昨年の夏過ぎに話題になった自転車関連の諸問題はその後どうなったのか?
自転車は例外的に歩道走行も可能であるが、原則として車道走行であること、そのためには自転車レーンの設置が必要等々が話題になった。自転車にとってやっと良い時代が来ると期待していたが、その後に具体的な動きは見えてこない。一体何だったのか?と思う。
自転車は歩行者からは疎まれ、自動車運転者からは邪魔者扱いされて小さい立場にある。だから両者から独立した自転車レーンの設置は三者のための最良の解決策である。
しかし、しかしである。わが国の狭い道路事情、歩道設置さえ不完全、不十分で歩行者は危険にさらされていることを勘案すると自転車レーンの設置はいくら叫んでも実現は困難であろう。
ならば、道路を歩行者、自転車、車と上手にシェアして利用していくことしかない。自転車を本来の車道通行に徹底すれば、歩行者との関係は解決し、問題は自転車と車の関係になる。独立したレーンがないならば双方に互いを尊重する運転を求めるしかない。
私は原則的に左側の車道の外側、白線の内側を走る。法的にそうなっているほか、歩道の路面が凸凹で、決して自転車に向いていない。車道の条件は格段に良い。しかし、心ないドライバーにいつも悩まされている。
ドライバーのかなりの方々は車道の左側に引かれている白線の内側が車用で、自転車はその外側を走るべき、と誤解している節がある。狭い道路では歩道と白線との間が20cmほどしかないところもある。こんなところは自転車では走行困難であるから自転車用でないことは考えれば分かるはずだ。
道路の左側の白線は道路の状況によって以下のように意味が異なる。意外と知られていない。
■歩道が設けられた道路においては、道路交通法上の道路標示ではなく、せいぜい路肩を示す程度のものに過ぎないので、自転車は車道外側線の外側を走る必要はない。
■歩道が設けられていない道路の場合は、歩行者用の通路としての意味を兼ねることとなり、自転車は原則として路側帯を通るべきではない。
心ないドライバーは右側に余裕があっても寄らずに自転車すれすれに追い越していく。悪意を感じることもあるし、左側の白線の意味を誤解していているのではないかと思うことも頻繁である。
自転車は例外的に歩道走行も可能であるが、原則として車道走行であること、そのためには自転車レーンの設置が必要等々が話題になった。自転車にとってやっと良い時代が来ると期待していたが、その後に具体的な動きは見えてこない。一体何だったのか?と思う。
自転車は歩行者からは疎まれ、自動車運転者からは邪魔者扱いされて小さい立場にある。だから両者から独立した自転車レーンの設置は三者のための最良の解決策である。
しかし、しかしである。わが国の狭い道路事情、歩道設置さえ不完全、不十分で歩行者は危険にさらされていることを勘案すると自転車レーンの設置はいくら叫んでも実現は困難であろう。
ならば、道路を歩行者、自転車、車と上手にシェアして利用していくことしかない。自転車を本来の車道通行に徹底すれば、歩行者との関係は解決し、問題は自転車と車の関係になる。独立したレーンがないならば双方に互いを尊重する運転を求めるしかない。
私は原則的に左側の車道の外側、白線の内側を走る。法的にそうなっているほか、歩道の路面が凸凹で、決して自転車に向いていない。車道の条件は格段に良い。しかし、心ないドライバーにいつも悩まされている。
ドライバーのかなりの方々は車道の左側に引かれている白線の内側が車用で、自転車はその外側を走るべき、と誤解している節がある。狭い道路では歩道と白線との間が20cmほどしかないところもある。こんなところは自転車では走行困難であるから自転車用でないことは考えれば分かるはずだ。
道路の左側の白線は道路の状況によって以下のように意味が異なる。意外と知られていない。
■歩道が設けられた道路においては、道路交通法上の道路標示ではなく、せいぜい路肩を示す程度のものに過ぎないので、自転車は車道外側線の外側を走る必要はない。
■歩道が設けられていない道路の場合は、歩行者用の通路としての意味を兼ねることとなり、自転車は原則として路側帯を通るべきではない。
心ないドライバーは右側に余裕があっても寄らずに自転車すれすれに追い越していく。悪意を感じることもあるし、左側の白線の意味を誤解していているのではないかと思うことも頻繁である。
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