生成AIの元になっている一つ一つの情報が、 どこの誰が責任をもって発しているのかが見えないがゆえに、文章が美しくとも
の内容はいい加減な情報で溢れかえってしまう。
情報は誰が発信しているのかは、とても重要なこと。情報の信頼性を最低限担保するものとして、誰が言っているのかが分からなければ、信じるに値しない情報ということになる。私はそう思っている。だからネット情報は重視しない。
その点、書籍は発信する人が誰なのか、発行する会社も発行人もがはっきりとわかる。たとえ、極端な意見の本であっても、読み手は安心して読み進められる。
書き手の氏名、情報の責任者がきちんと入っていることは、これからの時代、絶対的な強みになるだろう。
ネットはこれまでは光の部分ばかりにスポットライトが当てられてきまたが、信頼性の欠落という影の部分が、今後はろいろな問題を伴ってクローズアップされていく。
そのネットの影の部分を埋めるものとして、本は再びその価値が見直される。私はそう思っている。
専門家による情報であっても必ずしも信頼できるとは限らない。誰が書いているのかが明らかであっても、それだけで信頼性が十分に担保されているわけではない。専門領域の解説では素人にはわからない部分が多々あるから、専門家は嘘をついてごまかすことができる。
大新聞社が行った世論調査にしても、調査のやり方からきちんと見ていかないと、世論を正しく反映しているのか定かではないことが多々ある。
究極的には、社会的に信頼度が高いと思われている専門家や大手マスコミ、大企業であっても、すべての情報が真実かどうか、信頼できるかどうかは本当にはわからない。だって、彼らも生成AIを用いているかもしれない。いや、用いるのは当然と考えるべきだろう。しかし、きちんと自分で修正し、自分の意見になればいい。
普段から情報のクオリティを見抜く力の涵養が必要である。
とりわけ、ネットを中心に夥しい数の情報が溢れている時代にあっては、接する情報を一度は疑ってみる必要がある。
ところで、一冊の本を作るには、どんな人がどれだけ関わっているのか(?)、ざっと考えてみる。
本を一冊出すにも多数の人手や多額の費用がかかるようだ。
著者に原稿を依頼する場合は、企画書の段階から数回の会議を経て決まるようだ。執筆者の原稿が専門分野の人たちに次々と受け継がれ書籍として世に出る。こうした過程を知れば、書籍は生半可な気持ちでは作れないことがわかる。本は内容だけでなく、それを支える出版業・印刷業の企業努力にも目を向ける必要がある。
書籍づくりは大きく分けて「著者・編集者」、「校正・校閲者」、「デザイナー」、「印刷会社」の四つの専門家が関わっている。それぞれが能力を発揮することで、情報を読みやすく、著者の意向を忠実に反映した書籍が完成する。「ライター」や「カメラマン」など、より充実した内容にするためにかかわる関係者も含めると、その数はさらに多数となる。著者を除いても最低10人ほどがかかわっていると思われ、長いものでは数年、緊急出版でも1-2ヶ月かかるとされている。本づくりは多くのプロの参加で出来上がる一大プロジェクトである。
私にも時折出版社から自費出版の勧めが届く。300冊で300万円程度という。私はこのブログで十分である。ゴミを増やしたくないからその気にならない。