福田の雑記帖

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吉村昭著「梅の蕾」文春文庫 2000年(3) 

2021年07月21日 04時51分32秒 | 未分類
 吉村昭著「梅の蕾」には私はいろいろな面から接してきた。思い入れのある小説である。

(1)個人的に私は田野畑村の景観を好み、宮古在住中の2年間に数回、秋田に移ってからも家族で2回ほど訪れている。特に鵜の巣断崖、北山崎の景観は忘れられない。

(2)2006年ラジオ深夜便「こころの時代」に「田野畑村に梅が咲くころ」と題して田野畑村長早野仙平氏が出演された。当時、私はその録音を何度も繰り返し聴き、さらに一層田野畑村への思いを深くした。
 田野畑村は、太平洋に面した人口4500人あまりの村。早野氏は25歳で漁業協同組合組合長になり、破産状態の組合を再建。35歳で田野畑村の村長に就任、32年に渡って努められた。かつて「陸の孤島」と言われた田野畑村にも、1972年に国道が開通。陸中海岸国立公園に指定された景観を観光資源として、出稼ぎのない村づくりを進めた。思惟(しいの)大橋は高さ120m、長さ315mの逆ローゼ橋でV字形の深い渓谷を渡る。リアス式の海岸沿いに村が深い谷と森で分断されていて人々が行き来するのに苦労も多かったが、それを解消した意義ある橋であった。

(思惟大橋)
 教育を村政の大きな柱にすえ、村づくりを人づくりから始めた早野氏が2時間近く田野畑村の歩みを語った。
 その中で医師として赴任した将棋面氏とその夫人の人となりについて熱っぼく語った。

(3) 2000年吉村昭氏が小説「梅の蕾」を著書「遠い幻影」の一編として出版。
 私はこの書を出版直後に購入した。氏は田野畑村に思い入れがあり、夫婦で何度も足を運んだ。早野村長とは半世紀にわたるお付き合いがあり、氏の短編集「星への旅」、「見えない橋」の中にも鵜の巣断崖を舞台にした作品が認められる。氏の鵜の巣断崖の景観への思い入れは終生変わらなかったようで私も嬉しい。
 田野畑村も東日本大震災で大きな被害を被った。村は、明治三陸津波(1896年)や昭和三陸津波(1933年)の教訓から、海沿いには堤防が築かれた。それでも、震災では関連死と行方不明を含め41人の犠牲が出た。「三陸海岸大津波」を現した氏が、3.11の震災、大津波のとき、すでに故人になられていたのは残念なことであった。
 妻である津村氏は「三陸の海」でその悔しい想いを引き継いだ。

(4) 2021年5月10日ラジオ深夜便「ラジオ文明館」に「梅の蕾」が取り上げられ、私は田野畑村への思いを改たにし、この小文を記載した。

 私は、作家の吉村氏の作品を好むが、その背景には氏の田野畑村に対する想いに共感するものがあるからだろう。改めて思った。

コメント
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