手がけた教育再生をゼロベースに戻し、日教組の主張通りの政策に転換する第一歩と考えていいのではないか」と懸念を示す。
 同制度は当初、不適格教員の排除が目的の一つとされた。「不適格」には指導力不足に加え、組合や政治活動で度重なる処分を受けた教員も含まれる見通しだった。
 しかし、検討の過程で「悪い者はダメという“性悪説”から、大学で最新の知識技能を学んで指導力を向上させようという“性善説”に変わった」と文部科学省幹部は説明する。
 その結果、同省は今年4月の導入に当たり、「不適格教員の排除が目的ではない」と表明。だが、放課後の指導などで多忙な教員が30時間を割いて「最新の知識技能」を大学で受講することに、「意味があるのか」との批判が、日教組系ではない教員からも起きた。座学をこなせば大半が合格する認定試験にも疑問が呈されていた。
 八木教授も「安倍内閣の退陣で、制度設計が未完成のまま実施された」と不備を指摘する。
 同制度の廃止は教育界で支持される公算が大きい。しかし、「不適格教員の排除」が、現場の課題であることに変わりはない。
 民主党は政策集で、教員の指導力向上のため、教員免許取得に必要な大学の4年制養成課程を、大学院2年も含む6年制に延長することを表明している。
 しかし、現在、教育現場にいる不適格教員に、日教組に支持される民主党がどれだけメスを入れることができるのか。八木教授は「民主党と日教組が一体の関係では、改善を期待できない」と話している。(鵜野光博)>

   ◇

 残念ながら、世の中には「性善説」ではどうにもならない人間が多数いる。

 自分自身が「性悪説」の具現化である<日教組>が、子供には猫撫で声で、性善説を施すのである。

 そして、世には、「犯罪」さえも「自由」と豪語する悪の天下が訪れる。

 それこそが、時代遅れのマルクス主義を標榜してはばからない<日教組>の目論見である。

   ◇

  (いつもキメのセリフ^^;)

 「しかし、みんな、なんと言う恐ろしい党に投票してしまったのか・・・」

                                    (2009/09/13)

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[映画『しんぼる』を観た]

2009-09-13 15:16:59 | 物語の感想
☆松本人志監督の第2作目だ。

 前作『大日本人』(クリック!)では、その方向性に大きな意欲が見られたが、次第に、その物語性が空中分解していってしまった。

 今回は、さて、どうか?

   ◇

 そもそも、松本のギャグは、日本人の感覚に根ざしたシュールさであったと思う。

 ある意味、その本質は「内輪受け」で、その感覚を(日本)全国的に行き渡らせたことが松本人志の芸人としての功績として凄いのだが、

 前作では、それがカンヌ(だっけ?)で世界に曝されてしまった。

 そのニュアンスを世界の人に理解させるのは難しかったはずだ。

 松本自身、それは予期せぬことだったと思う。

 ・・・で、次作の方向性が「世界に通用するモノ」となってしまったようだ。

 私は、この作品を「欧米に媚びた作品」だと思った。

 その意欲は悪くないが、日本の芸人として、先ず、実験的な作品でなく、地に足の着いた、自分の得意分野を前面に押し出した作品を作って欲しかった。

   ◇

 舞台は二極化しており、メキシコのプロレスラーを主に持つ家族の物語と、異世界の密室に閉じ込められた男の物語が交互に描かれる。

 どちらもそれぞれ面白い。

 この二つの舞台がクライマックスで絡んでくるのは分かるが、メキシコ・パートは、何とも『ニュー・シネマ・パラダイス』みたいな味わい深い映像で見せてくれる。

 こっちの感性できっちりと松ちゃんに作って欲しいものだと思わせられた。

 が、異世界密室パートも、シュールでありつつも、何らかの合理的な解釈を抱かせる内容で面白い。

 私は、第一印象として、往年のファミコンディスクシステムソフト『デッドゾーン』を思い出させられた^^

 こちらのパートは、松本人志が主演だが、その濃い顔が、どうにも、クリーンな部屋にそぐわない違和感を感じ続けた。

 でも、欧米人にも分かるように、言葉でなく、アクトで見せようと言う松本の意図は、自分でしか演じられないと思ったのだろう。

 日本人の観客を含みつつ、擬似パントマイムや繰り返される過剰な叫び、オナラや図像で、欧米人の笑いさえも取り込もうという意図だろう。

 お笑いは少な目だが、物語がある一定の方向に進んでいるのはわかっているので、こちらも然程の不満足には陥らない。

   ◇

 ただ、クライマックスで、やはり破綻する。

 二極分化された舞台の融合点が、解せないのである。

 ネタバレすると、密室パートは、一人の男が「神様」になるための修行の場で、そこでの苦難が、とある一具体例としてのメキシコの一レスラーの人生に作用すると言うのだが、

 それがあまりにも突飛なのである。

 その後、神様になった松本が、世界のあらゆる事象に作用を及ぼしていくのだが、そこでの作用は物理的におかしい点はないのである。

 ただ、二極分化の交差点である、物語的にも「要(かなめ)」となる箇所において、素っ頓狂な展開を見せるのだ。

 『大日本人』のエンディングもそうだった。

 ・・・だが、そこを非難してもしょうがない。

 こうして二作続けて見ると、それこそが松本人志のやりたいストーリーテリングなのだろうから、文句を言うだけ野暮である^^;

 私は、不覚にも、そのナンセンスに大笑いしてしまった^^

                                      (2009/09/13)
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