最近、高齢者医療の中で、延命治療や過剰医療を廃した自然死、平穏死、尊厳死など取りざたされている。それでも無理矢理死の過程に枠をはめることになり、個人の自由は無い。自由になるのは今のところ唯一、自死しかない。
自死も多様で、生き難い状況や社会の中で選ぶ自死は半ば強制死であり、間接的他殺に近い。この場合、原因として社会より個人の資質が問題にされるが、これは問題である。
自死数が全国一の秋田県の場合、原因別では、健康問題が40.3%>経済・生活問題>家庭問題>勤務問題6.4%であった。
健康問題の場合、自分で死の形を選択出来ずにあえて辛い自死を選ぶのは二重、三重に悲惨である。
自死が出来る、と言うことはまだ健康状態に余裕があり、対策をとれる余裕があると言うこと。この間に何も対策出来なかったとすれば、それは悲しい。周りにも責任があろう。
衰弱しかかっていれば自死すらもできない。
健康問題に起因する自死を防ぐために、私は安楽死も選択の中に入れるべきと思う。安楽死に頼れるとなれば安心して療養を受けられるから自死する必要がない。
自分はどのような死を望むか、常に考えているが結構楽しい作業である。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
■ 私のいのちは誰のものではなく、家族のものでもなく、自分のものだと思う。だからもっと自由が認められていい。
■ 誰でも何れ死を迎える。死には「救い・解放・安息」という魅力がある。
■ 他人や、医療者の、家族の、法などの介入のない死がいい。
■ 基本は在宅死。孤独死・自殺もありうる。実際には困難が伴うが・・。
■ 入院・施設死なら、延命不要、家族の見守りも不要。
■ 生きている意義を享受できない状態、食べられなくなったら人生の終わり。
■ 点滴、高カロリー輸液、鼻管栄養、胃瘻希望せず。餓死希望だが困難だろう。
■ 何もしないで死を待つのは生きるより辛い。可能であれば意識あるうちに安楽死を希望する。
■ 判断力を失った場合も安楽死で死期を早めてほしい。
―――――――――――――――――――――――――――――――-
これは自身の死に対する宣告でもある。