『甘噛み^^ 天才バカ板!』 byミッドナイト・蘭

ジュリアナから墓場まで・・・。森羅万象を語るブログです。
ここでは、気軽に読めるエントリーを記していきます^^

[遅ればせながら、映画『白夜行』を観た]

2011-02-26 23:59:50 | 物語の感想
☆良い出来の作品ではあった。

 公開からかなり遅い時期になっての鑑賞なので、その内容について詳細に語るつもりはない。

 が、原作の東野圭吾については、何ゆえに、こんなにも「通俗的」かつ「大衆迎合的」な作家に変貌してしまったのかと、私は、ずーっと考え続けている。

 彼の作家歴においてのターニングポイントは『秘密』だったと思う。

 その作品で、私はかなりのショック(精神への負荷)を受けた。

 だが、その一作ならば、この作家の中で、こんな作品もあり得ようと、許せた。

 しかし、それからの東野作品のほとんどが「ストレス」作品に堕してしまった。

 そして、多くの「文化」的な人間と言われるものは、創作の世界において、「ストレス」を感じさせられることを<エンターテイメント>と感じる傾向がある。

 泣ける映画が持て囃される時代だ。

 つまり、喜怒哀楽を揺さぶられる作品こそを優秀と感じる間違った考え方だ。

 私は、それを「通俗的」かつ「大衆迎合的」と看做す。

 それが悪いと言ってる訳ではない。

 私は、それだけが、創作の「優秀性」だとは思っていないだけだ。

 いや、ちょっとだけ、私は「悪」と思っている。

 あまりにも、「性のイレギュラー」が、諸作品に頻繁に出過ぎている・・・。

 東野圭吾はここ数年、自分が「金の鉱脈」を見つけたかと思ってウハウハだろう。

 大衆が喜ぶツボを十全に理解できたと思っている。

 だが、十年後には、気づくと思う。

 物語というのは、「経過」説明に行を裂くは、読者の想像力を退化させる、もしくは、馬鹿にした態度であるということを!

 そして、真の物語とは、究極的には、「結果」の羅列でしかないことを!

 なんで、十年後に気づけるかと言うと、この方は尋常ならざる才能を持っているからだ。

 本格ミステリスピリッツとして、「密室殺人」トリックを忘れていないのは素晴らしかった!!!

   ◇

 で、映画において、<「経過」説明に行を裂>けるのは、映画を形作る諸要素である。

 一番に大きな要素は、役者だろうか?

 主演の堀北真希は、私にとって、そのデビュー当時から何で人気があるのか分からないほど、好みじゃないのだが(ラッキョウみたい^^;)、その、私の苦手意識が、作中の役柄に妙にマッチして、不気味で良かった。

 映像も、出演する女優が全てブスに見えるほどのリアルな高解像度でセピアチックに撮って雰囲気が盛り上がった。

 そんな中で、主人公の暗黒面を背負った青年を演じた高良健吾は、特にクライマックス、暗闇に溶け込むような儚いイケメン振りで良かった。

 事件は20年に及び、若き刑事が退職を迎える期間に及ぶ、若き頃に病弱の息子を失っている刑事(船越英一郎)は、捜査の果てに「見えざる加害者」を、いつしか自分の息子のように考えるに至る、と作り手は思わせたいのだろうが、そこまでの物語上の描き込みがなく、やや失敗だが、船越英一郎の演技でかろうじてもったかな。

 また、昭和から平成をまたいだ事件に、これまた作り手は、時代を感じさせたかったかも知れないが、それも成功とは言えない。

 音楽の数々は、『砂の器』チックに時代を感じさせる効果は生んでいよう。

 また、これは重要なハズだが、間接的な加害者である女、その陰としての存在である男、その両者のつながりも弱い。

 ・・・作品の印象としては、『砂の器(松本清張)』『人間昆虫記(手塚治虫)』『カーテン(アガサ・クリスティ)』のテーマ性をピックアップしたイメージではある。

   ◇

 主人公の少女時代を演じた福本史織ちゃんは、役柄的には、まことにもってけしからんが、色々と妄想を刺激してくれる・・・^^;

 とても可愛い^^

     

 PS.ああ、そうそう、主人公の女の歪みについては、私は、女の幼少時の経験による後天性の精神疾患と看做して、物語のアンハッピーエンドを納得している次第です・・・。

                                                   (2011/02/26)
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[映画『恋とニュースのつくり方』を観た]

2011-02-25 23:59:24 | 物語の感想
☆ゴメン、明日も早いので、短信です^^;

 眠くてたまらない、風呂は朝に入ろう・・・。

 なんか、この作品の主人公のように忙しい・・・。

   ◇

 面白かった。

 ちゅうか、中盤まではボチボチにしか楽しめなかった。

 何よりも、最近のラブコメの傾向なのだろうが、

 主人公の女に親近感を湧かせるためだろう、ルックスがあまり良くない。

 私は、オデコに横にシワが寄る女はどうも苦手だ。

 でも、終盤、そこまでの展開(が、さほどに悪いわけではないが)を帳消しにするような感動があった。

 ・・・主人公ベッキー(レイチェル・マクアダムス)は、とあるテレビ局でリストラに遭った、元気いっぱいの元プロデューサー、

 必死になって、スキルを活かせる次の職場を、遮二無二探した結果、

 とある局に拾われ、制作業に復帰するも、多難な朝のワイドショー<デイブレイク>を担当させられる。

 テコ入れに招聘した、憧れでもあった硬派ベテランキャスターであるマイク・ポメロイは、ただの頑固ジジィだった。

 そんな中、キワモノギリギリの企画で番組の人気も上がってきて、恋人ともうまくいきはじめるが・・・。

 と、まあ、こうして書くとオーソドックスな物語だが、

 主人公が仕事が出来ることこそはわかったが(スタッフたちの押し寄せる意見を聖徳太子のように捌いた手腕などで)、それは結果で、普段の身振り手振りのオーバーアクションなど、魅力的とは言い難き挙動不審で、物語の序盤は、「これもまた、定型外を狙ったラブコメか・・・」と思わせられるのだった。

 そんな主人公を中心に物語が進むので、周囲に面白い人物たちを配しているのに、チームでの番組作りという、後に主人公が思い返すことになる仲間たちへの思いが募る描写はいまいち空回りしている。

 また、ラブコメと言いつつ、ラブストーリーの方は、ハンサムプロデューサーとトントン拍子で進展していき、けして印象は強くない(が、なかなかポイントは抑えていた)。

 物語のメインは、頑固ベテランキャスター(ハリソン・フォード)との絡みで進んでいく。

 ハン・ソロ以来、全く演技の幅のないハリソン・フォードだが、ここにきて、かなりいい具合に枯れ、生真面目さに、頑固さ、そして、ダイレクトな下品が加味され、番組の元からのサブ・キャスター(ダイアン・キートン)との、放送中/放送外のコミュニーケション不全など非常に面白く、ゲラゲラ笑った。

 脚本上においても、ハリソン・フォードの傲慢さは徹底されていたので、クライマックスのささやかな「歩み寄り」の姿は非常に大きな感動を呼ぶ・・・。

                                                   (2011/02/25)
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[(短信)カンボジアとタイのクメール遺跡取り合い]

2011-02-24 23:58:47 | 海の向こうでの冒険
☆カンボジアとタイで、クメール遺跡を間に挟んだ国境紛争が、今月初めから激しくなっている。

 カンボジア北部の国境に位置するヒンズー教寺院遺跡<プリア・ヴィヘア>が舞台だ。

   《タイ・カンボジア停戦破棄、再び交戦 世界遺産の遺跡損傷 (産経 2011/02/07 02:10)》

 <【シンガポール=青木伸行】タイ、カンボジア両国の国境紛争が再燃している。国境に位置するヒンズー教寺院遺跡「プレアビヒア」の周辺で、4日から6日にかけ、両国軍による散発的な戦闘が続いている。
 ロイター通信によると、4、5の両日で、カンボジア兵やタイの民間人ら少なくとも5人が死亡。タイ、カンボジア双方とも、戦闘を仕掛けたのは相手側であると非難した。遺跡の一部も損傷を受けた。
 現地からの情報によると、6日はプレアビヒア周辺で両軍幹部が会談し、停戦と、戦闘の発生で避難した住民の帰還で合意した。だが、6日夕になり再び両軍が衝突した。タイ軍のスポークスマンは、死傷者の有無は不明だとしている。
 ダンレック山脈の断崖絶壁に建つ同寺院遺跡をめぐる国境紛争は、フランスのインドシナ植民地政策の「残滓(ざんし)」だともいえる。
 もともとは現在のカンボジアの多数派民族、クメール人が建て、タイのアユタヤ王朝がカンボジアのアンコール王朝を倒した15世紀以降、タイの領土となる。だが、カンボジアが19世紀以降、フランスの保護国となると、タイはカンボジアの領土をフランスに割譲。この際の国境画定の“曖昧さ”に紛争の起源がある。
 1962年に国際司法裁判所は、同寺院をカンボジアの主領土とし、2008年には世界遺産に登録された。しかし、タイ国内の保守派には、政府の「弱腰な対応」への不満が強く、今回もアピシット政権に批判の矛先が向けられている。>

   ◇

 最近の情報には疎いのだが、もしかして、近年は、この<プリア・ヴィヘア(タイ名:カオ・プラ・ヴィハーン) >、カンボジア側からも行けたのかも知れないが、私がアンコール遺跡に夢中になっていた20年前から10年前くらいは、この遺跡は、カンボジア領内でありながら、カンボジア内部からは行けなかった。

 それは、ジャングルに潜伏していたポル・ポト派が、このカンボジア北部に潜んでいたこともある。

 カンボジアからだと断崖絶壁の上にあったからでもあろう。

 地雷もたんまりと埋められている。

   ◇

 私は、タイやラオスのクメール遺跡も訪ね、タイ東北部に行ったときは、この<プリア・ヴィヘア>にも行くつもりだった。

 しかし、タクシーの運ちゃんが「危険だ!」と連れて行ってくれなかった。

 となると、私も興奮してきて、「金を倍払うから連れてけ!」と言ったのだが、運ちゃんは首肯しなかった。

 日本のマスコミでは、戦火を交えるまでしなくては報道されないが、この地区の両国の緊張はずっと続いていたのだろう。

 ・・・で、私なりに考えてきたのだが、おそらく、このような地形(カンボジア側からは高低差があり過ぎ)にあり、

 地形国境を主張したいタイと、カンボジアは、地政学的帰結として争わざるを得なかったのだろう(間違っていたらゴメン)。



                                                   (2011/02/24)
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[映画『終着駅-トルストイ 最後の旅-』を観た]

2011-02-24 22:04:03 | 物語の感想
☆私は東京の23区外に住み、忙しく、もっぱらシネコンでしか映画を観れなくなっているのだが、

 たまに、シネコンが「シネ魂」を見せてくれて、メジャー流通に乗らないミニシアター系の作品をひょっこりと公開してくれたりする。

 『終着駅-トルストイ最後の旅-』が、<ワーナーマイカル・日の出>で公開されている。

 「日の出」って知っとるか?

 東京なのに、区でも市でもなく「町」なんだ。

 もっとも、東京には「桧原村」もあるが・・・。

   ◇

 私は、ロシアの文豪と言われるトルストイの作品は読んだことない。

 ドストエフスキーは人並みに読み、ツルゲーネフも読んだ。

 ツルゲーネフは、他の二人に比べ、ややスケールが小さく感じられようが、私にとっては、『父と子』などでの「ストレス」は、武者小路実篤作品的に強烈だったし、

 最近読んだ小泉信三の講義録では、「(ツルゲーネフ)彼の小説を年代を追って読むと、あれはロシヤの社会運動史です」などと語られていました。

   ◇

 さて、前段の文章は余談ではない^^

 今回の映画は、トルストイの主要な作品が発表され、名声が高まった後のトルストイが、その思想を体現した運動をしていた晩年が描かれる。

 そこには、武者小路実篤が影響されて作った「新しき村」のような共同体が描かれ、同時に、伯爵でもあったトルストイの夫人ソフィヤとの確執も描かれる。

 その間を、トルストイの新しい秘書となったワランチンの、主義者としての純粋かつ真摯な思いが行き交う。

 作品のテーマ性は広範囲で、読み込めば読み込むほど深いのだが、それは見る者の自己責任に委ねられ、

 トルストイの、神格化された名声と、屈託ない人生、一族の長としての責任感、

 妻・ソフィヤの夫婦間の当然の愛と、一族の繁栄への思い、

 トルストイ主義者のリーダー・チェルトコフの、トルストイを民衆の英雄に仕立てたいと願う純粋な思いのエゴへの変異、

 ワランチンの、敬愛するトルストイの進むべき道理を見極めたい態度と、「悪妻」とチェルトコフに吹き込まれたソフィヤに対しての心境の変化、

 厳格な主義者の村で奔放に性を貪る、後にワランチンと恋仲になるマーシャ、

 ・・・と、見る者の立場で、考える対象が異なる。

 うん、レーニンも愛読したトルストイの、共産党前夜の思想も垣間見られる。

   ◇

 私は、やはり、主人公の若き秘書・ワランチン(ジェームズ・マカヴォイ)に感情移入した。

 マーシャ(ケリー・コンドン)に夜這いをかけられ、その「嫌らしい目元」「美しく眼前に実る乳房」に夢中になり、また、ちょっと冷たくされた時には、なんか、『父と子』のようなストレス展開があるのかとドキドキした(・・・その心配はなかった)。



 トルストイ(クリストファー・プラマー)については、わりと理解しやすい性格なのだが、

 「世界三大悪妻」とも言われているそうなソフィヤについては、演じるヘレン・ミラン、難しい演技を強いられたと思う。

 だが、ヘレン・ミランは、その魅力と、納得できる道理と、社会から受けよう誤解を、見事に理解させてくれる名演技をかましてくれている。

 ヘレン・ミラン・・・、可愛いおばあちゃん^^ 『RED』に続いての好演である。

 もちろん、脚本の勝利でもある。

   ◇

 このような作品を見ると、「老人の達観」と「若気の至り」は、周囲を惑わせるにおいては同根だなと思うのだ・・・。

                                                      (2011/01/24)
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[クライスト・チャーチ(地震に思う)]

2011-02-23 23:46:17 | 海の向こうでの冒険
☆昨日、数人から、「ニュージーランドで大地震だよ。蘭さん、いたことあるんでしょ?」などとメールがあったのだが、

 私はイメージで、何故か首都のウェリントンで起こったかのような勝手な思い込みを持ってしまい、確かに20年前にワーキングホリデーで、彼の国に1年間滞在したが、オークランドとクライストチャーチしか知らないので、ニュースを聞いた直後は「そりゃ、大変だ」ぐらいにしか思わなかった。

 しかし、今朝のニュースでの映像に絶句した・・・、クライスト・チャーチがグシャグシャになっていた。

 町のシンボルであるカテドラル・スクエアの大聖堂も崩れていた。

 私は、滞在中いつも、この大聖堂の見えるカフェで、フィッシュ&チップスやパイを食いながらコーヒーを飲んでいた。

 夜は、近くのバーで、ステイン・ラガーやDBドラフトを飲んだくれ、

 たまには<クレイジー・ホース>や<ルート66(だったか?)>でストリップを見た、観た、魅た。

 カジノ・バーでは、日本の競馬も賭けの対象で、<トウカイテイオー>で儲けたものだ。

 私は、この中心部から北にあるシャーリー地区で、グレンジャー・ファミリーの家にホームステイしながら、

 町の中心部に近い、大橋巨泉の<OKギフトショップ>の前にある日本食レストラン<くらしき>で働いていた。

 近くには、デザートレストラン<ストロベリー・フェア(だったっけ?)>があり、ここの「デス・バイ・チョコレート」は必食のものだ。

 西には、地震で崩れた銅像が建っていた博物館があり、

 この町に来た当初(オークランドで半年を過ごし、その後、フィジーでのバカンスを経て、厳冬のクライスト・チャーチに来た)、厄介になったユースホステルや、よくふらついたアートセンターがあり、

 その向こうには、よく散歩したハグレー公園があった。

 更に西のリカトンには、<くらしき>のオーナー夫妻の大邸宅があり、

 ガールフレンドとデートした<モナベイル>と言うお洒落なレストランがあった。

 <パーチカ>と言う雑貨屋は楽しかったなぁ。

 南の高台のカシミア・ヒルには、私を超お嬢様学校<セント・マーガレット>の教壇に立たせてくれた女教師ジーナ・マリーの邸宅があった・・・。

 東のニュー・ブライトンの港町では、仲間とバーベキューしたっけ・・・。

 近郊のマウント・ハットでは、ジーパンでスキーを楽しんだ。

 滞在の最後には、売春宿で女を買った。

 そのお嬢の名前は<フォンダ・ポンダ>で、その娘は「日本のHONDAと似た名前でしょ^^」と笑っていたものだ・・・。

 そんな街が、現在、機能不全に陥っている・・・。

   ◇

 少し、写真を載せておきます。

 今、忙しくて、スキャナーで写真を取り込む余裕がないので、写真を携帯で撮った写真でスマソ^^;


   カテドラル・スクエアでの<マーディ・グラス>の一風景。右手奥の建物、地震のニュースで見たでしょ?


   同じくカテドラル・スクエアに隣接する映画館です。『美女と野獣』の看板。


   ホームステイしていたクライストチャーチ近郊のシャーリー地区の公園。


   クライスト・チャーチ郊外。線路の上でパチリ!(私は右)


   箱庭のような港町。


   マウント・ハットのスキー場。私は上手く転ばないので、ジーパンでも平気!(私は真ん中)

   ◇

 地震を身近に思うには、その思い出が、あまりにも時間的に遠く、実際の彼の地の距離も、地球の裏側ほどに遠い。

 しかし、こうして思い出すに、「いい国」だったと心から思う。

 思い出は、人の心の中に、「今」に生きる町を想起させる。

 一刻も早い、遭難者の救助と、町の復旧を願います・・・。

                                                    (2011/02/23)
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[映画『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued』を観た]

2011-02-21 23:59:57 | 物語の感想
☆正式なタイトルは長くって、『DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう?』だ。

 私は、前にも書いたが、<AKB48>について全然詳しくない。

 でも、若い女の子の集団と言うことで少しは興味がある^^;

 多少はメンバーの名前も知っている。

 観に行ったら、大ファンになってしまうかも知れない。

 本日は残業であったが、21時からのレイトショーに頑張って行った。

 チケットを購入するときは、『リリカルなのは』の時以上に恥ずかしかった^^;

 私がAKBのファンならば、恥ずかしさも起こらないのだろうが、

 ファンではなく、ファンになる可能性も否定しないと言う意味での鑑賞なので、恥ずかしさも募った・・・。

   ◇

 さて観始める。

 最初の5分くらいを見て、「ああ、俺は場違いな鑑賞をしている」と思った。

 そもそもが、この作品はファンの為のものだ。

 彼女らの活躍を充分に知っている方々が、その舞台裏や、クローズアップされたメンバーのインタビュー、素の姿を見て楽しむものだった。

 その前提からして、私は間違っていた。

 でも、その「間違い」の状況を乗り越えて観続けても、私には、どうも「合わない」アイドル集団であることが分かった。

 で、その考察を書くべきなのだろうが、夢中になっている方々がいる以上は、これは、私の「好み」の問題であるかも知れないので、書くのは野暮だ。

 だから、強烈なひと言だけを、伏字で書く。

     「○○ばっか!!!」

   ◇

 カンボジアの娼婦の話だ。

 首都プノンペン(に限らないが)にいた娼婦たちは、ベトナムの娘たちが多く、背も小さく、色白で、見た目は子供のように見えた。

 だから、可愛くはある。

 しかし、化粧はちゃんとしており、子供のような容姿に化粧がアンバランスなのだ。

 もしくは、毎夜、客を取るので、肌が荒れ、その上に化粧を施すので、極端に言うと、老婆が年甲斐もなく色気づいているようなアンバランスもある。

 そこには、年相応の「調和」はない。

 子供のような体なのに、性交を繰り返しているので、下半身だけはどっしりとしている。

 そんな中でも・・・、そんな「娼婦」グループの枠の中でも、人気の順列はあるだろう。

 傍から見ると、それは、スポーツ界のような客観的に納得できる勝負ではない。

 小さな共同体の、ルールがその内部で決められた勝手な「順列」である。

 しかし、そんな勝負だとても、競う彼女らの姿を見ていると、幾らかの感情移入をしてしまう。

 男の趣味は、(日本では特に)多様化の度合いを深めている。

 一昔前ならば、「女の子らしくない」と一蹴されたような個性が、今や、もてはやされている。

 男らしくリーダーシップを取る女を抱きたいと思う男もいよう、

 「美」からかなりかけ離れている女に可愛さを感じる男もいよう、

 オドオドと挙動が不審な女に魅力を感じる男もいよう。

 極端に言うと、カンボジアの大地に何百万と埋められている地雷を踏んで、足の指を吹っ飛ばしたような少女を「魅力的」と感じ、そんな少女を買う男もいるかもしれない。

 難しい例えだが、オッパイが好きな男が、貧乳の女に、「オッパイがない事で意識されるオッパイ」の、大きな存在感を感じる、と言う、一種、倒錯的な、次義的な意味での趣味嗜好さえもあるだろう。

   ◇

 私は、<AKB48>と言うグループに、そんなことを考えさせられた。

 ・・・なんで、彼女らの顔は、顔を半分にしたときの右左(みぎひだり)があまりに違うのであろうか・・・。

                                                     (2011/02/21)
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[映画『男たちの挽歌 A BETTER TOMORROW』を観た]

2011-02-20 07:15:32 | 物語の感想
☆ジョン・ウー監督の出世作『男たちの挽歌』の韓国版リメイク作である。

 どうかなぁ・・・。

 いまいち乗り込めなかった自分がいます。

 そもそも、オリジナル版も、展開自体はベタだったのだが、ジョン・ウーの美学である独特の撮り方によって、観る者の心情に深く食い込む作品となった。

 その頃のジョン・ウーは、物語の整合性よりも勢いを優先するパワーもあった。

 しかし、今回の作品はキッチリと作られてはいるが、定番の物語を彩る「美学」は感じられず、

 古臭い話を最新の技術で作ったものだなぁ、の感想が先ずきてしまう・・・。

 母親を連れていって観たのだが、母親は「なんか、昔の高倉健の映画みたいだねぇ…」と呟いていた。

 それが悪いわけではなく、「現在」にはそぐわないと言うことだ。

   ◇

 物語当初の説明不足もきつい。

 オリジナルと如何ほどの違いがあるのか分からないが(それほどに覚えていない)、オリジナルを見るのが前提のリメイクなんてことはないだろうから、脚本に、絶対に、主人公らの状況説明を一言でもいいから付加すべきであった。

 脱北者の主人公ヒョクの立場がよく分からなかった。

 弟を北に置き去りにしてしまった後悔の内にあるのは分かった。

 そして、武器の密売に絡んでいるのも分かり、その組織の実働部隊のナンバー1の地位にあり、ナンバー2に信頼できるヨンチュンがいて、ナンバー3に、後に自分らを裏切るテミンがいるのは理解した。

 しかし、そこで、刑事が二人ばかり、敵としてではなく絡んでくるのだ。

 だから、私は、ヒョクは警察の一員で、暴力団への潜入捜査官なのだと思った。

 だが、一人は、脱北者のヒョクの後見人としての警部で、もう一人は、脱北者取り締まりの主任の刑事のようだった。

 それが理解できるのは、始まって全編の三分の一が過ぎた頃からなので、当初は、「???」の気持ちがいっぱいで、話の整理をするのが精一杯で、全然、物語に没入できなかった。

 また、すぐに物語に絡んでくる脱北者のチョル(ヒョクの弟)がいるのだが、

 いまいち、展開を追えない状況の中で、敵役のテミンの右腕となる男と、顔が似ていることもあり、「ん? ここで変なつながりがあるのかな」と、自分の中の物語が混乱をきたしてしまった^^;

 後半から、やっとこさ、私個人の中で、登場人物の整頓が出来、展開を楽しめるのだが、なんか中途半端な鑑賞になってしまった。

 故に、主人公の「高倉健(チュ・ジンモ)」と、落ちぶれた組織のナンバー2であるイケメン(ソン・スンホン)との、

 物語のサブテーマとしての、「血のつながりがない悲しくも深い兄弟愛」のほうに、物語全般の「挽歌」性が傾いてしまった。

 まあ、作品上での、南北分断体制の悲劇の中での「愛憎の兄弟愛」は、クライマックスで結実するのだが・・・。

                                                    (2011/02/20)
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[保守系話詰め合わせ(慎太郎・遡る保守・皇統)]

2011-02-19 19:52:26 | 保守の一考
☆う~ん、石原慎太郎は根本的には良いことを言ってるのだけど、いつも、何かしら、表現や、情報のチョイスで反感を買ってるな。

 昔みたいに、暴言だけならば押し切れたんだろうけど、最近、完全に誤った情報で突っ走っている。

 末期の西尾幹二のようだ・・・^^;

     《石原都知事 小学生が売春で1000万円稼ぐ日本人を嘆く(2011.02.16 10:00)》

 <いつからか、この国は「権利」や「自由」ばかりが幅を利かせ、義務や責任はどこかに消えてしまった。石原慎太郎氏が、「日本人の劣化」に警鐘を鳴らす。
 * * *
 読売新聞が出した『親は知らない』という本によれば、携帯を使って売春する子供が、小学生でもざらにいるという。300万円、1000万円も貯めて、それを駅のコインロッカーに隠している。こんな風俗は他の国にはまずない。
 携帯を持つことで、子供たちの世界は急に広がったのだろうが、そういうコミュニケーションはしょせんバーチャルなもの。そこに自分の写真や、時にはヌードまで載せて売春の客を探し、手にした金で友達が持っているTシャツを買う、あるいはタレントを追いかけたり贈り物をしたりする。そういう薄っぺらな満足のために子供たちが売春するという国は日本以外にはありません。
 アメリカには国家としてのアイデンティティがある。それは「自由」です。一面ではアメリカン・ドリームというけれど、一方ではものすごい格差社会でもある。それがアメリカです。フランスの場合には、革命で掲げた自由、平等、博愛がアイデンティティとして今もあり、公の施設ではプレートにして掲げている。
 では、日本のアイデンティティは何かと問われると、今は「我欲」しかない。金銭欲、物欲、そして性欲。それは衝動的な感情にすぎないが、それを増幅し、媒介しているのが携帯、あるいはパソコンです。テレビでは、温泉、グルメ、お笑いばかり。これは好ましいことではない。(週刊ポスト2011年2月25日号)>

 情報のチョイスを間違えただろうところを赤く抜き出しておきました(パソコン上で見るときだけ。携帯では変わらない)。

 幾らなんでも、そんな子供はいないよね?^^;

 せいぜい、色んな要素がマイナスに重なり、超特殊例としてはあり得るけど、このように、自分の主張の裏付けとして引用すべき情報ではない。

 その辺の、なんちゅうか、情報の真贋の感受性みたいのが、石原慎太郎にはなくなっている。

 それが「老い」である。

 しかし、政治家としてはまだまだ働けると思う。

 都知事継続してください^^

 赤抜き以外の主張は尤もなのであるから^^

   ◇

 私は、昔、小松左京の短編小説であった、『・・・日本の総理大臣が北海道はアイヌ民族が先住民だと知り、「知らんかった~!」と号泣し、アイヌ民族に北海道を返還し、それに端を発して、世界中の首脳に「返還」が流行し、最終的には、アフリカで見つかった類人猿に地球を返還し、現代人は自ら死に絶える・・・』と言う話を思い出して、ならば保守派の思想はどこまで遡るかというエントリーをした。

 今、その文章が見つからないが、こんな文章があったので再掲する^^

   [関連性のない細かい話、いろいろ ②<縄文保守>(2006/09/07)]

 《私が西尾幹二著『江戸のダイナミズム』で知って、心惹かれた概念に富永仲基の<加上説>がある。
  詳しくは書かない、ネットで調べて欲しい。
  それにインスパイアされて思いついたのが、言論者の<独創的言論志向性症候群>である。
  これは、
  言論者ってのは、とにかく自分が一番、そう、最先端の言説を語りたくなり、
  その結果、著しく現実とそぐわない主張をしてしまう傾向のことを言う。
  で、四年ぐらい前に私はこんな趣旨のことを言った。
  小林よしのりや西部邁は、かように、他の保守派言論者の主張を、
  歴史を遡って批判的に紐解いていったら、いつしか、【旧石器時代】まで行き着くのではないか?^^;;;
  そしたら、某「近代保守」の「若き精鋭」のサイトで、こんなコメントを見てしまった。
    ---心底、私はのけぞったのである---
  何やら、彼らの組織は、8月15日に、西尾幹二の講演会を、主催者とは別口で取り仕切ったようだった。
  ・・・まあ、プロモーターと暴力団の関係みたいなものだな。

  ≪ブログ開設おめでとうございます。近代からの保守である日本会議、我々は縄文以前からの歴史を踏まえた保守です。
   150年と数千年、敗れるはずがありません。8月15日楽しかったです。またお会いいたしましょう。
                         Posted by 脇坂 at 2006年08月17日 18:31≫

  ・・・うへっ! おえーっ!!
  この子たちは、そんな根拠のない「言葉遊び」を繰って、その場その場の溜飲を下げているのだね。
  ほんじゃあ、近代からの保守である日本会議、縄文以前からの歴史を踏まえた保守である磐南、ってことでよござんすね^^;
  どんなに、時を遡った<独創的言論>を捨て台詞のように吐き捨てようとも、
  現実と乖離していたら、ただの「戯言・妄想」に過ぎないんだよ。
  よ~く、考えて、口に出しなさいよ^^;
                                     (2006/09/07)》

 すると、どなたかが即座にコメントくれました^^

 《≪5433 蘭ちゃんへ 谷島珍二郎 2006/09/08 21:08 男性 会社員 49歳 B型 東京都

  >>>近代からの保守である日本会議、縄文以前からの歴史を踏まえた保守である磐南。

  という表現には、大いに疑問があります。
  日本会議はいつから近代保守になったのでしょうか。またはんにゃん総研は、いつから縄文以前からの保守になったのでしょう。
  蘭ちゃん特有の皮肉とは思いますが。
  神社界や仏教界を束ねる日本会議は、たかだか百五十年の近代保守なんて相手にしていませんよ。
  ましてや、バークだチェスタトンだと外来思想をありがたがる舶来主義者を相手にするわけないじゃないですか。≫

 で、私は、すぐに謝罪するのです。

 《私は、非常に不勉強でして、<日本会議>の何たるかも知らず、その名を使わせていただいてます。
  「神社界や仏教界を束ねる日本会議」の部分の、<仏教界>において影響があることについても初耳でした。
  慎んで、これから勉強させていただきます^^(2006/09/08) 》

 さて、保守派の中でも、「我こそは保守派」の主張が喧しいですが、

 明らかに左翼や、左翼の思考様式の人が、保守派の語彙を使って保守派内にキョトンと居座ったりもしていて楽しいものです^^

 もちろん、日本会議は、極めて保守的な組織です^^

 なんで、この文章を再掲したかと言うと、この文章の要旨をまんまパクッた野郎がいて、腹が立ったからだ。

 文章能力のない「活動家気取り」は、無意識に人の専売特許(文章表現)を盗む。

   ◇

 もういっちょ!

 以下の文章は、今読むと、私のかなりの情報不足がありますが、言いたいことは、赤抜きした部分に集約されるので、どうぞ、楽しんで読んで下さい^^

《 [【歴史教科書】「つくる会」元東京支部長が追放された理由【八木氏の天皇論】](2009-08-18)

 ☆一昨日、雑誌『SAPIO(「8/19・26」号)』を購入、連載の『ゴーマニズム宣言』を読んで、なんか色んなことに合点がいった。
 「つくる会」の元東京支部長で、それまでの扶桑社版の中学歴史教科書の内容をを八割がたまでコピーし、残りの二割を、あまりにもの左翼的な自虐史観に改悪した自由社教科書編集室長として松本謙一(ハゲ松)がいて、
 だが、その印刷段階で、いきなり、その地位を会長の藤岡信勝に剥奪され、「つくる会」自体から放逐された理由の一端が分かったような気がした・・・。
 最近、大著『天皇論』を上辞した小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』の欄外にこう書かれていた。
 《『天皇論』のシンポをやりたいと「教科書改善委員会(蘭注:日本教育再生機構サイド)」からも「つくる会」からも引き合いがある。両者から組織の言い分を聞かされても、わしはどっちが正しいのかは判定できない、どっちかの組織に加担することはない! ただ『天皇論』に関しては、高森明勅氏の顔を立てる!》
 高森明勅氏は、天皇の女系容認論で一部の保守派にバッシングを受けることはあるが、なかなか魅力的な人物で、
 私は、お世話になっている頑固一徹な保守派の掲示板に乗り込んで、「高森先生ほどの人物であらば、(そんな藪から棒に批判されるには値せず)もっと慎重なもの言いをしていると思いますよ」と言ったことさえある。
 その高森明勅氏だが、「つくる会」に属している。
 つまり、常に「論壇のドル箱スター」の小林よしのり氏は、「つくる会」主催の「天皇論」シンポジウムに登壇するのだろう。
 しかし、小林よしのり氏は、高森明勅氏の顔を立てるつもりなのだろうが、結局は、藤岡信勝に踏みにじられると思う・・・。
 とは言え、「つくる会」側は、小林よしのり氏を迎えるにあたって、その態勢は整えるだろう。
 その一環として、「松本謙一の追放」があった。
 松本謙一は、8年前に、小林よしのりの「つくる会」脱退に至る直接的加害者であった。
 ・・・藤岡信勝は、共産主義的思考回路の体現者である。
 目先のことにあっては、長年、自分のために手を汚してくれた功労者であっても、躊躇なく「粛清」するのである。
   ◇
 さて、小林よしのり氏は今回の『ゴーマニズム宣言』において、控え目であるが、日本教育再生機構の八木秀次理事長の天皇観を批判しているので、ちょいと弁護する。
 先ず、八木秀次氏の、「男系天皇or女系容認」に関する主張についてだが、先ず、八木氏の主張の根幹には「女系云々よりも、もっと考えを巡らすべきことがあるんじゃないか」があると思う。
 似たようなタイトルの論説を書いてもいた。
 私も、女系容認を早々と語る人に対しては、
「つきあいはじめたばっかでラブラブな状態なのに、別れの可能性を第一に語りだす恋人」のような頓珍漢を感じた。
 天皇の男系が途切れるようなことあらば、女系が引き継ぐのもまた「天命」と言えるのは当たり前だ。
 小林よしのり氏は、大原康男氏を評し、『男系「優先」ならばわかる』と言っている。
 八木氏と同じではないか?
 また、田中卓氏が、男系女系論争に頓着がないのも、「優先順位」と「可能性」を考えた時の当然の振る舞いだろう。
 天皇の男系が途切れるようなことあらば、女系が引き継ぐのもまた「天命」と言えるのは当たり前で、語るべくもないからだ。
 そして、八木氏の、天皇の系統を語る上での「Y染色体」の話に対しての、小林よしのり氏の批判(生物学的過ぎて「不敬」とのこと)だが、
 いみじくも、今回の『ゴーマニズム宣言』の最後のコマで、小林氏はこう語っている。
   《・・・左翼やサヨクをこそ、国民として覚醒させなければならない!》
 ・・・正に、それなんですよ。
 その為に、八木氏は、「XY染色体」の話までも、持ち出さなくてはならなかったんですよ。
 八木氏は、とにかく、保守思惟を、名実ともに、日本人の思考様式の中央に位置させるために生きているんだと思います。
 色んなアプローチを模索している。
 保守ってのは、多くのリーダーが、「昔からそうなっているんだから、そうなんだ。つべこべ言うな!」と理不尽なもの言いをする一面があり、それを受ける保守も、それで納得してしまう。
 しかし、相手が左翼の場合には、それなりの方法論が必要なのだと思う。
 小林氏がマンガと言う手法を用いるように、だ。

                                     (2009/08/18)》

 その後、この問題は、激しさの度合いを増し、小林よしのり氏は間違いを引くに引けない状態と化し、高森明勅氏も悪意が知れた。

 そして、ついに、新田均教授によって、殲滅の憂き目に遭うに至った。

 ・・・話が戻るが、何で私が、このエントリーを再掲したかと言うと、私が赤抜きした箇所の文章の要旨をまんまパクッた野郎がいるからだ。

 ホント、腹が立つので、たまに、こうして再掲を行なわなくてはならない・・・。

別冊正論 Extra.14 (日工ムック)
クリエーター情報なし
日本工業新聞社


                                                        (2011/02/19)
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[「保守派がバカ」なのではなく「バカな保守派」について(松山千春の少子化対策と、中東の民主化)]

2011-02-17 20:21:06 | 保守の一考
☆ニ,三日前に、いつもの壊れかけのレイディオを聞いていたら、鈴木宗男と仲の良い(^^;)松山千春が少子化対策について語っていた。

 曰く、「女性の社会進出を抑制すれば良い」・・・。

 バカな反フェミ保守が喜びそうな意見であり、私も「それはそうだろうけど・・・」と思った。

 しかし、この時の松山千春は、いつもの偉そうな口調でちゃんと付け加えていた。

「まあ、そんなことを主張して、仮に議員に立候補しても、受からないだろうけどね。女性にも、社会で活躍する権利はあるしさぁ」

 尤もである。

 生物学的には、種の繁栄は大事であるが、人間は文化・文明社会・哲学・思想を持つ生物であるが故に、個々の人間の自由意志は絶対に尊重されるべきだ。

 もちろん、その「自由意志」には、他者に危害を加えるような要素は除外される(簡単に言うと、他者を殺害したり、レイプしたりする「自由」などは認められない)。

 常識的な範疇内での個人の自由意志の尊重・・・、それで、共同体(国)の衰退が始まろうとも、私は「必然」と考えざるを得ない。

 人間の半分に過度な理不尽を強いての繁栄などは間違いである。

   ◇

 私は、国と言うものには、段階があると考える。

 それは、スフィンクスの謎掛けの答えと同じで、人間の成長の段階と似ていよう。

 今、アフリカや中国は、「やりたい盛り」の青年期にあるのだろう。

 人口も増えまくっている。

 しかし、国が熟したとき、「平家物語」でも語られているように、衰退は必ず始まる(盛者必衰の理)。

 ただ、国は「死ぬ」時もあれば、再生するときもある。

 日本は、再生のために何をすべきかが問題となる。

 それは、バカな反フェミ保守がのべつまくなしに語る「女性の社会進出を抑制すれば良い」ではない。

 それは、保守では、ない。

 「女性の社会進出」を認めた上で、その先にあるものを考えるのが、保守派だ!

   ◇

 エジプトで30年に渡り、独裁政権を強いてきたムバラク大統領が退陣に追い込まれた。

 ここでは、フェイスブックに代表されるようなネットによる情報が、エジプト国民に「自分らの置かれている立場の理不尽」を認識させたようだ。

 かくして、独裁政権は崩壊し、「民主主義指向政権」が誕生しよう…、あくまでも「指向」である。

 泥沼の「試行錯誤」…、あるいは、それは血みどろの結果を生むだろう。

 すると、これまた、バカな保守派が、イスラムの格言を用いて、のたまうのである。

   『一夜の無政府状態より数百年にわたる圧政の方がましだ(アラブ)』

   ◇

 この「天才バカ板」においては、常に、このような「標語」に導かれ行動することを、人間においては認めていない。

 それは繰り返し、語ってきた。

 また、それとは別に、このような具体例に対しても、断固として言ってきた。

 どんなに平穏な「圧制」下であろうとも、それが、人間個人の「選択」に委ねられない状態においては、

 どんなに「血みどろ」の無政府状態が現出しようとも、人間個人が「選択」を出来ない状態を是としてはならない、と。

 もちろん、「圧制」を求める選択肢もある。

 人間には、「死」に向かう自由意志による選択肢もあり得ると言っている。

 しかし、安易な「死」を選ぶことは、人間はしない、とも言っている。

 これが、「天才バカ板」の思想哲学である。

   ◇

 本日の産経新聞一面の高畑昭男氏の論説では、ブッシュ前大統領が演説した言葉が引用されていた。

「中東だからといって、人々は自由とは無縁なのか。歴史や文化の故に、専制政治に耐えて生きる運命を宣告されたのだろうか。私はそうは思わない」…(2003年11月)

 それに対し、フランスは「外から解決を強制するのはおかしい」と言い、

 サウジとエジプトは「民主化を押しつけるな」と反発、

 中東通の識者は、「中東の文化・歴史・風土に民主化はなじまない」と反論した、のだそうだ。

 しかし、チュニジア、エジプトと続き、イラン、バーレーン、イエメン…、なんと、リビアにまでも民主化デモの波が押し寄せている。

 確かに、自国の国益あっての政策であろう・・・、が、その中においても、メサイア的にも、「大きなお世話」的にも、アメリカは他国へ民主化を推進している。

 少なくとも、他の大国の国際援助などよりは、その純粋さのパーセンテージは高い。

 この場合、アメリカは、中東の国々に「選択する権利」を与えたかったのだろう。

 そして、エジプトに代表される中東の国々の国民も、「未来を選ぶ権利」を求めていたのだ。

 ネット情報によって、「選択肢」を持たなかった中東の人々に、それは知れた。

 ブッシュの演説で語られたことは、正しかったのだ。

 今後、確実に、アフガンやイラクの如く、血みどろの事態は起こるだろう。

 だが、それは、必ずしも不幸なことではない。

 中東の人々の「選択」である。

                                                     (2011/02/17)
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[映画『あしたのジョー』を観た]

2011-02-16 22:38:18 | 物語の感想
☆・・・面白くって、何度も体に鳥肌を立てさせられたし、ホロリとさせられた。

 よく、物語の構成を「序・破・急」と例えるけれど、この作品は「急・破・序」と言う普通と逆の順序で物語が展開されていた。

 あまりにも有名な作品なので、ボクシングシーンに入る前段階で、多くの観客に飽きられる可能性があるので、そこは激しいエピ複合を行い、ジョーはすぐに、少年院で、宿命のライバル・力石と出会うに至る。

 前段階では、ボクシングの手ほどきを受ける丹下段平との出会いもある。

 丹下段平のビジュアルは、マンガそのままなので違和感が起こり得そうなものだが、ハイスピード展開の中で、力押しされ、いつの間にやら、我々の目にも馴染んでしまう…、もっとも、演じる香川照之が見事で、特に、片方は眼帯で隠されているんだけど、瞳の演技の懐の深さには参った。

 ジョーが力石と最初に戦うとき、丹下が「はじめて(ジョーが)地獄を見ることになろう」と呟いてのジョーを見つめる視線は厳しく優しい…。

 その後も、一番、非現実的な丹下段平のキャラクターが、一番に「リアル」であった。

   ◇

 力石も良かった。

 そもそも、原作において、真のジョー単独の物語は、力石後に始まる。

 故に、今回の、この物語は、ジョーと力石の二人の主人公の物語でもあり、そのキャラクターの起伏においては、力石を演じた伊勢谷友介、凄まじいイメージを発散させていた。

 目じりに狂気を、口角に自信をたたえた表情の素晴らしさ…、今、若手でこんな演技を出来る男はいない。

 しかも、それは動きにも表われているし、体格を過激に変えるような役作りでの努力までしているんでは、向かうところ敵無しだろう^^

 物語上、力石が何故にジョーに拘り、白木葉子に尽くすのかは、上記の「急」展開のため、充分に明らかにされていないのだが、伊勢谷友介の「顔」は、それだけで非常に説得力がある。

   ◇

 白木葉子を演じた香里奈は、まあ、この人の場合、持って生まれた美しさ、ただそれだけで押し切れるのだが、

 ちばてつや描くところの白木葉子の嫌な点まで、外見にうまく表現されていて、なおかつ、綺麗だった。

 私は、丸顔でありつつシャープ、かつ大きな瞳の女に弱い(麻木久仁子とか^^;)。

   ◇

 うん、山下智久の矢吹丈も良かったよ。

 イメージが違うと言う方もいるかも知れないが、ならば、どんな俳優を使えば良かったかを頭の中でシミュレーションしてみると、あれも違うこれも違うで、山下クンがかなりベストであることがわかる。

 その脚本上の個性も、原作ファンのイメージとそれほどかけ離れていないと思っている。

   ◇

 展開上の「破」のパートであるボクシングシーンの数々は、見ている私の気持ちを最大限興奮させてくれたので、文句はない。

 ただ、ノーガード戦法の多用は、ボクシングあらざるもののイメージとなってしまい、ちょいと不満。

 しかし、ガチンコの拳闘にしか見えないアクションを、映画としての色んな角度から鑑賞できる状況の数々は、非常に素晴らしい。

 原作(と言うか私はアニメ版の記憶が大きい)での名場面が、作り手の「あなた、ここが見たかったでしょう^^」とばかりに出崎統ばりの「留め絵」で見せてくれるのも、興奮、更に倍!!!

 闘い終えて、両者が握手しようとする瞬間、私は、その後のシーンを知っているので、泣いた!

   ◇

 で、力石退場後の物語が、ゆるやかで長い。

 ここが、『あしたのジョー』の、真の「序」となるのだから当たり前だし、

 ボクシングシーンよりは退屈な展開なのだが、そこまでの展開の貯金があるので、エンドクレジットまで余裕を持って楽しめる。

 この一作でも完結しているが、私は、是非、今後の原作においてのカーロスやホセとの試合も見たい。

 続編を期待する。

 ハリマオとの試合は見たくないが、違った意味で見たいかも…^^;

                                                     (2010/02/16)
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[映画『幸せの始まりは』を観た]

2011-02-11 23:59:01 | 物語の感想
☆昨日の更新で、「明日は話題作がいっぱい公開される」と記したが、今夜見たのは、タイトルさえも本日知った作品であった。

 しかし、この作品、非常に不思議な手触りのラブコメ作品であった。

 観る前は、全く予備知識がなく、最近、よくFMで流れているアヴリル・ラヴィーンの曲が似合うような話だと思っていた。

 観終えてみると、抑制のある展開に終始し、幾つかのポイントにおいては現実的な結末で、なかなかの良作だと思うのだが、これは果たしてラブコメなのか…、と言う疑問がよぎる作品であった。

 面白いのだが、底抜けに笑えるようなギャグはないのである。

 ラブコメではないのだろう…、「ラブストーリー」なんだな^^

   ◇

 先ずは、ヒロインのリサ(リース・ウィザースプーン)である。

 これまで、ソフトボール一筋で生きてきて、アメリカ代表としてオリンピック優勝さえも成し遂げた選手であったのだが、物語の序盤で代表選手から外され、前向きな性格ではあるが、人生の目標を失ってしまう。

 スポーツ選手であるが故に、肩幅は広く、ドレスアップすると、妙にギスギスしている。

 顔も、ヒロインとしてはなんかバランスが悪い。

 時にいい表情をして魅力的なのだが、そのスポーツ選手がラブコメするというシチュエーションが、なんとも不思議さを醸した。

 そして、物語上、最終的には恋人になる社長を親に持つ会社員ジョージ(ポール・ラッド)がいるのだが、

 なかなか、その両者のエピソードは接点を迎えない。

 物語は、リサが筋肉バカの大リーガーの彼氏と絡んだりする話が延々と続き(この恋人マティ(オーウェン・ウィルソン)が、ゾッとするほど単細胞で面白い…)、

 ジョージは、思いがけず、降って湧いたかのように自分の身に起こった業務上の詐欺疑惑に苦悩する。

 どうやら、ジョージを襲った問題は会社社長のオヤジ(ジャック・ニコルソン)に端緒があるらしい。

 ラブコメだと思っていたので、スポーツ選手の恋と、会社内での親父や、臨月の秘書(情緒不安定)との交流などが丹念に描かれているのは嬉しい誤算ではあった。

   ◇

 私は、リサの状況に比べ、ジョージの状況はやや映画的には普通だなと思ったのだが、ジョージの優しさにはとても共感した。

 対して、単細胞なマティだが、リサと何度もケンカするのだが、その口論においてのシンプルな主張や、出て行ったリサの携帯への伝言など、やはり、とても共感できる部分がある。

 と、考えると、やや変わった状況のリサだが、(私は男なので)完全なる共感は難しいのだが、

 挫折しても前向きに生きるリサの生き方に、やはり、無理矢理さは感じられないのだ。

 ・・・この物語は、奇矯な人間の性格で物語を進めていく流れにはなかった。

 それぞれの人間が、それぞれの変わった立場で、観る者が等身大の自分の感情を投影できる作品だと分かるのだった。

 すっげえ美人とは言えないリース・ウィザースプーンだが、実に多彩な表情を見せてくれ、なかなか魅力あるヒロインとして記憶に残るのは、作り手の必然の成り行きなのだろう。

 PS.リサの幼少時を演じた幼女は、メッチャ可愛いぞ! この子だけを観に行く価値あり!!

                                                    (2011/02/11)
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[映画『RED/レッド』を観た]

2011-02-10 23:59:38 | 物語の感想
☆明日から、また話題作が公開されるし、午後八時まで残業だったけど、その後に頑張ってレイトショー行ってきたよ^^

 公開から結構経つ作品なのに、意外にも、お客さんがかなり入っていました!

   ◇

 最近のアクション映画の画一的な作りに食傷していて、あまり気が進まなかったのだが、遅ればせながらの鑑賞。

 面白かった。

 スケールは大きくなかったが、この作品、「なんか、新しいことをやっている」と言う心地があったのだ。

 ストーリーは、引退した敏腕スパイ・フランク(ブルース・ウィリス)が、コールセンターの担当の娘に恋などをしていたある日、大規模な組織に襲撃されることにはじまる。

 当然ながら電話も盗聴されていて、コールセンターの担当の娘にも危害が及ぶ可能性があると、フランクは、彼女を、誘拐さながらに連れ出しつつ逃亡、その中で、かつての仲間たちと再会を繰り返し、自分をつけねらう組織と対決していくのだ。

 私は何に新鮮さを感じたのか?

 かつての仲間の一人(ジョン・マルコビッチ)の怪演か?

 いや、それも非常に良かったし、最初に出てきたときの「イッちゃってる虚ろな視線」とか「剥き出しにするとわかる空きっ歯」とか、特に良かったが、そうではない。

 この作品は、最近、私が飽きていたアクション映画の主人公たちの「その後」を描いていているのだ。

 だが、そこに「老い」はなく、元気で明るい!

 展開も冗長でなく、瞬間に魅せる切れ味の良いアクションを散文的に見せてくれるのが非常に良かった。

 物語自体も、昔の西部劇のような対決を随所に見せてくれるが、アクション描写も正に西部劇のような瞬発力が重視されていた。

 やたらと、一瞬で勝負の決まるガン・アクションのシーンがあったし、

 途中、とある豪邸で敵に包囲される展開も、砦にこもってインディアンもしくは悪漢と戦う保安官たち、てな雰囲気である。

 このシーンでは、仲間の一人(モーガン・フリーマン)が退場するはめになるが、この作品では、モーガン・フリーマンの存在感が希薄だったのが、私の不満点かな。

 でも、ヘレン・ミレンの熟女な殺し屋っぷりは良かったね。

 『キック・アス』の<ヒット・ガール>に対しての、<ヒット・レディ>な姿が、かなりチャーミングであった。

   

 しかし、『エクスペンダブルス』の時も思ったんだけど、なんか、ブルース・ウィリスの肌ってツヤツヤしているよね。

 それから、おいしい役どころを演じた、CIA捜査官(カール・アーバン)だが、なんか、ブラッド・ピットを頑丈にさせたような男前だったね^^

   ◇

 では、寝ます!

 明日も仕事が早いんだよ^^;

                                                      (2011/02/10)
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[与党民主党考・123 「マッチポンプ党」]

2011-02-09 23:05:44 | 保守の一考
☆タイトルに使った写真を見てよ。

 変だよね。

 昨日のことだよ、民主党を抜け出して、民主党と対立し、名古屋市長に選ばれた河村たかしが、民主党の小沢一郎と仲良く笑っているよ。

 言わんこっちゃない。

 元々、河村たかしは、小沢一郎を「師」と仰いでいるそうだ。

 変だよね。

 いちお、自分に入ってくるお金に固執しないようなイメージの河村たかしが、「政治とカネ」問題で糾弾されている小沢とつるむのだ。

 地方から日本を動かす、を標榜している男が、中央集権独裁化を目論んでいた野郎と談笑しているのだ。

 小沢が訪ねたわけではないよ、河村が訪ねたんだよ。

 河村に投票した人は、こんな状況を見越していたのかね。

 有権者は、議員報酬半減、10%減税のイメージに魅了されたと言うのが正直なトコだろう。

 私は、そこに民主党の異常性を見る。

 以前、こう記した。

 <・・・そういった方々は、菅直人のお金に対してのクリーンさ(明らかになってないだけだが)と、小沢一郎の政治手腕という、なんか変な選択肢のチョイスを続けて、未だに民主党支持をし続けているようだ^^;・・・>

 民主党と言う党が、一切の整合性を放棄した結果として生きながらえているので、それを支持する有権者も、そんな「デタラメ」がスタンダードになってしまっている。

 河村に投票した人々は、河村に、純粋な政治指向の姿を見ていたと思うのだ。

 その「純粋な政治指向」とは、かつての菅直人に、多くの支持者が感じていた気持ちと同じだろう。

 だが、菅直人は、増税を必要と見た。

 で、少なくとも名古屋の有権者は、菅・民主党よりも、減税を主張する無所属(いちお、「減税日本」か)・河村たかしに投票した。

 しかし、その河村は、現在、菅直人と対立する小沢一郎の子飼いだったわけだ。

 多くの民主党支持者は、小沢一郎の「政治とカネ」問題に憤り、菅体制を容認している。

 その狭間、変な民主党の中で、最も異常な鳩山由紀夫がいる。

 こいつ、菅の如き『イメージ上の「純粋な政治指向」(言い換えると「バカ」)』でありながら、何故か、今、小沢支持陣営にいる。

 河村も、鳩山も、民主党自体も、何が何やら分からないのである^^;

 民主党の個々の議員は、矛盾する属性を併せ持っていて、その場その場で使い分けているのである。

 それが「何が何やら分からない」で済んでいるうちはいいのであるが、

 私が恐れているのが、党内・擬似「二大政党制(民主党によるマッチポンプ)」の誕生である。

 これは、自民党時代の「派閥政治」の低劣化版である。

 その兆候は見えている。

 先ずは、与党になり、小沢の肝いりで鳩山が首相になった。

 ルーピー・鳩山と、いざとなったら、陰に隠れてしまったダーティー・小沢の不手際で、鳩山は退陣し、菅政権となる。

 小沢は悪役(西松建設事件)、鳩山は「バカ」として、民主党の中で蔑まれ、菅政権の支持率は最高潮。

 しかし、参院選直前の、菅の不用意(不容易)な「消費税増税」発言で、支持率は急降下、参院選敗退。

 そこで、その後、不思議なことに、小沢待望論が出て、菅と小沢の党代表選が行なわれるに至る。

 結果として、菅が代表に再選。

 何もしてないのに、菅の支持率が上がる。

 民主党は、何か不手際が起き、政権が揺らぐと、必ず、同じ党内からライバルを出してくる。

 そして、何らかの「セレクション・セレブレーション(マッチポンプ)」が行なわれる。

 どちらが勝っても、民主党総体で考えると、勢力が減じることは少ない。

 なかなか、悲しくもよく出来たシステムである。

 思えば、野党時代、菅も、ポスト菅と目される岡田・前原も、幹事長を経験しているが、すぐに失敗している。

 だが、じきに、何食わぬ顔で代表に舞い戻るのだろう。

 民主党支持者は、その異常性に気づく術はない・・・。

   ◇

 さて、とりあえず、私は寝るとするよ、おやすみ・・・。

                                                      (2011/02/09)
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[与党民主党考・122 「そもそも土台のなかった民主党」]

2011-02-07 22:53:55 | 保守の一考
☆この事は、知ってる人は知っているんだろうけど、重要事だと思うのに、誰も口にしない。

 私は、数ヶ月前に、同僚の岡部さんに聞いていて、「それはいいことを聞いた^^」と思ったのだが、エントリーに書く「取っ掛かり」を探すうちに忘れてしまっていた^^;

 そしたら、東谷暁氏が産経新聞(2/2付け)の一面コラム「今日の突破口」で書いてくれていた。

 <・・・いまの政権が守れもしないマニフェストに固執するのには、もうひとつ大きな理由がある。民主党には党綱領が存在しないことである。およそ政党というものは、党の根本的な価値観を綱領で示し、そこから政策を立ち上げる。国民は党綱領と当面の政策提案を比較して判断することができる。しかし、この政党は政党の要件すら満たしていないのだ。そしてそのため、選挙民にこびるだけのマニフェストが党綱領の代わりを演じて、マニフェスト政治の弊害をさらに加速してきた。
 民主党はいまごろになって党綱領を作ろうとしているらしいが本末転倒であり、マニフェスト政治によって生じた日本の損害は甚大なものといえる。いま私たちが目撃しているのは、民主党政権の崩壊だけではない。マニフェスト政治の、過誤と欺瞞があふれかえる悲惨な末期症状なのである。>

 この党の「漂流」の原因はそこにあるのだと思うのだ。

 党綱領と言う「土台」がないので、一貫的な方針が取れず、沖縄問題では社民党に揺るがされ、数議席の国民新党には大きな発言権を与え、同じく弱小であり、政治思想があまりにも異なる<たちあがれ日本>と連立を組もうと言う節操のなさをあらわにする。

 自民党で経済分野の中心にいた与謝野馨を内閣に組み込んだのも記憶に新しかろう・・・。

 消費税の扱い一つを取っても、嵐の海に浮かぶ木の葉のように一つところに定まらない。

 男が嫌われる最大の要素の一つに「優柔不断」があるが、民主党はそれ以前に、嫌われる前の好かれる要素であるベーシックなものが存在しないのだな・・・。

 すると、同じく産経の(2/6付け)一面コラム「一服どうぞ」で、裏千家家元の千玄室氏が語ってくれている。

 <・・・『論語』(学而第一)に「君子は本を務む。本立ちて道生ず」とある。根本をいい加減に思い扱っていると枝葉末節がおかしくなってくる。どこの国でも国の憲法により、国民生活は守られている。わが国でも戦後の憲法がどうも日本の国のあっていないようで、それがために枝葉末節が乱れてきていることは確かである。国民がもっと国を憂え、将来のこの国の在り方の本をしっかり見直すべき時期にきているのではないだろうか・・・>

   ◇

 う、う~・・・、かなり酔っ払ってきたが、もう少し書く(飲んでいるのは宝焼酎)。

 《名古屋トリプル投票》で、名古屋市長に河村たかしって人が再選して、

 このことは、民主党にとってマイナスの結果としての報道のされ方をしているけど、

 民主党から出てった人な訳で、今回は民主党と対立したが、私から見ると、「民主党的なるもの」の具現化以外の何ものでもないような気がしていますよ。

 顔が、民主党顔だもん。

 「民主党」と言うレッテル(表看板)がなくなり、個々の政策で「民主党的なるもの」がどんどん日本の細部に浸透していくのは恐ろしい限りだ。

 私が言いたいのは、「民主党的なるもの」は徐々に、確実に、日本の大衆思惟のスタンダードになっていってるぞ、と、酔っ払いつつ思っているのだわ。

 名古屋のインフラ整備はおろそかになりつつあるそうだね。

 市民税10%減税を掲げてあるが、財源は、おそらく、名古屋名物の豪勢な結婚式の貯蓄が減じる帰結に、巡り巡って至ることになるのでしょう・・・。

日本通 お国自慢・13の視点
渡部 昇一,屋山 太郎,服部 幸應,古田島 洋介,新田 均,千 玄室,笠谷 和比古,松本 零士,呉 善花,田中 英道,八木 秀次,渡辺 利夫,村上 和雄
扶桑社


                                                        (2011/02/07)
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[『ミシュ蘭・ランチガイド(その29・チェーン店の挑戦)』]

2011-02-05 21:29:25 | 保守の一考
☆壊れかけのレイディオを聴いていたら、すき家の<牛まぶし>っちゅうのが話題になっていた。

 私は、最近販売の吉野家の<牛キムチクッパ>など、汁ゴハン物が大好きなので、前の日に彼女と携帯で打ち合わせ、「明日の早朝の仕事前に落ち合って食おうじゃないか^^」と約束して、予定していた八王子の<すき家>に入った。

 時間になっても来ないので、寝坊したのかと思って、私は勝手に注文した。

 すると、メールが入ってきた。

「どうしたの? 起きれなかったの?」

 ・・・八王子は広く、どうやら、彼女は違う<すき家>支店に行ってたらしい・・・。

 なんか、場所を決めている時、それぞれ場所の説明をしていて、私は微妙に違和感が募っていたのである^^;

「ありゃ、お互いに間違えたらしい。まあ、しゃあない、べっこに食べよう^^」


                          ・・・480円なり。

 私は男なので、一人での外食に抵抗ないが、早朝に、女一人の<牛まぶし>はきついもんがあろう^^;

 ・・・いや、そんなタマじゃあないか!^^;

 食べ終えて、私は、彼女にメールした。

「こりゃ、うまいね! ワサビがスーッとして、一口毎に山椒の実がプチプチ弾けて最高だ。ダシもちゃんと熱々だし!」

「うん、高級なお茶漬けみたいだった^^ でも、なんか、あり得ないカップル状況だよね・・・^^;」

「・・・、・・・ああ、じゃあさ、明日の朝、また食おうか?」

 普通ならば、「二日連続同じものなんて嫌よ」と言うものだろう、しかし、私とつきあう娘は違う。

「いいねぇ!^^ じゃあ、明日はちゃんと待ち合わせて食べようね

 で、今日の朝も<牛まぶし>、食べました^^

 美味しかった

 ・・・私は、この<牛まぶし>、とても気に入ってまして、オススメのメールを小百合さんにも送りまして、

 今日のお昼は、岡部さんを相手に、映画『ウォール・ストリート』の感想と、<牛まぶし>の美味しさを延々と語ってしまいました^^

 岡部さんは、『バビロンの大富豪』と言う本について話してくれて、私はかなり読みたくなった。

バビロンの大金持ち The Richest Man in Babylon
ジョージ・S・クレイソン,George S. Clason
実務教育出版


   ◇

 それから、一週間ほど前、<イオンモール・日の出>のレストラン街の<むつみ屋>で食事をした。

 朝からなんにも食べる暇なく、昼過ぎに行って、<焙煎ニンニク味噌ラーメン(850円)>と<牛スジカレー・小(300円だっけか?)>を注文。



 いや、腹が減っていたせいもあるけど、うまくて、スルスルと十分以内に食べ終えてしまった。

 最近はトンコツばかり食べていたけど、風味豊かで、舌触り濃厚ながらも上品に抑えてある味噌味に新鮮な美味しさを感じた。

 カレーも、看板の牛スジがじっくりと煮込んであり、柔らかくプリプリしていてうまい。

 今回は小サイズだが、このラーメンとセットなら単品でも食べれちゃうだろう^^

                                                    (2011/02/05)
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