福田の雑記帖

www.mfukuda.com 徒然日記の抜粋です。

「エイプリルフールでした」、と笑いたい(9)「エイプリルフールでした」

2009年04月03日 04時08分53秒 | 近況・報告
 昨年の3月下旬から4月初旬は私自身が深刻な懸案をかかえていた。
 「エイプリルフールでした、と笑えれば最高にハッピーである」、と題して昨年の4月1日に、私の状況をこの欄に記載したが、この券に関して言えば本当にハッピーエンドになった。

 一年後のこの日を、恐らく良い状態で迎えることは出来ないだろうと覚悟していただけに、今日このような健康状況であの時期のことを振り返ることが出来ていることに、何ともいえない感慨がある。「そうか、あれからもう一年か」である。

 昨年の今頃、私は「肺ガンを否定できない胸部異常陰影」をかかえて経過観察中の身であった。職員健診結果「健診で肺レントゲン像に異常影があるので先行してお知らせします」とあり、「肺ガンを否定できない陰影あり」という項目にチェックが入っていた。

 胸部3方向写、胸部CTの所見も「陰影の特徴から肺ガン疑い濃厚」であった。肺ガンとすればかなり進展が早く、この陰影では予後は悪そうであったが、いつか来るであろうことがたまたま肺に、しかも予定よりちょっと早く来ただけ、と事実を淡々と受け入れた。悪性か否か、もう体内では決まっていることだからジタバタしてもしょうがない。検査を受けても変わるわけでもない、どちらでも良い、と比較的冷静に受け止めた。家内の病気が判明した時の驚きの方が遙かに大きかった。私自身、家内より長く生き延びる設定は殆どしてこなかったからである。

 検査し、白黒をはっきりさせて手術をすべきか、放置すべきか、どうせ結果に大差ないだろうから、私は後者を選択するつもりでいた。そして、求め続けてきた自由な時間を少しでも味わいたいと一切の職務から離れようと少しずつ準備し始めた。 
 呼吸器科科長の総合的判断でしばらく様子を見ることとなった。昨年の今日は粛々と2回目の判定を待っていた時期であった。
 6月中旬まで、何度か経過観察のCTを撮影し、陰影は残っていたが、結果的に「シロ」と判断して良いだろうと判断され、大きな開放感を味わった。
 その後、一切検査していないからあの陰影が今はどうなっているのか、私自身は知らない。昨秋と本日届いた職員検診の胸部レ線の項には異常なしとあったから大丈夫だろう。

 「昨年の4月1日の記載はエイプリルフールでした。お騒がせして済みません」、と言う結果で最高である。これに関連した大きな副反応は家内が私のためにあわてて退職したことだが、今はそれなりに良い生活を味わっているようで決して悪くはなかっただろう、と思う。

 本年は「エイプリルフール」として挙げるような話題はありません。

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